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文献番号 2021WLJCC005
青山学院大学 教授※1
弁護士法人 早稲田大学リーガル・クリニック 弁護士※2
浜辺 陽一郎
1 はじめに
かつては、「知らなかった」といえば、責任を負わずにすむ事件もあった。しかし、今はそうはいかない。「知らなかった」というだけで許されるのであれば、知らないことが最上の策となってしまう。あるいは、誰かが問題ないというから、それを信頼して「知らなかった」といえば、何も責任を負わなくて良いのかという問題もある。いずれの場合も、知らなかったことの合理性が問われるというのが、近時の傾向である。
今回取り上げるのは、エフオーアイ社(以下「F社」という)の上場を許した元引受証券会社(以下「M社」という)の責任が問題とされた最高裁の判決※3である。F社は、粉飾決算を繰り返しながら、マザーズへの上場に漕ぎ着けたが、わずか7か月で上場廃止となった。F社の売上げの約97%は架空のものだったが、主幹事証券会社のM社は粉飾を知らなかったという。F社の役員等も訴えられていたが、本稿では、金融商品取引法(以下「金商法」という)に基づく元引受証券会社のM社の責任に絞って検討する。
地裁で肯定されたM社の責任につき、高裁で免責が認められた。最高裁は、高裁の判断を覆し、損害額について更に審理を尽くさせるために事件を差し戻した。これは、単に「知らなかった」ではすまないという信頼の保護に関する基本的な考え方が関係している。そこで、信頼をめぐる一般的な考え方にも触れながら、この事件の教訓を考えてみたい。
2 事案の概要
事案の紹介は少し長くなるが、事件の全体的な経緯を振り返っておきたい。
F社は半導体製造装置の製造販売等を主たる事業としていたが、平成16年3月期の決算が大幅な赤字となりそうだったので、半導体製造装置の販売を仮装して約16億円の架空売上げを計上し、以後、継続して実際の売上高が数億円のところを数十億円~百億円余とする粉飾決算を行うようになった。
F社の平成14年3月期以降の計算書類及び財務諸表の監査を担当したのは、公認会計士A(以下「A」という)らであった。F社の役員らは、偽装取引先に協力者を確保し、Aから送付された残高確認書を協力者から回収した上、残高確認書に偽造印を押捺して会計士Aに返送していた。Aは、F社の平成20年3月期及び平成21年3月期の監査で証憑類の原本提示を求めず、その偽造に気付かなかった。
M社は、平成19年5月、上場準備に関する助言提供業務に係る契約をF社と締結し、同年8月に主幹事会社として引受審査を開始した。この審査で、F社には、①売上高が平成15年3月期から平成19年3月期にかけて約7億円から約70億円に急増し、②平成18年3月期において売上高の約79%が同年3月に計上されるなど売上げの計上時期に偏りがあり、③売掛金の期末残高が平成15年3月期から平成19年3月期にかけて約4億円から約134億円に増加し、④売上債権回転期間が同業他社では約5箇月以下なのに、平成19年3月期には約22.8箇月となるなど顕著に長期化し、⑤営業活動によるキャッシュ・フローが平成18年3月期には約19億円、平成19年3月期には約47億円のマイナスである等の怪しい兆候が見られた。
それにもかかわらず、M社はF社の上場に向けて動き、「注文書偽造による巨額粉飾決算企業の告発」と題する匿名の投書(以下「第1投書」という)を受領し、M社は問題ないと判断したものの、F社は、2回にわたって上場申請を取り下げた※4。
M社は、平成21年6月にF社から3度目の上場申請の意向を受け、審査を再開した。この際にも、F社は、平成21年3月期の売上高が約118億円に増加し、売掛金の期末残高も約228億円に増加し、売上債権回転期間が約23箇月と更に長期化し、営業活動によるキャッシュ・フローがマイナスの状態が継続している等の問題があったが、M社担当者がAから預金の実査をした旨の説明を受けたこと等から、M社は、この上場申請手続を進めることに問題はないと判断し、主幹事会社として推薦書等を提出し、東証は、同年10月、F社上場を承認した。
