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文献番号 2021WLJCC011
東京都立大学 客員教授
前田 雅英
Ⅰ 判例のポイント
本件は、福岡県飯塚市で平成4年2月に登校中の小学1年の女児2人に対する略取誘拐罪・殺人罪・死体遺棄罪で有罪となり、死刑が執行された元死刑囚(当時70歳)の再審請求棄却決定に対する即時抗告棄却決定に対する特別抗告事件である。最高裁は元死刑囚の妻(申立人)の特別抗告を退けた。
Ⅱ 事実の概要と再審の争点
1 確定判決(第1審判決)が認定した事実をまとめると、被告人(当時54歳。以下「事件本人」ということもある。)が、平成4年2月20日、福岡県飯塚市内の道路において、児童2名を認め、両名が未成年者であることを知りながら、自動車に乗車させ、通学路外に連れ出して、未成年者である両名を略取又は誘拐し、殺意をもって、両名の頸部を手で絞め付け圧迫し、両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同県内の山中に死体を遺棄したというものである。
事件本人は、犯人ではないと争ったが、①事件本人は、目撃供述による「本件犯行に犯人が使用したと疑われる車両」と特徴を同じくする車を所有し、かつ、児童の失踪場所等に土地鑑を有すること、②被害者両名の着衣から発見された繊維片は、事件本人の車と同型の車に使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと、③事件本人の車の座席シートから被害者の1人と同じ血液型の血痕と人の尿痕が検出され、被害者両名ともに殺害時に生じたと認められる失禁と出血があったこと、④科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者両名の膣内容物及び膣周辺付着物の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、血液型、DNAのMCT118型※2はいずれも事件本人の型と一致していること、⑤被害者両名が失踪した時間帯及び失踪場所は、事件本人が妻を通勤先に車で送った後の時間帯及び通路に当たっていた可能性があり、事件本人にアリバイが成立しないことなどが認められ、以上の諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えて認定することができるとし、事件本人を死刑に処した。事件本人が控訴を申し立てたが棄却され、上告も棄却されて、第1審判決が確定した。
2 本件再審請求にあたっては、新証拠として、日本大学文理学部嚴島教授の、①の目撃供述の信用性を争う鑑定書と、筑波大学社会医学系本田教授の、④の血液型鑑定・DNA型鑑定の各証拠能力・信用性に関する鑑定書が提出された。
特に、科警研の血液型鑑定・DNA型鑑定には証拠能力ないし信用性が欠け、②③⑤等の情況証拠を総合しても、犯人と認めることはできないので、④に関する新証拠は確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるものであり、再審を開始すべきであると主張した。
3 再審に関する原々決定は、科捜研の本件鑑定後、MCT118型の鑑定方法等が改善された結果、本田鑑定にあるように、従来以上に細かなMCT118型を知り得るようになったので、科警研の鑑定によって、犯人と本件事件本人の「MCT118型が一致した」とまでは認めることはできないが、より抽象化された型の群としてみれば、両者は重なり合っており、両者が一致しないと認めることもできないとした。その上で、原々決定は、確定判決が認定した情況事実は、各々独立した証拠によって認められるものであって、MCT118型が一致したことを除いても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がされており、新証拠はいずれも確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるものではないとして、再審請求を棄却した。
4 これに対し、申立人は、新証拠によって旧証拠の証明力が減殺された場合には、そのことのみによって確定判決に合理的な疑いが生じない場合であっても、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生ずるか否かを判断すべきであり、その際には、旧証拠それぞれの証明力を再評価すべきであるのに、原々決定は、それを行っていないなどと主張し即時抗告を申し立てた。
しかし、原決定は、旧証拠の証明力に関する原々審弁護人の主張について明示的に判断を示していないことに誤りはないとして、即時抗告を棄却したので、申立人は、特別抗告を行った。
Ⅲ 判旨
申立人に対して、最高裁は「原決定の判断は、正当なものとして是認することができる」として、特別抗告を棄却した。
