判例コラム

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第240号 夫婦同氏制に関する令和3年最高裁大法廷決定 

~最高裁令和3年6月23日大法廷決定※1

文献番号 2021WLJCC019
広島大学法科大学院 教授
新井 誠

はじめに

 婚姻夫婦が称する氏について夫婦どちらかの氏とすることを一律に求める現在の民法や戸籍法の諸規定が憲法に適合的であるのかどうかをめぐっては、かねてより議論の対象とされてきた。それを解消するための選択的別氏制度の導入を求める声も強い。強制的な性格も伴うこの夫婦同氏制度(以下、「本制度」という。)については、平成27年に最高裁大法廷で合憲判断※2(以下、「平成27年判決」という。)がされており、今回の大法廷決定に至るまでには5年半しか経っていない。大法廷回付がなされたことを受けて新たな違憲判断も期待されたところ、本決定(多数意見、補足意見)は、結局、平成27年決定を踏襲し、考え方の転換をすることはなかった。今回の判断で注目されることといえば、特に三浦裁判官による意見(以下、「三浦意見」という。)と宮崎・宇賀裁判官による反対意見(以下、「宮崎・宇賀反対意見」という。)に見られた憲法理解とその相互の違いであろう。本決定は、多数意見、補足意見、意見、反対意見(複数)と多岐にわたるなかで、本稿では、特に三浦意見、宮崎・宇賀反対意見を対比的に取り上げコメントしたい。

Ⅰ 事実の概要

 抗告人らは、婚姻届に「夫は夫の氏、妻は妻の氏を称する」旨を記載し、婚姻届を提出した。しかし、民法750条は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と規定し、戸籍法74条は「婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。」とし、同1号で「夫婦が称する氏」としていることから、上記届出を受けた国分寺市長は、これを不受理とする処分(以下、「本件処分」という。)をした。抗告人らは、不服申し立てをしたものの、原々審はこれを却下決定し、原審も抗告棄却決定をしたことから、特別抗告をした。抗告人らは、上記の民法750条及び戸籍法74条1号の各規定(以下、「本件各規定」という。)が、憲法14条1項、24条、98条2項に違反して無効であると主張した。

Ⅱ 判決の要旨

1.結論
 本件抗告を棄却(抗告費用は抗告人らの負担)。

2.判旨(カギカッコ書き内は、本判決より抜粋)
 「民法750条の規定が憲法24条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁平成26年(オ)第1023号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2586頁(以下「平成27年大法廷判決」という。))、上記規定を受けて夫婦が称する氏を婚姻届の必要的記載事項と定めた戸籍法74条1号の規定もまた憲法24条に違反するものでないことは、平成27年大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。平成27年大法廷判決以降にみられる女性の有業率の上昇、管理職に占める女性の割合の増加その他の社会の変化や、いわゆる選択的夫婦別氏制の導入に賛成する者の割合の増加その他の国民の意識の変化といった原決定が認定する諸事情等を踏まえても、平成27年大法廷判決の判断を変更すべきものとは認められない」。
 「この種の制度の在り方は、平成27年大法廷判決の指摘するとおり、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」。
 「その余の論旨は、違憲をいうが、その実質は単なる法令違反を主張するもの又はその前提を欠くものであって、特別抗告の事由に該当しない」。

【補足意見(深山卓也、岡村和美、長嶺安政の各裁判官)】
 「選択的夫婦別氏制の採否を含む夫婦の氏に関する法制度については、子の氏や戸籍の編製等を規律する関連制度を含め、これを国民的議論、すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ、事の性格にふさわしい解決というべきであり・・・国会において、この問題をめぐる国民の様々な意見や社会の状況の変化等を十分に踏まえた真摯な議論がされることを期待する」。

