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文献番号 2024WLJCC016
弁護士法人苗村法律事務所※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子
1.はじめに
本件は、昭和に始まり、令和に知的財産高等裁判所の判決が出された、長い歴史を持つという点に一つの特徴があるとともに、原告は、審査請求の段階から、冒認出願を主張しつつ、平成23年に導入された冒認出願特許の特許権の移転請求権を行使せず、他の特許要件の欠如も理由として無効を求めていたという点でも、興味深い事件であるが、証言や陳述の変遷が裁判所の判断を決めたように思える点で、通常の特許の審決取消訴訟とは少し違った展開になった事件で、珍しいものに思える。証言、主張の変遷が敗訴結果につながるという点で、私たち弁護士は最初の見立てが大事ということも教えられたように思う。
2.本判決の経緯
本件の特許そのものは、複雑な亀の甲が並ぶといった化学に関するものでも、読めないようなギリシャ文字を含む数式が並ぶといった難しいものでもない。化粧品のフェイスパウダーなど、顔に粉を塗布する際に用いられるパフと呼ばれる、長毛のベルベットのような布の中にスポンジが入っているものがあるが、その表面の布、本判決では立毛シートと呼ばれている布の製造方法に関するものである。
本件では、審判請求時には、特許を受ける権利を共有しているとして、原告とBが無効審判を請求していたが、審判の途中にBが死去して、その相続人らが全員相続放棄をしたため、すべての特許を受ける権利を原告が取得することとなった。その後、無効審判請求を不成立とする審決が出されたために、原告が知財高裁に審決の取消しを求めたのが本件訴訟である。ここまでは、被告の事件受任時の見極めは、当を得ていて、被告は、勝利したわけである。
原告は、審判時から、進歩性の欠如、明細書から請求項の実施が判然としないといういわゆるサポート要件の欠如のほか、新規性の欠如、冒認出願による無効を主張していたが、審決がいずれをも認めなかったのに対して、知財高裁は、このうち、一部の請求項についての新規性欠如と、全部について、冒認出願を認めて審決を取り消して、特許を無効とし、その他の主張については、必要なしとして判断していない。
3.冒認出願に基づく無効請求となった背景について
冒認出願については、真の権利者は、無効を求めることが出来るとともに(特許法123条1項6号※3)、平成23年改正で、特許権の移転請求権も認められるようになったが(同法74条
※4)、原告は、この移転請求の権利を行使しなかった。上述のとおり、様々な無効理由を述べていたこともあり、特許を無効にすることが原告にとっての優先順位だったのであろう。
知的財産に関して起こる様々な争訟において、俗に著作権や、不正競争防止法違反は、知的財産権の中でも家族法的な争訟となるような、人間関係が複雑に絡む場合が多いといわれるが、本件は、特許に関する事件であるにもかかわらず、本判決が、その理由中で経緯について紙面を割いて述べるとおり、その事件の機序が昭和に始まり、平成の間に様々なことが起こったということ、発明者と判決中で認定されるBと本件特許で発明者とされるA、特許権者である被告の代表者を長年勤めながら、退任後、原告の顧問となって、証言までしたCらの人間関係が、特許を無効にする新規性欠如や、冒認出願による無効主張につながったように感じられ、特許に関する事件でも、人間関係が作用するようなものもあることを実感した次第である。
4.本件特許
本件特許で問題となる化粧パフは顔というデリケートなところに使用されることから十分な柔軟性を保ちつつ、長毛であってもこの立毛部分の立毛性が保持されていることという二律背反的な課題があった。特許公報は、本件発明が解決しようとした課題として、「従来の繊維製品の製造技術に上記のような問題があったことに鑑みてなされたものであり、その目的とするところは、簡素な工程で、長めの立毛パイルであっても立毛性を確実に付与することができ、特に化粧用具の材料に適した立毛シートの製造方法を提供する」こととしている。
