判例コラム

 

第211回 何かを選択するということ
(日本人は、いつ、どこで、それを学ぶのか?)

金沢大学 人間社会研究域法学系 教授
大友 信秀

例年11月下旬には、次年度(翌年4月開始)からの大学でのゼミナール(以下、ゼミと省略する。)選択のための説明会が行われ、実際のゼミナールの様子を知るための見学期間が設定される。

金沢大学のゼミは、1学年10名前後が定員であり、3年生と4年生の2学年を合同で行う。そのため、平均的なゼミは20名程度の学生によって構成されることになる。

2学年により合同でゼミを行う利点として、高学年の者による低学年の者への教育実践効果、基本的事項についての説明能力育成、勉強の進度が異なる者同士が協働することによる問題発見・検討視点の多様化等が期待されている。

新たにゼミを選択する者にとっては、すでに参加している高学年の学生がどのような者であるのか、個々のメンバーの個性とその総体としてのゼミの雰囲気も重要な選択理由となる。

したがって、説明会では、ゼミが扱う分野(私の場合は、知的財産法というものがどのような分野かということについて)、ゼミの運営方法、教員が学生に期待すること、に加え、翌年4年生になる現3年生によるゼミ紹介が行われる場合もある。

学生による紹介では、学生から見たゼミの担当教員の性格、授業外でのいわゆる打ち上げの頻度・内容等に言及したり、ゼミの雰囲気を伝えるパフォーマンスが行われることもある。

学生による紹介の多くは、参加希望者を増やすことを期待して行われており、ゼミと希望者とのマッチングという視点にはあまり関心が払われていない(せいぜい、公務員志望なら行政法を選択してみては?という程度の関心でしかない。)。

これに対して、教員が説明を行う場合は、参加してほしい者というよりも、ゼミの運営を理解できない者、つまり参加してほしくない者を例示して、絞り込みをかけることが多い。

私の場合も、金沢大学赴任後一貫して、公務員志望者と法科大学院進学希望者には参加してほしくないというメッセージを発してきた。本学における公務員志望者の多くが、公務員の給与は物を作り出すことへの貢献を考慮せずに支出されていることを理解しておらず、法科大学院への進学希望者の多くが進学のコストとリスクを検討することなしに希望していることから、大学を卒業し社会に踏み出した後に最低限求められる想像力がこれらの者には欠如していると考えているからである。

このような者は、私のゼミに限らず、ゼミに入る前に最低限必要な経済・経営に関する知識・理解を身につける必要がある。社会全体を知ろうとする姿勢を持ちながら、結果として公務員にしかできない役割を理解する者、同様に法曹資格を持つ者にしかできない活動を求める者になれれば、本来社会がそれらの者に期待する結果を出すこともできるだろう。ゼミに参加する段階で、そのような意識にたどり着いていることが2年間のゼミの効果を十分にするために不可欠だと考えている。

また、学生のゼミ選択を決定する関心にも偏りがあると感じている。学生は、いわゆる六法科目等(公務員志望者はこの他に行政法や政治系科目に関心を持つ。)には関心があるがそれ以外にはあまり関心を持とうとしない。また、その他の科目に関心を持つ者でも、ゼミの運営方針や教員の素養・能力、ゼミのOB・OGの進路・現状という将来の自分の人脈につながる情報には注意を払おうとしない。

選択のためには、正確な情報が必要となるが、ゼミ選択では、正確な情報が隠されているわけではないのに、自ら知ろうとしないのである。

翻って、学生が選択に直面する他の場面ではどのように行動しているだろうか。学期ごとの受講登録の場面では、必須科目か選択科目かで選択方法・理由が異なるし、単位がとりやすい授業かどうかでも学生の行動は大きく影響を受けるようである。各授業の手法や担当教員の能力により選択することは希なようである。

就職の場面でも、企業情報の詳細ではなく、リクルーターの印象、企業としてのイメージ(国家公務員の場合は、各省庁のイメージ、地方公務員の場合は家族や親類が持つイメージ等)で選択している者も多いのではないだろうか。

このような選択姿勢は、自らが明確な選択基準を持ち合わせていないことに主因があると考えられる。大学を卒業すれば、その後は自らの決断・責任で生きていかなければならないのにもかかわらず、高度経済成長から続いた日本の成長による、社会全体の安定路線に支えられ、周りに従っている限り、誰かが支えてくれるはず、という責任転嫁の姿勢が現在の学生に受け継がれているようである。

折しも12月には衆議院議員総選挙が行われる。多くの小政党が誕生し(正確にはこれまでの政党が分裂、解党、合体を繰り返したに過ぎないが)様々な政策を示している。各政策の実現可能性が相対立する方針を平然と提示したり、政策ではなく単なるスローガンを掲げる党も散見される。

脱原発によるコストは、誰かが負ってくれるはず。円高、デフレ、TPPというようなものも、その効果・構造については理解できないから、それぞれのイメージで賛成か反対か無視という姿勢を決めれば良い。各党のことも良くわからないから、党首のイメージで、、、。

選択基準を持とうとしないのは、学生だけの話ではないようである。

(掲載日 2012年12月3日)


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