【意見(三浦守裁判官)】
 「私は、結論において多数意見に賛同するが、本件各規定に係る婚姻の要件について、法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは、憲法24条に違反すると考える」。
(1)婚姻前の氏の維持に係る利益
 「氏は、名とあいまって、個人の識別特定機能を有するとともに、個人として尊重される基礎であって個人の人格の象徴であることを中核としつつ、婚姻及び家族に関する法制度の要素となるという複合的な性格を有する」。「氏の変更に関わる身分関係の変動が婚姻という自らの意思で選択するものである場合にも、その意思が当然に氏を改めるという意思を伴うものではない。人が出生時に取得した氏は、名とあいまって、年を経るにつれて、個人を他人から識別し特定する機能を強めるとともに、その個人の人格の象徴としての意義を深めていくものであり、婚姻の際に氏を改めることは、個人の特定、識別の阻害により、その前後を通じた信用や評価を著しく損なうだけでなく、個人の人格の象徴を喪失する感情をもたらすなど、重大な不利益を生じさせ得る」。「婚姻の際に婚姻前の氏を維持することに係る利益は、それが憲法上の権利として保障されるか否かの点は措くとしても、個人の重要な人格的利益ということができる」。
(2)婚姻の自由
 「婚姻は、その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択であり、個人の幸福の追求について自ら行う意思決定の中で最も重要なものの一つである。婚姻が法制度を前提とするものであるにしても、憲法24条1項に係る上記の趣旨は、個人の尊厳に基礎を置き、当事者の自律的な意思決定に対する不合理な制約を許さないことを中核とする」。憲法24条1項の規定を考え併せると、「法律が、婚姻の成立について、両当事者の合意以外に、不合理な要件を定めることは、違憲の問題を生じさせるというべきであり、その意味において、婚姻の自由は、同項により保障される」。
 「憲法24条2項は、その立法に当たり、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきものとして、その裁量の限界を画しており、憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害する立法措置等を講ずることは許されない。そして、この要請は、形式的にも内容的にも、同条1項を前提とすることが明らかであり、そこにいう個人の尊厳は、婚姻の自由の保障を基礎付ける意義を含むものとして、立法の限界を画する」。
(3)権利の制約及び合憲性判断の枠組み
 「個人の自由な意思決定について、意思に反しても氏の変更をして婚姻をするのか、意思に反しても婚姻をしないこととするのかという選択を迫る」ことは「婚姻をするかどうかについての自由な意思決定を制約する」。「この制約は、法律上の要件により、夫婦が称する氏を定めない婚姻の成立を否定するものであって、夫婦同氏制が意図する直接的な制約といってよい」。
 「本件各規定に係る婚姻の要件について、婚姻の自由の制約が同条に適合するか否かについては、婚姻及び家族に関する法制度における本件各規定の趣旨、目的、当該自由の性質、内容、その制約の態様、程度等を総合的に衡量し、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請を踏まえて、それが合理的なものとして是認できるか否かを判断する必要がある」。
(4)本件各規定の合憲性
 「夫婦同氏制の趣旨、目的については、以下のような疑問がある」。
 「第1に、社会の構成要素である家族の呼称を一つに定め、それを対外的に公示して識別するといっても、現実の社会において、家族として生活を営む集団の身分関係が極めて多様化していることである」が、「婚姻及び家族に関する法制度は、広く社会一般に関わることから、簡明で規格化される必要性が高いといえるが、それだけに、長い年月を経て、ますます多様化する現実社会から離れ、およそ例外を許さないことの合理的な根拠を説明することが難しくなっている」。
 「第2に、同一の氏を称することにより家族の一員であることを実感する意義や家族の一体性を考慮するにしても、このような実感等は、何よりも、種々の困難を伴う日常生活の中で、相互の信頼とそれぞれの努力の積み重ねによって獲得されるところが大きい」。「これらは、各家族の実情に応じ、その構成員の意思に委ねることができ、むしろそれがふさわしい性質のものであって、家族の在り方の多様化を前提に、夫婦同氏制の例外をおよそ許さないことの合理性を説明し得るものではない」。
 「第3に、婚姻の重要な効果である嫡出子の仕組みを前提として、嫡出子がいずれの親とも氏を同じくすることによる利益を考慮するにしても、そのような利益は、嫡出推定や共同親権等のように子の養育の基礎となる具体的な権利利益とは異なる上・・・嫡出子であることを示すための仕組みとしての意義を併せて考慮することは、嫡出子と嫡出でない子をめぐる差別的な意識や取扱いを助長しかねない問題を含んでいる。また、婚姻の要件についてその例外を否定することは、子について、嫡出子に認められる上記の具体的権利利益を否定することになる。家族の在り方の多様化を前提にして、上記の利益について、法制度上の例外を許さない形でこれを特に保護することが、憲法上の権利の制約を正当化する合理性を基礎付けるとはいい難い」。
 「近年、婚姻前の氏を通称として使用する運用が様々な形で広がっており、このような措置によって、夫婦別氏の選択肢を欠くことによる不利益が緩和される面がある。しかし、これらは、任意の便宜的な措置であって、個人の人格に関わる本質的な問題を解消するものではない上、このような通称使用の広がり自体、家族の呼称としての氏の対外的な公示識別機能を始めとして、夫婦同氏制の趣旨等として説明された上記の諸点が、少なくとも例外を許さないという意味で十分な根拠とならないことを、図らずも示す結果となっている」。
 「本件各規定は、その文言上性別に基づく差別的な取扱いを定めているわけではないが、長年にわたり、夫婦になろうとする者の間の個々の協議の結果として、夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めており、現実に、多くの女性が、婚姻の際に氏を改めることによる不利益を受けている」。
 (戦後の民法改正から)「70年以上の歳月を経て、その間の社会経済情勢の著しい変化等に伴い、国民の価値観や意識も大きく変化し、ライフスタイルや家族の生活の在り方も著しく多様化している。取り分け、女性の就業率の上昇とともに、いわゆる共働きの世帯が著しく増加しただけでなく、様々な分野において、継続的に社会と関わる活動等に携わる女性も大きく増加し、婚姻前の氏の維持に係る利益の重要性は、一層切実なものとなっている」。
 「昭和22年当時は、夫婦が同一の姓を称する制度を定める国も少なくなかったが、その後、女子差別撤廃条約の採択及び発効等を経て、現在、同条約に加盟する国で、夫婦に同一の姓を義務付ける制度を採っている国は、我が国のほかには見当たらない」。「婚姻及び家族に関する法制度は、それぞれの国の社会の状況や国民の意識等を踏まえて定められるものであるが、人権の普遍性及び憲法98条2項の趣旨に照らし、以上のような国際的規範に関する状況も考慮する必要がある」。
 「夫婦別氏の選択肢を設ける場合には、嫡出子に関する仕組みの下における嫡出子の氏の取扱いや、氏を異にする夫婦及びその子の戸籍の編製の在り方などを定める必要があり、これらについては、政策的な検討と判断が必要である。しかし、平成8年に法制審議会が『民法の一部を改正する法律案要綱』の答申をしてからおよそ四半世紀が経過し、その間も様々な場における議論や上記勧告等がなされる中で、国会においては、具体的な検討や議論がほとんど行われてこなかったものとうかがわれ、上記の点が、夫婦別氏の選択肢を設けていないことを正当化する理由となるものではない」。
 「以上のような事情の下において、本件各規定について、法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことが、婚姻の自由を制約している状況は、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らし、本件処分の時点で既に合理性を欠くに至っているといわざるを得ない」。「本件各規定に係る婚姻の要件について、法が夫婦別氏の選択肢を設けていないこと、すなわち、国会がこの選択肢を定めるために所要の措置を執っていないことは、憲法24条の規定に違反する」。
(5) 婚姻の届出の受理(消極)
 「本件各規定について、上記の違憲の問題があるとしても、婚姻の要件として、夫婦別氏の選択肢に関する法の定めがないことに変わりはない」。そうした状況の下で、「このような届出によって婚姻の効力が生ずると解することは、婚姻及び家族に関する事項について、重要な部分に関する法の欠缺という瑕疵を伴う法制度を設けるに等しく、社会的にも相応の混乱が生ずることとなる。これは、法の想定しない解釈というべきである」。

