おおとり総合法律事務所弁護士
専修大学法科大学院教授
矢澤 昇治
LSで国際私法と国際民事紛争手続を教え、渉外的法律紛争、たとえば、離婚、相続や外国での合弁会社の設立等を実務としている当職に、思いがけなく米国遺産税(U.S. Estate Tax)の申告と税還付請求(Tax Reduction)の依頼が来た。大学院生の論文指導で、租税条約やTax heavenを指導したことがあったが、実務では初めてのことである。依頼人は、わが国に居住したが、わが国とハワイ州に不動産等を有していた人の遺族であった。実は、この依頼人は、遺産について相続税の申告などをある法律事務所に委ねていたが、ハワイ州に所在する不動産については、何らの法的手続を執られておらず、当職の受任時には、米国遺産税の申告期限を徒過しており、無論、日米間で二重課税を回避するための外国税額控除の手続もなされていなかった。
米国では、税の事項はまず連邦の管轄に属しており、大統領の政策が色濃く反映することから、米国遺産税も税制改正により変動が生ずることがあり、留意する必要がある。事案は、日本に被相続人が居住する場合の米国内に所在する不動産に対する米国遺産税であるが、遺産税の申告書作成自体は、難しくない。書式は、Form706-NAであり、不動産の評価額も死亡時の市場価格であり、遺産税免除額が非居住者の場合は、$60,000であり、その他、医療費、葬儀費用や必要経費も判然としているからである。困ったことは、申告当時、当該年次の書式(Rev.7-2011)がアップ・ロードされていなかったことである。息子に聞いたら、そのような事態の発生に驚いてはいけない。これが米国の事務処理の常だと聞いて、あきれるなり、納得するなりした。その後、申告書を作成し、オハイオ州シンシナチの内国歳入局(IRS:Internal Revenue Service Center)に送付した。
課税通知書(差押予告書)が届いたので、先ず、納税した。猶予が認められなければ、まず、納税した上で、還付請求することになる。これが、不動産に係る税金に関する米国の基本である。理不尽とも思われるが、その是非を論じていても手続は進捗しない。その後、当局より、遺産税終結記録(Estate Tax Closing Document)と移転証明書(Transfer Certificate)が届いた。そして、別紙には、当職が失念していた重大事が指摘してあった。それは、日米間の死亡税条約(U.S./Japan Death Tax Treaties)である。租税条約に気を取られて、Regulation sect.301.6114-1を再確認せず、危うくForm886-Aを失念する所であったからである。これからが、遺産税還付請求(Tax Reduction)手続であり、この手続は税務というよりも、まさしく渉外法務である。要は、簡単であり、税が還付される法的な根拠を記載した書面を作成する作業である。そして、この「条約に依拠する還付開示書(Treaty Based Return Disclosure)」では、条約法に加えて、州法も考慮することが余儀なくされる。連邦法と州法の共存が米国法を象徴するものであり、州法は州毎に異なるので、対象とされる州法の内、特に税法を中心に必要とされる条文を検索し、それらを解釈・適用してゆく作業である。わが国の国際税務では、あまり聞かれない請求手続であるが、その理由の一つは、これらの法文の検索と読解能力ならびに請求の理由を記載する技術の因るものと思われる。
とにかく、結果として、新たな遺産税終結記録(Estate Tax Closing Document)が届いた。連邦遺産税、州税は、いずれもゼロ。納付した税金遅延損害金に加えて、納入日以降の利子も還付するとの通知書とトラベラーズチェックが届いた。驚いたことは、今までの連絡はすべて書留郵便であったのに、このチェックが普通封筒で届いたことであった。
追記 思いがけなく平澤興元京都大学長の『人間―その無限の可能性』(1979)を入手した。この書を読みながら、私も、140億の神経細胞の一つでも多く使うよう心懸けたいと思う。
(掲載日 2012年12月17日)