判例コラム

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第285号 東電原発事故刑事控訴審  

~東京高判令和5年1月18日-業務上過失致死傷被告事件※1

文献番号 2023WLJCC007
東京都立大学 名誉教授
前田 雅英

Ⅰ 判例のポイント
 本件業務上過失致死傷被告事件で問題とされた直接の被害は、地震をきっかけとする原子力発電所の爆発事故と事故収束作業により13名が傷害を負い、周辺の病院に入院していた患者や介護老人保健施設の入所者数百名が、長時間にわたる搬送及び待機を伴う避難を余儀なくされたために、そのうちの44名が死亡したというものである。しかし、冷却電源停止・炉心溶融からの爆発により生じた影響は、まさに莫大なものであり、東京電力の幹部の刑事責任は、社会的に注視されてきた。
 ただ本件は、検察庁が不起訴にした後、検察審査会の起訴議決によって指定弁護士が起訴したものである。重大な結果にもかかわらず、検察庁が不起訴を選択したことに示されているように、刑事責任を追及できるかは、「ギリギリ」の事案であったといってよい。
 しかし、本件原審である東京地判令和元年9月19日(判時2431=2432号5頁、WestlawJapan文献番号2019WLJPCA09196002)の無罪判断の後、本件でも被告人となった東電幹部に対し、連帯して22兆円の損害賠償を命じる民事判例が登場し(東京地判令和4年7月13日TKC25593168)、マスコミなどでも、刑事過失責任も問い得るのではないかとの論調がより多く見られるようになっていた。もとより、民事と刑事の判断が分かれることは、その法目的が異なる以上当然ではあるが、原発の爆発事故を防がなかった過失責任という意味では、両者は密接に重なり合っている。
 本件裁判の争点の核心部分は、平成14年7月に文科省地震調査研究推進本部が公表していた、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」という)が、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域において、マグニチュード8.2前後の地震が、今後30年以内の発生確率は20%程度で発生する可能性があるとしていたことが、被告人等の過失責任を認める根拠となり得るか、というものであったといってよい。

Ⅱ 事実の概要と原審の判断

  1.  本件公訴事実の要旨は以下のようなものであった。
     東京電力の代表取締役会長、同社フェロー等を務めた者、原子力・立地本部本部長等を務めた副社長の3名は、東京電力が設置した福島第一原子力発電所の原子炉施設及びその付属設備等が、想定される自然現象により、原子炉の安全性を損なうおそれがある場合には、防護措置等の適切な措置を講じるべき業務上の注意義務があったところ、本件発電所に小名浜港工事基準面から10mの高さ(O.P.+10m)の敷地(以下「10m盤」という)を超える津波が襲来し、その津波が非常用電源設備等があるタービン建屋等へ浸入することなどにより、電源が失われ、非常用電源設備や冷却設備等の機能が喪失し、原子炉の炉心に損傷を与え、ガス爆発等の事故が発生する可能性があることを予見できたのであるから、10m盤を超える津波の襲来によってタービン建屋等が浸水し、炉心損傷等によるガス爆発等の事故が発生することがないよう、防護措置等の適切な措置を講じることにより、これを未然に防止すべき業務上の注意義務があったのにこれを怠り、防護措置等の適切な措置を講じることなく、漫然と本件発電所の運転を継続した過失により、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に起因して襲来した津波が、10m盤上に設置されたタービン建屋等へ浸入したことなどにより、全交流電源等が喪失し、非常用電源設備や冷却設備等の機能を喪失させ、これによる原子炉の炉心損傷等により、発電所原子炉建屋2棟の水素ガス爆発等を惹起させて13名に傷害を負わせ、介護施設や病院からの避難を余儀なくさせるなどした被害者44名を死亡させた。
