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文献番号2022WLJCC024
金沢大学 教授
大友 信秀
1.本件を紹介する理由
700年以上続く八丁味噌製造業者であるまるや八丁味噌が、地理的表示保護を受けられないとの結論を裁判所が認めた。八丁味噌という地理的表示の登録生産者団体は、これにより、まるや八丁味噌を除く団体となることが確定した。同団体が申請し、登録された地理的表示保護の条件は、700年近く続く八丁味噌の製造方法とは明らかに異なる条件であるにも関わらず農林水産省によって認められた。
なぜ、このようなことが起こったのか、そして、今後、本件のように事業者の利益を害する官庁の権限行使を防止するためにはどうすれば良いのかを考える重要な機会であるため、本件を紹介する。
2.本件に至る経緯
700年以上続く八丁味噌製造業者であるまるや八丁味噌(以下、本件原告という。)が、自身を含む組合である八丁味噌協同組合(以下、八丁組合という。)により地理的表示法に基づき、生産地を「愛知県岡崎市八帖町」とする豆味噌について、名称を「八丁味噌」とする登録の申請をしたが、その後、農林水産省から生産地を岡崎市外に広げ、愛知県全域に広げるよう要請され、これに従えないことを理由に同申請を取り下げた。
その取り下げ後になされた、八丁味噌協同組合を含まない愛知県味噌溜醤油工業協同組合(以下、県組合という。)による「八丁味噌」に対する地理的表示保護の申請が平成29年12月15日に登録され(以下、本件処分という。)、平成30年3月14日に、八丁組合が同登録に対して地理的表示法13条1項4号イに該当する登録拒否事由を看過した違法があるなどとして審査請求をした(以下、本件審査請求という。)。
令和3年3月19日に、農林水産大臣が本件審査請求を棄却する裁決(以下、本件裁決という。)をしたため、本件原告が、令和3年9月17日に、本件処分の取消しを求める本件訴えを提起した。
3.本件判決
本件判決は、令和3年9月17日になされた本件原告による本件訴えの提起が、本件処分を本件原告が知った平成29年12月16日から6か月を経過してなされたものであるため、行政訴訟法14条1項本文の出訴期間を経過しており、同項ただし書にいう「正当な理由」もないとして、訴えを却下した。
4.本件の構造
(1) 形式
本件訴えは、平成29年12月15日になされた本件処分の取消しを求めるものであるため、令和3年9月17日になされた本件訴えの提起は、出訴期間である6か月を徒過したものであるとした。しかしながら、本件処分に対しては、八丁組合によって本件審査請求がなされ、同請求を棄却する本件裁決が下されたのは令和3年3月19日であった。
本件訴えの提起が八丁組合によるものであれば、形式的要件を満たしていたところ、八丁組合の構成員の一人である本件原告が組合としてではなく単独で行ったものであるため、本件判決は、八丁組合と本件原告を別人格として結論を下した。
本件原告は、本件裁決後に、八丁組合の構成員のうち1社が本件訴え提起に消極的であった等の「正当事由」を主張しているが、このような事情を「正当事由」としなかった本件判決の判断は、手続きについて中立、公平、安定が求められる司法手続きのあり方から、これを不適当ということはできないであろう。
本件原告を責めることはできないが、このような事態に対処するためにも、複数当事者が関わる手続きでは、万が一を考え、二重三重に将来を予想して対応しておくことの重要性を本件は示している。
(2) 実質
本件判決が扱うことはなかったが、本件から学ぶべきことは、却下の理由となった出訴期間徒過の問題ではなく、実質的に、なぜ、このような事件が生じたか、という本件の本案についてである。
本件は、地理的表示保護に関して、八丁組合が求めた地理的範囲及び製造方法という地理的表示である「八丁味噌」を特定する条件が、農林水産省によって認められなかったことに起因する。その結果、県組合を対象とする登録では、地理的範囲は八丁組合が求めた岡崎市より格段に広い愛知県とされ、製造方法も、八丁組合が求めた伝統的創造方法や熟成期間ではない、通常の豆味噌と区別が不可能なものとされた。
そして、一番の問題は、本件判決の結果、本件原告は、「八丁味噌」の地理的表示保護から排除されるか、上記のような「八丁味噌」という地理的表示の特性にまったく関係ない条件に従ってその保護を受けるかという選択を迫られることとなったというところにある。
