判例コラム

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第260号 控訴審による第1審の認定を覆す「論理則、経験則に照らした不合理性」 

~最一小判令和4年4月21日-傷害、暴行被告事件※1

文献番号 2022WLJCC012
東京都立大学 名誉教授
前田 雅英

Ⅰ 判例のポイント

 本件は、被告人Xが、交際女性Cの双子の男児A及びB(当時7歳)に対する傷害等の各事実で起訴された事案である。第1審判決(東京地立川支判令和元年12月3日WestlawJapan文献番号2019WLJPCA12036008)は、Aに対する暴行及びBに対する傷害等の事実を認定し、Xを懲役3年に処した(求刑懲役6年)。これに対し、原判決(東京高判令和2年11月5日WestlawJapan文献番号2020WLJPCA11059004)が、Aに対する一部の犯罪事実に関して、傷害の前提となる暴行を認定することはできないとして、事実誤認を理由に第1審判決を破棄し、Xに対し、懲役1年6月、4年間執行猶予を言い渡したものである。これに対し、検察官が上告し、最高裁はその主張を容れて、東京高裁に差し戻したものである。争点となった傷害の事実とは、「平成28年4月3日午後1時34分頃から同日午後1時41分頃までの間に(以下「本件時間帯」という。)、F市内の公園(以下「本件公園」という。)において、Aに対し、その頭部に回転性加速度減速度運動を伴う外力を加える暴行(以下「本件暴行」という。)を加え、よって、Aに急性硬膜下血腫等及び重度の認知機能障害等の後遺症を伴う脳実質損傷の傷害を負わせた」というものである。

