判例コラム

 

第87回 細胞の物質特許

高島国際特許事務所※1
所長・弁理士 高島 一

先日、京都大学の山中伸弥教授のiPS細胞(人工多能性幹細胞)関連特許が日本で新たに2件成立したことが発表された。iPS細胞を巡る特許に関する問題としてこれまで一般に話題になっていたのは、独バイエル社が山中教授より先にヒトのiPS細胞を作製していた可能性があるとして、ヒトiPS細胞の特許を「誰が」取得するかであったと思われる。しかし、昨年成立した特許と今回の特許とを合わせて、現時点で最もスタンダードなiPS細胞の製法に関する特許を、動物種の限定なく(つまり、ヒトも含めて)京都大学が取得したことで、少なくとも我が国に関しては「誰が」の議論は収束するだろう。

では、次に来る議論は何かといえば、それはiPS細胞の物質特許が果たして成立するのか否かということではないだろうか?以前のコラムでも触れたが、iPS細胞は、ほぼすべての細胞に分化する能力(多能性という)を有している。iPS細胞と同様の多能性を有する細胞としてES細胞(胚性幹細胞)が知られているが、両者は「物」として見た場合、ほとんど差がない。もちろん個々の細胞同士は細かくは異なるが、すべてのiPS細胞にあってES細胞にない(あるいはその逆)という決定的な相違は見つかっていない。両者の大きな違いは、ES細胞が胚(胎児と呼ばれるようになる前の細胞の塊)を壊して作るのに対し、iPS細胞は皮膚細胞のような生殖細胞以外の細胞から作れることである。この違いは移植医療の面からみると極めて重要である。生命の萌芽ともいえる胚を破壊することがないので、倫理的な問題が生じない。また、本人の細胞を用いてiPS細胞を作ることができるので、そこから分化させて作った移植細胞は拒絶反応の危険がない。しかしながら、そのような顕著な効果は、物の発明の特許性には影響を与えない、というのが原則である。

細胞自体の発明では、既存の細胞と「物」として如何に区別するかがクレームドラフティングにおける一番の難点であることは、バイオ特許を扱う者にとっては常識なのだが、発明のインパクトが大きいために、基本的な問題がこれまであまり取沙汰されてこなかったきらいがある。産業上きわめて顕著な効果を奏する場合は、その効果自体を物性として捉え、特許上は別物質であるとしてプロダクト・バイ・プロセスクレームの形式で特許を認めるべきとする意見もあるだろうが、既に存在するES細胞の使用は倫理上特に問題ではないだろうし、移植以外の目的に使用する場合は拒絶の問題も生じないので、難しいのではなかろうか。あるいは、多能性幹細胞という上位概念に対する選択発明として捉える見方もあるかもしれないが、最終物としての多能性幹細胞とiPS細胞とは上位・下位の関係にないので、選択発明の範疇には入らないだろう。

現実的には、パイオニア発明の地位を認めて広範な製法特許を付与することで、物質特許に近い効果を与えるのが妥当ではないかと思われる。

(掲載日 2009年12月14日)

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