おおとり総合法律事務所弁護士
専修大学法科大学院教授
矢澤 昇治
ある弁護士から弁護士賠償責任保険契約に係る事件を受任した。主要な争点は、保険契約の被保険者たる弁護士が他の弁護士を訴訟代理人に選任せず、「自ら」訴訟に応訴した場合、その負担した争訟費用が弁護士賠償責任保険契約による填補の対象になるか。すなわち、被保険者の弁護士報酬相当額の保険金を請求することができるか否か、ということであった。
わが国の弁護士賠償責任保険は、アメリカ合衆国を母法国としているのであり、本保険約款の解釈においても、保険の制度趣旨から、被保険者である弁護士自身による代理人の地位の兼併を認めることを排斥されなければならないとする合理的理由は、何ら存在しない。英米では、弁護士賠償責任保険につき、被保険者である弁護士自身が代理人の地位を兼併すること(represent himself)が広く認められている。現在のリーデング・ケースとされるのは、Felice判決(Felice v. St. Paul Fire & Marine Ins. Co.、711 P.2d 1066(1985))である。アメリカ合衆国の弁護士にとっては、過誤訴訟(malpractice)の事件は同業者に委ねることには問題が少なくなく、それゆえ弁護士賠償責任保険のメリットは、自らの応訴による防禦活動につき保険保護が受けられることにある。そのことは、アメリカにおける弁護士の共通認識であるといっても過言ではない。ドイツ、フランス、イタリーにおいてもこれを排除する明示的な特約がない限り、同様に取り扱われている。
平成5年大阪地裁判決は、本件の主要な争点である弁護士たる被保険者「自ら」が訴訟に応訴した場合、その負担した争訟費用が弁護士賠償責任保険契約による填補の対象になるかという問題について、填補される争訟費用は被保険者の「支出した」ものに限らず、その「負担」したものも含まれると解する立場に与することを明示している。
弁護士賠償責任保険においては、「訴訟事件に関する法律事務」を独占する訴訟等における専門家である弁護士が「自ら」権利保護ないし防禦のために訴訟活動を行うことができるということが他の専門家責任保険とは決定的に異なるのである。
しかるに、東京地裁平成18年10月31日判決は、この争点につき、「約款の定め(被保険者が・・・支出した、訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解または調停に関する費用)の文言解釈上は、被保険者が現実に他の弁護士に弁護士報酬支払債務を負った場合でなければ、当該約款の定める場合には該当しないと解するほかはない」とし、東京高裁平成19年2月28日判決も第1審判決をほぼ踏襲した。そして、最高裁も、上告申立を受理しなかった。
弁護士本人による訴訟遂行に対して弁護士報酬相当額の保険金の請求を認めたとしても、保険者は実質的に何らの損失も蒙らない。本件は、明らかに保険制度の本質を忘却した保険者による保険金の不払いに過ぎないのである(「弁護士賠償責任保険契約による填補の対象」(専修ロージャーナル3号、2008))。
(掲載日 2009年1月26日)