Ⅱ 事実の概要

  1. (1) 争点である傷害を巡る事実関係について、第1審は、大要、以下のように判示した。
     被告人Xは、スポーツトレーナーもしていたことから、AとBを陸上クラブに所属させるようCに勧めてクラブに加入させ、AとBの陸上活動を厳しく指導していた。平成28年4月2日、Xは、陸上クラブを続けさせるかどうか判断するテストとしてAとBに相撲を取らせるなどし、その結果、Bはやる気が見られるため陸上クラブを続けさせるが、Aはやる気が見られないため翌日に再テストをすることとした。Aは、帰宅後の同日午後3時頃、気持ちが悪いなどと言っておう吐したが、普段よりは少ないものの夕食等を食べ、同日午後8時頃就寝した。
     翌日午後1時頃、BとCは陸上クラブの会合に行ったが、Xは再テストをするためAと共にF市内の本件公園に向かった。Xは午後1時29分頃までは、本件公園南側防犯カメラに映っていたが、その頃本件公園北側に移動した。Aは、同日午後1時34分頃までは本件公園南側におり、公園内を走っている様子の画像も残っていたが、その頃本件公園北側に移動した。
     そして、午後1時41分頃、XがCに「Aなんか変、なんかおかしい、大丈夫かこいつ。」、「すぐ来て。」などと電話した。Cがタクシーで本件公園に到着した際、Aは本件公園東側にあるベンチの背もたれに寄りかかり、両手をだらりと垂らしたまま半ばのけぞるように顔を空に向け、身動きもせず腰掛けていた。Xは、自らAを抱えてタクシーに運び、後部座席に座ったCにAを抱かせたが、その際、Aの目は開いていたものの焦点が合わず、声掛けにも反応しなかった。
     CとAは、タクシーで病院に午後2時15分頃到着した。CT検査等の結果、頭蓋骨を含めた骨折等はなかったが、右急性硬膜下血腫、脳浮腫と診断され、血腫量は多く、脳腫脹も強くて脳幹を圧迫している極めて重篤な状態で、緊急手術が行われたが、執刀医が、手術前に、XとCに対し、命にかかわる重症であることを説明した上で、発症時の状況を聴取したところ、Xは、「Aと公園で遊んでいて、気付くと滑り台の横でうずくまっており、呼びかけても返事がなかったので病院へ運んだ」旨の虚偽の事実を述べた。
     緊急手術やその際の検査により、Aに硬膜下血腫があり、比較的太い架橋静脈(以下「本件架橋静脈」という。)が破断していたこと、内因性の異常により脳内出血が発生したり症状が増悪したりしたものではないことが認められた。
  2. (2) 第1審判決は、Aが走っていることが撮影されている1時34分頃から、XがCに架電した1時41分頃の間に、Aの頭部に回転性加速度減速度運動が加わり、本件架橋静脈が破断して急性硬膜下血腫が生じたと認定し、「強く揺さぶる程度の暴行や、高所転落・転倒ではなく、柔道の投げ技等に起因するとしても矛盾がなく、頭部への直接打撃に起因する可能性もある」というD医師の意見や、「内因性疾患がない場合、7歳程度の児童が自らの過失による転倒程度でAのような重篤な硬膜下血腫を生じる症例はない」というE医師の意見などからすると、Aが自ら転倒するなどして本件架橋静脈が破断したとは考えられず、Aの頭部にA以外の者の行為による強い回転性加速度減速度運動が加わり本件架橋静脈が破断したものと認められるとした。これに対し、F医師は、Aに近い年齢の児童が後ろ向きに転倒して後頭部を打ち、架橋静脈が破断する例が複数あると証言したが、第1審は「F医師が述べる症例は、受傷機序の特定方法も含めて本件と比較できるほどの具体性はないことなどからすると、上記認定に合理的な疑いを生じさせるものではない」とした。
     そして、Xが第三者による有形力の行使の可能性について全く供述していなかったことからすると、XがAに有形力を行使したものと認定し得るとした。それを基礎付ける事情として、①Xは、Aが頭部に強い外力が加わったことにより意識を失っている可能性が高いことを認識しながら、救急車を呼ばず、②Cに対しても、その外力の原因について告げていない。しかも、③Xは、緊急手術前に医師から受傷状況を尋ねられた際に、「気付くと滑り台の横でうずくまっていた」などと虚偽の事実を述べている。④このような言動は、Xが、自己の行為によりAが受傷したことを隠蔽したものとしか考えられず、Xが暴行の故意によりAの頭部に外力を加えたことを強く推認させる※2、としてXの暴行を認定した。
  3. (3) これに対し原判決は、「本件時間帯に本件公園内で、Aの頭部に一定の力が加わって本件架橋静脈破断が生じ硬膜下血腫が生じた」とする第1審の認定は是認できるとしつつ、第1審判決が、Aの傷害に関するD、E医師等の意見から、A以外の者の行為によりAの頭部に強い回転性加速度減速度運動が加わったと認定した点には疑問が残り、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとしたのである。
     F医師が、「Aに近い年齢の児童が転倒して後頭部を打ち、架橋静脈が破断した例が複数ある」と証言しており、Aの受傷がA以外の者の行為によるという認定に合理的な疑いを生じさせるとしたのである。また、AがBと相撲を取った際に頭部を地面に打ち付け、その後おう吐したことを挙げ、先行する打撲で何らかの症状があった場合、その後に比較的軽微な外傷でも硬膜下血腫を起こす可能性がないとはいえないとしている医師の供述を挙げ、A以外の者による強い力が加わらないとAの傷害が生じないとまでは断定できないとした。たしかに、Aの受傷状況に関するXの供述等は、体育科学の研究者の供述等も踏まえると不自然であり、当日に医師に対して異なる説明をしていたことからも、信用し難いが、Xの供述が信用できないという理由だけで、本件暴行を認定することはできないとしたのである。

Ⅲ 判旨

 最高裁は、上告趣意は、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって刑訴法405条の上告理由に当たらないとした上で、検察官の所論に鑑み、職権をもって調査し、原判決を破棄した。
 その理由は、以下のとおりである。