  2.  原審(令和元年9月19日判時2431=2432号5頁)は、被告人3名は、「長期評価」の存在を認識していたが、行為時の具体的事情を総合評価すると、本件発電所の運転停止措置を講じるべき結果回避義務を課すにふさわしい予見可能性は認められず、本件公訴事実について犯罪の証明はないとして、被告人らは無罪であるとした ※2
     無罪判決に対し、検察官に相当する指定弁護士は、「被告人らに対して運転停止措置を義務付けるに足りる本件発電所への10m盤を超える津波襲来の予見可能性が必要だとした上で、その予見可能性を認めなかったことなどにより被告人らの過失を否定した原判決には、事実誤認がある」として控訴した。

Ⅲ 判旨
 東京高裁は、「被告人らについて、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来することの予見可能性があったとは認められないとして、本件発電所の運転停止措置を講じるべき業務上の注意義務が認められないとした原判決の法的な評価も妥当であって、被告人らは無罪であるというその結論を、当裁判所も維持できるものと考える。」として控訴を棄却した。

  1.  まず、長期評価に基づく津波襲来の可能性の認識を、原審同様、詳細に検討する。
     東京高裁は「本件発電所に10m盤を超える津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報であったというまでの証明は不十分であるといわざるを得ない」とした。
     長期評価が、過去の大地震と「同様の地震」が福島県沖や茨城県沖の海溝寄りの領域においても発生する可能性があるという見解を示したことに対して、一般にこれを受け入れる素地が十分にあったとも考えられないとした上で、以下のように判示した。
     「長期評価の見解は、専門家委員らによる審議を経て取りまとめられたものであって、見過ごすことのできない重みを有するものであり、特に原子力発電所においては安全性が極めて重視されることを考えると、原子力発電所の設置、運転に携わる者らとしては、安全対策を行うについての技術・知識や理解力、地震関連分野の専門家との人脈等を含めたリソースを活用するなどして、見解の内容を慎重に見極めるべきであるとはいえる。しかし、長期評価の内容は、・・・・日本海溝寄りの領域に関しては、判断の結論だけで、一般に納得可能な明確性をもって理由が提示されているとはいい難く、その見解が特定の波源モデルを確定的に設定した上での津波評価による対策を要求していると解されるかどうかについては、その後の研究成果等も踏まえて検討する余地があると理解できる部分があったと言わざるを得ない」※3
     「長期評価の見解は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りを一つの領域とすることなどの点で、原子炉の安全性の審査等の内容に直接影響を及ぼすような性質の情報とは受け止められておらず、それと津波評価技術の手法を組み合わせて得られた計算結果等も現実の津波対策に資するに足りる根拠を備えるものと一般に期待されるような解析とは認め難く、長期評価の見解を確率論的に対策に反映させようとして得られた平成16年津波ハザード解析においても、数値自体が当時の目安からしても概ね許容範囲内に収まっていたといえることからすれば、長期評価や東京電力がそれに基づいて試算していた数値が、本件発電所の10m盤を超える津波の襲来についての現実的な可能性を認識させるような性質の情報であったというには疑いが残り、証明は不十分であるといわざるを得ない」※4
     そして、被告人らは、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来する現実的な可能性を認識していたとは認められないと認定し、このような状況下で、被告人らに対して、いわゆる「情報収集義務」の名のもと更に注意義務があったとすることは、被告人らあるいは被告人らの指示等により東京電力が、長期評価自体が示している以上に、その見解の裏付けを探究し、土木学会等での議論よりも先に長期評価の見解を現実的な津波評価に活用できる方策を整備せよというに等しいものと考えられるとした※5
  2.  次に、本件の「発電所の運転を停止すべき義務」と予見可能性・予見義務について、以下のように判示する。
