成城大学法学部教授
指宿 信
2009年11月、米国の法情報産業界に衝撃が走った。あのGoogleが判例情報を専門とするサービスを提供するというアナウンスを公式ブログでおこなったからである(http://googleblog.blogspot.com/2009/11/finding-laws-that-govern-us.html)。これまでGoogle Scholarという学術コンテンツにターゲットを絞ったモジュールがあったが、これに判例データを選択できる設定が加わった。判例名を入れるとネット上でデータを探してくるし、更にその判例を引用するネット上のリソース(引用文献)も自動的に検索する。まだ、google.comにしかないサービスで、執筆現在、日本語サービスはない。
法情報検索については、Googleによるサーチではノイズが多過ぎ実用的でないというユーザーは多かった。それだけに商用データベースの利用価値が高かったわけだが、本格的なGoogleによる法情報検索サービス開始は--いつか来るとは予想されていたものの--米国内で大きな波紋を呼んだ。もちろんGoogle検索である以上、商用データベースのような細かな設定はできないが、初歩的な検索、あるいは最初の大まかな検索であれば(判例名がわかっている場合の呼び出しとか、最新判例の検索など)十分プロの使用にも耐えるという評価がされている※1。
これに対抗するわけではあるまいが、年が明けると再び米国の法情報関連ブログはひとつのニュースで持ちきりとなった。Westlawが2010年2月1日から新たなプラットフォーム、Westlaw Next(WLN)を提供し始めるからである。インターフェイスは従来のものから大きく変更され(http://www.slaw.ca/wp-content/uploads/2010/01/home_page1.png)、Googleのようなサーチエンジンの影響から入力が簡易化されている。今回のWLNのプラットフォームの大改造は5年も前から検討、開発されていたようなので、このタイミングになったのは偶然であろうが、それにしてもGoogle Scholarの判例検索が若干先行し、それを追うかたちになったのは偶然とはいえ近時の情報検索の世界を象徴しているように見えるのはわたしだけではないだろう。
判例情報の無料検索サービスと言えば、いわゆるLIIサイトが有名である。各国のLegal Information Instituteで展開されている判例・法令などの無料ポータル・サイトだ。もともと1990年代初頭にコーネル大学で始まったいわば米国産のLII運動だが、その後オーストラリアでステークホルダー方式による巨大な無料ポータル・サイトの構築に成功し、強力なエンジンSINOが無償供与されたこともあって(その後、SINOはオープンソースとなった)各国に同種のポータル・サイトが広がっている※2。各国でのシェアは高く、Austlarasian Legal Information Institute(http://www.austlii.edu.au/)はオーストラリアにおける法律情報関連トラフィックの25%を占めており※3、カナダのCanadian Legal Information Institute(http://www.canlii.org/)はほぼ4割を占めている。これまで、連邦制を採る重層的で広範な法情報国家である米国にはこうした巨大ポータルがなく--コーネル大学LIIは連邦に限っていた--、無料サイトが各種展開されているとはいってもWestlawやLexisに勝るような合衆国全体の包括的ポータルはなかった。その意味で、Google Scholarによる判例検索は初めて米国の法情報産業に脅威を与える無料サイトだったと言えるだろう。
では、LIIが展開されている諸国で法情報産業が衰退しているかといえばそういうわけではない。一次情報の提供のみのサービスはLIIに委ね、法律専門職やビジネス向けに、また法律学の学生に対する高度なサービスに特化し、付加価値の高いコンテンツを、関連する情報まで効率的に迅速に検索できる機能を提供できるようしのぎを削っている。二大商用データベースが事実上の法律ポータルとして一次情報を提供してきた米国にあっても、更に高度な付加価値サービスや効率的なリサーチ支援ツールの提供が進められていくに違いない。WLNはそうした一歩になるだろう。
これからの21世紀の法情報検索サービスは今回のGoogle騒動が示しているように、一方で「グーグライズ」の方向へ進む。無料で簡単な直線的な法情報へのアクセス提供を目指すものだ。他方で、よりソフィスティケイトされ、多様な付加情報を持った「インテリジェント化」も進化するだろう。関連情報に容易にジャンプでき、他の管轄や法域への、あるいは別のモジュールでサービスされている情報へのクロス・レファレンスまで可能な、多機能で高次の展開可能性を提供するような、いわば螺旋状に法情報へのアクセスを提供するサービスが開発されていくことだろう。さて、日本の法情報産業はここからどのような示唆を得るだろうか?
(掲載日 2010年3月1日)