  1. 1 原判示のとおり、F医師の意見は、本件に即してA自身の行為による受傷の具体的可能性を指摘するものといえる。一方、A自身の行為による受傷の可能性に否定的なE医師及びD医師の各意見は、いずれも相当数の症例に基づくものと考えられるが、警察官作成の意見聴取結果報告書に記載されたものであって、根拠となる症例の概数や概要すら不明であり、また、検察官が立証の柱としているG医師の意見は、断定的な意見の根拠に関する説得的な説明が不足していることなどに照らせば、これらの医師の意見をもって、F医師が指摘する上記可能性を排斥し得る立証がされているとはいい難い。
     また、本件前日、AはBと相撲を取った際に地面に頭を打ち付け、その後おう吐しているところ、F医師が、架橋静脈の破断等を起こす前の打撲で何らかの症状が生じた場合、その後に比較的軽微な外傷でも急性硬膜下血腫を起こした症例がある旨述べており、この意見を否定する他の医師の意見は証拠上存しない。そうすると、本件受傷時において本件架橋静脈が健常時より弱い外力によって破断し得る状態になっていた可能性を裏付ける医学的知見がないとした第1審判決は不合理であるとして、その可能性を認めた原判断も、是認することができる。
     以上によれば、医師の意見のみからA自身の行為による受傷の具体的可能性を否定することはできず、同旨の原判決は、医師の意見のみからその可能性を否定した第1審判決の判断が不合理であることを具体的に示したものといえる。
  2. 2 しかしながら、原判決が、Aの頭部にA以外の者の行為による強い外力が加わった事実を認定することはできないから第1審判決の認定は前提を欠くとしたほかは、Aの受傷状況に関するXの供述が信用できないからといって本件暴行を認定することはできない旨を説示しただけで、本件暴行を認定した第1審判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとした点は、是認することができない。その理由は、以下のとおりである。
  3. 3 本件では、検察官が主張するように、医師の意見から認められる外力の態様に加え、当時の状況、Xの言動を総合して、本件暴行を認定することができるか、言い換えれば、A自身の行為等の本件暴行以外の原因による受傷の具体的可能性を否定することができるかを検討しなければ、これらの間接事実から本件暴行を認定した第1審判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるか否かを判断することはできない。
     そこで検討すると、上記のとおり、医師の意見からA自身の行為による受傷の具体的可能性を否定することはできないが、医師の意見からその可能性がどの程度認められるかは、重要な事情である。
     また、当時の状況は、Xから厳しい陸上活動の指導を受けていたAが、陸上クラブを続けるかどうかを判断するテストとして本件公園内を走っていた際にXの近くに行き、その後受傷したというものであるところ、このような状況のAが自身の行為により受傷した具体的可能性を検討する必要がある。
     さらに、Xは、Cに対して、Aの受傷直後や病院において説明する機会がありながら、A自身の行為により受傷した旨の説明をせず、他方で、医師に対して、自分の知らないうちに受傷していた旨の虚偽を述べている。その後、Xは、A自身の行為により受傷した状況を具体的に供述しているが、第1審判決及び原判決は、いずれもその内容は事実と異なると判断しており、この判断は不合理なものではない。これらのXの言動に照らして、A自身の行為による受傷の具体的可能性を検討する必要もある。
     その上で、これらを総合した場合にA自身の行為による受傷の具体的可能性を否定することができるか否かについて判断する必要があるところ、原判決は、上記の必要な検討を経た判断を示しているものと評価することはできない。
  4. 4 以上の検討によれば、本件暴行を認定した第1審判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとした原判決は、事実誤認の審査に当たり必要な検討を尽くして第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものと評価することはできず(最一小判平成24年2月13日刑集66-4-482参照)、刑訴法382条の解釈適用を誤ったものというべきであり、この違法は判決に影響を及ぼすものであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。と判示した。