     「過失における結果回避可能性ないし結果回避義務は、義務を負うべき者に対して結果発生を回避すべき具体的な措置を義務付けるものであるから、それに対応する予見可能性ないし予見義務もそのような具体的な結果回避措置との関係で論じられるべきであるという原判決の判断は正当である。」
     そして、「電力事業者は、市民にとって最重要ともいえるインフラを支えており、原判決も指摘するとおり、法律上の電力供給義務を負っていて、・・・・本件発電所の運転を停止することによって、少なくとも中期的に地域への電力の安定供給に関するリスクを生じさせ、住民の生命身体を危険にさらしたり、財産、生活、経済等に悪影響を及ぼさないかどうかは慎重に考えなければならず、漠然とした理由に基づいて本件発電所の運転を停止することはできない立場にあるといえる」とし※6、「長期評価その他の本件に関わる一連の経緯をもってしても、本件発電所の運転を停止すべき義務に応じる予見義務を負わせることのできる事情が存在したとは認められず、この点に関する原判決の判断は相当である」と判示した。
  3.  その上で、防潮堤等設置義務等の運転停止義務以外の結果回避義務について検討する。
     指定弁護士は、 防潮堤を設置したり、代替機器を浸水のおそれがない高台に準備するという措置をあらかじめ講じておけば、本件事故の結果は回避することができたという主張も論告で行っている。しかし、本件地震前にはそのような対策を立てることを可能とする知見があったとは認められず※7、「この主張は、事後的に得られた本件地震に関する情報や知見を前提として本件事故の回避可能性を論じているとしか解せず、被告人らの責任を論じる上で到底採用し難い」とし、「過失責任の原則から、予見された結果以上の危険を回避する義務を課することができない」と判示した※8
     指定弁護士は、原審が、結果回避義務は運転停止措置を講じることに尽きるとし、運転中止を義務付けるに足るだけの予見可能性の有無に絞って判断を示した点に関し、本件で必要な予見可能性は、防潮堤等設置等の措置を義務付けるに足りるもので十分で、原審の予見可能性の有無の判断に誤りがあると主張していることに対し、東京高裁は、指定弁護士は、原審公判前整理手続の争点整理において、「防潮堤等設置等の措置を講じて完了させることで本件事故を回避できたと主張する予定はなく、これらの措置の完了までの期間・・・・運転停止措置を講じるべきであったと主張していた。このような主張ぶりを踏まえると、原判決が、本件発電所の運転停止義務を課すにふさわしい予見可能性を認めることができるかが本件の核心であり、判断を示すべき争点であると捉えたことは当然である」とした。そして、防潮堤設置などの措置を講じ終えるまで、原子力発電所の運転を停止することにより、本件事故の結果を回避できたなどの議論は、「後知恵による本件事故の回避可能性を論じていることが明らかであるから、防潮堤等設置等の措置に関する主張を取り上げなかった原審の判断の在り方は不相当とはいえない」と判示した。
  4.  指定弁護士は、原審が長期評価は、客観的合理的に信頼性、具体性に欠けると評価したことは妥当でないと主張するが※9、「原判決が長期評価の『信頼性』について論じている趣旨は、・・・・我が国有数の関連分野の専門家が審議の末出した結論に信用が置けないということではなく、長期評価が示した見解の内容が、結果の予見を義務付け、これによらなければ業務上過失罪が成立するというに足りるまでの十分な根拠、データの裏付け等を伴うような性質の情報であった、ということについて合理的な疑いを超える証明がなされたといえるかどうかについての判断であると解される。情報の性質の問題である以上、どのように理解するべきかについて、異論を含めたそれまでの議論の内容や性質も考慮すべきことは当然といえる。」
     「国に設置された機関が、・・・・〔地震が〕発生する可能性があるという見解を示した以上、長期評価を否定する側に証拠が必要であるとして、立証責任を転換するような見方をすることは、刑事訴訟においてはもとよりできず、・・・・長期評価が、原子力発電所の設計津波水位を評価する上で、対策を義務付けられるような波源を提示するという性質を有する情報として受け止めなければならないといえるまでの具体性や根拠を伴うものであったという指定弁護士の立証が不十分であると判断される」と判示した。