こうした中で、東証、M社及びAは、平成21年10月27日頃、第1投書と概ね同じ内容の匿名の投書(以下「第2投書」という)を受領した。しかし、M社は、一応の聴取結果等を踏まえ、第2投書も信ぴょう性はないと判断し、同年11月11日にF社等と元引受契約を締結し、他の金融商品取引業者を代表して新株発行の払込総額として約52億円を払い込み、F社は、同月20日、東証マザーズに上場した。
しかし、そのような実態のない上場が長続きするはずもなく、証券取引等監視委員会の強制調査で有価証券届出書等の虚偽記載※5が判明した。その結果、F社は、平成22年5月、その虚偽記載の事実を認める旨を公表し、同年6月に上場廃止となった。
こうした事態に対して、被害を被った投資家らは、粉飾決算を行った役員らに対する責任のみならず、これを看過して上場させ、流通させた証券会社等をも被告として訴えた。特に、今回の最高裁判決の関係では、F社等と元引受契約を締結していた金融商品取引業者のうち主幹事会社であったM証券株式会社を吸収合併したM社に対しては、金商法21条1項4号に基づく損害賠償が請求された。
3 裁判所の判断
元引受契約を締結する金融商品取引業者等は、有価証券発行会社の引受審査を実施して有価証券届出書に記載されるべき情報等を専門知識に基づいて審査できる立場にある。そこで、引受審査の適正を確保し、元引受業者に有価証券届出書における開示情報の信頼性を担保させるため、金商法21条1項4号で虚偽記載等がある場合の元引受業者の損害賠償責任を定め、同条2項3号にその免責事由を定めている※6。
第1審判決 ※7は、F社の取締役及び監査役について金商法21条1項1号※8、22条1項※9の責任を認め、特に、常勤監査役及び社外監査役らは虚偽記載を知らなかったが、常勤監査役が日常の業務監査が十分であったとはいい難く、また社外監査役らの職務の遂行が十分とはいい難いときには、その責任を免れないとして責任を認めた上で、主幹事元引受証券会社も、匿名の投書を受領し、その追加調査が不十分であるとして、金商法21条1項4号、17条の責任を負うと判断した。
これに対して、控訴審判決※10は、M社が虚偽記載の事実を知らなかった等として、金商法21条1項4号の損害賠償責任について同条2項3号による免責を認め、M社に対する損害賠償請求を棄却した。
しかし、今回の最高裁の判決は、M社が匿名投書に対してきちんとした対応をしなかったため、F社の引受審査で、財務諸表についての会計士Aによる監査がその信頼性の基礎を欠くものではないことにつき、本件各投書による疑義の内容等に応じて調査確認を行ったとみることはできず、金商法21条1項4号の損害賠償責任につき、同条2項3号による免責を受けることはできないと判断した。
4 信頼の保護とは
最高裁は、本判決で、金商法21条2項3号の免責事由に関して、まず「元引受業者が免責を受けるためには、財務計算部分以外の部分に虚偽記載等がある場合には相当な注意を用いたにもかかわらず当該虚偽記載等を知ることができなかったことを証明すべきものとする一方、財務計算部分に虚偽記載等がある場合には当該虚偽記載等について知らなかったことを証明すべきものとする旨規定したものである」という。
財務計算部分については、有価証券の発行会社と特別の利害関係のない公認会計士又は監査法人(以下「独立監査人」という)の監査証明を受けなければならず(金商法193条の2第1項)、公認会計士は、監査及び会計の専門家として公正かつ誠実にその業務を行う(公認会計士法1条、1条の2)から、虚偽記載等がないものとして監査証明を行った独立監査人は、監査証明について故意又は過失がないことを立証しない限り損害賠償責任を負う(金商法21条1項3号、2項2号、22条)。ここで高裁は、M社としては、独立監査人の結論を信頼すれば足り、それ以上、自らがチェックする必要まではないという判断だった。