Ⅳ コメント

  1. 1 裁判員裁判の定着する中、第1審の結論を覆す控訴審判断について、最高裁がそれを厳しく吟味する例がかなり見られた。「第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示す必要性」を強調するのである(最一小判平成24年2月13日刑集66-4-482、WestlawJapan文献番号2012WLJPCA02139001参照)。この流れは定着していった(最二小判平成30年7月13日刑集72-3-324、WLJ判例コラム143号文献番号2018WLJCC019参照)。
     その前提には、裁判員裁判の積極的評価がある。 裁判員制度は「国民の視点や感覚と法曹の専門性とが常に交流することによって、相互の理解を深め、それぞれの長所が生かされるような刑事裁判の実現を目指すものということができる」とするのである(最大判平成23年11月16日刑集65-8-1285、WestlawJapan文献番号2011WLJPCA11169001)。この点は、裁判員裁判の定着の中で、今も変わらない。
     ただ、法曹という専門家集団の中核を形成してきた「高等裁判所」には、 当然「従来からの専門法曹の判断の継続性」を重視する傾向がある(最一小判平成26年7月24日刑集68-6-925、WestlawJapan文献番号2014WLJPCA07249002)。「論理則、経験則」も、これまでの判例の蓄積を踏まえつつ、裁判員裁判によって形成された「国民の感覚と専門性の交流」をも踏まえたものでなければならない。この流れは、裁判員裁判事件のみでなく、刑事裁判全体に拡がったのである。
  2. 2 第1審判決が認定した、「(Aが走っていることが画像で確認できる)1時34分頃から、1時41分頃の間に、Aの頭部に回転性加速度減速度運動が加わり、本件架橋静脈が破断して急性硬膜下血腫が生じた」という点は、上告審に至るまで、争いがない。そして、第1審は、Aが自ら転倒するなどして本件架橋静脈が破断したとは考えられないので、A以外の者の行為による強い回転性加速度減速度運動によって本件架橋静脈が破断したと認定した。本件公園でAをテストしていたXは、Aの状況を、Aが急変した7分の間、ある程度見ていたはずであるにもかかわらず、第三者による有形力の行使の可能性について全く供述していなかったこと等からすると、XがAに有形力を行使したものと認定し得るとしたのである(事実の概要 (2)参照)。
  3. 3 一方原判決は、「A以外の者の行為によりAの頭部に強い回転性加速度減速度運動が加わった」と認定した点につき、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとしたのである。
     その最も強い根拠は、F医師(原判決ではJ医師と表記)が、「Aに近い年齢の児童が転倒して後頭部を打ち、架橋静脈が破断した例が複数ある」と証言した点で、Aの受傷がA以外の者の行為によるという認定に合理的な疑いを生じさせるとした。また、AがBと相撲を取った際に頭部を地面に打ち付け、その後おう吐したことを挙げ、先行する打撲で何らかの症状があった場合、その後に比較的軽微な外傷でも硬膜下血腫を起こす可能性がないとはいえないとしている医師の供述を挙げ、A以外の者による強い力が加わらないとAの傷害が生じないとまでは断定できないとした※3
  4. 4 第1審は、F医師の供述について、具体的にどのような実例があったのかは不明であり、F証言には、「受傷機序の特定方法も含めて本件と比較できるほどの具体性が欠ける」とし、認定を左右するものではないとしたのであるが、原審東京高裁は、「経験豊富な専門家が本件に即して証言する際に、Aに近い年齢で同様のメカニズムの破断の例があるなどと指摘し、原判決が認定しようとしている事実に見過ごせない疑いを提起しているにもかかわらず、立証責任を負う検察官による尋問などでそれ以上の確認や弾劾がなされていない状況をもって、本来ならば合理的な疑いが払しょくされていないものとすべきところ、実例が不明であるなどとしてXに不利な認定を行うことは、刑事訴訟における立証責任を考えると相当ではない」とした。
  5. 5 自過失であるとすれば、3m以上の高さから過失で転落したとか、交通事故のような高エネルギー外傷といったものでないとそのようなことにはならない等の他の医師の証言に対しては、
     「F医師の証言から生じる疑問が合理的なものではないとして打ち消されるためには、F医師が指摘したような実際に後方に転倒した程度での症例群があり得ることが否定されるか、あり得るとしても本件がそうした症例群とは異なるものであるということがいえなければならない」としたのである※4
     さらに、携帯電話による通話中などXが目を離した隙などに、第三者又はA自身の行為によりAの架橋静脈が弱い力によっても破断するような何らかの状況を作出する事態が発生しなかったと認めるに足りるまでの十分な立証はないとしたのである。
  6. 6 そして、Xの公判供述は直ちにうなずける内容ではないとしつつ、「Xが不自然で変遷した内容の供述をしているという理由だけでXの犯行を認めることができない」とし、受傷状況を尋ねる医師に対して虚偽の事実を述べたことなどから、Xの暴行の故意が強く推認されるとする経験則は認められないとした。
  7. 7 このような原判決の判断に対し、最高裁は、医師の意見から認められる外力の態様に加え、当時の状況、Xの言動を総合して、本件暴行を認定することができるか、言い換えれば、A自身の行為等の本件暴行以外の原因による受傷の具体的可能性を否定することができるかを検討しなければ、これらの間接事実から本件暴行を認定した第1審判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるか否かを判断することはできないとしたのである。
  8. 8 より具体的には、①F医師の述べる「A自身の行為による受傷の可能性」がどの程度具体的なものであるか、②Xから厳しい陸上活動の指導を受けていたAが、陸上クラブを続けるかどうかを判断するテストとして本件公園内を走っていた際に、Xの近くに行き、その後受傷したということは認定できるのだから、このような状況下で、A自身の行為により受傷した具体的可能性があるのか、③Xは、Aの母親であるCに対して、A自身の行為により受傷した旨の説明をしてはおらず、④医師に対しても、自分の知らないうちに受傷していたという虚偽を述べたXの言動に照らして、A自身の行為による受傷の具体的可能性を検討する必要もあり、それらの「総合評価」を経なければ、「事実誤認の審査に当たり必要な検討を尽くして第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものと評価すること」はできないとしたのである。
  9. 9 本判決は、原判決が、「第1審の判断の論理則、経験則等に疑問がある」とするだけでは足りず、「不合理であることを『十分に』示さなければならない」としたもので、近時の最高裁の判断に沿うものである。第1審判決も、単に「虚偽の供述」の存在からXの暴行を推認したわけではない。複数の間接事実を積み上げた上での総合評価である(事実の概要 (2)参照)。
     もちろん、原判決も総合判評価を加えた上で、第1審判決を破棄したことは疑いない。ただ、微妙なのは、「Aに近い年齢の児童が転倒して後頭部を打ち、架橋静脈が破断した例が複数ある」としたF医師の供述の評価である。つまり、原判決が、F医師の指摘する「症例群があり得ることが否定されるか、あり得るとしても本件がそうした症例群とは異なるものであるということ」が示されなければ、暴行の認定はできないとする点である。医師が、生じた傷害は、柔道の投げ技等に起因するなり、頭部への直接打撃に起因する可能性もあるとしている中で、そして、XのAへの厳しい指導の存在や、明らかな虚偽の説明を行ったことなどの間接事実がある中で、F医師の主張する機序の不存在等の立証がなければ、Xを無罪にすべきかというと、異論の余地はあり得る。まして、F医師の供述について、具体的にどのような実例があったのかは不明であり、第1審は、F証言には、受傷機序の特定方法も含めて本件と比較できるほどの具体性が欠けるとしている。
     第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したというためには、原判決で、F供述の根拠についての、もう一歩踏み込んだ検討が必要だったように思われる。

