伊藤塾塾長・弁護士 伊藤 真
憲法教育者としての反省
私はこれまで30年近く、司法試験の受験指導という形で法教育に従事してきました。議員定数不均衡問題も、従来から憲法研究者が提唱してきた「2倍以上の格差は許さない」という主張に与しながら、これを是正しなければ日本が真の民主主義国家にはならないと講義の中でも再三指摘してきました。
2009年のある日、久保利先生から1人1票実現国民会議にお誘いを受け、その後升永先生のご指摘を受ける中で、議員定数比均衡問題を「1人1票」という視野から考える機会を得ることになります。そのときに私は、自分には1票が保障されていると思っていたこと、2倍未満の格差なら許されるかのような講義をしていたことが誤りであることに、初めて気づいたのです。自分では自信をもって真の憲法教育に携わってきたのですが、この問題に関する考えを改めるほかありませんでした。1人に1票すら保障されていない現状をわが事として受けとめ、議席を人口比例で配分することこそ「真の憲法」なのです。そして、これを「知ってしまった者」のせめてもの罪滅ぼしとして、すぐに講義で過ちを正し、テキストや出版物の改訂に着手したことはもちろん、1人1票国民会議に加わり、1人1票の実現運動と訴訟に関わっていくことにしたのです。1人1票のルールがなぜ重要かは改めていうまでもありません。対等な個人が自由に意見を出し合って、最後は多数決で決めるというのが民主主義の生命線である以上は、1人が1票に満たない0.7票や0.5票では民主主義が成り立たないのです。
この記事が読まれるころには、もう参議院選挙は終わっているかもしれません。参議院の1票の格差について最高裁判所は、投票価値が最大で4.86倍の開きがあっても合憲と判断しています(2009年9月30日大法廷判決)。
4.86倍ということは、実に1人0.2票の人がいてもいいというのですから驚きです。衆議院以上に広い格差を参議院で認める理由に、参議院の地方代表的性格があります。国会が地方の実情を把握する必要があること、有用で多種、多様な人材を参議院議員として確保することが参議院地方区の存在意義だとしたのは、現行の公選法の前身である旧参議院議員選挙法(昭和22年)でした。しかし、通信技術が発達した今日、地方の実情を知るのが地方選出議員だけだと考えるのは現実離れしています。もはや、古い時代の法律が背景としていた事情に基づいて地域代表的性格を維持する理由はなくなっているのです。
そもそも憲法43条は、国会議員が全国民の代表者であると明言しています。それは、国会議員が都市も地方も含めて、地域に偏らない全国的な視野に立った議員活動を行うことを求めるものです。地方の発展なくして都市を含めた日本全国の円満な発展はあり得ませんから、都市の代表が都市だけに有利な政治をするはずはないのです。また、「地方代表的性格」の名の下に従来から保護されてきたのは、地方住民ではなく公共事業を中心とした地方業者でした。このような利益誘導政治が今日の逼迫した財政の一因になっており、そこから脱却しなければならない時期にも来ています。
地方の声を国の政治に反映させることは大事なことですが、それは、都市の住民の投票価値を人為的に1人0.2票として実現してよい問題ではありません。選挙制度を中心とする民主政の過程はあくまで価値中立的であるべきです。政策の当否は、平等な民主主義の手続きを前提に、議員の議論によって判断されるべき問題です。その手続自体を変容させて実現させることは、民主主義の本筋をはずれた話なのです。
関連コラム
(掲載日 2010年7月12日)
次回のコラムは7月26日(月)に掲載いたします。