     そして、「事後的に結果が一致する部分があったからといって、本件地震当時までの時点において、長期評価の見解に上記のような意味での具体性や根拠が備わっていたという評価には結び付かず、これを前提に津波を予見すべきことを示す論拠とはならない」※10
     東京高裁は、結論として、被告人らに本件の注意義務があったとは認められず、被告人らを無罪とした原判決に事実誤認はないというべきであり、本件控訴には理由がないから、刑訴法396条によりいずれも棄却するとした。

Ⅳ コメント

  1.  東日本大震災とそれに起因する東電福島原発事故は、「歴史的な出来事」であり、それにより、特に原発事故の危険性が強く認識され、その刑事過失責任についても、従来の判例の基準が動くのではないかという見方も有力化してきていた(古川元晴・船山泰範『福島原発、裁かれないでいいのか』朝日新書、2015年)。ただ、検察審査会を経た起訴に対して原判決が、基本的には、従来の判例の過失判断枠組み・規範的評価を採用して無罪判決を言い渡したことにより、過失判断には、大きな変化をもたらさなかったように思われたのである。ところが昨年、東京地裁民事部が東電幹部に巨額の損害賠償を命じた民事判例が登場し、本判決が注目されたのである。
     そして、無罪判決に対して消極的評価のマスコミがかなり見られた。たとえば、「市民の判断で強制起訴された東京電力旧経営陣3人の公判は、無罪判決が維持された。検察官役となった弁護士らは、福島第一原発事故後の原発政策を転換した政府への『忖度(そんたく)』を指摘。事故から12年がたとうとする中、今も避難生活を続ける被災者からは怒りの声が上がった」というようなものである(東京新聞 2023/1/19)。
  2.  第二次世界大戦後の日本の過失論は、戦前の過失犯論から転換して、新過失論が有力化した。①過失犯は、違法性のレベルで故意犯と異なるとし、②結果予見可能性中心の過失概念を結果回避義務(客観的注意義務)中心に変更すべきとした(前田雅英『刑法総論講義〔第7版〕』(東京大学出版会、2019年)209頁)。
     ただ、新過失論の実質的特色は、経済活動の発展、とりわけ自動車運転行為等の社会的有用性を重視して、結果回避義務を緩やかに設定することにより、過失の処罰範囲を限定することにあったといってよい(それを、端的に表現したのが19世紀末以来ドイツで主張された許された危険の考え方である)。安全施策も、経済的・経営的を衡量して、合格最低限の回避措置さえ尽くせば十分であるとされた(藤木英雄『過失犯の理論』(有信堂、1969年)60頁参照)。
  3.  昭和40年代に入ると我が国の過失犯論は、再び大きく方向を転換する。公害犯罪などの多発状況を背景に、新過失論の目指した過失犯処罰の限定とは真逆の過失処罰拡大の動きが生じ、新新過失論(不安感説・危惧感説)と呼ばれていく。
     このような動きを象徴し、かつこのような動きの原因ともなったのが、森永ヒ素ミルク事件であった。ヒ素を含んだ薬品を添加した粉乳を製造し多数の乳児を死傷させたという事件で、徳島地判昭和38年10月25日(判時356号7頁、WestlawJapan文献番号1963WLJPCA10250005)は、新過失論的視点から、薬問屋を信頼してよいなどの理由を挙げて、工場長などの過失責任を否定したのに対し、控訴審(高松高判昭和41年3月31日高刑集19巻2号136頁、WestlawJapan文献番号1966WLJPCA03310021)は、商取引においては注文と異なるものが納入されることがあり得ることを一つの根拠とし、「食品添加物以外の他の目的に使用されるために製造したものを・・・・食品に添加する場合・・・・において、右薬品を使用する者が一抹の不安を感ずる・・・・筈である。この不安感こそ、まさに本件で問題になっている危険の予見に外ならない」とし、この判旨を発展させ不安感説が完成する(藤木・前掲『過失犯の理論』183頁)。
  4.  処罰範囲は社会状況・規範意識の変化に伴って、微妙に変化する。我が国の戦後の過失論は、まさに社会・国民の規範意識の変化を見事に投影したものであった。基本的には、①行為の担っている価値※11、②予想される被害の重大性と、③被害発生の予見可能性の程度と、④国民が求める結果回避義務の高度さ等を総合して衡量される(比例原則)。この比較衡量の結論は、国民の規範意識に従って動いていく。船山教授の指摘される「市民の目線」も重要なのである。
