判例コラム

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第343号 東電原発事故刑事上告審決定  

~最高裁第二小法廷令和7年3月5日決定※1

文献番号 2025WLJCC008
東京都立大学 名誉教授
前田 雅英

Ⅰ 本判例のポイント
1.東日本大震災とその後の東京電力株式会社(以下、「東電」という。)の福島第一原子力発電所の事故から、早くも14年が経過しようとしている。その時期の、東電幹部(内一名は昨年10月に死去したため公訴棄却)の刑事責任に関する無罪の決定が出された。結果的に、一つの時代を区切ることになる裁判例である。
 内容的には、従来の過失論の流れからは、予想通りのものであり※2、第1審・原審の判断を、丁寧に見直し、その結論の妥当性を認めた決定であった。その意味で、判例の刑事過失論にとっては、当然の判断であった。新過失論・旧過失論の対立時代の視座から見ようとすると、判例の輪郭がぼやけてきてしまうのである。
 かつて過失論は、犯罪体系上の位置付けについての議論が盛んで、行為無価値・結果無価値の視点から、回避義務か予見義務のいずれを重視するかが争われたが、判例は、両方を、具体的な事案の解決に応じて考慮してきた。本件も、まさにそのような処理を行ったのである。

2.処罰範囲は、犯罪発生状況等の社会状況や国民の規範意識の変化に伴って、微妙に変化する。我が国の戦後の過失論は、まさに社会・国民の規範意識の変化を見事に投影したものであった。本決定の結論も、その流れの中にある。
 基本的には、①行為の担っている価値の大小、②予想される被害の重大性と、③被害発生の予見可能性の程度と、④国民が求める結果回避義務の高度さ等を総合して衡量される(比例原則-許された危険性判断と呼ぶことも可能である)。この比較衡量の結論は、各要素の重み付けの評価も含め、国民の規範意識に従って動いていく。過失論の変動の核心部分は、この規範意識の変動によって生じるのであり、過失構造論が過失の処罰範囲を動かしていくわけではない。旧過失論、新過失論、新新過失論は、規範意識の変動を「跡付けた」ものにすぎない。そして、結果との関係性を切り離して行為無価値を重視し、回避義務を尽くせば予見可能性があっても不可罰とすべきとした、戦後前半の新過失論も、高度な結果回避措置を設定して予見可能性が無くても過失を認定する、戦後後半の新新過失論(危惧感説)も、理論構造は全く同一なのであった。

3.そして、過失の注意義務を、「結果予見義務と結果回避義務のいずれが重要か」という形で説明しようとするのは誤りで、当然両方が必要であり、かつ「回避すべき具体的な措置を義務付けるものであり、それに対応する予見可能性・予見義務もそのような具体的な結果回避措置との関係で論じられるべきである」という、JR西日本事故に関する最二小決平成29年6月12日※3以来鮮明に意識されるようになった「ごく当たり前のこと」が、本決定でも確認されたのである。

4.そして、本件の最大の特徴は、原発事故という点にある。「原発のように、いったん事故が起きれば、取り返しのつかない被害をもたらす巨大なリスクをはらんだプラントの運転については、刑法上、許された危険はまったく存在せず、もし本当にゼロリスクが確保できるのであれば、その場合にのみ、事業の継続が許容されうるにすぎない」という援用にも見られるように※4、原発に関しては、厳しい結果回避措置を義務付けるべきだとの規範的評価が存在していることも、否定できない。しかし、最高裁は、原発事故に関連しても、比較衡量・許された危険を考慮したのである。電力事業者は、市民にとって最重要ともいえるインフラを支えており、事故防止のための回避策に応じるには予見可能性ないし予見義務もそれなりに高いものが要求されるとした原審判断を肯定的に援用したのである。

