判例コラム

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第318号 職種限定合意が存在する場合の配転命令の適法性  

~滋賀県福祉用具センター事件~
~~最高裁第二小法廷令和6年4月26日判決※1~~

文献番号 2024WLJCC012
明治大学 教授
野川 忍

1.はじめに
 本件は、配転命令の適法性が争われた事案であるが、一般的な労働契約の地位確認請求ではなく、損害賠償が請求された珍しい事案である。そのため最高裁も、本件配転命令に労働契約上の根拠がないことを示したうえで、債務不履行ないし不法行為の成否と損害額を確認させるために差し戻すという対応をとった。したがって、厳密には配転命令権行使の有効性を正面から検討しているわけではないが、職種限定の黙示の合意の存在を明確に認め、しかもそれを根拠に配転命令が違法であることを示した初めての最高裁判決として非常に大きな意義を有する。
 なお、本件は以下の通り、訓戒書撤回や人事制度の変更、第一審原告Xの罹患した適応障害など豊富な争点があるが、最高裁は配転命令の有効性についてのみ判断を示した。そこで以下においても、他の争点については必要に応じて限定的に触れるにとどめることとする。

    2.事件の概要
  1. (1)Xは、社会福祉法人であるYに平成15年4月から同31年3月末まで勤務していた労働者であり、主としてYの滋賀県立長寿社会福祉センター内にある滋賀県福祉用具センター(以下、「aセンター」とする。)において、主任技師として、福祉用具の改造・製作、技術の開発などの業務につき勤務してきた。
  2. (2)Xは平成21年にd支援センターの職員からの依頼でバスチェア台車を作成し、同年5月にも同じ寸法のバスチェア台車2台の作成を求められたが、Xは寸法の一部変更を主張し、変更せずに作成するよう求めたYからの指示も拒否したため、YはXに服務拒否理由書の提出を命じた。Xがこれを拒否し、その後もバスチェア台車の製作につき安全性に重大な欠陥があることなどを指摘して寸法変更を求め続けたため、平成21年7月にYの事務局長からXに対し訓戒書が交付された。これに対しXが所属するg組合が団体交渉で説明を求めたところ、Yは、就業規則上の懲戒処分には当たらないので異議申立手続きをとることはできないと説明し、Xは異議申立てを行うことができなかった。
  3. (3)その後もXは、バスチェア台車の作成を拒否し続け、平成22年にはストレス性障害で休養加療を要するとの診断を受けて休職を続けたため、Yは休職命令を発し、これは繰り返し更新されて平成25年1月31日まで継続した。Xはこの間、平成24年に2度にわたってバスチェア台車について静的安定性試験を要請した。これにつきg組合は、Xの休職期間中Xの復職に向けた交渉をYと続けたが、その中で本件aセンターで過去に製作されたバスチェア台車には安全性に問題があることが試験結果でも明らかになったことを説明し、上記訓戒書の撤回を求めたがYはこれを拒否し、組合による滋賀県労働委員会へのあっせん申請によるあっせんも不調に終わった。
     Xは結局平成25年2月にaセンターに復職した。
  4. (4)Yは平成28年度から賃金体系の変更を検討し、人事評価制度の導入を決定して、同30年に職員給与規程を改正した。
  5. (5)平成31年3月25日、Xはaセンターの技術職から総務課の施設管理担当に配転されることとなった。本件配転命令に関してYからXへの事前の打診はなかった。g組合は配転命令撤回を求めて団体交渉を行ったがYは撤回を拒否した。Yは平成31年度に人事評価制度に基づく人事評価を行い、Xについては5段階評価の最低ランクであるDに位置付け、Xの基本給は従前の月額35万9000円から35万6000円に引き下げられ、令和元年度はさらに6000円引き下げられた。Xは配転命令にも賃金の不利益変更にも納得ができなかったため、g組合が配転命令の撤回や不利益変更の説明などを求めて団体交渉を行ったがYはいずれも応じなかった。Xは令和元年8月21日付けで適応障害で休養加療を要するとの診断を受け、同年9月22日まで31日間の病気休暇届を出したが、同月23日以降もXはYで勤務していない。
  6. (6)こうした経緯を経て、Xは、Yに対し、繰り返し安全性に問題のある福祉用具の製作を求め、これを拒否したXに対し訓戒書を交付してその撤回にも応じなかったことが労働契約上の安全配慮義務違反であるとして債務不履行による損害賠償、YがXの復職後パワハラを繰り返したあげく本件配転命令を強行し、また新たな人事評価制度により基本給の減給という賃金の不利益変更を行ったことによりXが精神疾患を再発してYに勤務できない状態が続いたことにつき労働契約上の安全配慮義務違反または不法行為による損害賠償、本件配転命令はXとYとの間の職種限定合意に反するもので違法であるか、または権利濫用であるところ、これによりXが精神的苦痛を被ったことを理由とする配転法理に照らした労働契約違反による債務不履行または不法行為に基づく損害賠償、そして本件人事評価は不当であって違法無効であることを理由とする未払賃金の支払、それぞれを請求して訴えを提起した。