     この比較衡量を「いかに理論化するか」は重要ではない。理論は、整理しやすく使いやすいものであればよいのである。
  5.  過失とは、注意義務に違反して犯罪を実行する場合で、意識を集中していれば結果が予見でき、それに基づいて結果の発生を回避し得たのに、集中を欠いたため結果予見義務を果たさず、結果を回避し得なかった場合である。そして注意義務を構成する、結果予見義務と結果回避義務の関係については、本件原審が判示したように、「過失における結果回避可能性ないし結果回避義務は、義務を負うべき者に対して結果発生を回避すべき具体的な措置を義務付けるものであるから、それに対応する予見可能性ないし予見義務もそのような具体的な結果回避措置との関係で論じられるべきである」といえる(最二小決平成29年6月12日刑集71巻5号315頁、WestlawJapan文献番号2017WLJPCA06129001※12。本判決も、その判断をそのまま採用している※13
  6.  そして、本判決は、結果回避義務として「原発運転停止措置」を設定し、それ以外の防潮堤設置などの措置を講じていれば、本件事故結果を回避し得たとの主張は、具体的証拠に基づく立証がされなかったとして退けた(この点が、民事の東京地判令和4年7月13日との大きな差異である。ただ、後述の様に、民事と刑事では、事実の認定の仕方が異なることに注意しなければならない)。
     その上で、「発電所の運転を停止することによって、少なくとも中期的に地域への電力の安定供給に関するリスクを生じさせ、住民の生命身体を危険にさらしたり、財産、生活、経済等に悪影響を及ぼさないかどうかは慎重に考えなければなら」ないとし、「漠然とした理由に基づいて本件発電所の運転を停止することはできない立場にある」としたのである。
  7.  本件の争点は、「長期評価の認識」が、刑事過失を基礎付けるだけの予見可能性をもたらすかにある。高裁の認定に依れば、「原発運転停止措置」を要請するだけのものと解し得るかにある。
     この点に関し、東京高裁は、「長期評価」は、「原子力発電所の設置、運転に携わる者らとしては、安全対策を行うについての技術・知識や理解力、地震関連分野の専門家との人脈等を含めたリソースを活用するなどして、見解の内容を慎重に見極めるべきであるとはいえる。しかし、長期評価の内容は、・・・・日本海溝寄りの領域に関しては、判断の結論だけで、一般に納得可能な明確性をもって理由が提示されているとはいい難く、その見解が特定の波源モデルを確定的に設定した上での津波評価による対策を要求していると解されるかどうかについては、その後の研究成果等も踏まえて検討する余地があると理解できる部分があったと言わざるを得ない」と結論付けたのである。「長期評価が示した見解の内容が、結果の予見を義務付け、これによらなければ業務上過失罪が成立するというに足りるまでの十分な根拠、データの裏付け等を伴うような性質の情報」であったかについて、合理的な疑いを超える証明が必要だとする立論は、十分に説得性のあるものといえよう。
  8.  指定弁護士が、津波襲来可能性の根拠の信頼性、具体性の程度の判断は、純粋に科学的に行うべきで、社会通念を持ち出すべきではなく、たとえ社会通念を持ち出すにしても、原子力発電所に対して絶対的な安全性を求める国民全体の素朴な意識を取り上げるべきであり、最新の科学的、専門的知見を踏まえて合理的に予測される自然災害であれば、原子炉内の放射性物質が外部の環境に放出されることは絶対にないというレベルの極めて高度の安全性を求めているというべきであり、電力供給義務や運転停止措置の困難性を過度に強調した点には誤りがあると主張したのに対し、東京高裁は、「刑事責任を負わせる前提としての予見・回避義務を負わせるべき情報であったといえるかどうかの判断が科学的に決まるものであるという前提も採用できない。・・・・本件地震前には、本件発電所に関して10m盤を超える津波についての対策を検討すべき具体的な波源モデルを提供できる他の知見の成熟があったとも認められない」と判示した。自然科学からは、「結果回避義務を課するだけの程度の発生確率」というものは導けないし、発生確率だけではなく、地域住民の生命の安全にも関わる電力停止の効果なども勘案されなければならない。まさに規範的評価なのである。