この点に関して、本件判決は、傍論で、本件原告が令和7年まで「八丁味噌」の表示を使用できること、及びその後も登録された地理的表示である「八丁味噌」とは異なる旨の混同防止表示をすれば自身の製品を販売できるため、本件原告の不利益は限定的であり、これに対して、本件処分の取消しにより登録生産者である県組合に与える不利益は甚大であると述べた。
しかしながら、本来、長期間継続して一定の地理的範囲で形成された特性を理由に保護が認められる地理的表示保護が、700年近くにわたり維持されてきた伝統製法を排除するものであることは、そもそも制度趣旨に反しており、そのような制度趣旨に反して得られる県組合の利益というものは、そもそも、比較対象となる資格を有しないといわなければならない。したがって、本件判決の傍論部分は、本件判決の結論に直接影響を与えるものではないものであるが、いみじくも、本件判決が地理的表示保護制度をまったく理解せず、単なる行政訴訟として本件を扱ったことを露呈した。
5.地理的表示保護制度のあり方
地理的表示保護制度を所管する農林水産省は、地理的表示保護制度を「地域には、伝統的な生産方法や気候・風土・土壌などの生産地等の特性が、品質等の特性に結びついている産品が多く存在しています。これらの産品の名称(地理的表示)を知的財産として登録し、保護する制度が「地理的表示保護制度」です。」と説明している※2。
このように、農林水産省自らが、伝統的な製造方法や生産地の特定が地理的表示にとって重要だということを示している。
なお、地理的表示は、ヨーロッパで生産されるワインやチーズ等に使用され発展してきたものであり、知的財産権に関する世界的条約であるWTO協定の付属書であるTRIPs22条1にも、「「地理的表示」とは、ある商品に関し、その確立した品質、社会的評価その他の特性が当該商品の地理的原産地に主として帰せられる場合において、当該商品が加盟国の領域内の地域若しくは地方を原産地とするものであることを特定する表示をいう。」と定められている。
6.本件における農林水産省が採用した地理的表示としての「八丁味噌」の特性
(1) 本件処分で登録された特性※3
「赤褐色で色が濃く、適度な酸味、うまみと苦渋味といった他の味噌にない独特な風味を有する。愛知県民の濃い味を好む嗜好と相まって「名古屋めし」の代表的な調味料として定着。」
(2) 行政不服審査会の答申書※4
八丁組合が本件処分の取消しを求めた審査請求に対して、行政不服審査会は次のように、農林水産省の判断は妥当とはいえないとした。
「本件審査請求については、参加人Zによる特定農林水産物等の登録の申請に特定農林水産物等の名称の保護に関する法律(平成26年法律第84号)13条1項3号イに該当する登録拒否事由がないかについて、更に調査検討を尽くす必要があるから、本件審査請求は棄却すべきであるとの審査庁の諮問に係る判断は、現時点においては妥当とはいえない。※5」
また、その理由の中で、名古屋めしに使用されている豆味噌が愛知県産のものに限定されているのか確認できないことに加え※6、「審査庁は、(4号イ事由の有無の検討においてではあるが)C2社の「A味噌」とB6社の「A味噌」の生産方法は本質的な部分は共通しているとし、また、特徴も、特有の酸味、うまみ、渋みがあり、色が濃いという点で共通しているなどとして、本件申請に係る豆味噌とC2社が生産する豆味噌には大きな違いがない旨認定しており、かかる認定を前提に上記判断に至ったものと考えられるが、これでは社会的評価の観点からの検討としては不十分というべきである。」※7と、「特性」について十分な検討がなされていないとの指摘をした。
また、地理的表示法の手続きについては形式的には履践されているため、処分自体の取消しという結論には至らなかったとされた※8。
(3) 「八丁味噌」の地理的表示登録に関する第三者委員会における議論※9
行政不服審査会の答申後に開催された第三者委員会の第1回議事録からは、どの委員の発言かが特定できないが、地理的表示保護制度を「概ね25年を基準として、地域で定着したものが拡散しないように保護する制度」と説明したり、「味噌について品質の相違を論じることは不毛であり、」と発言したり、「品質や製法で差別化されないものでも社会的評価によって登録できるのがGI制度。農水省も、総務省の答申も社会的評価の範囲を狭くとらえ過ぎている。」というような、明らかに中立性を欠いた発言が確認できる。
