弁護士・高岡法科大学教授
中島史雄
2人兄弟の弟が某市の市営住宅で死亡していた。隣県に居住していた両人は日頃疎遠であったが、市役所から連絡を受けた兄は、度々往復しながら、遺体を引き取って同市内で簡素に葬儀を主宰し、市営住宅の原状回復費用を負担した。
ところで、弟には預貯金口座に1千数百万円の遺産があった。離婚した元妻との間に娘がいたが、3歳の時に別れて以来、兄は両人の住所すら知らなかったので、弁護士に相談した。
弁護士は、戸籍謄本をとりよせ、まず相続人を確定しなければならない。その上で、遺体発見から葬儀までにかかった費用、市営住宅明け渡しに要した費用及び遺骨の埋葬等に要する費用に分けて一覧表にまとめ、その領収証を添付するよう指示した。弟は、離婚後再婚をしていなかったので、相続人は娘のみであった。
そこで、兄は弁護士と同道し、親も同席のうえ娘と協議した。弟が死亡し、遺産として預貯金があることと、上記諸費用の一覧表に基づき預貯金から約2百万円の支払いをお願いした。娘は弁護士に相談してお答えしたいといった。
つぎの協議において、娘は伯父がお墓を用意し、納骨や年忌法要等の費用も伯父が支出すべきだと主張した。位牌やお墓は相続財産を構成することなく、祖先の祭祀主宰者(祭祀財産承継者)が承継する(民法897条1項)。祭祀主宰者は、まず被相続人が指定し、指定がないときは慣習に従い、慣習なきときは家庭裁判所が定める(同条2項)。この点については、娘に同意することにした。
3回目の協議において、娘は葬式費用も市営住宅の明け渡し費用も、一切支払わないと強く主張し協議にならなかった。ことに葬式費用については被相続人が負担すべきか、喪主が負担すべきか学説・判例が分かれるところである。
東京地判昭和61年1月28日(判例タイムズ623号148頁)は、就職して間もない相続人(形式的喪主)に代って被相続人の実兄が実質的葬式主宰者として支払った立替葬式費用の支払いを相続人らに求めた事案で、死者の身分不相応な葬式費用は実質的葬式主宰者が負担すべきであると判示している(民法306条3号、309条1項は、身分相応の葬式費用についてはその限度で相続財産が担保となる旨を規定していることをその根拠とする。)。これに対し、民法306条、309条は、葬儀の費用が先取特権になる旨を規定したものにすぎず、誰が葬儀の費用を負担すべきであるかを定める規定ではないから、相続人らの間で葬儀費用の負担について合意がないときは、それは祭祀主宰者の負担であると解する説も有力である(遺骸、遺骨の管理、処分に要する費用は祭祀負担者であるとする判例として、最高裁平成元年7月18日家裁月報41巻10号128頁がある)。
表記例
最近、葬儀費用について、死者と親交のあった控訴人が、20年来別居して葬儀にも行かない旨を伝えていた妻および2人の子どもらに祭祀主宰者として同費用の不当利得の返還を請求した事件につき、前記最高裁判決を引用して、葬儀に要する費用は同葬儀を主宰した者が負担するものとした名古屋高判平成24年3月29日(Westlaw Japan文献番号2012WLJPCA03299003)がある。
しかし、人の孤独な死に直面して、親族または隣人が遺体の処理や住居の後始末や分相応の葬儀を主宰せざるを得ない場合に、相続人に十分な遺産があるにもかかわらず、相続人らの合意がないからといって祭祀主宰者が負担しなければならないとうのは、一般の市民感情としては納得し難いのではないかと思われる。
この事件では、簡裁に調停を申し立て、通常訴訟手続きへ移行後、被告が原告に対して遺産から数十万円を支払うとする和解が成立したのであった。
(掲載日 2012年9月10日)