Ⅱ 事実の概要と原審の判断
1.最高裁のまとめた事実の概要

 公訴事実(訴因変更後のもの)の要旨は、Zは、平成14年10月から東電の社長、平成20年6月から同会長として、同社福島第一原子力発電所(以下、「本件発電所」という。)の運転、安全保全業務に従事し、被告人Xは、平成17年6月から同社常務取締役、原子力・立地本部本部長、平成19年6月から同社代表取締役副社長等として、被告人Yは、平成17年6月から同社執行役員、平成22年6月から同社代表取締役副社長、同本部本部長等として、それぞれZを補佐して、本件発電所の運転、安全保全業務に従事していた。被告人X、同Y及びZ(以下、「被告人ら」という。)は、想定される自然現象により本件発電所の原子炉の安全性を損なうおそれがある場合には、防護措置等の適切な措置を講じるべき業務上の注意義務があったところ、同発電所に津波が襲来し、非常用電源設備等があるタービン建屋等へ浸入することなどにより、同発電所の全交流電源等が喪失し冷却設備等の機能を喪失させ、これによる原子炉の炉心損傷等により、①平成23年3月12日午後3時36分頃、1号機原子炉建屋において、水素ガス爆発等を惹起させ、同原子炉建屋を破壊させた結果、被害者3名に傷害を負わせ、②同月14日午前11時1分頃、3号機原子炉建屋において、水素ガス爆発等を惹起させ、同原子炉建屋の外部壁等を破壊させた結果、被害者10名に傷害を負わせ、③上記水素ガス爆発等により、被害者43名に長時間の搬送や待機等を伴う避難を余儀なくさせた結果、同被害者らを死亡させ、④上記水素ガス爆発等により、a町所在の病院の医師らが同病院から避難を余儀なくさせられた結果、同病院で入院加療中の被害者1名に対する治療及び看護を不能とさせ、これにより同被害者を死亡させたというものである。

2.第1審※5の判断※6
 第1審以来、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来することについての予見可能性があったと認められるか否かが主たる争点であった。第1審判決は、被告人らにおいて、本件公訴事実に係る業務上過失致死傷罪※7の成立に必要な予見可能性があったものと合理的な疑いを超えて認定することができず、犯罪の証明がないことになるとして、被告人らは無罪であるとした。

3.原審※8の判断
 指定弁護士の控訴に対し、原判決は、詳細な検討を行い、第1審判決を是認した。

(1)過失における結果回避可能性ないし結果回避義務は、義務を負うべき者に対して結果発生を回避すべき具体的な措置を義務付けるものであるから、それに対応する予見可能性ないし予見義務も、そのような具体的な結果回避措置との関係で論じられるべきである。そして、本件結果の回避措置として、指定弁護士が、防潮堤設置等の措置を講じて完了させることで本件事故を回避できたとは主張せず、これらの措置の完了までの間、本件発電所の運転停止措置を講じるべきであったと主張していたことを踏まえると、被告人らに、同発電所の運転を停止するという回避措置に応じた予見可能性ないし予見義務があったか否かが問題となる。

(2)指定弁護士は、10m盤を超える津波が襲来することの予見可能性があったと認められるとする根拠の一つとして、文部科学省地震調査研究推進本部が平成14年7月に公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下、「長期評価」という。)の見解を挙げるが、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来することの予見可能性があったと認められるか否かは、長期評価をどのように受け止めるべきであったかという問題と、長期評価の示した見解を基に波源を設定した上で津波評価技術の手法に基づいて数値を算出したことをもって当該数値の示す高さの津波襲来の可能性を認識できたかという問題について検討する必要がある。

(3)長期評価は、長期的な観点で地震発生の可能性、震源域の形態等について評価して取りまとめたもので、三陸沖北部から房総沖までの海溝寄りを一つの領域とした上で、津波マグニチュード8.2前後の地震が同領域内のどこでも発生する可能性があり、30年以内の発生確率は20%程度であること等を内容とするものである。これは、地震本部において、多数の関連分野の専門家委員らによる審議を経て取りまとめられたものであるが、明治三陸地震等のマグニチュード8クラスの津波地震と同様の地震が発生する可能性がある領域について、三陸沖北部から房総沖までの海溝寄りの領域を一まとめに設定した部分は、発生の可能性が否定できない領域を一体として取り扱うという消極的な判断と受け止められる内容であったこと、地震本部自らが、平成15年3月に「千島海溝沿いの地震活動の長期評価について」において、三陸沖北部から房総沖までの海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)については、発生領域の評価の信頼度も発生確率の評価の信頼度もやや低いものと位置付け、長期評価の見解の信頼度がかなり低いと受け止められる評価を公表したこと、既往地震について性質を共有するものとして捉えた上、同様の地震が福島県沖や茨城県沖の海溝寄りの領域においても発生する可能性があるという見解は一般に受け入れられる素地が十分にあったとも考えられないこと、長期評価の見解が防災対策に取り込まれることはなく、長期評価の見解が示した領域設定等が十分に受け止められていなかったとみられること等を踏まえると、本件発電所の運転に携わる者らにとって、東北地方太平洋沖地震(以下、「本件地震」という。)当時までの時点において、長期評価の見解は、10m盤を超える津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報であったとまでは認められない。
 また、津波評価技術では、波源域の分布やプレート境界面の形状の分析等を通じて、福島県沖と茨城県沖の日本海溝沿いには波源設定のための領域を設定せず、波源設定のための領域区分等について長期評価とは全く異なる考えが示されていたのであり、両者を組み合わせて計算された水位をもって、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させる根拠とすることはできない。以上によれば、本件地震前に、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させるような知見や状況等があったとは認められない。

