判例コラム

 

第46回 気がついてもらえない「注意書き」

成城大学法学部資料室
隈本 守

「注意書き」などの掲示物、張り紙が町中には多数ある。とてもではないが、すべてに注意を払いながら歩くというわけにはいかない。掲示した方には申し訳ないが、宣伝のように誰もが見なくてもよい、と思われるものも多い。一方「この界隈ひったくり多発!」のように、多くの人がこの注意に気づき、相当の注意を払っていれば、ひったくり事件の被害を多少なりとも減らせるのではないか、と思われるものもある。

もちろん注意書きに気がついて対応をしたいと思っても、様々な理由から対応が出来ないことも多いため、一概に「気をつけてくれさえすれば」とはならないが、それにしても日頃注意書きに気をつけないことが当たり前になっている人が多いような気がするのは私だけであろうか。仕事上、様々な掲示物、注意書きを作成するが、なかなか見てもらえない。この結果、同様の事件、事故が繰り返されると、何か悲しいものがある。

しばらく前のことになるが、以前置き引きが発生した台の上に「盗難、置き引き多発!!ここにバッグを置いて目を離さないで下さい。」という趣旨の注意書きを作成し、貼り付けておいたことがある。通常の掲示物がそうであるように、「白無地の紙に全体少し大きめの黒文字」で、さらに趣旨徹底のためそれまでの事例、経緯なども書いておいた。ところが、その注意書きの上にバッグを置いて寸時目を離したすきに、バッグの中から財布を抜き取られる事件が発生してしまった。「だから、ここにバッグを置いて目を離さないで、と書いておいたのに!利用者の不注意が原因としか言いようがない。」と自己弁護するものの、自分が作成した掲示物の効果がなかったことに落胆することとなった。

注意書きを作成する場合には、注意を判ってもらい、効果がでるようにしなければ意味がない。当然のことに改めて気がつき、以後は、「とにかく目立つように、通りすがりの人も目をとめてくれるように、読まなくても判りやすいように」と気をつけるようになった。具体的には、「白無地の背景に黒文字」をやめて、最近のパソコンの機能を活用し、「カラフルな背景に、人目を引くためのイラストを入れ、目立つ色のポスター用の書体で文字数を少なく」作るようにしている。以前よりも見てもらえているようにも思うが、カラフルな掲示物があふれる現状は、目を引くものが増えすぎ、また一つ一つの掲示物が目立たなくなる、という悲しい状況でもある。

このような作業をしつつ考えることは、掲示物を目立つように作る努力も必要であるが、一方、この相手方となる「人」が掲示物に注意を払うようにすることはできないものか、ということである。最近、携帯を操作しながら、あるいは音楽を聞きながら、など周りに注意を払うことなく歩いている人を頻繁に見かけるが、こういった人たちが、ほんの少しだけ周りの事、目立ちにくい事にも注意を払って歩いてくれるようになれば、掲示物の効果はずっと上がるのではなかろうか。町中でも同様に、ちょっと周りのこと、掲示物、人、車に気を配りながら歩き、生活をする人が増えれば、事故、事件、トラブルも少しは減り、ひいては法律による事後処理のお世話になる人も減らせるのではなかろうか。

掲示物は、作り手側が見てもらえるものにする努力と、人が関心をもって見る、注意を払うようにする努力の相乗効果によって機能するように思うが、これは街の防犯活動や、裁判員制度の広報活動などの法律家の仕事にも共通するところがあるように思うのである。

(掲載日 2009年2月9日)

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