判例コラム

 

第98回 Google Books和解案と孤児著作物問題

北海道大学法学研究科教授
田村 善之

1 はじめに

昨年、日本においても出版社や作家を巻き込んでその対応策をめぐって騒動となったGoogle Books和解案は、11月13日の和解の修正案で、米国著作権局登録済著作物か、イギリス、オーストラリア、カナダ以外の著作物は除外するという形での修正案が提出された結果、日本の著作者に与える影響はかなり限定的なものとなった。しかし、依然として対象となる著作物は広汎なものであり、米国内における著作物の利用に対する著作権の処理のありかたを大きく変革するものであることに変わりは無い。くわえて、クラス・アクションという米国特有の手続きを利用しつつ、現代の著作権法が抱える孤児著作物問題というゴルディオスの結び目を断ち切ろうとした試みの意義は、デジタル化時代の著作権法のありかたを考えるうえでも興味深いものである(なお、本コラムの内容についてより詳しくは、田村善之「Google Books和解案の光と影」NBL925号(2010年)を参照)。


2 Google Books和解案の意義
-孤児著作物等に対するデフォルト・ルールの変更-

まずは、Google Books和解案の意義を確認しておこう。
和解案が適用されない場合のGoogle Booksの現状は以下のようになっているのだが、

和解案が適用されると、これが以下のように変わる。

この図に対しては補足的な説明が必要である。まず、和解案では、絶版または市販されていない書籍については限定表示であるが、ユーザーが料金を支払うと全文の閲覧が可能となる。他方で、この部分の権利者のほうはオプト・アウトができる。しかしながら、権利者が和解に異議申し立てもせず、かつ和解に参加させられることになった上でオプト・アウトもしなければ、全文表示となる。市販されている書籍は、現在ではスニペット表示であるが、和解案ではこれが不表示に変わる。

要するに、Google Books和解案の最大のターゲットは、孤児著作物に対するデフォルト・ルールの変更である。つまり、現在の著作権法上は、孤児著作物といえども排他権を有しているのだが、和解案によると、孤児著作物にされてしまいそうな著作権者が文句を言わない限りは全部利用自由になる。要するに、孤児著作物ではなく、権利行使する意図があるというのであれば、権利者のほうが手を上げてくださいというシステムになっているわけである。大量複製や大量公衆送信が可能となった現代において、個別処理を志向する著作権法の排他権の原則が適合しなくなっている。その現況に対応する対策だということが言えよう。


3 Google Books和解案の評価その1
-著作権のとらえ方:自然権か道具主義的な権利か-

このようなデフォルト・ルールを変更するという和解案に対しては、著作権という排他権がある以上は無断で利用されるということが認められるはずがないという感覚が対抗する。実際、和解案に憤りを感じた多くの著作者の感情は、著作権という排他権を持っているのは自分のほうのはずなのに、なぜわざわざオプトアウト等の手続きをとらない限り、自由に(正確には金銭的な報酬が入るのであるが)利用されてしまうとは何事だというものであろう。

このような感情に対しては、著作権に与えられた排他権を自然権ではなく道具主義的な権利と考えるか否かによって、評価が分かれてくる。他者の自由を規制する以上は、単なる自然権ではなくて、むしろ文化を発展させるという目的のために与えられた道具主義的な権利ではないかと考えるのであれば(田村善之「知的創作物の未保護領域という発想の陥穽について」著作権研究掲載予定)、社会の発展、技術の変化に応じて、著作権が決して排他権でなくてもよいということになるから、Googleブックに関して好意的な立場が生まれてくる。


4 Google Books和解案の評価その2
-著作権の政策形成過程のあり方:立法か私的秩序形成か-

和解案はクラス・アクションという手続ルールに基づくものではあるが、事実上、としては実体法を変更することに等しい効果を有している。それによって立法過程、条約交渉過程が迂回されている。これを著作権に関する立法過程や政策形成過程の閉塞を打破するものと評価するか、和解案に裁判所が関与している、あるいはレジストリーに対する統御があるということをもって、立法に比肩し得るほどのプロセスの正統性があるのかということが問題になる。

そして、現在の著作権制度に関する政策形成過程のバイアスに鑑みると、ゴルディオスの結び目を解くのに立法に大きな期待を寄せるわけにはいかないかもしれない。※1※2 そのようななか、Google Books和解案は、クラス・アクションという米国特有の手続法を活用して実質的には実体法を形成してしまおうとするいわばセカンド・ベストとしての私的秩序形成という意義があるのではないかと思う(Lawrence Lessig, For the Love of Culture: Google, copyright, and our future, The New Republic Online, Jan. 26, 2010. (ローレンス・レッシグ(南部朋子訳)「文化の愛好のために~Google,著作権,そして我々の未来~」アメリカ法掲載予定)の評価も参照)。

もっとも、セカンド・ベストであるがための弊害もありえる。たとえば、和解案が実現すれば、Google Booksが関連市場において自然独占を享受する可能性があり、それに対する統御が必要となろう。

 

【参考文献】 田村善之「Google Books和解案の光と影」NBL925号(2010年)

(掲載日 2010年3月15日)

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