判例コラム

 

第50回 日本國憲法の国語表記

成城大学法学部教授
成田 博

日本国憲法の公布が昭和21年11月3日、施行が昭和22年5月3日であるというのは常識の部類に属する。それに比べれば必ずしも正確には記憶されていないかも知れないが、内閣告示第32号「当用漢字表」、同第33号「現代かなづかい」が出されたのは昭和21年11月16日のことである※1。「当用漢字表」では、簡略字体(新字)も示された※2。したがって、今を基準にしていえば、日本国憲法は、「旧字」「旧仮名遣い」のままであったのである。現在市販されている法令集全てを調べることなどできないが、有斐閣、三省堂、岩波書店の六法は、仮名遣いについては「旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)」のままとしながら、漢字については「新字」を用いている。なにゆえに、一国の基本法たる憲法について本来の表記のままに掲載しないのか、不思議なことである。

もっとも、筆者の関心は別のところにあって、それは、もしも日本国憲法の表記を、「旧字」から「新字」へ、「旧仮名遣い」から「現代仮名遣い」へ変えようとしたとき、一体、改憲を党の目標として掲げる自由民主党はこれに賛成するのか否か、ということである。もちろん、同じ質問は護憲政党にも向けられる。はたして、護憲を標榜する幾つかの政党は、これに賛成するのか反対するのか。

もしもここで自由民主党が「旧字」「旧仮名遣い」を擁護し、護憲政党が「新字」「現代仮名遣い」を主張するならば、ここでも「捩れ現象」は生じていて、護憲政党言うところの「護憲」なるものは、表現形式は対象外であるということになる。しかし、日本国憲法が英文で書かれていたらどうか。いかに護憲政党といえども、これを日本語にすることを目標としたはずである。

かつて、井上ひさし氏は、『私家版日本語文法』において、日本国憲法が「歴史的仮名づかい(旧仮名遣い)」であることを理由に「旧仮名遣い」を支持すると言明した※3。しかし、日本国憲法が制定された時点では、「旧仮名遣い」以外に一般に承認されていた表記法は存在していなかったのであるから、「旧仮名遣い」と「現代仮名遣い」のいずれを用いるかについて選択の余地などあろうはずはなかった。したがって、日本国憲法が「旧仮名遣い」だから「旧仮名遣い」を支持するというのは、ただ単に「旧仮名遣い」がいいといっているに過ぎないことになる。昭和21年の2つの内閣告示が示されて初めて我々は、日本国憲法が体現する表記と内閣告示のいずれに重きを置くかという選択の前に立たされたわけである。

もっとも、新憲法を「新字」「現代仮名づかい」で表記しようとする強い意欲があれば、それが実現できた程度に日本国憲法の公布の日と上記2つの内閣告示の出された日は接近している。それを考えれば、漢字、仮名遣いに関する内閣告示が日本国憲法の公布の後になるように最初から意図されていた可能性は十分にあって、もしもそれが事実であったとするなら、当時の政府は、最高法規たる憲法についてだけは「旧字」「旧仮名遣い」を死守したことになる。そして、それこそが対米戦争における最後の抵抗であったのかも知れない。

※1 昭和21年内閣告示第33号は、昭和61年内閣告示第1号「現代仮名遣い」によって廃止された(同年7月1日)。

※2 「字体と音訓との整理については、調査中である」と「まえがき」で断わっている。「当用漢字音訓表」は昭和23年2月に、「当用漢字字体表」は昭和24年4月に発表された。

※3 新潮文庫版では222頁。これは、もともと新潮社のPR誌「波」に連載されたもので、筆者は、「波」でこの議論を読んだ。

(掲載日 2009年3月9日)

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