本件特許は、4つの請求項から成り立っている。請求項1で製造工程全般について、(適宜番号を振らせていただくが)、①熱可塑性のある一対の織物基布の間にパイル糸を織り込んでベルベット織組織の基材の製織工程と、②パイル糸をカットして2枚の立毛シートを形成する切断工程、③それをスチーマーで高温で蒸す工程、④ヒートセッターにより形態を安定させるプレセット工程、⑤立毛シートを洗浄する精錬工程、⑥染料で着色する工程、⑦脱水機により染料を脱水する工程と⑧熱風で乾燥させる工程を含む製造工程とされている。請求項2は、請求項1の③の蒸し工程についてスチーマー内で立毛シートを垂下させた状態で配置すること、請求項3は請求項1の⑧の乾燥工程についてタンブラーにより回転させること、請求項4は、請求項1の②の切断工程後のパイル糸の切断後の長さを織物基布から3~10mmの範囲で突出させることを特徴とする請求項1~3のいずれか一つに記載の立毛シートの製造方法というものである。
5.本判決の述べる無効理由(1)(請求項1の新規性欠如)
本判決は、請求項1の①~⑧の工程すべてが、平成23年ころには技術として確立しており、BがAとともに共同代表だった会社(S社と仮称する)が作成した加工工程等を記載した書面が、被告の営業所から取引先にファクシミリ送信されたほか、取引先、被告及びS社の従業員ら数名に守秘義務を負わせることなく配布されたとして、この時点で、請求項1の技術は公知になったと認定した。本判決には別紙が付されており、その別紙2がその際に送信又は交付された資料である。本判決は、別紙2と請求項1を比べて、使われている言葉は異なるものの、すべての工程が記されていたと判断したのである。確かに別紙2は、請求項1の全工程を示しているように見えなくもないが、この資料は特許庁の審判の段階ですでに請求人である原告から提出されていたもので、特許庁はこれ自体は、まだ試験前のもので、ブラシ工程を不要とする本件特許と異なり、テンターブラシ工程も書き込まれているから、工程が確立していたものではないとしてこの書面の外部への送付を以て新規性が失われたものではないとしていた。本判決は、別紙2と本件発明の類似点を詳細に述べてはいるが、この特許庁の審決の理由付けに正面から答えているようには思えない。本判決が新規性欠如を理由とした本件特許の無効の理由が妥当なものであったか、判決の事実認定だけからは判然としないとも思えるのである。
6.本判決の述べる無効理由(2)(請求項すべてに対する冒認出願)
そして、本判決は、請求項1~4のすべてについて、発明者はBであり、その権利の全部を保有することになった原告には、冒認出願であるとして本件発明の無効を主張することができるとした。発明者を、「発明の技術的思想の創作行為に現実に加担したものであって、課題の解決手段に係る発明の特徴的部分の完成に現実に関与した者をいう」と定義している。
Aは審決及び本件訴訟の両手続きで証言をしていて、本件発明のキーポイントは、蒸し工程で、その工程の後にヒートセット(プレセット)を加えることにたどり着いたという趣旨の証言をしていた。それまでは、短いパイル糸のベルベットに関するS社の染色工程には、蒸し工程及びプレセットが含まれておらず、長いパイル糸のベルベットが製造できなかったとの陳述書も提出していた。ところが、その後、被告は、S社が、本件特許発明の前にも長いパイル糸のベルベットを製造していたこと、その工程には蒸し工程が含まれていたが、プレセットが含まれていなかったと主張を変更し、その後、さらに、短いパイル糸の染色工程にも蒸し工程が含まれていたと主張を変えて、これに沿うAの陳述書を提出したと本判決は述べている。
これらの変遷に関し、本判決は、発明の課題そのものや発明の必要性、発明の創作過程に極めて大きな影響を与えるものであって、Aが発明者であれば、単なる記憶違いなどで、その内容が変遷することはあり得ないと、被告の主張、Aの証言、陳述の変遷を厳しく断じて、Aが本件特許の発明者だとは認めなかった。