(4)被告人らの認識についてみても、長期評価の見解等に基づき、本件発電所に襲来する現実的な可能性のある津波を想定し、かつ、東電において直ちにこれに対する具体的な対策を講じなければならない必要性を示すものとまではいえないと認識したとしてもやむを得ない状況にあり、被告人Xも、被告人Yから、平成20年8月初旬頃、長期評価の見解に従った試算により本件発電所で高い津波水位が得られたが、長期評価にはよく分からない点があるため、長期評価の見解について土木学会に検討を依頼し、その結果に応じて対策工事を行うという方針について報告を受けるなどしており、長期評価や平成20年津波試算に基づいて、同発電所に10m盤を超える津波が襲来する現実的な可能性を認識していたとは認められない。

(5)原子力発電所を運転している原子力事業者にとって、運転そのものを停止することは、事故防止のための回避策として重い選択であって、そのような回避措置に応じた予見可能性ないし予見義務もそれなりに高いものが要求されるというべきであり、その上、電力事業者は、市民にとって最重要ともいえるインフラを支え、法律上の電力供給義務を負っており、東電としても、漠然とした理由に基づいて、その発電量のうち一定の割合を占める本件発電所の運転を停止することはできない立場にあるといえること等も考慮すると、長期評価その他の本件に関わる一連の経緯をもってしても、同発電所の運転を停止すべき義務に応じる予見義務を負わせることのできる事情が存在したとは認められない。

Ⅲ 判旨
 「本件公訴事実は、東京電力の役員であった被告人らにおいて、本件発電所の原子炉の安全性に関し、防護措置等の適切な措置を講じるべき業務上の注意義務を怠ったというものであり、被告人らにおいて、同発電所に10m盤を超える津波が襲来する現実的な可能性の認識があったことを前提とするものである。
 確かに、本件地震前の時点で、長期評価及び津波評価技術が公表されており、長期評価の示した見解を基に波源を設定した上で津波評価技術の手法に基づいて津波水位を算出した平成20年津波試算において、O.P.+15.707mという試算結果が得られていた。しかし、その試算の基となる長期評価の見解については、三陸沖北部から房総沖までの海溝寄りを一つの領域として、津波マグニチュード8.2前後の規模のプレート間大地震(津波地震)がどこでも発生するなどとした点は、一般に受け入れられるような積極的な裏付けが示されていたわけではない上、地震本部による信頼度の評価も低かっただけでなく、原子力安全に関わる行政機関、防災対策に関わる地方公共団体等によっても、全面的には取り入れられていなかったとみられる証拠が存在し、それらの証拠の信用性につき疑問を生じさせる事情がうかがわれないことなどに照らすと、長期評価の見解は、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報であったとまでは認められず、被告人らにおいても、そうした現実的な可能性を認識していたとは認められないとの原判決の判断が合理性を欠くものと考えるのは困難である。そうすると、本件公訴事実に係る業務上過失致死傷罪の成立に必要な予見可能性があったものと合理的な疑いを超えて認定することができず、犯罪の証明がないことになるとして、被告人らを無罪とした第1審判決を是認した原判決に論理則、経験則等に照らして不合理な点があるとはいえない。」