申立人は、旧証拠のうち、MCT118型鑑定以外の、科警研が実施したHLADQα型鑑定、帝京大学石山昱夫教授が実施したミトコンドリアDNA型鑑定・HLADQB型鑑定についても、本田教授の鑑定書等によって証明力が減殺された科警研のMCT118型鑑定と関連している以上、それらの証明力を再評価しなければならないとし、再評価すれば、事件本人は犯人ではないといえると主張した。
「所論について検討すると、MCT118型鑑定の証明力減殺は、同鑑定の手法が改善されたことによるものであるのに対し、HLADQα型鑑定並びにミトコンドリアDNA型鑑定及びHLADQB型鑑定の証明力は、確定判決が説示するとおり、鑑定資料のDNA量や状態の不良、更にはこれらの鑑定自体の特性等に基づいて評価されるべきものであって、MCT118型鑑定の証明力減殺が、HLADQα型鑑定並びにミトコンドリアDNA型鑑定及びHLADQB型鑑定の証明力に関する評価を左右する関係にあるとはいえないから、それらの再評価を要することになるものではない。以上によれば、原々決定がこれらの鑑定の証明力を再評価しなかったことに誤りはない旨判示した原決定の判断は正当である。
そのほか、所論は、本田教授の見解に基づき、科警研の血液型鑑定及びMCT118型鑑定の手法は科学的に誤っており信用することができないなどというが、科警研の各鑑定に関する・・・原々決定の信用性評価を是認した原決定の判断に誤りがあるとはいえない。」
そして、「新証拠によって・・・目撃供述の信用性が否定されたとはいえず、犯人と事件本人のMCT118型鑑定が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がされており、新証拠はいずれも確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるものではないという原々決定の判断を是認した原決定の判断は、正当である。」と判示した。
Ⅳ コメント
1 三審制という裁判制度の下では、法的安定性の視点を強調すれば、「裁判が確定した以上、一切変更を許さない」とすることにもなり得るが、確定判決に重大な誤りがあっても是正できないとするのは、あまりに正義に反し、具体的妥当性に欠ける。そこで、その両者の要請をバランスよく充たすため、一定の理由がある場合に限って再審請求が認められている。
刑事訴訟法に定められた再審理由の内、重要なのは「無罪等を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見した場合」(刑事訴訟法435条6号)である(池田修・前田雅英『刑事訴訟法講義〔6版〕』554頁(東京大学出版会、2018年))。明らかな証拠(明白性)とは、原判決の事実認定について合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいう(最一小決昭和50年5月20日刑集29-5-177・WestlawJapan文献番号1975WLJPCA05200006[白鳥決定])。
2 ただ、再審が認められるのは、新証拠が加わることによって有罪認定に合理的疑いが生じる事案に限られるのが当然であり、事案の個別的な検討なしに再審請求の当否を論ずることはできない。そして、判例は、新証拠によって確定判決の有罪認定の根拠となった証拠の一部について証明力が大幅に減殺された場合であっても、新旧全証拠を総合して検討すれば合理的な疑いを生ずる余地がないときは、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」を発見した場合に当たらないとしている(最三小決平成9年1月28日刑集51-1-1・WestlawJapan文献番号1997WLJPCA01280007)。
3 本件では、MCT118型鑑定の証明力が減殺された以上、他のHLADQα型鑑定、ミトコンドリアDNA型鑑定等の再評価を要するのではないかが争われた。再審をより広く認めるべきものとする学説には、「確定判決における有罪認定とその証拠関係に、疑念が生じた以上、旧証拠の全てを再評価すべき」とする見解が存在する。「新証拠によって確定判決の証拠構造が維持できなくなれば明白性が認められる」とするいわゆる証拠構造論を主張する学説である(白鳥祐司『刑事訴訟法〔9版〕』529頁(日本評論社、2017年)参照)。しかし、判例は証拠構造論を採用してはこなかった。
4 本決定も、MCT118型鑑定の証明力が減殺されたのは同鑑定の手法が改善されたことによるものであり、他の型鑑定の証明力は、鑑定資料のDNA量や状態の不良、更にはこれらの鑑定自体の特性等に基づいて評価されるべきで、MCT118型鑑定の証明力減殺が、他の型鑑定の証明力に関する評価を左右するものではないので、再評価は要しないとしたのである※3。
