高島国際特許事務所※1 所長
弁理士 高島 一
化学物質がようやく日本でも特許の対象とされるようになった頃の話である。従って、かなり古い話題になる。
ペニシリンは20世紀における画期的な発明の一つであるが、特許的観点からも興味深い点があり、それが現在でも特許実務上通用することであるから、取り上げてみたい。
フレミングがアオカビからペニシリンを発見して後、その後の研究により、実際には、アオカビ発酵液中にはペニシリンGをはじめとする3種のペニシリンが含まれていることが解った(これらは天然ペニシリンと呼ばれる)。中でもペニシリンGの抗菌活性が高く、当初は発酵法で製造されたペニシリンGが上市された。
ところが、6―アミノペニシラン酸の出現によってその様相が一変したのである。そもそも、天然ペニシリンは、構造的にみれば、6―アミノペニシラン酸を、対応するカルボン酸でアシル化した構造を有する化合物(平たく言えば、両者を化学結合させた構造を有する化合物)である。それならば、6―アミノペニシラン酸を無数に存在する他のカルボン酸でアシル化すれば、発酵法では得られない無数の新規なペニシリンを製造することが出来るはずである。このようにして得たペニシリンは半合成ペニシリンと呼ばれている。
イギリスのビーチャム社は、この製造法、即ち「6―アミノペニシラン酸とカルボン酸類とを反応させるペニシリンの製造方法」という概念の特許を取得したのである。強力な特許である。ビーチャム社はこの特許と共に、「6―アミノペニシラン酸」の物質特許を取得したのであるが、その特許取得手法は当然の論理と言えば、それまでであるが、見事であり、実は今回この点を取り上げたかったのでる。
ビーチャム社の特許出願日前に東大の坂口教授は、農芸化学会誌において、ペニシリンの培養物中に、6―アミノペニシラン酸が存在することをその構造式と共に発表しており、しかも、培養液中から、これを分離したことまで発表していたのである。従って、6―アミノペニシラン酸自体は、本来新規性がなく特許されないのである。
そこで、ビーチャム社は、「207~209℃の融点を有する」という限定を付したのである。坂口教授の前記発表では、融点は確か180℃台と記憶している。融点を限定することによってビーチャム社は、坂口の6―アミノペニシラン酸と区別すると共に、かかる高融点(即ち、高純度)の6―アミノペニシラン酸、とすることによって、初めて半合成ペニシリンの製造に使用できるという特有の効果があることを主張し、これが認められて特定の融点を持つ6―アミノペニシラン酸の特許を取得したのである。
もっとも、6―アミノペニシラン酸の特許は、日本では化学物質特許が不特許の時代であり、これは西欧での話である。しかし、ビーチャム社も坂口先生も、製法特許は取得できたはずであるからもったいない話でもある。