第2回の議事録からも、「「八丁味噌」の製法そのもので、県組合の加盟各社と八丁組合の二社の製品の違いを区別できるものではないと考えられる。」と客観的な事実とは異なる偏った意見が確認できる。これに対して、「県組合の「八丁味噌」も一般の豆味噌との間に定義上の大きな違いがないとすれば、製法の観点からは社会的評価について説得力は乏しいのではないか。」との意見や「GI「八丁味噌」から岡崎2社が抜けているドーナツ現象は、発祥の地に両組合が異論のないことからしても不健全な状態であると思料。」との客観的な意見も確認できる。
第3回議事録では、「社会的評価として、八丁味噌がこれ以上他地域に拡散しないように、GI制度で保護しようという趣旨であれば、保護の地域を岡崎市だけに限定するのは適当でないと思われる。元祖問題は、GIとは別に議論すべきである。GI制度では、愛知県域まで広がっている現状の八丁味噌を保護すべきではないか。」との意見が確認できる。同意見は、第1回に、地理的表示保護制度を「概ね25年を基準として、地域で定着したものが拡散しないように保護する制度」とした委員の発言であろうと推測でき、一貫して県組合に偏っている。
また、「・・・岡崎市以外の県内八丁味噌も既に市場での流通実績があり、定着しておりその名称使用は認めるべきでないか。」との意見や「消費者から見て両者の味噌の品質にさほど差異がないのであれば、・・・」というように、前者は、県組合に有利な点のみを取り上げる発言であり、後者は八丁組合の有利な点を無視する発言である点で、極端に県組合に偏った発言になっていることが確認できる。
第4回では、第1回から3回までで、県組合と八丁組合の味噌の製造方法に差異がないとの意見が議事録に記載されていたにもかかわらず、委員の一人から、「・・・両組合の「八丁味噌」の製法の差異がある点は認めるべき。「八丁味噌」と一般の豆味噌と差異が無くならないように、熟成期間などの製法について、県組合も登録された生産基準をもう少し厳しくし、歩み寄るべきではないか。」と暗に県組合の生産基準が「八丁味噌」の「特性」を確認できる水準になく、八丁組合は満たしていることを示す発言も確認できる。
(4) 露見した本件処分の問題点
①本件処分対象の製法・品質に「特性」が確認できないこと
農林水産省が自ら組織した第三者委員会の委員でさえ、上記第4回の議事録で確認できるとおり、県組合の味噌と通常の豆味噌との間に製法上の差異を維持することは困難であるとの見解を示している。
本件処分で登録された特性を見て、その製法・品質から通常の豆味噌と区別できる者はいないであろう。
②本件処分対象の「社会的評価」が「八丁味噌」と直接つながっていないこと
上記のように、本件処分の対象となった味噌は、味噌自体の特性から他と区別できるものではなく、このことから、「社会的評価」という用語を上記第三者委員会でも一部委員が強調している。この点、本件処分の対象となっている県組合の味噌がどのような社会的評価を得ていたのか、という点については、十分に説明されていない。
たとえば、第3回第三者委員会では、「岡崎市以外の県内八丁味噌も既に市場での流通実績があり」と、県組合の味噌が地理的表示保護に値する一定の社会的評価を得ていたかのような発言が確認できるが、「①農林水産省において、全国150チェーン990店舗(主に中小のスーパーマーケット)における販売データについて、商品名に「八丁味噌」を含む商品を検索し、抽出された商品から派生商品を除外したところ、岡崎2社の6商品の販売実績しか判明しなかったこと、②中小企業による地域産業資源を活用した事業活動の促進に関する法律に基づく地域産業資源の指定においても、生産に係る地域を岡崎市のみとする「八丁味噌」と、生産に係る地域を岡崎市を含んだ地域とする「愛知の豆みそ(赤みそ)」とは、明確に区別されていること」が本件訴えにおける原告の本案についての主張で確認できる。
これに対して、農林水産省の県組合の味噌に関する説明は、「・・・「名古屋めし」の代表的な調味料として愛知県に定着し、愛知県の特産品として認知され、その価格においても、通常の豆味噌と区別されていることから、一般の豆味噌とは異なる「社会的評価」を受けるものであ(る)※10」というものである。