【反対意見(宮崎裕子、宇賀克也、各裁判官)】
 「私たちは、多数意見と異なり、本件各規定は憲法24条に違反するものであるから、原決定を破棄し、抗告人らの婚姻の届出を受理するよう命ずるべきであると考える」。
(1)憲法24条1項
 憲法24条1項は、「婚姻においても憲法13条及び14条1項の趣旨が妥当することを前提とした上で、婚姻の成立と婚姻の維持についてかかる趣旨を具体的に定める規定と解される」。「婚姻をするについての当事者の意思決定が自由かつ平等なものでなければならないことは、憲法13条及び14条1項の趣旨から導かれると解されるから、憲法24条1項の規定は、憲法13条の権利の場合と同様に、かかる意思決定に対する不当な国家介入を禁ずる趣旨を含み、国家介入が不当か否かは公共の福祉による制約として正当とされるか否かにより決せられる」。
 「憲法24条2項の規定は、同条1項も前提としつつ、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、婚姻及び家族に関する事項に係る法律の制定改廃における立法裁量の限界を画したものである」。「この『立法裁量の限界』は、かかる法律が憲法13条、14条1項に反するものであってはならないだけでなく、婚姻については憲法24条1項の趣旨に反するものであってもならず、また、これらの憲法の条項に反するとまではいえない場合であってもいずれの部分においても個人の尊厳と両性の本質的平等の原則を侵す内容であってはならないことを意味する」。
 「法律によって婚姻の成立に何らかの制約を課すことが憲法24条1項の趣旨に照らして、婚姻をすることについての当事者の自由かつ平等であるべき意思決定に対する不当な国家介入に当たらないといえるためには、その制約が、夫婦になろうとする個人のそれぞれの人格が尊重されることを否定するものであってはならず、自由かつ平等であるべき本人の意思決定を抑圧するものでないことが必要である」。
 「憲法24条1項の『夫婦が同等の権利を有することを基本として』との規定部分における『権利』には・・・人格権(人格的利益を含む。)も当然含まれるといってよい。そして、かかる『権利』が憲法上の権利に限定されると解すべき根拠は文理上見当たらない。そもそも、憲法上の権利については、国民は、婚姻しているか否かにかかわらず、すべからく個人として性別による差別なく憲法13条の権利を享受できるのであるから、わざわざ夫となり妻となった者のみを捉えて平等原則を規定することが憲法24条1項のこの部分の規定の趣旨であるとは解し難い。むしろ、この『権利』には、憲法の他の条項に基づく憲法上の権利に当たるか否かにかかわらず、婚姻の基礎にあるべき個人の尊重あるいは個人の尊厳という観点からみて重要な人格権が含まれ、かかる『権利』について、当該個人が夫であり妻であるがゆえに、その一方のみが享有し他方が享有しないという不平等な扱いを禁じたものと解するのが、婚姻について特にこの規定が設けられた趣旨に沿う」。
 「人格権については分割を観念することができないことを考えると、夫と妻の双方がそれぞれ人格権を享有することが第三者の権利を不当に侵害するとか、公共の福祉に反することになるなどの正当な理由がないにもかかわらず、婚姻のみを理由として夫と妻とがそれぞれの人格権を同等に享有することが期待できない結果をもたらすことになるような法律の規定は、憲法24条1項の趣旨に反する」。
 「婚姻自体は、国家が提供するサービスではなく、両当事者の終生的共同生活を目的とする結合として社会で自生的に成立し一定の方式を伴って社会的に認められた人間の営みであり、私たちは、原則として、憲法24条1項の婚姻はその意味と解すべきであると考える。もし様々な理由から、婚姻の成立や効力、内容について法令によって制約を定める必要があるのであれば、かかる制約が合理性を欠き上記の意味における婚姻の成立についての自由かつ平等な意思決定を憲法24条1項の趣旨に反して不当に妨げるものではないことを、一つひとつの制約について各別に検討すべきである」。「民法における婚姻制度において定められた特定の制約が、婚姻をするについての当事者の自由かつ平等な意思決定を憲法24条1項の趣旨に反して不当に侵害すると認められる場合には、かかる制約はかかる侵害を生じさせる限度で違憲無効とされるべきである」。
 「以上から、憲法24条1項の婚姻は、民法によって定められた婚姻制度上の婚姻から、同項を含む憲法適合性を欠く制約を除外した内容でなければならない」。
(2)夫婦同氏を婚姻届の受理要件に関する「婚姻をするについて」の直接制約性
 「本件において、抗告人らに対して単一の氏の記載(夫婦同氏)を婚姻届の受理要件とするという制約を課すことは・・・抗告人らの婚姻をするについての意思決定を抑圧し、自由かつ平等な意思決定を妨げるものといわざるを得ない。そうである以上、本件においては、そのような制約は、婚姻をするについての直接の制約に当たる」。
(3)人格的利益の由来と性質
 「夫婦同氏を婚姻成立要件とすることが婚姻をするについての直接の制約かについて判断するに当たっては、氏名に関する人格的利益の由来や性質をこそ考慮すべきであって、氏を名から切り離して論ずるだけではこの争点に含まれる問題の本質を的確に捉えることはできない」。
 「本件で主張されている氏名に関する人格的利益は・・・個人の尊重、個人の尊厳の基盤を成す個人の人格の一内容に関わる権利であるから、憲法13条により保障される」。「この権利を本人の自由な意思による同意なく法律によって喪失させることは、公共の福祉による制限として正当性があるといえない限り、この権利に対する不当な侵害に当たる」。
 「本件では、氏名に関する人格的利益の由来、性質を明らかにした上で、夫婦同氏を婚姻成立の要件とするという本件各規定によって課されている制約に合理性があるか、公共の福祉による制限として正当性があるかが問われなければならない」。
(4)本制度による制約の意味とその制約の不当性
 「ア 夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることは、婚姻をするについての意思決定と同時に人格的利益の喪失を受け入れる意思決定を求めることを意味すること」、「イ 夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることは、婚姻後、夫婦が同等の権利を享有できず、一方のみが負担を負い続ける状況を作出させること」、そして「ウ 本件においては、夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることによって婚姻をするについての自由かつ平等な意思決定が抑圧されること」がありうる。また「夫婦同氏制は夫婦になろうとする者の対等な協議によって氏を選ぶと定めるものであることは、上記の結論に影響を及ぼさない」。