しかし、最高裁は、財務計算部分に虚偽記載等がある場合についての同号の規定は、「独立監査人との合理的な役割分担の観点から、元引受契約を締結しようとする金融商品取引業者等が財務計算部分についての独立監査人による監査を信頼して引受審査を行うことを許容したものであり、当該金融商品取引業者等にとって上記監査が信頼し得るものであることを当然の前提とする」としたうえで、「金融商品取引業者等は、引受審査に際して上記監査の信頼性の基礎に重大な疑義を生じさせる情報に接した場合には、当該疑義の内容等に応じて、上記監査が信頼性の基礎を欠くものではないことにつき調査確認を行うことが求められているというべきであって、上記の場合に金融商品取引業者等が上記の調査確認を行うことなく元引受契約を締結したときは、同号による免責の前提を欠く」という。
つまり、ここで、「財務計算部分に虚偽記載等がないかどうか」の調査確認と、「監査が信頼性の基礎を欠くものではないこと」の調査確認とが区別されており、前者は独立監査人の職務だが、元引受業者は独立監査人による監査が信頼性の基礎を欠くものではないことにつき調査確認を行う義務があるとする。このため、財務計算部分以外の部分に虚偽記載等がある場合には相当な注意を用いたにもかかわらず当該虚偽記載等を知ることができなかったことを証明すべきであるし、また財務計算部分に虚偽記載等がある場合には、その虚偽記載等について、独立監査人による監査が信頼性の基礎を欠くものではないことについて調査確認をした上で「知らなかった」ということを証明しなければ、免責は認められないことになる。
本件で、M社には、F社の主幹事会社として、その引受審査に当たって、疑義の内容等に応じて、F社に対して必要な資料の提示を求め、Aから事情を聴取し、Aに追加の調査報告を求める等、監査の信頼性に関する種々の調査を行うことができたといえ、また、これを行うことが期待されていた。しかし、匿名投書への対応は極めて形式的、不十分なもので、到底、信頼して良いような状況にはなかったため、免責が否定されたのである。
こうした考え方は、これまで他者の信頼をめぐって議論されてきた考え方とも整合している。例えば、会社法の分野では、取締役が弁護士その他の専門家の知見を信頼した場合、当該専門家の能力を超えると疑われるような事情があった場合を除き、善管注意義務違反とはならないとか、他の取締役・使用人等からの情報を信頼すれば、特に疑うべき事情がない限り、善管注意義務違反にならないのが原則であるといった形で、取締役の信頼を保護する考え方がある※11。しかし、取締役が他の取締役の業務執行等に対する一般的な監督義務を免れているわけではなく、「特に疑うべき事情」があれば、その信頼は保護されない。
刑事事件でも、行為者は、特別の事情がない限り、他人は法規に従う等の適切な行動に出るであろうと信頼して行動すれば足り、他人が法規を無視する等の不適切な行動に出ることまで予想して備える行動に出る必要はないという「信頼の原則」という理論がある※12。ただ、ここでも無制限に信頼が許されるわけではなく、「特別の事情」があれば別である。
つまり、会社をめぐる問題では、取締役や監査役等の役員や独立監査人がいて、彼らが正しく行動していれば、さらに屋上屋を架す、重ねての更なるチェックは不要であるというのが基本である。それは、何も問題がなければ、信頼をしてよいという信頼の保護である。しかし、それに疑義を抱かせるような情報に接したら、「特別の事情」があるわけで、最早、形式的に信頼することなどは許されなくなるのである。
5 匿名投書に対する調査の不十分さ
この事件は、通報があった場合におけるダメな対応の典型的な事例であり、どう不味かったかを概観してみたい。M社が受領した匿名投書は、F社の平成16年3月期以降の売上げの大半が架空計上だと指摘するもので、上記2①から⑤記載の怪しい兆候と符合していた。しかも、その投書はF社の役員や営業部長及び担当者の個人名、F社の売上高及び売上げの内容等について、M社の把握する事実関係と合致し、粉飾決算の手法・内容等を具体的かつ詳細に指摘していた。