  10. (掲載日 2022年5月13日)

  • 本判決は、最一小判令和4年4月21日WestlawJapan文献番号2022WLJPCA04219001を参照。
  • 第1審は、ランニングをさせていた行動等も併せ考えれば、Xの過失行為により、Aの頭部に相応に強い有形力が行使されることは通常想定し難いし、Xは、公判で、「Aが、ベンチの背もたれの上に立って、前方に立ち幅跳びをした際、仰向けに背中から後頭部にかけて地面にぶつかった」旨供述するが、体育科学の研究者は、そのような行為では、後頭部を地面にぶつける可能性は低く、仮に、後頭部を地面にぶつけたとすれば、足や背中が地面に着いた後、後頭部をぶつけたことになるから、本件架橋静脈が破断するような強い回転性加速度減速度運動が加わるとは考え難いと証言しており、Xの説明は合理的でないとする。
     また、弁護人は、Aが、本件前日にBと相撲を取った際に頭部を地面に打ち付けたことなどにより、本件当日、硬膜下血腫を生じやすい状況にあり、軽微な転倒等によって本件架橋静脈が破断した可能性がある旨主張するが、G医師及びF医師は、そのような機序でAの傷害が生じた可能性を裏付ける医学的知見を述べていないから、抽象的な可能性の指摘にとどまるとした。
  • 第1審証人であるF医師は、架橋静脈破断は、回転加速度がかかった場合に起こりやすいが、破断は脳の偏位によるものであり、脳が前後に揺れれば架橋静脈が切れる可能性はあり、当時7歳であったAが、ベンチの背もたれから飛び降りて尻餅をついたようになって背中から頭を地面に打ったとした場合でも、同様のメカニズムが起こりにくいが、ないわけではないと指摘した点を、原審は重視する。
     F医師が、数は少ないが、5~6歳でも、後ろ向きに転倒して後頭部を打って、架橋静脈等が破断してしまう例があり、特に頭蓋骨と脳実質との隙間が大きい児童が多い場合に生じやすく、Aについても7歳にしてはその隙間が大きいことが否定できないなどと証言している点である。
  • また、「Aの頭蓋骨と脳実質との隙間が、原判決の認定ほど強くない外力が加わった程度では架橋静脈の破断に至るような脳の偏位が起きない程度であるということ」が立証はされなければならないとした。また、他の医師が、「擦過傷などがみられないことから、Aについて高所転落や転倒を考えるのは不自然である」と指摘するのに対しては、必ずしも、擦過傷等の外傷や頭皮の汚れが見られなかったことをもってAに対する直接打撃があったと断定することもできないとした。

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