 「もしその制約を正当化するような公共の福祉の観点からの合理性があるならば、夫婦同氏を婚姻成立の要件とするという制約は同項の趣旨に反するほどの不当な国家介入とはいえないと考えることができる」が、それはあるのか。
 「そもそも氏が家族の呼称としての意義を有するとする考え方は、憲法上の根拠を有するものではない」。「氏はかかる家族の呼称としての意義があることが、氏名に関する人格権を否定する合理的根拠になるとは考え難い」。「子の氏とその両親の氏が同じである家族というのは、民法制度上、多様な形態をとることが容認されている様々な家族の在り方の一つのプロトタイプ(法的強制力のないモデル)にすぎ」ず、「現実にも、夫婦とその未婚子から成る世帯は、時代を追うごとにますます減少しており、世帯や家族の実態は極めて多様化し、子の氏とその子が家族として暮らす者の氏が異なることもまれでなくなっている」。「そのプロトタイプたる家族形態において氏が家族の呼称としての意義を有するというだけで人格的利益の侵害を正当化することはできない」。
 「私たちは、氏には家族の呼称という側面があることまで否定するものではないが・・・それを憲法上の要請と位置付ける根拠はなく、平成27年大法廷判決が夫婦同氏制に合理性があるとして挙げている『氏は、家族の呼称としての意義がある』という説明に氏名に関する人格権を否定する合理的根拠があるとは考えにくい」。加えて、「それ以外に同判決で夫婦同氏制の合理性の説明として挙げられている内容(氏は夫婦であることを対外的に公示し識別する機能を有すること、嫡出子であることを示すこと、家族の一員であることを実感すること、子がいずれの親とも氏を同じくすることによる利益を享受しやすくすること)は、いずれも民法が想定している夫婦や親子の姿の一部を捉えているとはいえても・・・家族形態の多様化という現実と、家族の形が多様であることを想定し容認する民法の寛容な基本姿勢に照らすと、夫婦同氏制の合理的根拠とはいい難い」。
 「抗告人らのように生来の氏名に関する人格的利益の喪失を回避し、夫婦が同等の人格的利益を享受することを希望する者に対して夫婦同氏を婚姻成立の要件として当事者の婚姻をするについての意思決定を抑圧し、もって婚姻をするについての自由かつ平等な意思決定を侵害することについて、公共の福祉の観点から合理性があるということはできない」。
 「そうすると、本件各規定は、抗告人らのように婚姻しようとする当事者双方が生来の氏を称することを希望する者に対して、夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける点で、憲法24条1項の趣旨に反する」。
(5)憲法24条2項の判断枠組み
 「私たちは・・・抗告人らのように婚姻届において夫婦同氏に同意しないことを明らかにしている者に対して夫婦同氏を婚姻成立要件として課すことは、婚姻をするについての当事者の意思決定を抑圧し、もって婚姻をするについての自由かつ平等な意思決定を妨げる不当な国家介入に当たり、憲法24条1項の趣旨に反するので、本件については、平成27年大法廷判決が示した・・・判断枠組みの適用の前提を欠くから、その判断枠組みによって判断することはできず、法律が同項の趣旨に反する場合には、そのことのみをもって、かつその限度では、同条2項の個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律とはいえず、立法裁量を逸脱していると考える」。
(6)平成27年大法廷判決の判断枠組みに基づく合憲性審査
 「仮に、生来の氏名に関する人格的利益は憲法上の権利に当たらず、本件各規定が憲法24条1項の趣旨に反する婚姻成立の要件を定めるものとは直ちにはいえないという見解に立ち、平成27年大法廷判決が判示する判断枠組みによって夫婦同氏制の憲法24条適合性を総合判断することとしたとしても、私たちは、本件における夫婦同氏制の同条適合性判断においては」、「ア 夫婦同氏制は個人の尊厳と両性の本質的平等に適合しない状態を作出する制度であること」、「イ 平成27年大法廷判決後の旧姓使用の拡大は、夫婦同氏制の合理性の実態を失わせていること」、「ウ 我が国が女子差別撤廃条約に基づいて夫婦同氏制の法改正を要請する3度目の正式勧告を平成28年に受けたという事実は夫婦同氏制が国会の立法裁量を超えるものであることを強く推認させること」を「平成27年大法廷判決では考慮されなかった事情として追加的に考慮すべきであり、それらを適切に考慮すれば、夫婦同氏制を定めた本件各規定は、遅くとも本件処分の時点においては、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないから、同条に違反するとの結論に至る」。
(7)婚姻の届出の受理(積極)
 「本件各規定のうち夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける部分が違憲無効であるということになれば、本件処分は根拠規定を欠く違法な処分となり、婚姻の他の要件は満たされている以上、市町村長に本件処分をそのままにしておく裁量の余地はなく、本件婚姻届についても、婚姻届不受理処分が違法である場合の一般の審判と同様、届出の日付での受理を命ずる審判をすべきことになる」。「夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける規定が違憲無効である以上、抗告人らが夫婦が称する単一の氏を定めて本件婚姻届に記載していないことが、同項(*戸籍法34条2項)による不受理事由となるものでもない(注:*は筆者による)」。「国会においては、全ての国民が婚姻をするについて自由かつ平等な意思決定をすることができるよう確保し、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律の規定とすべく、本件各規定を改正するとともに、別氏を希望する夫婦についても、子の利益を確保し、適切な公証機能を確保するために、関連規定の改正を速やかに行うことが求められよう」。

