弁護士法人苗村法律事務所※
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子
iPS細胞の創出から6年、異例の早さで、山中伸弥京都大学教授がノーベル医学・生理学賞を受賞されることとなった。日本人として、また京都に住む者として、この度の受賞、心からお祝いを申し上げたい。山中教授が受賞会見で、洗濯機がガタガタいって・・とユーモアを交えながらも、眦を決し、この受賞は、これからの実用化への期待に対してであり、その責任を強く感じると述べておられたことに強く感銘を受けた。
山中教授は、iPS細胞の作成技術に関する発明について、知財管理の重要性を考えておられることでも有名である。営利企業に特許を取得されてしまっては、高額のロイヤリティを要求されたり、悪くすると利用が不可能となることを懸念してのことという。難病を抱えて待つ患者さん達の為に少しでも早い実用化に向け、取得した特許は、学術的利用には無償で、実用化に向けての企業への実施許諾も少額のロイヤリティでなされるとのことだ。
山中教授のiPS細胞作成技術については、国際出願されたため、日本で2008年に特許が認められてから、各国で次々と特許が成立していながら、米国では漸くこの9月に特許として成立したものもあるという。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)のウェブサイトによれば、iPS細胞作成基本技術に関する米国特許出願の一つについて、2010年12月にインターフェアランス(抵触審査)が開始されることになっていたとのことだ。当時、米国のiPierianというバイオベンチャーの企業が特許出願していた発明と類似していたため、どちらが先発明かの審査が必要となったのである。現在は、唯一と言ってもよい先発明主義を採用する米国ならではの事象であるが、インターフェアランスは、このように出願者同士でも、特許権者と出願者との間でも為されうる。2年もの月日がかかることがあり、その費用も特許侵害訴訟と同程度といわれる。またディスカバリの制度もあり、本年5月14日付けのコラムでご紹介したe-discovery が行われれば、その費用は莫大となる。多くの事案では当事者間で和解が成立するようだ。幸い、山中教授のiPS細胞作成技術については、翌2011年1月に、iPierianから和解提案があり、同出願の発明に関する権利や、同社がイギリスで権利化に成功した特許も含んだ知的財産権が無償で京都大学へ譲渡され、大学からは同社に無償での実施権許諾が行われた。その後1年半を経て、漸く米国でもその特許が成立したわけである。
米国での先発明主義は、2011年9月16日の米国特許改革法により先願主義へ移行することになったが、先願主義に関しては1年半後すなわち2013年9月16日に施行され、それ以前の出願、その特許出願から優先権主張されている継続・分割出願の特許には、先発明主義が採用される※1。従って、山中教授も心を痛められたであろう、先に発明したのは誰かという問題はまだ残っている。
ここまで書き進めて、日本経済新聞の私の履歴書の欄、根岸英一パデュー大学教授の特許に対する考え方に出会った※2。同教授はノーベル化学賞受賞の対象となったクロスカップリング技術では一つの特許も取られていないとのことである。論文発表出来ないための研究の遅れを避けるためとあった。
根岸教授の考えと山中教授の戦略、分野が違えば、それは違って当然であるが、知財が発明を発展させるツールになることもまた一つの真実だと思う。もちろん知的財産権は、万能ではない。フェアでない使い方は権利行使とは認められず、競争法の原理にさらされるのは各国共通である。しかし、利用の仕方によっては、その発明をその発明者だけでなく、多くの知恵で用いて、さらに発明の発展、iPS細胞の例で言えば、新薬の創出、その迅速化につながる。山中教授が、すぐに発表したいのをこらえ、先に特許出願されたのも幅広い利用を考えられてのことであろう。研究者にとって、成果を急ぎ発表したいと思うのは当然である。日本では、出願前6ヶ月以内の自らの公表は、新規性喪失の例外とされ、米国では、出願前1年間のグレースピリオドがあるが、出願前の公表は、国によっては直ちに発明の新規性を失わしめる結果となるため、やはり出願前はなるべく公表しないという姿勢は崩しにくい。その間のもどかしさは、少しでも早く特許出願ができるよう、出願技術の高度化で埋めることも必要であるが、特許自体がよりよいツールとなるべく、このグレースピリオドの問題も含めて、さらに世界的な調和が議論されるべきである。