Aが発明者でなかったとする本判決の理由は、Aや被告自身の主張が自己矛盾をはらむものとなった以上、賛同せざるをえない。
しかし、本判決が、請求項の1~4すべての発明について、Bが発明者だと認定したことについては、少し強引なように思われる。本判決は、本件各発明の特徴について、蒸し工程と乾燥工程の双方を用いることで高い立毛性を得ることにあり、乾燥工程に係る請求項3の発明については、タンブラー式乾燥機を用いることで、ブラッシング付き乾燥機を要しないものとなったとしている。Bは陳述書を提出したものの裁判前に死去していて、訴訟では証言していないので、この点、Bがタンブラー式乾燥機にすることで、ブラッシングが不要となったと考えていたかは本判決からは不明である。またタンブラーによる乾燥は以前から、S社で用いられていたと本判決は認定するのであるが、別紙2にタンブラーによる乾燥と記載されているわけでもなく、乾燥(ブラシ)と記載されているだけなので、請求項3がこの別紙2の作成時点で発明として完成していたといえるのか、そしてその発明者がBだといえるのかは判然としない。Cが証言しているのか、Bの陳述書に詳細な記載があるのかもしれないが、前項で述べた本判決の別紙2には、請求項2に該当する立毛シートを垂下させることに関する記述はなく、請求項2がこの段階で、発明として完成していたかはこの表だけからは不明である。請求項4については、被告が、Bの陳述書には、パイル長が2~3mmであったとあることから、短いパイル長に係る知見しかなかったと反論したのに対して、「切断工程後のパイル糸の長さを、織物基布から3~10mmの範囲に突出させる」というのが請求項の記述であるとして、Bの知見は、請求項4にも及ぶとした。Bの陳述書を見ていないのではっきりとはいえないが、Bがパイル、すなわちループ状態の長さを2~3mmと述べていたのか、切断後の長さを2~3mmと陳述していたのかはっきりしない。前者だとすると切断後は1~1.5mmになってしまうので、被告はその点を指摘していたのではないだろうか?
7.なぜこのような判断になったのか?
上述のとおり、本判決の新規性欠如の判断も、発明者がBであるとする冒認出願の点も、判決の理由は、あまり説得力がないように見える。なぜ、このような認定になったのだろうか?
本件のような審決取消訴訟で、発明者や新規性に関し、人証で、判断が決まる事件というのはあまりないのではないだろうか?通常事件でも、証人の証言前に、7割の事件では裁判所はいずれを勝訴させるか一定の心証を得ているといわれている。ましてや知的財産権にかかわる事件、しかも特許権に関する事件では、そもそも人証自体それほど多くなされるものではない。
本件では、審判でも証言していた本件特許の発明者とされたAに加え、Bの陳述書を支えるためと思われる、元被告代表者のCの証言もなされた。これらの人証において、Aの証言が、その後の被告の主張の変遷に伴い、陳述書という形でこちらも変更され、つじつまが合わなくなり、Aが発明者でないと本判決の裁判官が判断したことが、請求項1の新規性欠如、全項についてBが発明者だとの認定につながったのではないかと思われてしまう。
Aが発明者でないことそれ自体と、Bが発明者であったこと、そしてその発明が、別紙2に記載された書面が外部の者に開示されて新規性を失ったとされる平成21年までに完成していたかとは実は関連しない別のものである。別紙2の段階で、請求項1から4までの技術を、Bが自ら発明者として発明を完成していたとは、この別紙2だけからはわからないし、この別紙が第三者に開示されたことを以て、本件発明の新規性欠如となったとも認めにくいのはこれまでに述べたとおりである。Aの証言や被告の主張がなぜ変遷したのか、そもそもの事実関係のとらえ方が間違っていたのであれば、致し方ないが、この変遷で、裁判の結果が審決と異なってしまったという点で、かような事態を生じさせないよう、事件を受ける段階で、その方向性をしっかり見極めることの重要性(これは、実はとても難しいのだが)を教えられた気がする事件である。
(掲載日 2024年7月2日)