  9.  危惧感説が、「専門家が少しでも危険性を指摘している以上、原発は停止すべきである」という説であるならば、明確に誤った理論である。単に「処罰を拡げるほど正しい」という裸の価値判断と大差ない。道路交通の円滑化の為には、この程度の違反は無罪とすべきだというのも、そしてさらには、刑罰謙抑主義から、「過失処罰は限定すべきだ」とするのも「裸の価値主張」に近い。
     危惧感説を採用したとされる森永ヒ素ミルク事件第2審(高松高判昭和41年3月31日高刑19巻2号136頁)に対し、具体的予見可能性を要求しないのは判例違反であるとする上告を受けた最高裁は、「原判決は、死傷の結果の発生について予見可能性が不要だと判示しているのではなく、・・・・、単に第二燐酸ソーダという注文によっては、右砒素含有率の高い薬品がまぎれ込む危険の予見可能性があることを判示したものであ」るとしているのである(最一小判昭和44年2月27日判タ232号168頁、WestlawJapan文献番号1969WLJPCA02270021)。すなわち、第2審も「具体的予見可能性」を認定しているのであり、最高裁も予見可能性に関する態度は変更しないと判示したといえる。
  10. 10 判例は、過失犯の具体的な処罰範囲を、どの程度「具体的な結果」の予見可能性まで要求するかという形で塩梅するとともに、予見可能性を「可能な結果回避措置との相関」で考えてきた。そして、で述べた総合的評価抜きに、注意義務違反は認定できない。そもそも、衡量の基礎となる様々な専門家の意見の内のいずれを重視すべきかも、当時の被告人の立場に立って、情報の入手容易性の状況を、「立場に基づく情報アクセス義務」含め、証拠に基づいて認定しなければならない。原審・本判決ともに、それらの作業をきちんと行っているように思われる。
  11. 11 これに対し、東京地判令和4年7月13日は、株主代表訴訟である。東京電力の株主である原告らは、東京電力の取締役であった被告らにおいて、取締役としての任務懈怠(善管注意義務違反ないし法令違反行為)があり、これにより(因果関係)、本件事故が発生し、東京電力に22兆円の損害が生じたなどと主張し、会社法847条3項に基づき、同法423条1項の損害賠償請求として、被告らに対し、連帯して、損害金22兆円及びこれに対する遅延損害金を東京電力に支払うよう求め、それが認められた。
     争点は、刑事とほぼ同様、長期評価の見解及びこれに基づく計算結果が、原子力発電所を設置し、これを運転して電気事業の用に供している東京電力の取締役に対し、10m盤を超える津波の予見可能性を生じさせる(当該津波を想定した津波対策を義務付ける)信頼性のある知見であったといえるか否かであった。
  12. 12 そして、長期評価の見解の信頼性について、地震本部が、国として一元的に地震の評価をなすことを目的として設置された機関の慎重な議論を経たものであり、取りまとめたメンバーとして、地震分野の全体を網羅したトップレベルの地震及び津波の研究者が集められていたことなどから、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有する知見であったというべきであるとした。
     そこで、理学的に見て著しく不合理であるにもかかわらず取りまとめられたなどの特段の事情のない限り、相応の科学的信頼性を有する知見として、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、当該知見に基づく津波対策を講ずることを義務付けられ、電源喪失といった過酷事故に至る事態が生じないための最低限のいわば弥縫策としての津波対策を速やかに実施するよう指示等をすべき取締役としての善管注意義務があったというべきであると結論付けた。
  13. 13 「最低限のいわば弥縫策としての津波対策」の実施指示を重視している点に、刑事判決と最も異なる点が認められる。刑事裁判では、「後知恵による事故の回避可能性」として退けられている部分である。この点や、科学的判断の重視の点を含め、民事控訴審での判断を見守る必要がある。
