判例コラム

 

第104回 「月」はthe moonか

早稲田大学大学院法務研究科教授・弁護士
道垣内 正人

「『月を見たよ、ゆうべ』とタマルは最初に言った。
『そう?』と青豆は言った。
『あんたに言われたから気になってね。しかし久しぶりに見ると、月はいいものだ。穏やかな気持ちになれる』」
(村上春樹『1Q84』Book 1,384頁)


話題になったこの小説を読みながら、多くの箇所で、これはどのように英訳すればいいのだろうと要らぬことを考えてしまった。村上春樹の小説は多く外国語に訳されており、当然、新しい小説を書く際にもそのことを前提とし、自分の書きたいことが外国語で正しく反映されるように配慮してよさそうなものだと小心者の私は思ったからである。

上記の引用部分もその一つの例である。青豆は夜空に大小ふたつの月が見える状況になぜか置かれており、他の人はどうなのか気になっていることから、タマルに、電話でふと月の話題をしたところ、翌日、タマルが月を見たよ、と言った場面である。焦点は、タマルにも月がふたつ見えているのか、それともひとつなのかである。日本語では単複同形であるので、「月」でいいのだが、英語では、”I saw the moon last night.” か ”I saw the moons last night.” か、いずれかでなければならないのではないか。そういう心配である。しかし、村上はそのような邪念はないようである。日本語の小説として書き切っている。大したものだと脱帽してしまった。

最近は、政府が新法の英訳を、最高裁が最高裁判決の英訳をそれぞれ公表するようになっており、日本法の透明化が進みつつあるが、それよりずっと以前から、私自身、自分の専門分野のいくつかの法律や判決を英訳してきた。その際、単複同形の日本語をどのように英訳するか、しばしば悩んだものである。たとえば、法の適用に関する通則法7条は、「法律行為の成立及び効力は、当事者が当該法律行為の当時に選択した地の法による。」と定めている。この「当事者」は party なのかparties なのか。この「法律行為」には、ふたり以上の当事者が存在する契約が含まれるのは明らかであるが、それ以外にも法律行為はある。議論があるところであるが、信託の準拠法の指定は委託者が単独ですることができると私は解している。そこで、英訳では、party / parties とするほかなかった。

このような日本語の単複同形という特性に起因する英訳の困難さは、英訳作業の過程で出くわす多種多様な困難の中では比較的程度は軽いものである。それでも、日本語として複数の意味にとれる場合に、特定の解釈を持ち込まないでは訳すことができないこともある。村上春樹とは違い、われわれ法律家はもっと小心に、日本語の曖昧さを意識し、立法趣旨が明確に伝わるような表現を工夫すべきではなかろうか。

たとえば、法律が出来上がってから英訳に取り掛かるのではなく、法律の制定作業の中間段階で、英訳をしてみるというプロセスを必ず入れることにはできないものであろうか。英訳を試みることによって、その条文が意図していることがより鮮明になることが期待されるからである。機能する法治国家であるために、曖昧な規定振りをできる限り排除し、国民に、そして外国人にも、分かりやすい日本法にしていくことは日本の法律家として当然に果たすべき任務であると考える。

それにしても、2011年には出版されると聞く『1Q84』の英語版が楽しみである。

(掲載日 2010年5月10日)

» コラムアーカイブ一覧