判例コラム

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第261号 2021年最大決以降に任命された最高裁判事の夫婦同氏制に関する憲法判断 

~令和4年3月22日最高裁第三小法廷決定※1

文献番号 2022WLJCC013
名古屋市立大学大学院 教授
小林 直三

1.はじめに
 本稿で取り上げる判例の事案は、法律婚をするにあたって同氏制を定める現行法(民法750条および戸籍法74条1号)が憲法や国際条約に違反するにもかかわらず、そうした制度を改廃する立法措置を取らないことは立法不作為の違法に当たるとして、国家賠償を求めたところ、一審※2、二審※3とも本件上告人の請求を棄却したため、本件上告人が上告したものである。
 現行法上、法律婚をすれば、法律婚をする者のいずれかの氏に統一しなくてはならない。こうした制度に関して、すでに2021年6月23日に最高裁大法廷決定※4で合憲判断が示されているが、このとき、4名の最高裁判事は違憲判断を述べている。
 しかし、その後、最高裁判事のうち、先ほどの大法廷決定で違憲判断を述べた1名(宮崎裕子裁判官)を含む4名が新しく任命されている。
 本稿で検討する判例は、その新しく任命された最高裁判事の1名である渡邉惠理子裁判官が憲法判断を述べている点で注目すべき判例だといえる。本稿は、おもに、この渡邉裁判官の意見を踏まえて、夫婦同氏制に関して検討するものである。

