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文献番号 2024WLJCC014
広島大学法科大学院 教授
新井 誠
Ⅰ 事実の概要
老齢年金をめぐっては、長らく「物価スライド制」が導入されていた。その後、物価の下落があったにもかかわらず、平成12年、13年、14年の各年度は、「国民年金法による年金の額等の改定に関する法律」(物価スライド特例法)の制定により、平成11年度の額に据え置かれた。これにより老齢年金は、同特例法が適用されなかった場合の「本来水準」よりも高く支給される「特例水準」に基づく支払いが続くこととなった。その結果、平成14年度をベースに考えると「特例水準」と「本来水準」との間で約1.7%の乖離が生じた。
その後、平成16年の「国民年金法等の一部を改正する法律」(平成16年改正法)※2では、物価スライド制を廃止してマクロ経済スライド制を導入する一方、物価上昇によって本来水準が特例水準を超えるまでの間は、特例水準の支給を継続することとしていた。ところが、平成16年改正法の施行後も、物価の下落が続いたことから、平成23年度には特例水準が本来水準を2.5%上回っていた。そこで平成24年に国は、平成16年改正法の一部を改正する法律(平成24年改正法)※3を制定し、平成25年度、平成26年度に物価や賃金が上昇しない場合でも、特例水準は平成27年度の開始までに段階的に解消される措置が採られた(同法1条)。
こうしたことから第一審原告らは、平成24年改正法が憲法25条、29条等に反すると主張し、各自の老齢年金の減額処分の取消しを求めた。これについて大阪地裁※4は、第一審原告らの主張を一部棄却、一部却下し、その控訴審である大阪高裁※5は、控訴を棄却した。これについて上告されたのが本件である。
Ⅱ 判決の要旨※6
上告棄却
「平成24年改正法1条は特例水準を3年度にわたって段階的に解消するものであるところ、特例水準は、それが生じた経緯に照らし、当初から、将来的に解消されることが予定されていたものといえる。このような特例水準による年金額の給付を維持することは、賦課方式・・・・・・を基本とする制度の下で現役世代に本来の負担を超える負担を強いることとなり、また、現役世代が年金の給付を受けるようになった際の財源を圧迫することにもつながるものと考えられる。そして、平成24年改正法の制定時には、今後、我が国の少子高齢化の進展に伴い、現役世代の保険料や税の負担能力が更に減少する一方で、支給すべき老齢年金の総額が更に増加することが合理的に予測されていたものである」。
「これらの点に加え、特例水準の解消が、我が国における少子高齢化の進展が見込まれる中で、世代間の公平に配慮しながら・・・・・・財政の均衡を図りつつ年金制度を存続させていくための制度として合理性を有するものとして構築されたマクロ経済スライド制の適用の実現につながるものであることをも踏まえれば、特例水準によって給付の一時的な増額を受けた者について一律に特例水準を解消することは、賦課方式を基本とする我が国の年金制度における世代間の公平を図り、年金制度に対する信頼の低下を防止し、また、年金の財政的基盤の悪化を防ぎ、もって年金制度の持続可能性を確保するとの観点から不合理なものとはいえない」。
「以上によれば、立法府において上記のような措置をとったことが、著しく合理性を欠き、明らかに裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものであるということはできず、年金受給権に対する不合理な制約であるともいえ」ず、「本件部分は憲法25条、29条に違反するものとはいえない」。
「以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和51年(行ツ)第30号同57年7月7日大法廷判決・民集36巻7号1235頁、最高裁昭和48年(行ツ)第24号同53年7月12日大法廷判決・民集32巻5号946頁及び最高裁平成12年(オ)第1965号、同年(受)第1703号同14年2月13日大法廷判決・民集56巻2号331頁)の趣旨に徴して明らかである」。
「裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官三浦守、同尾島明の各補足意見がある」。
Ⅲ 検討
1.はじめに
日本では、長年にわたり賃金や物価が「右肩上がり」の成長を経験してきており、それに伴い人々に給付される年金等も、それと並行して基本的にはプラス水準で変動をしてきた。ところが、かような成長が落ち着きを見せたことにより、賃金や物価の上昇が見込めず、あわせて国の財政もひっ迫するなかで、生活保護や年金の引き下げがされることが増えてきた。こうしたことからか、このところ、このような問題にかかる額や基準の引き下げを止めようとする訴訟が目立ってきているように思われる。
本訴訟では、上告理由として平成24年改正法をめぐる3つの憲法違反が主張されているが、そのうちの憲法25条、29条の各違反にかかる部分が特に重要となる。もっとも、これらの規定について触れる最高裁の説示には、いささか不十分ではないかと思わせる箇所がある。
2.憲法25条論と憲法29条論の未分離
第1に、憲法25条、29条の各条項が定める諸権利は、それぞれの保障する保護領域や射程が異なるはずでありながら、本判決の論証では、それらが区別されずに審査が展開されていることである。
憲法25条2項や29条2項の規定を見てもわかるように、それぞれの諸権利は、国による何らかの作為(具体的には立法措置)を前提としていることが想像されやすいのかもしれない。もっとも憲法25条は一般的に生存権という社会権に関わる規定であることに加えて、その1項、2項の関係性をどのように見るのかについて考え方に一定の争いがある。例えば、「従来の学説は、1項の国民の権利と2項の国家の義務とは対になって同一の事項を規定していると捉えた」ものの、「1項と2項が異なる規範内容をもつとする点は、支持する学説が増えて」おり、「1項の権利が本来の(狭義の)生存権であるのに対して、2項の権利は広義の生存権(生活権)と呼ぶことができ」る※7といった言説があることがその一例である。かような生存権は、いずれにせよ、特に人々が一定の生活をできるようにするための最低限度の保障を確保するという意味において、最低ラインのベース確保のための権利としての性質を持ち合わせている。