したがって、普通に考えれば、それはF社の内部者が事実に基づいて作成したことは明らかで、匿名だといって怪文書扱いにはできない。この点を捉えて、最高裁は、この投書は、「F社の有価証券届出書に記載されるべき最近事業年度及びその直前事業年度の財務諸表の売上高欄等に重大な虚偽記載があることを相当の信ぴょう性をもって指摘するものであったといえ、M社は、これらを受け取ったことにより、当該財務諸表についての会計士Aによる監査の信頼性の基礎に重大な疑義を生じさせる情報に接していた」という。ところが、これに対して行った調査たるや、極めて表面的なおざなりなものであった※13。特に、第1投書がF社の役員らの主導で粉飾決算が行われている旨を指摘していたのに、M社は、当のF社役員らに対して直ちにその内容を伝えてしまった。最高裁は、「第1投書はF社の従業員等が業務妨害の意図で送付したものと思われる旨の説明を受けてその作成者の処分を求めるなど不適切な対応をしている」と指摘する。まるで、マズい話が出てきたから、ちゃんと片付けろとでも示唆しているような対応である。
さらに、M社は、第1投書の作成者と思われる者が内部監査室長を務めていた者であったことが分かっていたのに、第2投書を受け取ってもなおその者から事情を聴取するなどの調査確認を行わなかった点について、最高裁も、そもそも匿名の投書の信ぴょう性の評価を「大きく誤った」と指摘する。まさに、信用すべき訴えをまともに取りあわず、不正疑惑のある役員らを頭から信用しているだけの対応となってしまっており、何もチェックできないような状況となっていた。
6 結びに代えて
M社の失敗には、ややもすると日本の企業が陥りがちな、いくつかの特徴が見られるだろう。第1に、実質的な考察よりも、臭い物に蓋をして、形式を整えることを優先させることで、当面の状況を乗り切ってしまおうとする姿勢である。いくら形式を整えても、法的義務を履行したことにはならない。
第2に、不正の疑いがあるF社の役員らを信用し、正しい情報提供者を悪者扱いして、事態を都合良く収束させようとした点では、きちんと真実を見抜こうという誠実な意思が欠けているように見えてならない。M社自身も数多くの怪しい情報を十分に把握していたのに、上場を成し遂げることにドライブがかかり、冷静に自分たちのやるべき仕事と向き合っていなかったかの如くである。引受審査における職業倫理は、どうなっていたのだろうか。
いろいろな問題がある会社でも、上場しさえすれば、あとは「経営者の責任と投資家の自己責任」という建前の下で、安易な上場を許してしまったのではないかとさえ疑いたくなる。本来、元受業者には、自分たちが証券市場を守るのだとの責任の自覚が必要であろう。新興市場では、上場して暫くの間は高値がつくが、その後、急落して長らく低迷するような銘柄が少なくない。とりあえず上場だけを急ぐということは、決してあってはならないことだ。
こんな事件が起きるようでは、一般の人々は、いくら何をいわれようと、上場株式に投資することに躊躇せざるをえないだろう。コロナ禍で個人投資家が少し増えている動きがあるものの、長らく日本の人々が株式市場から少し遠ざかりがちであった理由は、日本人の国民性というより、市場が十分に信頼されていないからではないのか。金融業者の倫理観が問われる今日、この事件は引受業者がきちんと審査してくれるはずだとの信頼を大きく裏切った。こうしたケースで業者の責任を免責してやることは、金商法の趣旨に適合するものでもなかろう。今回の最高裁判決は、たまたま引受審査に携わっていた引受証券会社の責任をめぐる事例だったが、それぞれの立場で、証券市場が合理的に信頼できるものであるために各人がしっかりと役割を果たしていく必要性を、あらためて明確にした判断だと評価したい。
(掲載日 2021年2月22日)