2.判例要旨
 本件決定は、5名の裁判官の全員一致で上告を棄却しているが、2名の裁判官の意見が付されている。
(1) 多数意見
 多数意見は、「民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告の理由は、違憲及び理由の不備・食違いをいうが、その実質は単なる法令違反を主張するもの又はその前提を欠くものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない」ため、上告を棄却するとした。
(2) 渡邉惠理子裁判官の意見
 渡邉裁判官は、「結論において多数意見に賛同するものであるが、夫婦同氏制を定める民法750条および戸籍法74条1号の規定(以下「本件各規定」という。)は憲法24条に違反すると考える」として、次のように述べる。
 まず、「氏名は・・・・・・個人の尊厳として尊重されるべきものであ」り、また、憲法24条の「1項は、婚姻(法律婚)の自由を保障して」おり、「法律婚には明らかに事実婚では享受できない法的効果(民法890条等参照)があることに鑑みると、婚姻(法律婚)の自由は、実質的にも保障されるべきものである」としたうえで、「本件各規定は・・・・・・婚姻をしようとする者に従前の氏を変更するか法律婚を断念するかの二者択一を迫るものであり、婚姻の自由を制約することは明らかである」とし、「その制約に客観的な合理性が認められない限り、本件各規定は、憲法24条1項により保障された婚姻の自由を侵害するものとして同条に違反する」として、夫婦同氏制の客観的合理性を検討するとした。
 そして、「婚姻時の氏の変更により夫婦の氏が同一となることが家族の識別や家族の一体感の醸成に役立ち得ることを私も否定するものではない」けれども、「婚姻をするために意に反する氏の変更をして個人の識別機能および人格の喪失という不利益を甘受せざるを得ない(または法律婚により享受できる法的効果や利益を断念して事実婚を選ばざるを得ない)個人は本件各規定により現実的かつ看過し難い制約に服することになることに鑑みると、以下のとおり、このような観念としての価値観や家族観がこのような制約を正当化するほどの強い根拠となるとは考え難い」とした。すなわち、「家族の識別についてみると、事実婚の場合には同一氏による家族の識別機能がないことはいうまでもなく、また、法律婚についてみても、近時、離婚をする者や、外国人と婚姻する者の数は少なくなく、再婚をする者の割合も増加している現状に鑑みると、氏の同一性によっては家族を「識別」できない場合は既に相当数存在しており、離婚や再婚等が少なかった時代と同様の夫婦同氏制による家族識別機能は原審口頭弁論終結時において既に期待し難くなっていたものと考えられ」、さらに、「そもそも、家族の一体感は、間断のない互いの愛情と尊敬によってはじめて醸成、維持され得るものであり、同一氏制度によってのみ達成できるものではな」く、「同一の氏を名乗る家族が必ずしも家族の一体感を持っているわけではなく、また、氏の変更を回避するために事実婚を選んだ(あるいは選ばざるを得なかった)家族の一体感が存在しないまたは低いというものではないことも自明であ」り、仮に、「同一の氏であることが家族の一体感を醸成することに役立つとしても、そのような家族の一体感が、婚姻に伴い氏の変更を余儀なくされた一方当事者の現実的な不利益(犠牲)によって達成されるべきものとすることは過酷であり、是認し難い」とした。
 次に、「親の「氏」を考えるにあたっては子の福祉も最大限に尊重される必要があ」るが、「親と氏を異にする場合に子が受けるおそれがある不利益は、氏を異にすることに直接起因するというよりは、家族は同氏でなければならないという価値観やこれを前提とする社会慣行等に起因するもののようにも思われ」、むしろ、「家族の識別機能や一体感を重視する価値観のもとでは、再婚相手が子の親の氏へ変更しない限り、親の再婚のたびにその再婚相手の氏に変更すべきということになるが、既に自意識が芽生えた子にとっては、実親とのつながりやそれまでの人生や人格を否定されたという意識をもつことにも繋がりかねないことも懸念される」とし、「子の福祉のみをもって夫婦同氏を要求する本件各規定に客観的な合理性があるということはでき」ないとした。
 また、通称使用については、「夫婦同氏(婚姻に伴う氏の変更)を強制する制約の程度は軽減されているとはいえるものの、かえって、通称を使用する個人と戸籍上の個人の同一性をどのように確認するかなど、識別機能の観点から新たな問題を生じていることが指摘されて」おり、さらに、「金融機関との取引や医療機関における同意・承諾など、通称が戸籍上の氏名に完全に代替するものではないことも指摘されている」ことから、「通称使用が認められることで、本件各規定による制約が正当化されるとは考え難い」とした。
 そして、「個人が婚姻相手の氏に変更するとしても、選択的夫婦別氏制により選択の機会が与えられたうえで、個人がその意思で婚姻相手の氏への変更を選択したものであるか、夫婦同氏制により氏の変更が事実上余儀なくされた結果であるかには大きな違いがあり、その個人の意思決定がその後の生き方にも影響を与えることに鑑みると、このような選択の機会を与えることこそ、個人の尊厳の尊重である」とした。
 以上のことから、「婚姻の自由に対する本件各規定による制約には客観的な合理性があるとは認め難く、したがって、本件各規定は、婚姻の自由を侵害するものとして憲法24条に違反するというべきである」とした。
 ただし、これまで最高裁判所が本件各規定を合憲だとしてきたことなどを考慮すれば、「国会議員が、本件各規定が憲法24条に違反するものであることが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠るなど、その職務上の法的義務に違反したとまでいうことはできない」ため、「本件において、上記の立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものとはいうことができず、上告人の請求には理由がないといわざるを得」ず、「上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断は結論において是認することができるから、本件上告を棄却すべきであると考える」とした。
(3) 宇賀克也裁判官の意見
 宇賀裁判官は、「民法750条及び戸籍法74条1号が憲法24条に違反するという点において、渡邉惠理子裁判官に同調するものであるが、その理由については」、2021年6月23日の最高裁大法廷決定の「宮崎裕子裁判官との共同反対意見で述べたとおりである」とした。

