北海道大学法学研究科教授
田村 善之
日本の著作権法にもこうしたフェア・ユースのような規定を導入すべきか否かということについて、議論がかまびすしくなっている。これまで、日本の著作権法には、特定の類型毎に著作権を個別的に制限する条項が多数ある反面、アメリカ合衆国等と異なり、一般的に著作権を制限するフェア・ユースに該当する規定を欠いていた。もっとも、少なくとも2009年の著作権法改正では一般的な著作権の制限規定の導入は見送られており、将来的にも予断を許さない状況にあると側聞している。
フェア・ユースのような一般条項を導入するためには、そもそも一般条項の下でどのような行為が制限されることになるのかということを見極めるべきだということがよく言われる。もちろん、これは重要な指摘であり、フェア・ユースによってどのような類の行為が免責されるのか、さらにいえばこの法理によって日本の著作権法をどのような方向に持っていきたいのかということに関する議論が必要であるということであれば、その必要性を少なくとも正面から否定することは難しいものがある(もっとも、後述するようにこうした実体的な側面に完全に合意が得られずともフェア・ユースを導入すべきであるということを正当化することは可能であり、むしろそのほうが望ましい場合がある)。
もっとも、こうした議論には両刃の剣といった側面がある。それは、この種の議論を過度に押し進めてしまうと、結論が先取りされることになりかねないからである。つまり、制限すべき行為について議論が収束するのであれば、個別の制限規定を設けることができるはずだから、わざわざ著作権を一般的に制限する条項を設ける必要はなく、フェア・ユースなど導入する必要はないだろうということに陥ってしまうかもしれない。
しかし、フェア・ユースないし著作権を一般的に制限する規定を導入する意義の本当のところを理解するためには、この法理が、著作権を制限する基準の具体化の作業を立法から司法に移行させる機能を有する法理であり、ゆえに問題は立法と司法の役割分担であるという視点、換言すれば、法実現過程や法政策形成過程のプロセスという視点を持つ必要があるように思う。
ルール(個別の制限規定)とスタンダード(フェア・ユース)の区別という視点からの議論
立法と司法の役割分担というプロセスの視点からフェア・ユースの意義を明らかにする試み の一つ目のものが、法と経済学におけるルールとスタンダードの区別に関する議論を用いるものである。
その議論では、個別の制限規定でルールとして規定する手法と、フェア・ユースのような一般条項によってスタンダードな基準だけを決めておいてその具体化は司法に委ねる手法のどちらのほうが効率的かという視点を設定する。そして、例えば紛争類型が多いようなものは、立法で事前にきちんとしたルールとして規律したほうが効率的となる。しかし、稀にしか生じない紛争について、わざわざ立法でルールを定立するコストをかける意味に乏しいとすれば、スタンダードで司法の場で事後的に解決したほうが望ましいかもしれない。こうした議論を中核において、そのうえで、事前に定めたルールがどの程度、当事者の行動に影響を与えるのかといった視点を加味して調整していく、というものである。
もっとも、これは理論としては成立しているとしても、現在、まさにそこにコストをかけることを任務として、個別の制限規定で規律すべき行為はなにかということを吟味したり、一般条項の導入の必要性を精査しようとしている改正関係者の心には響かないものなのかもしれない。
政策形成過程のバイアスの是正のためのフェア・ユース
もう一つ、立法と司法の役割分担というプロセスに着目した議論は、公共選択論を応用したもので、著作権法に関する政策形成過程のバイアスを是正するために司法を活用するという観点から、フェア・ユースを擁護する理論である。
立法を中心とする政策形成過程には、少数の者に集中した利益のほうが多数の者に拡散した利益よりも、ロビイングなどの結果として反映されやすく、ゆえに後者の利益のほうが社会全体では大きな利益であるにも関わらず前者の利益のほうが優先されてしまうというバイアスがかかりやすい。したがって立法によって個別の制限規定のようなルールを形成しようとすると、ロビイングの対象となり、政策形成過程のバイアスが生じて、そもそも制限規定が設けられなかったり、権利者よりのほうの利用者にとっては高めのハードルが課されるところで立法が妥結することになる可能性が高い。
たとえば、近時の著作権法の制限規定に関する改正を眺望しても、たしかに個別規定の導入が盛んにおこなわれてはいる。2007年改正では、記録媒体(ハードウェア)等を内蔵した機器(パソコンや携帯電話)を保守、修理する際に修理業者等が媒体に複製された著作物を一時的に保存する行為に対して著作権を制限する規定が設けられた(2007年改正当時47条の3、2009年改正後47条の4)。さらに、2009年改正では、検索サイトが検索のためにウェブのデータを取り込んだり表示する場合の複製(47条の6)、オークションにおけるサムネイル表示等(47条の2)、情報解析ツールを用いて網羅的にデータを研究する際の複製(47条の7) 等のほか、やや一般的には、キャッシング(47条の5)やコンピュータを利用する際に不可避的に生じる複製(48条の8) に関して著作権が制限されることになった。しかし、これらの近時新設された制限規定の背後には、パソコン業界、携帯電話産業、検索エンジン、オークションサイト等、特定の利益集団が存しているものが多く、ファックスやメールのコピペ等、個別的には零細な利用で、しかも特定の者が突出して利益を受けるわけではない行為についてまで制限規定を新設しようとする動きは皆無に近い。また、私的録音録画補償金関連制度の対象の見直し、リバース・エンジニアリングを許容する規定の新設などのように、利害集団間の意見の調整がつかず、見送りとなったものもある。
そこで、立法のところはスタンダードでなんとか合意を取り付けておいて、ロビイングをかわし、特に日本においてはロビイング耐性が相対的に強い裁判所にその具体化の権限を委譲する。
そのような法技術としての意味をフェア・ユースに認めるべきであろうということになる。
こうした議論は、近時、私が盛んに提唱しているものであるが、これまた現に法改正に関係している側からすれば、正面切って改正の理由として受け入れることは困難なものなのかもしれない。
個別制限規定までのタイムラグの解消
立法、司法の役割分担という視点に着目した議論の3つ目は、立法に必然的に伴う時間的な経過の間の利用行為に着目する議論である。
政策形成過程に最終的には反映されるような利益、たとえばそれなりに大きな企業の利益であっても、立法の実現には時間を要する。検索サイトにおける複製等が例証するように、従来著作権法が予想もしていなかった技術が現れ、それに基づくビジネス・モデルが展開するなかで、法改正が実現するまでの間、著作権侵害という足かせを企業に嵌めておいたままでよいのかということが問題とされている。そこでは、新興ビジネスに携わる企業は、著作権侵害のリスクをあえて負担しなければならない。そのような負担は一般的な著作権の制限規定を導入している国の企業が負わないものであるかもしれないとすれば、新しいビジネスにおける日本企業の国際競争力を削がないようにするという配慮も必要であるとまでいわれることもある。
これもまた立法の実現までの間の過程に着目している点で、プロセスという視点を持ち合わせたフェア・ユース擁護論といえる。しかも、政策形成過程のステーク・ホルダーを敵に廻しているわけではなく、さらに国際競争力まで持ち出されてしまっては、もっとも立法過程が受け入れやすい理論であるといえるのかもしれない。
以上、立法と司法の役割分担という視点からフェア・ユースを論じる議論を3つほど紹介した。肝要なことは、ことがこうしたプロセスの統御の問題に関わっているということも意識して、問題を論じるべきであるということである。今後の改正論議を注視することにしたい。
(掲載日 2009年8月3日)