成城大学法学部教授
成田 博
「法定」という言葉は、民法の至るところに出てくる。思いつくままにいくつかのものを挙げれば、「法定代理」、「法定果実」、「法定追認」、「法定地上権」、「法定利率」といったものがある。このほか、学問上のタームとしても、「法定」という言葉が使われることがある。
「物権『法定』主義」はまさにそうしたもののひとつである。言うまでもないことながら、民法第175条は「物権は、この法律その他の法律に定めるもののほか、創設することができない」と定める。このときの「法定」という言葉が何を意味しているのかといえば、それは、「法が定めている」、あるいは――もう少し条文に即して言えば――、「民法その他の法律に規定されている」ということである。筆者が思うに、おそらく、これが「法定」という言葉を聞いたときに法律学を専門としない一般の人が思い浮かべる意味内容ではないか。
しかしながら、「法定」という言葉がそれとは別の意味で使われる場合もある。留置権、先取特権は、「『法定』担保物権」と称されるが、このときの「法定」は、「物権『法定』主義」における「法定」とは意味が異なる。留置権、先取特権は、民法典中に規定されているが、それなら、同じように、質権、抵当権もまた民法典中に規定されていて、法律(ここでは民法典)に規定されている担保物権ということであれば、留置権、先取特権に限らず、質権、抵当権もまた「『法定』担保物権」ということになってしまう。しかし、ここでの「『法定』担保物権」なる言葉は、「『約定』担保物権」との対比で用いられていて、それはすなわち、「(当事者の合意によって生じるものではなく)法律の規定によって自動的に生じるもの」という意味である。
今度は相続法であるが、相続編には、「『法定』相続分」についての規定がある。このときの「法定」は、上記2つの意味のどちらであるのかといえば、前者、すなわち、「法律に規定されている」あるいは「法律でそう決めてある」ということである。ところが、「物権『法定』主義」と「『法定』相続分」とを並べて考えてみると、民法第175条は「強行規定」であって、この条文から離れることはできない。それに対して、「『法定』相続分」の規定は――遺留分制度があるために全面的にとはいえないが――、その規定と異なる相続分を決めることができる。裏返して言えば、被相続人が何も決めずに亡くなったときに、その条文が発動されることを意味している。しかし、「法定」という言葉が、単に「法律でそう決めてある」というだけでなく、「だから、それに従わなければならない」という意味を含んだものとして一般に受け止められる可能性を考えるなら、「『法定』相続分」という表現はミスリーディングだと言わなければならない。もっとも、そうなると、「『法定』利率」、「『法定』充当」といった言葉も変だということになる。
最後は「『法定』代理」である。我妻栄=有泉亨『民法1総則・物権法』〔第3版全訂〕には、「代理には任意代理と法定代理との両種がある。前者は代理人が本人の依頼を受けて代理人となるものである。後者はそうでないもの」である、と書いてある(同書151頁)。要するに、「『法定』代理」とは「任意代理でないもの」だというのであるが、恐らく、ここでは、「法定」という言葉の意味を一義的に確定するのが困難なのである。
「法定」という言葉に限らず、法律用語の意味を、字面だけ眺めて勝手に判断するのは危険なことである。それに、どんな学問にも必ず一定の約束事はあるはずで、およそなんらの自助努力もなしに知識を獲得することは無理である。しかし、他方、同じ言葉でありながら、その言葉の意味が――それも微妙に――異なる(ことがある)というのはなんとも落ち着きが悪いという気も強くする。民法の現代語化が行われたにもかかわらず、依然として『口語民法』といった書物の需要がなくならないのは、こうした点についてまで条文上で配慮するのは容易でないということとおそらく無縁ではない。
(掲載日 2013年2月4日)
次回のコラムは2月18日(月)に掲載いたします。