    3.原審までの判断
  1. (1)第一審※2はXの請求のうち人事評価がDとなったことについて人事権の濫用を認めてYに1万2000円の損害賠償を命じたが、それ以外の請求はすべて棄却し、本件配転命令について以下のように述べた。
     「XとYとの間には、Xの職種を技術者に限るとの書面による合意はない。しかしながら、・・・・・・Xが技術系の資格を数多く有していること、中でも溶接ができることを見込まれてb財団から勧誘を受け、機械技術者の募集に応じてb財団に採用されたこと、使用者がb財団からYに代わった後も含めて福祉用具の改造・製作、技術開発を行う技術者としての勤務を18年間にわたって続けていたことが認められるところ、かかる事実関係に加え、・・・・・・本件aセンターの指定管理者たるYが、福祉用具の改造・製作業務を外部委託化することは本来想定されておらず、かつ、・・・・・・上記の18年間の間、Xは、本件aセンターにおいて溶接のできる唯一の技術者であったことからすれば、Xを機械技術者以外の職種に就かせることはYも想定していなかったはずであるから、XとYとの間には、YがXを福祉用具の改造・製作、技術開発を行わせる技術者として就労させるとの黙示の職種限定合意があったものと認めるのが相当である。」
     「XとYとの間に黙示の職種限定合意は認められるものの、福祉用具の改造・製作をやめたことに伴ってXを解雇するという事態を回避するためには、Xを総務課の施設管理担当に配転することにも、業務上の必要性があるというべきであって、それが甘受すべき程度を超える不利益をXにもたらすものでなければ、権利濫用ということまではできないものと考える。
     [また、]・・・・・・施設管理担当の業務内容は、特別な技能や経験を必要とするものとは認められず、負荷も大きくないものということができるから、本件配転命令が甘受すべき程度を超える不利益をXにもたらすとまでは認められない。・・・・・・本件配転命令に、Xが主張するような不当な動機や目的があると認めるに足りる証拠はない。・・・・・・以上によれば、本件配転命令をもって権利の濫用ということはできず、本件配転命令が違法・無効ということもできない」。
  2. (2)原審である控訴審※3も、以下のように述べてXの控訴を棄却した。
     「本件配転命令は、Yにおける福祉用具改造・製作業務が廃止されることにより、技術職として職種を限定して採用されたXにつき、解雇もあり得る状況のもと、これを回避するためにされたものであるといえるし、その当時、本件事業場の総務課が欠員状態となっていたことやXがそれまでも見学者対応等の業務を行っていたこと・・・・・・からすれば、配転先が総務課であることについても合理的理由があるといえ、これによれば、本件配転命令に不当目的があるともいい難い。Xにとって、一貫して技術職として就労してきたことから事務職に従事することが心理的負荷となっていることなど、Xが主張する諸事情を考慮しても、本件配転命令が違法無効であるとはいえない。」

