北海道大学法学研究科教授
田村 善之
特許法102条1項は、特許権者が販売する製品が侵害者の製品に代替しうることが証明された場合には、侵害者の販売した製品の数量に特許権者の単位当たりの利益額を乗じた額を特許権者の販売能力の限度で損害額と推定する。そこから、推定額を控除する責任は、侵害者が負担する(同項但書き)。たとえば、侵害者の製品の方が低廉であるという事情、他に競合製品があるという事情があると、そうした事情に応じて推定が何割か覆されることになる。いま、裁判例で争われている論点が、その場合、この(一部)覆滅部分について特許法102条3項の実施料相当額賠償をとれるのかという問題である。
特許法102条3項は、特許権者は侵害者に対して、その特許発明の実施に対し受けるべき金銭の額を損害額として賠償請求できると規定する。この実施料額賠償に関しては、従前から、特許権者が不実施であるために逸失利益の賠償が全く認められないとしても、その賠償が認められることに変わりはないと考えられている。そうだとすれば、その論理的な展開の結果として、逸失利益の推定規定である102条1項但書きによって推定の覆滅が認められ、逸失利益が一部認められなかった場合にも、その認められなかった部分について、102条3項の損害賠償が認容されると考えるのが素直であろう。そして現にそれが従前の裁判例の立場であった(東京高判平成11.6.15判決判時1697号96頁[蓄熱材の製造方法2審]、東京地判平成12.6.23平成8(ワ)17460[空気の除去および遮断機構付血液採取器]、大阪地判平成12.12.12判例工業所有権法平成8(ワ)1635[複層タイヤ]、大阪高判平成14.4.10平成13(ネ)257等[同2審]、大阪地判平成17.2.10判時1909号78頁[病理組織検査標本作成用トレイ])。
ところが、近時、102条1項の逸失利益こそが損害賠償の本則であり、それが否定された以上、3項の賠償は認められないとする裁判例が現れ、論議を呼んでいる。嚆矢となった知財高判平成18.9.25平成17(ネ)10047[エアマッサージ装置2審]は、逸失利益の賠償が本則であるという考えを打ち出し、102条1項の賠償が認められなかった部分について、102条3項の賠償をも否定するという理解を打ち出した。同判決は、逸失利益の賠償に関して、侵害製品のパンフレットや特許権者の製品のパンフレットにおいても本件発明に係る作用はほとんど紹介されていないこと、特許権者の市場占有率は数%にすぎず有力な競業者が存在したこと、さらに、侵害製品は本件発明とは異なる特徴的な機能を備えていることなどの事情を考慮して、102条1項但書きによる99%の覆滅を認めた。そのうえで、102条3項の請求に関しても、「特許権者が侵害行為に対する損害賠償として本来請求しうる逸失利益の範囲を超えて、損害の填補を受けることを容認することになるが、このように特許権者の逸失利益を超えた損害の填補を認めるべき合理的な理由は見出し難い」と論じて、1項但書きによる推定覆滅部分について3項の実施料相当額賠償の適用を否定した。
本判決の後も、大阪地判平成19.4.19平成17(ワ)12207[ゴーグル]は、102条1項但書きによりやはり99%の覆滅を認めたうえで同旨を説いている。さらに、東京地判平成22.2.26平成19(ワ)26473[ソリッドゴルフボール]も、1項但書きにより譲渡数量中60%の部分について推定の覆滅を認めたうえで、当該部分について3項の賠償を否定した。
しかし、こうした否定説が、かりに特許権者不実施の場合のように、完全に逸失利益の賠償が認められない場合であっても102条3項の賠償は認められるとしていた従前の裁判例の理解を前提としたうえで、逸失利益の推定が一部認められない場合にだけ、その部分について102条3項の賠償が認められないと考えているのだとすると、きわめて不均衡な事態を生じる。たとえば、前掲知財高判[エアマッサージ装置]の事件で特許権者が不実施であれば、実施料賠償が認容されたはずである。それはもしかすると被告製品売上額の3%であったかもしれない。それが、実施をしているので102条1項の請求をしたばかりに、102条1項の推定は99%覆滅され、102条3項の賠償は一切認められない。その結果、被告製品の売上数1%に原告の単位当たりの利益額を乗じた額の賠償を認められるに止まるから、数字次第では逆転現象が生じる。正当化しうる理屈ではないように思われる。
この問題は102条が前提とする損害概念は何かという根本的な問題にも関わる。そもそも102条1項とは別個に3項が設けられている以上、そこには逸失利益とは異なる損害概念が前提されているのだと理解する方が素直なのではないか。故意または重過失がない場合の減額の可能性を定める102条4項が、減額可能な下限を定めるものとして102条3項の金額を掲げているのも、102条1項等による逸失利益が存在しない場合であっても少なくとも3項の賠償が認められることを前提としているように思われる。
しかも、特許権者は、不実施であっても、民法703条に基づく不当利得返還請求により特許法102条3項と同様の実施料額の請求をなすことができるというのが従前の理解であるから、本判決がこの不当利得までをも否定するのでない限り、最終的な逆転現象は解消しない。他方、推定覆滅部分に関して3項の損害賠償が否定されたとしても、その部分について不当利得返還請求が認められるのだとすれば、議論の実益は大分減じることになろう。
じつは、裁判例も最近でこそ否定説に与するものが増えてきているとはいえ、他方で、102条2項と3項の関係に関するものであるが、侵害者利益額の推定を95%覆滅させたうえで、3%の実施料率の下で3項の賠償を認める判決もあり(東京地判平成19.9.19平成17(ワ)1599[キー変換式ピンタンブラー錠])、趨勢は決していない。くわえて、否定説に立つ裁判例の中でも、前掲東京地判[ソリッドゴルフボール]は、傍論ながら、特許権者の実施能力を超える部分については3項の適用の余地がある旨を説いており、さらには損害賠償請求権が消滅時効にかかった分について実施料率を5%とする不当利得返還請求を認容しているが、その際には譲渡数量60%の部分に関しても特に迷うことなく請求を認めている。裁判例がどの辺りで落ち着くのか、今後の動向を注視する必要があろう。