Ⅳ コメント
1.過失とは、不注意、すなわち注意義務に違反して犯罪を実行する場合である。注意義務違反とは、意識を集中していれば結果が予見でき、それに基づいて結果の発生を回避し得たのに、集中を欠いたため結果予見義務を果たさず、結果を回避し得なかったことである。過失の注意義務は、結果予見義務と結果回避義務の二つから成り立っている※9。そして「結果を予見せよ」という義務を課すには、「一般人ならば予見することが可能であった」ということが前提となる。結果回避に関しても回避可能性が必要である。結果予見・回避義務はそれぞれ、予見・回避可能性と表裏の関係にある。結果回避義務があるというためには、その義務を課すに足りる程度の予見可能性がなければならない※10

2.最二小決平成29年6月12日※11は、JR西日本の福知山線において、列車脱線事故が、平成17年4月25日に発生し、106名が死亡し、約500名が負傷した事件に関し、JR西日本の社長の刑事責任が争われた。具体的には、ATS(自動列車停止装置)を線路の湾曲する曲線(以下、「本件曲線」という。)に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったかが争点となった。適切な制動措置をとらないまま本件曲線に進入することにより、本件曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危険性を予見できたことが争われた。
 そして最高裁は、本件事故以前の法令上、曲線にATSを整備することも義務付けられておらず、大半の鉄道事業者は曲線にATSを整備していなかった上、転覆危険率を用いて脱線転覆の危険性を判別しATSの整備箇所を選別することは、本件事故以前において、国内の他の鉄道事業者でも採用されていなかったし、JR西日本の組織内において、本件曲線における脱線転覆事故発生の危険性が他の曲線におけるそれよりも高いと認識されていた事情も存在しなかった。「運転士がひとたび大幅な速度超過をすれば脱線転覆事故が発生する」という程度の認識があれば足りる旨の主張は退けられたのである。

3.第二次世界大戦後の学説の過失論は、違法論の行為無価値化と結びついて、戦前の過失論から転換が唱導された。ただ、①過失犯は、違法性のレベルで故意犯と異なるとしたこと以上に、②結果予見可能性中心の過失概念を結果回避義務(客観的注意義務)中心に変更すべきという行為無価値化を主張したのである※12
 当時の、新過失論の実質的特色は、経済活動の発展、とりわけ自動車運転行為等の社会的有用性を重視して、結果回避義務を緩やかに設定することにより、過失の処罰範囲を限定することにあったといってよい(それを、端的に表現したのが19世紀末以来ドイツで主張された許された危険の考え方である)。安全施策も、経済的・経営的を衡量して、合格最低限の回避措置さえ尽くせば十分であるとされた※13。判例の中にも、結果回避義務を強調するものが見られたが、交通事犯等、事案に相応した解釈であったというべきであろう。

4.昭和40年代に入ると我が国の過失論は、再び大きく方向を転換する。公害犯罪等の多発状況を背景に、新過失論の目指した過失犯処罰の限定とは真逆の過失処罰拡大の動きが生じ、不安感説・危惧感説と呼ばれていく。実は、このような過失犯の処罰範囲の拡大を可能としたのが「結果予見可能性」とは切り離して『結果回避義務』を高度化し得た「新過失論」なのである。
 そして、指定弁護士の有罪主張の基本にあるのが、「必ずしも予見可能性に『立脚しない』結果防止措置を導く危惧感説」といってよいであろう。本判決のポイントの一つは、刑事過失の注意義務を導くものとして「危惧感は、必ずしも十分なものとはいえない」という点を再確認したことである。本件の争点である、「長期評価の認識」が、「原発運転停止措置」を要請するだけの「予見可能性」足り得ないことは、第1審、原審、最高裁の判文の示す通りである。

5.指定弁護士が、原審において、津波襲来可能性の根拠の信頼性、具体性の程度の判断は、純粋に科学的に行うべきで、社会通念を持ち出すべきではなく、たとえ社会通念を持ち出すにしても、原子力発電所に対して絶対的な安全性を求める国民全体の素朴な意識を取り上げるべきであり、最新の科学的、専門的知見を踏まえて合理的に予測される自然災害であれば、原子炉内の放射性物質が外部の環境に放出されることは絶対にないというレベルの極めて高度の安全性を求めているというべきであるとの主張を行っている。しかし、純粋の科学的判断からは、「刑事責任を負わせる前提としての予見・回避義務を負わせるべき情報」は導き得ない。規範的な価値的な評価だからである。