4.判旨の概要
 原審の判断を覆し、本件配転命令を違法とした。
 「労働者と使用者との間に当該労働者の職種や業務内容を特定のものに限定する旨の合意がある場合には、使用者は、当該労働者に対し、その個別的同意なしに当該合意に反する配置転換を命ずる権限を有しないと解される。・・・・・・[本件]事実関係等によれば、XとYとの間には、Xの職種及び業務内容を本件業務に係る技術職に限定する旨の本件合意があったというのであるから、Yは、Xに対し、その同意を得ることなく総務課施設管理担当への配置転換を命ずる権限をそもそも有していなかったものというほかない。そうすると、YがXに対してその同意を得ることなくした本件配転命令につき、Yが本件配転命令をする権限を有していたことを前提として、その濫用に当たらないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。・・・・・・以上によれば、この点に関する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中、不服申立ての範囲である本判決主文第1項記載の部分(本件損害賠償請求に係る部分)は破棄を免れない。そして、本件配転命令について不法行為を構成すると認めるに足りる事情の有無や、YがXの配置転換に関しXに対して負う雇用契約上の債務の内容及びその不履行の有無等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。」

    5.本判決の意義と展望
  1. (1)本件の特徴
     本件は、最高裁の判決内容のみをみれば、まさに職種限定合意の有無が問題となった典型的なケースのような印象を与えるが、事案の概要に明らかなように、実際には、XとYとの間に福祉用具の仕様について対立があり、さまざまな経緯を経て、訓戒書や人事評価における低査定という事態を生じたことが訴訟の背景にある。XY間における紛争の本来の争点は、Xが被った訓戒書交付や低査定に基づく賃金減額、及び休職の直接的原因となった精神疾患への罹患につきYに法的責任を問い得るか、であって、本件配転命令の適法性はそうした対立構図の一つの要素に過ぎない。第一審及び原審は、このような全体的構図を前提として、本件配転命令もXに対するYの苦心の対応と位置付けており、その法的評価に関して必ずしも適切な検討をしているとはいえない。本判決は、下級審判決のこの意味での不如意を的確に衝いている点に最大の意義があるといえるが、同時に、配転命令に対し損害賠償のみが請求されている場合の処理という課題を浮き彫りにしている点も注目される。

  2. (2)下級審判断の問題点
  3.  ① 職種を変更する配転命令の適法性については、労働契約において職種限定の合意があれば使用者は一方的に配転を命じることができないとの基本的なルールが確立している。労働契約締結時に明確に職種限定の合意がなされている場合はまれなので、ほとんどの場合、その採用から就労の経緯を踏まえて黙示の職種限定合意が認定されることとなる。このような事情から、専門性の高い職種に従事する労働者については職種限定合意が認められる例が少なくない※4。しかし裁判例は他方で、長期雇用システムが定着している場合における人員調整の必要性などから、長期間にわたって高度な技能や専門性の高い業務に従事していても、当該職種以外の職種への配転の可能性まで否定する合意は認定されないなどとして、配転命令権の存在そのものは認めることが多く※5、むしろ配転命令権濫用の有無に判断が傾注される傾向がみられる※6
     すなわち、本判決までの裁判例の流れにおいては、職種限定の合意は配転命令の有効性を否定する決定的条件ではなく、通常は配転命令権濫用の存否を判断するための要素である配転の必要性や配転によって被る労働者側の不利益などを総合して結論を導くという対応が一般化しつつあったといえる。これは、職種ごとに労働者を採用し、異動は通常想定しない人事慣行が基本であるドイツなどと異なり、そもそも労働契約締結の段階で明確な職種限定合意をすることがほとんどなく、しかも配転を通じて解雇を回避したり職種が変わることによる不利益を凌駕する利点が労働者にとっても認められることが少なくない日本において、実態に即した法的処理を行うための、それなりに妥当性を有する対応であったともいえる。
  4.  ② 本件の第一審及び原審も、この流れから理解することが可能である。すなわち、契約法理の原則からすれば、職種限定の合意があるならば、当該労働者が同意しない配転は、命令として行うことはできないはずであって、第一審及び原審のように、職種限定合意を認めつつ権利濫用の判断をするような対応は論理矛盾をきたしていると評価されるはずである。しかし、第一審も原審も、職種限定の合意を、Xの従事する業務の専門性や就労の経緯などから黙示の合意として認定しつつ、本件事実関係の全体を踏まえて、業務上の必要性や不当な目的の有無といった、配転命令権濫用を判断するための中心的要素として最高裁により確立された判断要素を検討して、結論として配転命令を有効とした。これらの判断は、本件職種限定合意があくまで黙示の合意であって、そこには将来にわたって配転はあり得ないという趣旨は含まれないとか、本件配転についてはそれを正当化する特段の事情が認められるなど、これまでの裁判例が積み重ねてきた判断手法を前提とし、かつ現場の実務感覚を踏まえれば、特に否定されるべきとはいえないとの評価も十分に導かれ得よう。逆にいえば、本件最高裁の判断は、こうした、いかにも現実的で説得力がありそうな判断基準を覆したことに最も重要な意義がある。

