令和6年能登半島地震に
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能登半島地震被災レポート

金沢大学 教授
大友 信秀

1.はじめに(本稿の目的)
 本年元旦に、石川県能登半島でマグニチュード7.6の直下型地震が発生しました。観測された最大震度は7強に達しました。
 心ない人たちによる誤った情報の流布や自分勝手な行動が目に余る現状があり、心ある方々に、能登半島地震被災後の現状から学ぶべきことをいくつか整理してお伝えする必要があるのではないか、と考えています。
 そこで、以下、今回の地震の特徴、今何が進んでいるのか、今後何が必要になり、そのためにどのような知見が必要となるのかについてお伝えします。

2.今回の地震の特徴
 今回の地震は、マグニチュード7.6を記録しました。平成19年(2007年)の能登半島地震がマグニチュード6.9であったため、専門家らは、その後の能登半島地震の予想マグニチュードを7.0に設定していました。
 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は、マグニチュード9(国内観測史上最大規模)を記録しており、その大きさには、遠く及びませんが、直下型であった平成7年(1995年)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は、マグニチュード7.3を記録していることからすると(平成28年(2016年)熊本地震でも、最初の大地震に続く2回目の揺れではマグニチュード7.3を記録しています。)、震源近くで被災した今回の地震の大きさがいかなるものであったかはご理解いただけると思います。
 ちなみに、マグニチュードは、0.2大きくなると地震の規模が2倍になるため、今回の地震の強さは、阪神淡路大震災の2倍以上の大きさであったことになります。
 東日本大震災では、死者行方不明者が1万8420人(死者1万5900人、行方不明者2520人)を数え、阪神淡路大震災では、死者行方不明者6435名(死者6432名、うち関連死者数912名、行方不明者3名)を数えました。これに対して、能登半島地震の死者数は260名です。
 今回の能登半島地震で死者数が過去の2つの大地震に比べて極端に少ないのは、主な被災地である能登半島の奥能登地域(2市2町)の人口がそもそも6万人強(令和2年(2020年)国勢調査時点で6万1114人)であったことや、地震の時間帯がちょうど昼食と夕食の間で外出している方々も多かった等の条件が働いているものと考えられます。
 死者数に対して、住宅被害は、4万6000棟(うち奥能登地域の被害住宅数は2万7500棟。奥能登地域の世帯数は2万5471世帯であり、被害の深刻さがわかる。)を超え、一時避難者は3万4000人に達しました。

3.今何が進んでいるのか(進んでいないのか)
(1)発災直後
 3か月以上、水道が通らない状態が続き、半壊又はそれより軽度の損壊であった自宅に避難をしていた方々は、その間、簡易トイレを使い続けていました。また、シャワーや風呂は、主に自衛隊が設置・運営してくださったものを利用していました。
 能登の冬は寒く、十分な毛布や布団がない中、アルピニストの野口健さんのボランティアグループが、8000以上の寝袋を被災地に送り届けてくださいました。また、自身も被災した和倉温泉の加賀屋は、被災からの復旧に時間がかかることを見越し、いち早く、旅館で使用していた高級寝具を被災者に配布してくださいました。
 炊き出しボランティアは、有名なワールド・セントラル・キッチンの支援を受けたチームを始め、多くのチームが対応しました。私もNPO輪島朝市のメンバーと一緒に発災後から継続して支援しており、協力団体の「富山ブラック」として有名な「麵屋いろは」は、水もガスも電気もない状態にもかかわらず、何度も現地入りをしていただきました。
 この間、道路が復旧し、現地へのアクセス時間が半減し、水道の復旧もかなりの程度進んできました。しかし、街並みが発災時のまま残り、仮設住宅への入居も一部住民に留まることから、町全体が外部支援を頼る状態にあり、自分たちで仕事をするという生産体制が戻ってきていません。

(2)今必要なこと
 第一に、住民の居住場所の確保、生活基盤の確保が必要です。そして、第二に、自身の自立した生活のため、そして何より地域復活のための生産活動の復興、すなわち職場の確保が不可欠です。第三には、そのような自立した活動を継続するための現実的な復興計画と外部からの支援を得るための情報発信です

  1. 4.これから何が必要なのか(今何が欠落しているのか)
  2. (1)住居
  3.  ①解体
     能登半島は、ほぼ山間地で占められており、居住に向く平地は、海岸近くに限られています。そして、平地の多くはすでに家屋で埋め尽くされており、新たに仮設住宅を設置するためには、被災した既存家屋を解体して更地にする必要があります。しかし、解体作業は、現行の制度により、進まず、完了時期も見通せずにいます。

  4.  ②仮設住宅
     解体が進んだとしても、海岸近くの平地にどの程度の方々が住居を持ちたいと思うのかを考える必要があります。特に、能登半島を集落によみがえらせるためには、若年層の居住が不可欠ですが、将来のある方々が、自分の子供に長期間、津波の危険を抱え続けることを認めるのかは疑問です。

(2)産業競争力
 能登半島で大きな被害を受け、マスコミでも頻繁に取り上げられた輪島市内には、金沢から車で2時間半かかります。また、さらに被害の大きかった珠洲市内には、同じく4時間以上必要です。
 このような地理的条件を持ちながら、なおかつ競争力を持つ産業には、どのようなものがあるのでしょうか。地元住民向けの事業であれば成り立つ余地はありますが、被災により人口を減らしたこれら地域で住民向け事業を復興することは容易ではありません。
 なお、産業競争力の問題は、たとえ、観光という事業であっても、同じく当てはまります。

  1. (3)将来
  2.  ①居住
     6月9日には、珠洲市と輪島市で震度5強を観測する地震が発生しました。地形の構造上、今後もいつ大きな地震が来るかわからない地域に居住したいと考える方々はどの程度いるのか、とりわけ新しく移住を考えようとする方々にはどのような情報提供が必要なのでしょうか。

  3.  ②就労・事業
     集落の再興のために不可欠な職場の創出のために、事業としての競争力をどのように見出し、支援することが可能なのでしょうか。

  4.  ③復興計画
     能登半島地震からの復興は容易ではありません。被災した方々が疲れ果て絶望する前に希望をつなぎ未来に向けて動き出す必要があります。
     そのために必要なのは、知見を持つ専門家を組み込んだ専門チームなのではないでしょうか。

5.おわりに
 輪島市内では、すでに「輪島朝市」が元の場所に隣接して、5月から、NPO輪島朝市により復活しています。地元の朝市は、たくましく経済を回そうとしています。何が真実であり、被災者が何を求めているのかを知った上で、できる範囲で、少しでも被災者及び被災地の支援をしていただけると幸いです。


(掲載日 2024年7月22日)

編注:本稿に記載されている見解は、執筆者個人の見解であり、当社の公式な見解を反映するものではありません。