【反対意見(草野耕一裁判官)】
 「私は、多数意見とは異なり、本件各規定は憲法24条に違反するといわざるを得ないがゆえに、原決定はこれを破棄し、抗告人らの婚姻届の受理を命ずるべきであると考える」。
 「選択的夫婦別氏制の導入によって向上する福利が同制度の導入によって減少する福利よりもはるかに大きいことが明白であり、かつ、減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえないとすれば、当該制度を導入しないことは、余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり、もはや上記立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず、本件各規定は憲法24条に違反する」。「以上の観点に立ち、選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利と、それによって減少する国民の福利とを分析し、衡量する」と、「選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は、同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり、かつ、減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない。そうである以上、選択的夫婦別氏制を導入しないことは、余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり、もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず、本件各規定は、憲法24条に違反している」。

Ⅲ 検 討

1.大法廷回付の背景
 事件が最高裁に上がってきたとき、どのような場合に大法廷に回付されるのか。これについて裁判所法10条1号から3号には、次の諸規定が設けられている。「一 当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。)」、「二 前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき。」、そして「三 憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき。」。大法廷に回付された本件では、このうちのいずれかに該当することが想定されており、婚姻における夫婦の同氏制度に関する新たな憲法判断も期待された。
 しかし、最高裁大法廷は、平成27年決定を踏襲したにすぎなかった。これについては、最高裁判所裁判事務処理規則10条で、「一 裁判所法第十条第一号乃至第三号に該当する場合」、「二 その小法廷の裁判官の意見が二説に分れ、その説が各々同数の場合」、「三 大法廷で裁判することを相当と認めた場合」と定めており、今回、特に第二小法廷に所属する長官を除く判事(4名)の「合憲」、「違憲」判断が、(多忙で小法廷にはコミットしないことが多い長官を除いて)それぞれ2名と別れていたことなどが大きな意味があったからだとされる※3。この度の大法廷回付は、憲法判断や判例変更をするためというよりも、裁判事務処理規則上の必要性による可能性が高いものだと推察される。

2.多数意見の特徴
 多数意見は、平成27年決定を踏襲したことに加え、その後の(原決定が認定する)諸事情等を踏まえたとしても、判断を変えるには至らないとしており、今回の判決の顕著な特徴を見て取ることは難しい。加えて、今回、憲法13条については、当事者が議論の対象から外している一方で、憲法14条1項に係る主張を当事者が行っていたのにもかかわらず、後者については、特別抗告の事由にも挙げられないという取扱いを受けている(以降に見る三浦意見や宮崎・宇賀反対意見でも、積極的な憲法14条1項の議論は展開されていない)。

