北海道大学法学研究科教授
田村 善之
地方紙のコラム欄で、最近の大学生は大学に入学する時点ですでに著作権のことをよく知っているが、その原因の一端は、高校までの教育課程のなかに著作権教育が取り込まれているからだろうと説く、大学で知的財産法の教鞭とる先生の感想を目にした※2。たしかに、やや古い数字で恐縮だが、2004年に報告された実態調査によれば、小学校では47%、中学校、高等学校では75%、全体では60%の学校が「著作権を取り上げた授業」を実施しているということである※3。
その原因は、さきほどのコラムにおける分析が示しているように、現在の学習指導要領に基づく新しい教育課程では、小中校を通じて、キーワードの一つに「情報」を掲げる「総合的な学習の時間」が設けられており、中学校では、さらに、必修科目である技術・家庭科の領域に「情報とコンピュータ」が付加され、高等学校では、普通科に「情報」という教科が新設されたことに預かるところが大きいのであろう。
また、やはり同じく先のコラムが指摘しているように、小泉内閣における「知財立国」の一環として知的財産戦略本部が2003年に発表した知財推進計画※4が、「人材の育成と国民意識の向上」という標題の下、を知的財産に関するきめの細かい教育を行って国民の知的財産に対する理解を深めていくことを提唱したことも、初中等教育の段階で著作権教育が盛んとなった原因の一つといえるかもしれない。
初中等教育において著作権ないし著作権法を教育する目的としてまず想起されるのは、著作権侵害というリスクを回避する必要性を認識させるということである。著作権は、何も教育を受けないままで自然にそのような権利を侵害しないような態度が身につくものとは考えにくい。しかし、コンピュータの使用方法、さらにはインターネットの利用方法を知ってしまえば、それに伴って必然的に著作権を侵害する利用行為を行ってしまい、それが著作権者との軋轢を生むというリスクが発生する。特に問題になるのは、自らコンテンツを作成したり、あるいは他人のコンテンツをそのままウェブサイトにアップしたり、BBSに投稿する場合であろう。少しコンピュータに習熟すればP2Pソフトによるファイル・シェアリングに走ることはさして困難なことではない。したがって、コンピュータとインターネットの利用方法を教育する以上、それに伴って著作権侵害の紛争を招来してしまう危険性についても教育する必要があるといえよう。
もっとも、ここで注意しなければならないのは、著作権によって禁止されるのはこのような行為だろうと一般に考えられている著作権法と、実際の著作権法の条文との間には無視しがたい乖離が認められるということである。企業内におけるファックスやメール内のコピペはその最たる例であるが、教育現場との関係では、たとえば「寒さを吹き飛ばそう!クラス対抗雪だるま大会」などと銘打った運動会の下、あるクラスが校庭に漫画のキャラクターをかたどった雪だるま(当然のことながら極寒の地でもなければ数日中に原型をとどめなくなる)を作成したというような一般的には微笑ましいと思われる光景ですら、著作権侵害の引き金を引きかねないのである。
このような状況にいたっているのには理由がある。本コラムでも何回か指摘しているように※5、政策形成過程は少数の者に集中した組織化されやすい利益が反映されやすい反面、多数の者に拡散された組織化されにくい利益は反映されづらいというバイアスがあるからである。拡散されているということは他者の政策形成活動にフリー・ライドしたほうが得となるというフリー・ライダー問題が発生し、さらに拡散されているために一人当たりが受ける便益が小さい場合には、そもそも、人は経済合理的に行動する限り、活動をするほどの便益がなければロビイング(立法に必要となる様々な情報提供を含む概念である)等の政策形成過程に影響を与えうる活動をすることはないという事態を招来するからである。したがって、著作物のユーザーの小さな利益は反映されづらい。
もっとも、上に掲げたような事例は、実際には発見されなかったり、あるいは権利者のお目こぼしがあったりするために、現実には訴訟にはいたることはほとんどない。それがゆえに、現実には大半の人がこのような「著作権侵害」行為に勤しんでいる。この場合、実際には訴追されないことという現実により、前述したバイアスに対する矯正が働いていると評価することができる。そうだとすると、条文そのものの著作権法を初中等教育で刷り込み、これらの行為を控える態度を醸成し、その結果として、かかるバイアスの矯正の芽を摘み取ることには危険があるといわなければならない。
特に、有体物に対する所有権になぞらえて「他人が創作したものは他人のものなのだから、それを盗んでいけないのは、他人の所有物を盗んではいけないことと同じである」といった類の説明を施すことは避けたほうがよい。そのような説明は、著作権法により排他権が設定されており、ある行為が違法行為となっている結果を説明しているだけで、なぜそのようになっているのかということ、換言すれば、なぜ「他人が創作したものは他人のもの」なのかということは一切説明していないからである。そもそも著作権法の条文からして、法定で禁止されており、しかも著作権が制限されていない行為のみが禁止されているに過ぎないのだから、前記のような説明は、条文の説明としてすら、すでに間違っている。
なぜ、一定の行為が禁止されているのかという説明としては、そのようにしないと十分な著作物が創作されないからだというインセンティヴ論の説明に加えて、あるいはそれ以上に、創作者が投入した労力に対して敬意を払うべきであるという説明をなしたほうが、権利者の地位に対する共感が生じることになろう。くわえて、最も共感を得ることが容易であるであると思われる氏名表示権を持ち出すことも有用であるように思われる。
(掲載日 2010年6月13日)