     ただ、刑罰を科すか否かの決定作業においては、国家機関が地震可能性があるという見解を示した以上、長期評価を否定する側に立証責任を転換するようなことは、現行の刑事訴訟においてはあり得ないことは確認しておかねばならない。具体的結果回避措置を義務付けられるような情報として受け止めなければならないといえるまでの具体性や根拠を伴うものであったという十分な立証はなされていないという本判決の結論は、民事判例の存在を前提としても、説得的であるといえよう。

(掲載日 2023年3月28日)

  • 本判決は、東京高判令和5年1月18日WestlawJapan文献番号2023WLJPCA01189004を参照。
  • 川本哲郎・判評742号13頁(判時2461号143頁)、海渡雄一・法と民主主義542号38頁、帯向琢磨=谷井悟司=山本紘之・大東文化大学法学研究所報(別冊)28号3頁(シンポジウム)、稲垣悠一・専修法学論集139号237頁参照。
  • 「実際、東京電力土木グループ等は、平成18年に改訂された耐震設計審査指針に基づく耐震バックチェックの検討を進める中で、長期評価の見解を取り込まなければ審査を通過できないのではないかと考えていたものの、原審における関係証言を総合すると、それは、国に設けられた地震本部の見解である以上審査において重視されるであろうと受け止めていたからであって、1896年の明治三陸地震と同様の波源となり得る事象が福島県沖の海溝寄りで発生する可能性があるという見方が、具体的な根拠を伴う現実性のある想定として捉えられていたとはうかがわれない」ともしている。
  • さらに、長期評価以外の知見等についてみても、本件地震前に本件発電所へ10m盤を超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させるに足りる成熟したものが存在したとは認められないと判示した。
  • 指定弁護士が、被告人らは、土木学会に長期評価の見解の取扱いについて検討を委ねた以上、その検討状況を注視し、積極的に情報を収集する義務があったのであり、土木学会の検討状況について情報を収集していれば、長期評価の見解の科学的な信頼性、具体性を認識できたと主張し、JR福知山線脱線事故最高裁決定の事案とは異なり、被告人らは、自然災害による事故に対し、自らの所管事項であるにもかかわらず何らの対策も立てなかったのであるから、同決定の示す枠組みによって予見可能性を否定することはできないとしたのに対し、東京高裁は、「専門家による研究を委託するという指示をした以上に、被告人らにおいて更なる情報収集を行い又は命じるべき状況であったとは認められないし、後知恵によるバイアスを排除し、当時の地震、津波をめぐる種々の知見の状況を前提にしながら考えて、そのような情報収集を行っていれば本件事故を防ぐことができたはずであるという具体的な道筋があったという立証ができているわけでもない」とし、被告人らに情報収集義務があったという主張も採用できないとした。
  • 原子力発電所の設置及び運転等については、その安全性が極めて重視されることから、原子炉等規制法をはじめとする法規により規制の対象となっており、我が国における原子力発電所の安全性は、これらの法律等及びそれに基づく行政を通じて確保する枠組みが重視されているものというべきであり、上記原子力安全委員会安全目標専門部会の報告、保安院の動向、原判決の指摘する同様の規制下にあった他の事業者の対策状況等は、本件当時において、原子力事業者が原子力発電所の安全性について確保すべきとされる水準を判断するための重要な考慮要素になるものと考えられる。
  • 「最善の形で防潮堤を設置した場合には、今回の津波の陸上からの越流はかなり止められたと考えられるという指摘やシミュレーション結果もあるが、本件地震と同様の地震が発生することが分かっていたことを前提とする対策といわざるを得ないことから、これをもってしても被告人らがそのような手段を講じることができたという証明がされたとみることはできない。」