6.注意義務の範囲は社会状況・規範意識の変化に伴って、微妙に変化する。我が国の戦後の過失論は、まさに社会・国民の規範意識の変化を見事に投影したものであった。基本的には、①行為の担っている価値、②予想される被害の重大性と、③被害発生の予見可能性の程度と、④国民が求める結果回避義務の高度さ等を総合して衡量される(比例原則)。この比較衡量の結論は、国民の規範意識に従って動いていく。
 指定弁護士の、原子力発電所に対して絶対的な安全性を求める国民全体の素朴な意識を取り上げるべきで、極めて高度の安全性を求めるべきであるとの主張は、法的価値判断の中核である「国民の規範意識の融和点を求める作業」の否定を意味するのである。
 もちろん原発に関しては「許された危険」と解する余地はないとの見解も存在している。法的評価は、そのサンクションに応じて、幅を持ち得るのである。

7.本件では、第1審も原審も最高裁も、刑事裁判として処理することが念頭にあり、結果回避義務として「原発運転停止措置」を設定し、それを導く予見可能性を検討してきた。それ以外の防潮堤設置等の措置についての「事故結果を回避し得た」との主張は、具体的証拠に基づく立証がされなかったとして退けたのである。
 これに対し、東京地判令和4年7月13日※14は、株主代表訴訟である。東電の株主である原告らは、東電の取締役であった被告らにおいて、取締役としての任務懈怠(善管注意義務違反ないし法令違反行為)があり、これにより(因果関係)、本件事故が発生し、東電に22兆円の損害が生じたなどと主張し、会社法847条3項※15に基づき、同法423条1項※16の損害賠償請求として、被告らに対し、連帯して、損害金22兆円及びこれに対する遅延損害金を東電に支払うよう求め、それが認められた。
 争点は、刑事とほぼ同様、長期評価の見解及びこれに基づく計算結果が、原子力発電所を設置し、これを運転して電気事業の用に供している東電の取締役に対し、10m盤を超える津波の予見可能性を生じさせる(当該津波を想定した津波対策を義務付ける)信頼性のある知見であったといえるか否かであった。
 ただ、刑罰を科すか否かの決定作業においては、具体的結果回避措置を義務付けられるような情報として受け止めなければならないといえるまでの具体性や根拠を伴うものであったという十分な立証はなされていないという本決定の結論は、民事判例の存在を前提としても、説得的であるといえよう。

8.最後に、「刑事判例の評釈」としては、草野裁判官の補足意見に、触れておく。補足意見は「本事件において指定弁護士が設定した訴因(以下「本件訴因」という。)を前提とする限り、原判決を破棄すべき理由を見いだし難いことは法廷意見の述べるとおりであり、私もこれに賛同するものである。にもかかわらず、本件訴因とは異なる(ただし、公訴事実の同一性は認められる。)訴因を構成する諸事実に言及しつつ論を進めることは、あるいは贅言であるとの謗りを免れないかもしれない。しかしながら、本件事故がもたらした未曽有の惨事に思いを致すならば、国と東京電力を規律する法制度の内容を踏まえて、被告人らはいかなる行動をとるべきであったと考えられるのかを明徴とし、もって我が国の歴史に同様の悲劇が繰り返されることのないようにと腐心することは最高裁判所判事に託された職責の一部であると思える」として、「本件結果の発生との間に因果関係が認められる可能性があると考えられる本件報告義務(筆者注:平成20年津波試算を速やかに国に報告すべき義務)の懈怠を過失行為として犯罪の成否を論じる余地もあり得たのではないかと思われる。しかしながら、本件報告義務の懈怠が本件訴因に含まれないことは明らかであるから、第1審及び原審がこの点を審理の対象としなかったことが違法であるとは認められ」ないとした。
 刑事の裁判の補足意見として、多数意見の結論に賛成であり、訴因変更の必要もなかったと明言されておられるので、民事の損害賠償訴訟の展開への影響は予想し得べくもないが、刑事裁判は、これで確定したことがはっきりしたのである。


(掲載日 2025年3月18日)



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