判例コラム

 

第173回 「スポーツ検非違使」の必要性

早稲田大学大学院法務研究科教授・弁護士
道垣内 正人

東京オリンピック開催を控えた1961年、スポーツの振興に関する施策の基本を明らかにし、国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与することを目的として、スポーツ振興法が制定され、スポーツは大いに発展してきた。そして、50年後、同法に代わるものでとして、スポーツ基本法が2011年8月24日に施行された。

この法律には、基本理念が8つ列挙されている。その最初の項では、「スポーツは、これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み、・・・推進されなければならない。」とされ、いわゆるスポーツ権が定められている。そして、最後の第8項は、「スポーツは、スポーツを行う者に対し、不当に差別的取扱いをせず、また、スポーツに関するあらゆる活動を公正かつ適切に実施することを旨として、ドーピングの防止の重要性に対する国民の認識を深めるなど、スポーツに対する国民の幅広い理解及び支援が得られるよう推進されなければならない。」と定めている。

さらに具体的にスポーツ紛争の解決については、5条で、スポーツ団体が「運営の透明性の確保を図るとともに」、「自らが遵守すべき基準を作成する」こと、そして、スポーツ紛争の「迅速かつ適正な解決」についての努力義務が定められ、また、15条では、国として、「スポーツに関する紛争の迅速かつ適正な解決に資するために必要な施策を講ずる」ことを定められている。このような事項をスポーツに関する国家法に明記している例は諸外国にもなく、日本の見識の高さは世界に誇るべきことである。

筆者は、2003年4月7日に設立された「日本スポーツ仲裁機構(JSAA)」(http://www.jsaa.jp/)の機構長をつとめており、これまで、スポーツ界の人々にグッド・ガバナンスの確立の必要性と、そのひとつの方策として、アスリートが競技団体の決定を争うといった紛争をJSAAに委ね、中立的な第三者である仲裁パネルにより適正に解決することが、アスリートに伸び伸びとスポーツに打ち込める環境作りにつながると主張してきた。しかし、まだまだその結果ははかばかしいものではない。これまで、相談案件は150件を超えるものの、仲裁判断までされたのは14件に過ぎず、他方、アスリートからの仲裁申立てに対して、競技団体が仲裁に応じず、終了した案件が7件もある。このような状況は、仲裁申立てをためらわせる一因になっており、これは、仲裁申立てがあれば必ずこれに応じるという自動受諾条項を競技団体が採択する率を上げていけば解消されると考えられる。現在、上部の競技団体だけをとっても50%に満たないこの採択率は、上記のスポーツ基本法15条のもとで、国からの競技団体への補助金交付に自動受諾条項の採択を要件とすれば一挙に改善されることになろう。

しかし、それだけではまだ足りない。「スポーツ検非違使」の導入が必要である。裁判所の機能を果たすJSAAとは別に、警察・検察に当たる機関をスポーツ界に導入しなければ、環境改善は十分には進まないというのがこれまでの筆者の経験に基づく思いである。近年、ドーピングについては厳しい摘発体制が確立されてきたが、日本のスポーツ界にとって、より必要性が高いのは、パワー・ハラスメント、セクシャル・ハラスメント等から競技者を守ることではないであろうか。将来有望なアスリートは多少の不満や疑問があっても、我慢してしまい、問題が表面化しにくいことは想像に難くない。ドーピング摘発を行う日本アンチ・ドーピング機構の大幅な拡充を行い、ハラスメント行為の摘発のための聞き取りや立ち入り調査もすることができるようになれば、スポーツ界の運営の透明性が高まり、少なくとも陰湿なハラスメントは減少するのではないであろうか。そして、弱い立場のアスリートに代わり、「スポーツ検非違使」が問題ある個人・団体を告発する形で刑事手続的な仲裁が行われれば、そのような仕組みになっていることだけで、スポーツ界は劇的に変化するであろう。

スポーツ界の関係者は、社会が、スポーツに関するあらゆる事項について社会は関心を有していることを認識し、不祥事の発生を防止するシステムの構築に自ら前向きに取り組み、国もそれを支援することがスポーツ基本法のもとで求められているのではないだろうか。また、スポーツにとって法律家ができることは限られているが、それでも法律家でなければできないことがあり、スポーツへの法律家の積極的な関与が求められている。そして、国も社会も、スポーツ界のグッド・ガバナンスの確保及びそのための紛争解決システムの維持・管理には相当のコストがかかることを覚悟する必要がある。

(掲載日 2011年12月26日)

次回のコラムは1月10日(火)に掲載いたします。

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