3.少数意見から見た本件に関する論点
 他方、本判決では、特に三浦意見、宮崎・宇賀反対意見による憲法論に特徴が見られることに加えて、それらの論理展開の違いが注目される。これらの憲法論に関するおおよその共通部分は、ある制度を憲法上の諸権利・諸原則に照らして見た場合、それが一定の人々の諸権利に関わるものとなっていて、かつそれらを強く制約していないかどうかを丁寧に吟味し、その制限の正当化ができるのかどうかを検討している点である。その際に、時の経過や外国・条約等の事情を踏まえた判断になっている点も重要であろう。これらは学説などを含む憲法論に一般的に見られる論証の作法を踏まえたものである。
(1)憲法24条1項の趣旨と「婚姻(をするについて)の自由」
 それらを示したうえで両見解は、現在における夫婦同氏強制制度についての憲法上の問題を指摘するのであるが、憲法上の規定をめぐるそれぞれの理解には差異が見られる。特に注目したいのが、憲法24条1項の理解に関する記述である。本制度が憲法24条に違反しないのかどうかを検討するなかで三浦意見は、「婚姻の自由」が憲法24条1項により保障されるとしている。これに対して宮崎・宇賀反対意見は、それを明示していない。それでは、こうした違いはどのように生じているのか。
 まず、三浦意見は、「婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をするかということは、単に、婚姻という法制度を利用するかどうかの選択ではない」とし、「婚姻は、その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択であり、個人の幸福の追求について自ら行う意思決定の中で最も重要なものの一つである」としている点に注目する。三浦意見は、幸福追求に係る自己決定のひとつに婚姻を挙げながらも、総論的規範としての憲法13条(幸福追求権)などから独立した憲法24条1項を、婚姻自体の固有の意味を重視した個別の「自由」規定と位置付けたのであろう。
 これに対して宮崎・宇賀反対意見は、「婚姻をするについての当事者の意思決定が自由かつ平等なものでなければならないことは、憲法13条及び14条1項の趣旨から導かれると解される」としており、憲法24条1項により「婚姻の自由」が直に保障されるという構成となっていない。また、伝統的な「婚姻をするについての自由」に関する理解に見られるように、婚姻を選択する場合の、選択に係る権利や自由、平等原則の議論に結びついている。
 宮崎・宇賀反対意見のこうした理解に対しては、三浦意見の「婚姻の自由」のように、より積極的に婚姻に係る固有の権利・自由を承認したうえで論理を展開することを求める批判的見解も生じるかもしれない。もっとも、三浦意見のいう「その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択」を重視するか否かについては、それ自体、(婚姻をしない者やパートナーを持たない人などのことを踏まえると、全ての人が同じ価値を有するのかどうかという問題も生じる点から)万人に同一にその価値を積極的に承認すべきかどうかに加え、仮にそれを重視したとしても、婚姻制度を利用することと「伴侶の選択」が同一線上の関係にあるのかどうかさえ不明であることを考えた場合、憲法24条1項は、婚姻制度を利用する人にとっての特別な「人権」規定となるような論理構成は、一般性・普遍性を重視する人権論に有用かどうかは見極める必要がある。このことに関連して宮崎・宇賀反対意見は、憲法24条1項の別の論点に関する記述として「憲法上の権利については、国民は、婚姻しているか否かにかかわらず、すべからく個人として性別による差別なく憲法13条の権利を享受できるのであるから、わざわざ夫となり妻となった者のみを捉えて平等原則を規定することが憲法24条1項のこの部分の規定の趣旨であるとは解し難い」とする。つまり、憲法上の権利・自由の保障の一般性を重視しており、特定のカテゴリーに係る憲法上権利の新たな創設に対する慎重姿勢が見られる。
 憲法24条1項から「婚姻の自由」保障を導かない宮崎・宇賀反対意見であるが、実はこれによって、夫婦同氏強制を違憲に導くための、さらに別ルートからの強靭な解釈論が展開される。すなわち同反対意見は、憲法24条1項の「夫婦が同等の権利を有することを基本として」という文言に現れる「権利」には「人格権(人格的利益を含む。)も当然含まれるといってよい。そして、かかる『権利』が憲法上の権利に限定されると解すべき根拠は文理上見当たらない」とし、「この『権利』には、憲法の他の条項に基づく憲法上の権利に当たるか否かにかかわらず、婚姻の基礎にあるべき個人の尊重あるいは個人の尊厳という観点からみて重要な人格権が含まれ、かかる『権利』について、当該個人が夫であり妻であるがゆえに、その一方のみが享有し他方が享有しないという不平等な扱いを禁じたものと解するのが、婚姻について特にこの規定が設けられた趣旨に沿う」とするのである。こうした理解に立つならば、婚姻制度の制度化にあたって、あらゆる角度の(憲法上、あるいは法律上の)重要な人格権につき「当該個人が夫であり妻であるがゆえに、その一方のみが享有し他方が享有しないという不平等」(宮崎・宇賀反対意見)を禁止する規定として憲法24条1項を捉えることができる(なお、宮崎・宇賀反対意見は、氏名に関する人格的利益は、憲法13条により保障されるとしており、以下に見るように、夫婦同氏強制自体が、この規定で保障される人格的利益を大きく制約することを述べている)。こうした理解は、憲法13条14条の人権・原則の諸規定としての一般性を重視しながら、憲法24条1項自体について、固有の「自由」規定とは理解しない一方で、固有の規範的意味を与える解釈論として注目できる。
(2)「氏に関する人格権」とその権利性
 宮崎・宇賀反対意見の特徴としてもうひとつ注目しておきたいのが、「氏に関する人格権」理解とその権利性である。この点について同意見は、平成27年判決が示しているとされる、①「氏を名から切り離して論ずる点」と、②「氏に関する人格権は法制度をまって初めて具体的に捉えられるものであるとする点」に関して、最高裁とは異なる見解を示している。このうち①について、氏と名とを端的に切り離して前者の意義とその変更の社会的影響力を軽視していることを批判することは説得的である。また、②について、そもそも氏が出生時の法制度により強制的に決められたとしても(その意味において変更の権利などがないとしても)、その後の個人識別機能に重点を置き、そこから経験的に生じる人格的利益について特に目を向けている点を評価したい。氏名をめぐってはこれまでの最高裁も「人格権」の一内容であることは否定しない※4。もっとも、「名」もそうかもしれないが、とりわけ「氏」については、当事者自身の「自己決定」により左右されるものではなく、現在の法制度のなかでは(自身では選択しがたいという意味において)運命的な側面があるからか、氏の伝統的役割を直感的に重視する思考のもとでは「氏」の変化もまた制度依存によるものである。そこで、具体的な強制的変更の場面では、憲法13条による保障の議論が及びづらいのかもしれない。しかし同意見は、運命的に決定された後に生じる「人間としての人格的、自律的な営み」(宮崎・宇賀反対意見)のなかで形成される法的権利性を重視しているのであり※5、氏の決定時点と法制度依存に着目した憲法13条論からの転回を求めるものである。こうして一定の法的権利性を認め、その制約の正当化ができるのか否かという議論へと進む部分についても、そもそも(憲法13条に関する)権利制約が起きていないとする従前の最高裁の論理※6とは異なる。
(3)憲法24条2項違反の判断枠組み
 憲法24条2項違反の判断枠組みをめぐって三浦意見と宮崎・宇賀反対意見とは、それぞれの指針を示している。
 三浦意見は、(憲法24条1項で保障される)「婚姻の自由」に関する(本件のような)制約が憲法24条全体に適合するか否かについては、「婚姻及び家族に関する法制度における本件各規定の趣旨、目的、当該自由の性質、内容、その制約の態様、程度等を総合的に衡量」し、「個人の尊厳と両性の本質的平等の要請」(憲法24条2項)を踏まえて、その合理性判断を求める。
 他方、宮崎・宇賀反対意見は、まずは、そもそも本制度が憲法13条、14条1項に違反しないということを前提に憲法24条審査に入る平成27年判決の判断枠組みを批判し、「私たちは・・・婚姻届において夫婦同氏に同意しないことを明らかにしている者に対して夫婦同氏を婚姻成立要件として課すことは、婚姻をするについての当事者の意思決定を抑圧し、もって婚姻をするについての自由かつ平等な意思決定を妨げる不当な国家介入に当たり、憲法24条1項の趣旨に反する」のであり、上記「判断枠組みの適用の前提を欠く」ので「その判断枠組みによって判断することはでき」ないとする。そして、憲法13条、14条1項違反が観念され、憲法24条1項にいう様々な憲法・法律上の「権利」の尊重がなされていない以上、すでに同条2項の個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚しておらず、立法裁量を逸脱していると直截に捉える。それでもなお、仮に平成27年判決の判断枠組みを前提とした場合と断ったうえで、その枠組みからの判断を一応展開するという二段階の審査手法を採っていることが特徴的である。