そして、県組合の味噌が主に業務用として販売されていることを考慮すれば、県組合の味噌は、「八丁味噌」と直接結びつくものではなく、別途、「愛知の赤みそ」ないしは、「名古屋味噌」として地理的表示保護の対象とすることが妥当であるものといえる。
7.農林水産省が事業者の事業活動に影響を与えたこれまでの事例と本件の関係
(1) これまでの事例
農林水産省による事業者の活動に不適切な影響を与えた事例としては、事故米事件時の「すぐる食品」の被害※11、JAS法違反事件における「赤福」の被害※12を忘れてはならない。
事故米事件では、本来食用とされていない米を市場に流通させた会社ではなく、それをいち早く消費者に伝えて注意喚起したすぐる食品が風評被害を受けることとなった。農林水産省は、このような事態を招いた責任を逃れることはできないはずであるが、すぐる食品への謝罪及び十分な補償がなされたとの情報を寡聞にして知らない。
また、JAS法違反事件では、赤福が食品衛生法に反する違法な消費期限を表示したとの誤った情報がいまだにウェブ上で多く見られるが、実際に問題の発端となったのは、赤福が表示していた製造日の記載がJAS法に反していたということである。
食品の衛生面に影響がある消費期限の表示については、所管していた伊勢保健所が赤福が科学的・合理的根拠に基づき行っていたことを確認していたことが、国会の答弁で示されている※13。
問題の本質は、事件当時の食品衛生法における消費期限とJAS法の製造日の考え方が異なり、前者はあらかじめ冷凍しておいた餅を解凍して商品として販売した日を基準に計算しなければならなかったのに対し、後者は、冷凍する前の実際に餅をついた日を生産日とする必要があったという点にある。
食品という人の健康に大きな影響がある物について、製造・販売者である赤福が食品衛生法には注意しつつも、JAS法の基準を見落としていたことが農林水産省に付け入る隙を与えた。
しかしながら、このような事件の本質からは、食品衛生法とJAS法の齟齬にこそ問題があることがわかる。現在では、このような問題が生じないように、食品の表示に関わる法的基準は、食品表示法で統一されている※14。したがって、今後は、赤福のように事業者が損害を被ることがなくなった。
(2) 本件との関係
事故米事件、赤福JAS法違反事件、本件の八丁味噌地理的表示事件に共通するのは、農林水産省は、事業者の利益を害しない細心の注意を払う官庁ではなく、これに関わる事業者は細心の注意を払う必要があるという事実である。
事故米事件では、本来、農林水産省が事業者より早く事故米流出という事態への注意喚起をしなければならないのにもかかわらず、すぐる食品に遅れたため、すぐる食品が風評被害を受けることとなった。
赤福JAS法違反事件では、本来、食品衛生法との関係を農林水産省が十分に理解していれば、農林水産省による指導等で問題は解決でき、赤福が甚大な被害を受けるということはなかったと考えられる。
そして、本件では、農林水産省の関与は、地理的表示法の趣旨を無視したもので、本末転倒である。これにより、まっとうな八丁味噌事業者が受けるブランド価値の毀損を含む経済的損失ははかりしれない。また、農林水産省の本件処分を支えた第三者委員会の存在も指摘する必要がある。委員となることは、このような重大な結果に関与することを意味するという強い自覚が求められよう。
8.本件から学ぶこと
(1) 標識法等の知的財産法の高度な知識が不可欠な時代になっていること
標識法を含む知的財産法は、本件が示すように、これまで、必ずしもそのような分野に関係がなかった事業者にまで及んでいる。事業者は、自身の事業活動そのもの以外に、これら法的制度にも精通し、関連官庁を性善説的に見ることなく、自身の権利を守るために、普段から専門家との協力体制を構築しておくことが求められる。
本件においても、八丁組合及び本件原告が、当初から農林水産省の方針を顧慮せずに対応していれば、地理的表示保護の申請を取り下げずに粘り強く対応することで、本件とは異なる結果につなげられたかもしれない。
(2) 代理人として関わる者は、本件を参考事例にする必要があること
本件では、本件処分に対する審査請求時に、本件原告が単独でこれを行っていれば、本件のような結果を回避することができた。依頼人が複数の者を含む場合、利害関係を把握し、将来の不測の事態にも対応できるように助言することが強く求められることを本件は示した。
(掲載日 2022年9月22日)