     「指定弁護士が主張していたとおり、本件注意義務違反を認定するために、本件事故に至る因果的経過の逐一までが立証される必要はないが、回避義務として主張されている内容が①~④のような具体的な措置である以上、それらがどのような危険を防止できたかといった基本的な因果関係は立証される必要があると考えられる。・・・・本件においては、事後的な観点からこのような対策が講じられていれば本件事故を防げたとされる知見・技術を、そのような観点を欠く本件地震までの時点において、どのようにすれば獲得できたはずであるのかという経緯、道筋についても明らかにされていないといわざるを得ない。」
  • 「指定弁護士の主張は、結果的に本件事故を防げない対策工事をしている間、本件発電所の運転を停止しなければならないというものであることになり、したがって、前提において採用できない主張であるといわざるを得ない」ともしている。
  • その根拠は、以下のようにまとめることができる。
    1. ア 長期評価は、国の統一的見解としての信頼性があり、裁判所は、その信頼性に疑義を抱かせる特段の事情が認められるか否かという枠組みで判断すべきである。
    2. イ 長期評価は、具体的な根拠を示していないという原判決の認定は誤りである。
    3. ウ 長期評価と異なる見解を有する地震学や津波工学の専門家は、長期評価を明確に批判することはなく、他に科学的に有効な批判もなかった。
    4. エ 長期評価は、津波地震の発生領域の評価の信頼度がCとされたことも、広い領域内のどこで起きるか場所を特定できないことを意味するに過ぎず、発生領域自体が信用できないことを意味するものではない。
    5. オ 中央防災会議や地方自治体が防災計画に長期評価の見解を取り込んでいないのは、一般防災を対象にしたものであるからに過ぎない。
    6. カ 津波ハザード解析の結果や原子力発電所における津波に対する確率論的リスク評価は、長期評価の信頼性に影響を与えることはない。
  • さらに、「長期評価に対して地震本部における各部会や学会において明確な批判がなかったという指摘についても、・・・・長期評価自体が、積極的な裏付けがあるというよりは、可能性が否定できないという消極的な意味での判断を行ったように受け止められる内容であったことからすれば、それをもって、10m盤を超える津波襲来の予見可能性ないし予見義務を根拠付けるに足りる情報であったという主張を支える事情とはいえない。」
     「原判決が指摘するように、本件地震前は、ドライサイトの考え方、つまり、原子力発電所の主要施設に津波が及ばないようにすることを中心とする対策の発想が主流を占め、これを基本として原子力発電所の設計等がなされていたことから、本件発電所において10m盤を超える津波の襲来は、そのまま炉心損傷や格納容器機能喪失に結び付きかねないとも考えられるが、東電設計の上記試算による津波高さO.P.+10mの年超過確率の数値は、原子力安全委員会安全目標専門部会が示した炉心損傷頻度及び格納容器機能喪失頻度をやや下回っており、この面からも被告人らに対し、本件発電所の運転停止措置等を講ずるよう義務を課すに足りる根拠があったとはいえない」としている。
  • 東京地判平成13年3月28日(判時1763号17頁、WestlawJapan文献番号2001WLJPCA03280014)は、血友病治療のためHIV感染のおそれのある薬剤の投与を継続させ、エイズの症状を発症させ死亡させた事案に関し、当該薬剤は、止血効果に優れ副作用が少ない等の長所があるのに対し、代替薬品は血友病治療に少なからぬ支障を生じ、その入手も困難であったので、当該薬剤の投与を中止しなかったことに結果回避義務違反があったとはいえないとした。
  • JR福知山線事故上告審決定である。小貫芳信裁判官補足意見で、「どの程度の予見可能性があれば過失が認められるかは、個々の具体的な事実関係に応じ、問われている注意義務ないし結果回避義務との関係で相対的に判断されるべきものであろう」としている。
  • 本判決は、予見可能性の対象を「結果」と明示し、「危険の予見可能性」は問題としていない。たしかに、結果の予見可能性以外に、「危険の予見可能性」を認定することは、実務上、現実的ではない(前田雅英・前述225頁以下(中間項の理論)参照)。


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