  5. (3)判旨の意義と展望
     最高裁の態度はきわめて明確であり、明示・黙示の別も問うことなく、「職種及び業務内容を本件業務に係る技術職に限定する旨の本件合意があったというのであるから、Yは、Xに対し、その同意を得ることなく総務課施設管理担当への配置転換を命ずる権限をそもそも有していなかったものというほかない」と断言して、原審や第一審が入念に検討した配転の必要性や労働者の不利益などの判断をしていない。この対応については、差し当たり以下の点を指摘することができよう。
     第一に、最高裁は、これまでの同種事案に対する裁判所の判断態度において、契約における合意の存否が必ずしも重視されることなく、結論を導くに当たっての、権利濫用判断のための要素などと併存する判断要素の一つであるような扱いがなされてきたことに歯止めをかける意図があったものと推察される。労働契約法がその1条からはじまって、労働契約の原則、成立、変更などについて繰り返し合意が柱であることを明記しているにも関わらず、合意原則は十分に機能しているとはいえない。それは、労働契約の締結の場面でも労働条件変更の局面でも、明示の合意がなされることはきわめてまれであるという実態からの必然的な帰結という面もあることは否定できないが、だからといって合意原則そのものが軽視されてよいということにはならない。最高裁の「断言」は、こうした傾向に対する警鐘としての意義を有する。
     第二に、周知のごとく日本の雇用社会は、21世紀になっても抜本的改革がみられず、高度成長期以来の長期雇用慣行に基づく「強大な人事権」がなお一般的に機能している。しかし、ジョブ型雇用の拡大と定着が見込まれる現在、雇用とはすなわち契約であり、合意によってその内容が決定されるという契約法理の原則がようやく現実的にも機能する段階にきている。最高裁の対応は、これに拍車をかける意義を十分に果たし得よう。
     他方で、あらためて検討されるべき課題も浮き彫りになっている。本件は、Xが配転命令による精神的苦痛を被ったことを根拠として債務不履行または不法行為による損害賠償を求めた事案である。最高裁が差戻審に求めているのは、「不法行為を構成すると認めるに足りる事情の有無や、YがXの配置転換に関しXに対して負う雇用契約上の債務の内容及びその不履行の有無」であるが、職種合意が認められ、配転命令権が否定されることを前提として、その場合に強行された配転命令がいかなる意味で不法行為を構成し、あるいはどのような債務不履行となり得るのか、またそこで生じ得る損害とは何なのかは、これまでほとんど正面から検討されてはこなかった。これは、まさに今後早急に判断基準が確立されるべき課題である。


(掲載日 2024年5月28日)



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