判例コラム

 

第103回 一子相伝

苗村法律事務所※1
弁護士、ニューヨーク州弁護士 苗村 博子

京は、春、五花街では、春の舞が、順次開催されている。先日、顧問先の社長さんの粋な計らいで、都をどりにお邪魔した。まずは、芸妓さんの点ててくれたお抹茶を頂いてから歌舞練場に入る。ご手配よろしく、初めてお正客席に座り、舞妓さんからお茶碗を受け取る。都をどりを主催する祇園甲部は裏千家のお手前、忘れる方が早いので習っていてもちっとも上達しない私と違い、流れるようなお手前だ。でも今回の話題は、都をどりではなく、この茶の湯、千家に関する話である。

千利休に始まる千家の茶の湯、今の武者小路、表、裏の京の三千家は、利休の孫に当たる千宗旦の子供達が開いたとのことである。表千家第七代如心斎が息子啄斎に書き残した云置には、一子相伝とともに、「千」の名字は、長男だけが名乗り、ほかの子は名字を変えるようにとの遺言が残され、千家の方々はこれを継承してきた。

ところが、現行の戸籍法107条1項は、「やむを得ない事由に」よって、裁判所の許可を得なければ、氏の変更を認めず、名字を変えるのは、至難の業である。戦後初めて、この裁判所の許可の審判を受けられたのは、裏千家十四代淡々斎家元の次男で淡交社社長であった故納屋嘉治氏とのことである。

京都家裁は、相当の苦労をしてこの許可をしたように見える(家裁月報昭和35年7月12巻第7号)。現行法の氏は、法的秩序の基礎単位である人の同一性を表象する記号として、一貫性を保つべきだとしながら、有利かつ便宜な氏に変更を希望しようとする強い意図は、個人の自由と幸福追求を基本的に承認する近代法の精神から無視できず、職業に関係のない茶道家元としての千の呼称を強要することは、かえって社会秩序維持の上からも思わしくない結果を生ずるとして、やむを得ない事情を認めた。ただ、変更後の氏に千利休が生前使用したことのある姓を選んだことについて、「それだけの理由で氏の変更を求めるものであるとすれば、それは、封建制の家名意識を温存しようとするものであって到底許可することはできない」とコメントしつつも、変更自体にはやむを得ないところがあるので、氏が祖先に由来するものでもよいと判断した。裁判官は、納屋姓云々以前に、嫡子だけが「千」を名乗れるということに、封建的な匂いを感じたのであろうか。

完全相伝と一子相伝、いずれの考え方もあろう。奥義の伝承は、少数の人のみが、伝承することで、守られていくという考え方もあり得る。封建制とは直ちにつながるものではないと思うが、「家」と名の付くものに対する、アレルギー反応が最も先鋭的だった頃の、京都ならではの苦肉のそして粋な決定である。以後、一五代鵬雲齊家元の二男伊住正和氏も裁判所の許可を得て、改姓されているとのことである。

(掲載日 2010年4月26日)

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