 以上のように三浦意見は、婚姻の自由(憲法24条1項)制限と同2項の要請を踏まえた合理性審査に持ち込むのに対して、宮崎・宇賀反対意見は、不当な「人格権」侵害があることを憲法24条1項の審査の段階で確認し、そのことから2項の「個人の尊厳と両性の本質的平等」にも反しているという構成になっている点が、違いとして表れている。
(4)夫婦同氏制を支える諸事情の正当化をめぐる議論
 三浦意見と宮崎・宇賀反対意見には、いかなる憲法理解を採るべきか、という点に関する異同が多く見られる。他方で、本制度の憲法適合性に係る正当化の審査の場面では、両意見とも、本制度を合憲としてきた従前の最高裁による理由付けの合理化について厳しい対応をしている(もっとも、宮崎・宇賀反対意見は、仮に平成27年判決の判断枠組みを採用した場合には、という条件付きの審査である)。特に、夫婦で同氏を称することによる家族の一体化論や、子の利益論に合理的な理由がないことを示すと同時に、夫婦間で多くの場合に男性の氏が選択されているという事情も、女性に関する実質的な不平等扱いになることを認めている。さらに通称使用が認められるとしても、それが根本的解決になっていないことも示される。
 このように三浦意見と宮崎・宇賀意見とは、前提となる憲法上の諸規定の理解とそこから導き出される憲法上の諸権利・自由についての理解に差があるものの、本制度が憲法上何等かの問題があると考えており、最高裁の従来の説示には合理的根拠がないはずだという強い論証が見られる。そこで、憲法適合性に係る議論をめぐっては両論とも共通して、今回の問題をどのような権利・自由として捉えれば、より効果的に違憲的な結論へと導くことができるのかといったことを詳細に考えた論証となっているといえよう。
(5)国内立法に係る時の経過と国際的動向
 また、両意見ともに一定の本件問題をめぐる①国内的な(立法府等の)動向(時の経過論)と②国際的動向について触れているのが特徴的である。広く国内外の世情等を合憲性適合審査に入れてくることの背景には、ある特定の制度の設計について、国会に一定の裁量がある場合、このところの最高裁判決では、権利や自由の実体的侵害があるのか否かについての評価から直接的に憲法適合性に関して結論が示されないことがあるという特徴がある。そうではなく、過去と現在の社会状況を比べ、立法の背景となっている人々の社会認識の変化を理由に、これまで以上に違憲な状態が生じていないかという「時の経過」を追い、「かつては合憲であったが現時点では違憲」といった論理を通じて結論を出す場合が散見される。非嫡出子の相続分差別をめぐる平成25年最高裁大法廷決定※7は、こうした手法により違憲判断を示している。もっとも、社会背景の変化や国際的な立法動向などを踏まえて世情の変化が生じたことにより違憲とする認識が高まったといった類の手法は、最高裁自身が従前に行った同一問題に関する結論についての自省を避けることができる効果があることに注意したい。
 夫婦同氏訴訟の平成27年判決(多数意見)では、時の経過に関する検討はあまりなされていない(少数意見についてはそれに留まらない)。これに対して本件の令和3年決定では、多数意見においても「平成27年大法廷判決以降にみられる女性の有業率の上昇、管理職に占める女性の割合の増加その他の社会の変化や、いわゆる選択的夫婦別氏制の導入に賛成する者の割合の増加その他の国民の意識の変化といった原決定が認定する諸事情等を踏まえても、平成27年大法廷判決の判断を変更すべきものとは認められない」とする説示が見られることから、時の経過を理由とする判例変更の可能性を当事者が狙っていたとみられる。なお、この説示では最後に「その他の国民の意識の変化」が示されているが、それ以前の記述は法的状況の記述的説明であるのに対して、「国民の意識の変化」については変化を客観的に確認する決定打となる指標にはなりづらい※8
 では上記の三浦意見や宮崎・宇賀反対意見はどうであったか。この点について三浦意見は、平成27年判決からの事情の変化を読み取るのではなく、当該制度ができた戦後当初からの「事情の変化」についてとらえ、本件処分自体における合理性の欠如について述べている。これに対して宮崎・宇賀反対意見は、平成27年判決以降の事情変化を重視している。このように平成27年判決以降の事情変化を丁寧に拾うことのほうが、前回の大法廷判決からの思考の転換と新たな結論を導くための道具としては用いやすいのではないか。ただし、平成27年から今日までにおいて、一定の法的状況の変化があったとして、比較的短い時間的スパンであったことを考慮すると、判断の決定打になるのかどうかはなお検証を要する。
 なお、こうした法的状況の変化について検証するにあたり、これら両意見では、条約やその運用の参照も際立っている(具体的国名はないものの、三浦意見では外国の制度などへの言及もある)。特に宮崎・宇賀反対意見における女子差別撤廃条約に関わる言及(女子差別撤廃委員会による夫婦同氏の是正を求める平成28年の3度目の正式勧告)は、上記の「事情の変化」論のなかでも特に法的な意味を持つ状況の変化に関することであり、特筆されよう。こうした参照については、参照法源の多様化、グローバル化の視点から一定の評価を見る場合がある一方で、上記のような条約に基づく勧告を国内裁判においてどのように評価すべきなのかという問題の他、外国の法的状況が、どの程度、日本国内の裁判での具体的判断に影響を及ぼすのかという疑問が提起される可能性がある。ただし、ここにいう「影響」の意味をめぐっては、それを厳密な意味での法的効力と見るのか、それとも法解釈を展開するにあたっての事実的影響力と見るのかにより、その参照の意義が変わってくる※9
(6)違憲判断と救済方法
 三浦意見と宮崎・宇賀反対意見の最終的な違いは、三浦意見が、本制度を違憲であると評価しつつも、婚姻届けを受理するか否かについては制度上、受理できないとし、宮崎・宇賀反対意見は、受理できるとした点にある※10。そこが「意見」と「反対意見」になった大きな理由である。
 法令に係る違憲判断を示した際に、具体的な制度化が行われていない部分に関する司法的救済はどのようにあるべきなのかという議論はこれまでも見られた。想起されるのが、かつての国籍法判決※11である。同判決は、平等原則に係る違憲判断をしたうえで国籍付与の司法的救済を行ったのであるが、これに対して、それが、司法上の機能とは異なる、事実上の立法措置にはならないのかという疑念が生じることとなった。これをめぐって当時の藤田宙靖裁判官は、補足意見として「立法府が既に一定の立法政策に立った判断を下しており、また、その判断が示している基本的な方向に沿って考えるならば、未だ具体的な立法がされていない部分においても合理的な選択の余地は極めて限られていると考えられる場合において、著しく不合理な差別を受けている者を個別的な訴訟の範囲内で救済するために、立法府が既に示している基本的判断に抵触しない範囲で、司法権が現行法の合理的拡張解釈により違憲状態の解消を目指すことは、全く許されないことではない」との見解を示している。
 本件における三浦意見は、合理的な拡張解釈をしようとすると制度の壁が生じることを指摘し、これに対して宮崎・宇賀反対意見は、違憲の状態にある法運用を(法改正なく)実施したとしても実質的弊害はないという理解に立つのだと思われる。これらはそのどちらも一理あるところかと思われるが、気をつけるべきは、上記に述べた裁判所による事実上の立法措置にならないかどうかという点の吟味である。現状の婚姻及びその届出の制度内で夫婦別氏を選択的に認めることは、上記藤田補足意見に則すならば「立法府が既に示している基本的判断に抵触しない範囲」であるのかどうかという点であろう。加えて、婚姻を理由とする氏の設定に関しては、特にその解決手法として、選択的別氏制度がクローズアップされるが、制度としての可能性としては、国の伝統や国民の意識などにも配慮しつつも、夫婦における別氏強制の他、子の誕生時における両親の氏の共有(スペインの例)や氏の新設なども考えられることから、(立法府の)「判断が示している基本的な方向に沿って考えるならば、未だ具体的な立法がされていない部分においても合理的な選択の余地は極めて限られていると考えられる場合」(藤田裁判官)に該当するのかどうかについてもまた、慎重に考えるべき点があるように感じられる。