他方、憲法29条に定める財産権は自由権に関わる規定でありながら、こちらも1項から3項までの各条項の関係をめぐる理解の仕方に一定の争いがある。こちらの場合、1項の規定が、制度的保障や既存財産保障の規定であるといった理解がなされることから、それに対する法律等による(不利益)変更が不当な財産権制限になるのではないかといった論点が示されてきた。
以上のような点からして、憲法25条と29条との保障の意味をめぐっては、それぞれ独自の理解がなされているはずであり、それぞれの「権利」が制限されるにあたって、それぞれの論理の作法に基づく論証が必要であろうかと思われる。しかし、本判決において最高裁は、こうした差異に言及していない。また、本判決のなかに示される「年金受給権」が、それらどちらの性質が強いものであるのかといったことについても明示的に触れるまでもなく「年金受給権に対する不合理な制約であるともいえない」ということを述べるのみである。本来であれば、本件で問題となる年金の減額をめぐっては、これを最低限度の生活保障の視点から評価すべきか、それとも本来であれば確保されるべき既得の財産的権利の不当な損失であると評価すべきか、という点によって、その審査の仕方も変わってくる可能性があったように思われる(この点、尾島明裁判官による補足意見は、憲法29条違反をいう「上告人らの主張の実質は、憲法25条違反の主張と大きく変わるところがない」と断言する)。
3.判断枠組みの未提示と先例との関係
第2に、本判決では、本件について審査するにあたっての憲法判断をするための判断枠組みが明示的には一切示されないまま、本件合憲性審査が行われたことである。
本判決は、最終的に「立法府において上記のような措置をとったことが、著しく合理性を欠き、明らかに裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものであるということはできず、年金受給権に対する不合理な制約であるともいえ」ないとして、合憲性の結論を導いている。その際に3つの先例をあげて、かような判断をしたことはそれら諸判決の「趣旨に徴して明らか」なことであるとしている。
この3つの先例を見ると、昭和57年判決(堀木訴訟)※8が憲法25条関連であるのに対して、昭和53年※9と平成14年※10の各判決が憲法29条関連である。このうち昭和57年判決は、審査をするにあたって「憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。」と述べており、本判決の「著しく合理性を欠き、明らかに裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したもの」ではないとする評価との対応関係が見られる。
他方で、昭和53年判決は、判断枠組みとして「法律でいつたん定められた財産権の内容を事後の法律で変更しても、それが公共の福祉に適合するようにされたものである限り、これをもつて違憲の立法ということができないことは明らかである。そして、右の変更が公共の福祉に適合するようにされたものであるかどうかは、いつたん定められた法律に基づく財産権の性質、その内容を変更する程度、及びこれを変更することによつて保護される公益の性質などを総合的に勘案し、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによつて、判断すべきである。」と示している。また、平成14年判決は、「財産権に対する規制が憲法29条2項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によって制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して判断すべきものである」と示している。後二者の(財産権関連)判例の判断枠組みに対応する評価部分を本判決で探そうとすれば、それは「年金受給権に対する不合理な制約であるともいえない」というところであろうか(その意味では、本稿上記2.の記述にかかわらず、「年金受給権」については財産権の問題として扱っているという推測が働くかもしれない)。
しかし、先例のどの点が、本件のどのような点において個別具体的に対応することが「趣旨に徴して明らか」なのかは、やはりわかりにくい。
4.内容審査の不十分さ―特に財産権との関係について
内容的な部分についてみると、本判決は、特例水準の解消につき、「年金制度における世代間の公平」性、「年金制度に対する信頼の低下」や「年金の財政的基盤の悪化」の防止、そして、「年金制度の持続可能性」の確保という、一般的には否定しがたい事情をもってそのまま本問題を合憲としている。もっとも、ここで本来審査をしてほしいことは、たとえば財産権侵害の視点からすれば、上記の平成14年判決にも示されているように、「その規制によって制限される財産権の種類、性質及び制限の程度」等から見た妥当性なのではないだろうか。特に本件が、長年にわたり得られることを前提として形成されてきた、ある種の既得(権)的、あるいは、その分の収入が高度に期待できる「財産」だったのであれば、財産権のなかでも、そうした種類のものであって、その制限の程度が甚だしいのかどうかの審査をすることが求められるであろうし、またそれが可能であったのではないかと思う。
他方で、憲法25条論でこの問題を検討しようとした場合に、近年では、判断過程審査や制度後退禁止原則といった議論の展開が期待されるところであるものの、本判決ではそうしたことについて(「国会に一定の裁量権が付与されている法律の規定の憲法適合性」審査では、判断過程審査〔の不十分さ〕が憲法適合性の議論を左右するわけではないとする上記尾島補足意見を除き)明示的に触れられていない。この点をめぐっては、生存権の視点から広い国の裁量論が展開される可能性が従前の判例等から見て高いことからも、なおさらのこと財産権の視点からの個別具体的な論証が、より見えてくるとよかったのではないか、と考える。
(掲載日 2024年6月11日)