そして、犯人と事件本人のMCT118型鑑定が一致したことを除いたとしても、他の情況事実を総合すれば、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がされているとした。本決定も、判例の再審判断の構造を維持したといえよう。
5 DNAが絡む再審事件においては、科警研、科捜研が開発し発展させてきたDNA型式鑑定に対するスタンスの差が軸となって展開されてきたといっても過言でない。本件でも、再審請求側は、科警研のDNA型鑑定は、再審無罪となった足利事件と同じ約30年前のもので精度が低い等と指摘してきた。そして本田鑑定等を基に「同鑑定では、型が一致したとはいえない」と主張し、旧証拠の全てを再評価すべきだとした。そして、目撃証言も警察官に「誘導された疑いがある」とし、HLADQα型鑑定並びにミトコンドリアDNA型鑑定及びHLADQB型鑑定の再評価を要すると訴えたのである。
6 本田鑑定は、昭和41年に起きた袴田事件でも、平成26年の静岡地裁再審開始決定(静岡地決平成26年3月27日判時2235-113・WestlawJapan文献番号2014WLJPCA03276013)を導いた。確定判決が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」の血痕について、「袴田さんのものでも、被害者のものでもない」とのDNA型鑑定を行ったのである。しかし、平成30年6月11日、東京高裁は本田教授の鑑定について「一般的に確立した科学的手法とは認められず、有効性が実証されていない」「鑑定データが削除され、検証も不能だ」として、信用性を否定し、確定判決が採用した捜査機関によるDNA鑑定を前提に、再審開始決定を取り消した(東京高決平成30年6月11日東高刑時報69-45・WestlawJapan文献番号2018WLJPCA06116001)。
7 DNA鑑定の方法については、最二小決平成12年7年17日(刑集54-6-550・WestlawJapan文献番号2000WLJPCA07170002)が、「本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法もその技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等も加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許される」と判示していた。
一方、大阪高判平成29年4月27日(判時2364-105・WestlawJapan文献番号2017WLJPCA04276001)は、再審事件において、有罪の根拠とされた鈴木広一大阪医科大教授によるDNA型式鑑定に関し、被告人の型と完全に一致したのは14座位に過ぎないと疑問を呈し、「同一性」の推認力に限界があるとして無罪を言い渡した。しかし、最一小判平成30年5月10日(刑集72-2-141・WestlawJapan文献番号2018WLJPCA05109001)は、「15座位中の1座位で検出された3つ目のSTR型は、男性生殖細胞の突然変異に起因すると考えられ、他の14座位のSTR型の完全な一致状況から、本件資料は1人分のDNAに由来する」という、鈴木鑑定人の反論がある以上、それについての検討を経ることなく「同一性の立証には至らない」とすることは、妥当でないとした。
8 科学的な見解に基づく判断でも、その対立点を整序し、いずれが説得性があるかを検討することは、法律家にも可能なことなのである(DNA鑑定につき、前田雅英「邸宅侵入、公然わいせつ被告事件(最一小判平成30年5月10日(裁判所Web))」捜査研究811号2頁以下参照)。
本件でも、科警研が実施したDNA型鑑定が、「被害者膣内容物・周辺付着物の中に犯人に由来すると認められる血痕・血液が混在している」というものであるとされていたのが、技術の進歩により、より詳細なレベルまで解析可能となり、同鑑定では「MCT118型が一致した」とまでは断定できないということが、再審請求側の主張の核となっている。しかし、前述のように、科学的に「両者が一致しない」と認められたわけではないのである。
法的評価としては、①「犯行車両」と特徴を同じくする車を所有し、失踪場所等に土地鑑を有し、②被害者の着衣から発見された繊維片は、事件本人の車の座席シートの繊維片である可能性が高く、③事件本人の車から被害者と同じ血液型の血痕・尿痕が検出され、被害者両名ともに殺害時に生じたと認められる失禁と出血があったこと、④事件本人にアリバイが成立しないことなどを総合すれば、当初の鑑定では「MCT118型が一致したとまでは断定できなくなったという新証拠」が加わっても、「有罪認定に合理的疑いが生じる」とはいえないのである。科学的評価の変化に法的評価を過剰に「同調」させることは危険なのである。
(掲載日 2021年5月18日)