まとめ
 以上では、憲法論として今回、特に注目される三浦意見と宮崎・宇賀反対意見との対比を中心にコメントした。本件の問題を総体的に見れば、日本の場合、実質的には、一律の同氏強制制度に加えて選択的夫婦別氏制度を導入すべきと考えるかどうかという選択問題にたどり着く。選択的夫婦別氏制度の導入を求める声に対する人々の意識の変化が少しずつ見られるように感じられるなかで、本判決についてもその過渡期的な判断と見ておきたい。


(掲載日 2021年9月3日)

  • 最大決令和3年6月23日裁時1770号3頁・WestlawJapan文献番号2021WLJPCA06239001。同決定の紹介として、二宮周平「民法750条(夫婦同氏制)と憲法」法学館憲法研究所報24号(2021年)44頁以下の〔補遺〕を参照。なお、夫婦同氏制に関して憲法的な考察をする文献は数多く、本稿での列挙は割愛する。
  • 最大判平成27年12月16日民集69巻8号2586頁・WestlawJapan文献番号2015WLJPCA12169001
  • このことについては、朝日新聞デジタル「最高裁判事のせめぎ合い見えた 夫婦同姓「合憲」の内幕」(2021年7月2日有料記事〔https://www.asahi.com/articles/ASP7242B7P6SUTIL03X.html〕)の無料公開部分を参照(2021年8月31日最終閲覧)。
  • 前掲注(2)で最高裁は、最判昭和63年2月16日民集42巻2号27頁・WestlawJapan文献番号1988WLJPCA02161051を参照しながら、「氏名は・・・人格権の一内容を構成する」とする。
  • 前掲(2)の最高裁は、一定の利益はあるが、それは「憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの」、「考慮すべき人格的利益」というレベルに留まっている。
  • 前掲注(2)で最高裁は、「婚姻の際に『氏の変更を強制されない自由』が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない」とする。
  • 最大決平成25年9月4日民集67巻6号1320頁・WestlawJapan文献番号2013WLJPCA09049001
  • 前掲注(7)の判決に関してこうしたことが触れられている評釈として、渡辺康行「民法900条4号ただし書き前段の合憲性(憲法No.4)」新・判例解説Watch 〔2014年4月〕(法学セミナー増刊・速報判例解説Vol.14)25頁の記述等を参照。
  • 日本が批准していない条約や外国法を国内法において「参照」すべきかという問題をめぐって、山元一「『国憲的思惟』vs『トランスナショナル人権法源論』」山元一・横山美夏・髙山佳奈子編著『グローバル化と法の変容』(日本評論社、2018年)13頁や、手塚崇聡『司法権の国際化と憲法解釈』(法律文化社、2018年)206頁に紹介される「拘束的権威」、「説得的権威」、「影響的権威」というカナダの研究者(Mayo Moran)の分類が興味深い。
  • なお、平成27年判決では国家賠償法1条1項に基づいて立法不作為の違法性が問われたことから、今回のような届出受理をめぐる救済問題が生じていないと考えられる。
  • 最大判平成20年6月4日民集62巻6号1367頁・WestlawJapan文献番号2008WLJPCA06049001

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