3.検討
 本件決定の多数意見は、非常に簡潔なものであり、また、宇賀裁判官の意見も、実質的には2021年の最高裁決定の共同反対意見で述べたとおりとするだけで、本件決定で新たな知見が示されたわけではない(ただし、2021年の最高裁決定の宮崎裕子裁判官と宇賀裁判官との共同反対意見は、非常に説得力に富むものである)。
 また、渡邉裁判官の意見も、本件事案の処理に限定すれば、(仮に本件各規定が違憲であったとしても)これまで最高裁が合憲判断を下してきた以上、立法不作為の違法性は認められないため、国家賠償請求は棄却されるというものであり、これまでの立法不作為の違法判断に関する先例を踏まえれば、とくに新しい知見が示されたものではない。
 したがって、本件決定を学術的に検討する意義は、渡邉裁判官の意見のうち、その結論に至る理由づけの部分ではなく、憲法判断の部分に集約されるといってよいだろう。実際、本件決定の大半は、渡邉裁判官の憲法判断の部分に費やされている。
 そこで、渡邉裁判官の憲法判断についてであるが、非常に説得力のある内容だと思われる。とくに、「事実婚の場合には同一氏による家族の識別機能がないことはいうまでもなく、また、法律婚についてみても、近時、離婚をする者や、外国人と婚姻する者の数は少なくなく、再婚をする者の割合も増加している現状に鑑みると、氏の同一性によっては家族を「識別」できない場合は既に相当数存在しており、離婚や再婚等が少なかった時代と同様の夫婦同氏制による家族識別機能は・・・・・・既に期待し難」いとする点は、否定し難い事実だといえるだろうし、「親と氏を異にする場合に子が受けるおそれがある不利益は、氏を異にすることに直接起因するというよりは、家族は同氏でなければならないという価値観やこれを前提とする社会慣行等に起因する」とする点も、多くの人たちの深い理解が得られるところではないだろうか。
 別稿※5でも触れたように、2021年9月に地域における多文化共生推進プランが改正され、今後、ますます婚姻や家族に関する価値観は多様化するものと思われる。また、外国人と婚姻する日本人の数も増えるものと考えられる(そして、外国人と婚姻する場合は、夫婦同氏制ではない)。そうであれば、日本人同士の間での法律婚に限って夫婦同氏制を維持したところで、それによって、家族の一体感や子の福祉などといった公共の福祉を促進する大きな効果が生じるとは言い難いはずである。なぜなら、もし、夫婦同氏制によって、実際に大きな公共の福祉の促進が見込まれるというのであれば、日本人同士の法律婚に限らず、外国人との婚姻などにも、夫婦同氏制を強いなければならないはずだからである(しかし、そのようにはしていないのである)。
 つまり、家族の一体感や子の福祉などといった目的と夫婦同氏制の維持という手段との間の合理的関連性でさえ、外国人との婚姻などが増加するなか、疑わしさが顕在化してきているのである。そして、近時の政府の多文化共生の推進政策は、その疑わしさを、一層、増大させるものだと考えられる。
 そうであるにもかかわらず、夫婦同氏制が前提とする婚姻観や家族観に固執するとすれば、むしろ、公共の福祉を損なう効果、つまり、それ以外の多様な婚姻や家族のあり方に対する否定的な考え方を助長し、そうした婚姻や家族のあり方を選択する人たちへの差別を生み出すように思われる。たとえば、子どもの福祉に関していえば、渡邉裁判官も指摘するように、「親と氏を異にする場合に子が受けるおそれがある不利益は、氏を異にすることに直接起因するというよりは、家族は同氏でなければならないという価値観やこれを前提とする社会慣行等に起因する」のである。そして、多様な婚姻や家族のあり方に対する否定的な考え方を助長し、そうした婚姻や家族のあり方を選択する人たちへの差別を生み出す効果を生じることは、今日の政府が推進しようとしている多文化共生の推進政策の趣旨や目的とも矛盾するものだといえるだろう。つまり、夫婦同氏制を維持することは、政府が進めようとする政策上の整合性さえ、認め難いように思われるのである。

4.おわりに
 ただし、夫婦同氏制の問題を民主的な立法過程だけで直ちに解決できるかといえば、甚だ疑問である(もし、直ちに民主的な立法過程で解決できるものであったならば、これほどまでに合理性や政策上の整合性のない制度の問題は、すでに解決されていたことだろう)。そうであるならば、この問題の解決には、やはり、最高裁が違憲判断を示すなど、一定の司法的介入が必要なものと思われる。
 前述のように、2021年最高裁決定では、4名の裁判官が違憲判断を示している。そして、その後、違憲判断を述べた1名を含む4名が新しく任命されており、その4名のうちの1名である渡邉裁判官は、本稿で紹介したように違憲判断を示した。さらに、2022年度中には、合憲判断に加わった2名が退官予定である。そのため、数字のうえでは、近い将来、夫婦同氏制を違憲だと考える最高裁判事が多数派になる可能性がないわけではない。今後も、新しく任命された(そして、近い将来、任命される)最高裁判事の憲法判断を注目していきたい。


(掲載日 2022年5月23日)

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