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文献番号 2021WLJCC004
東京都立大学 客員教授
前田 雅英
Ⅰ 判例のポイント
I市の老人ホームに勤務し准看護師資格を有する被告人が、勤務先である老人ホームの同僚Aに対し、ひそかに睡眠導入剤入りの飲み物を飲ませ、交通事故を引き起こさせ、同僚を死亡させるとともに、交通事故の相手方Bにも傷害を負わせ、同様の形で、別の同僚Cとその夫D及び交通事故の相手方Eに対し、それぞれ傷害を負わせたという殺人未遂の事案である(更に別の同僚Fに対し睡眠導入剤入りの飲み物をひそかに飲ませ、急性薬物中毒の傷害を負わせた事実でも起訴されている)。第1審の千葉地裁※2は、睡眠導入剤入りの飲み物を飲ませた行為が殺人罪の実行行為にあたるとし、未必の殺意も認定できるとし、被告人に懲役24年を言い渡した(求刑懲役30年)。
これに対し、控訴審の東京高裁※3は、交通事故の相手方であるB及びE対する未必の殺意が、いずれも認められないとして、原判決を破棄し、差し戻し、最高裁の判断が注目されていた。
Ⅱ 事実の概要
1 被告人は、同僚のAが自動車で通勤していることを知っており、平成29年2月5日午後0時頃から同日午後1時頃までの間に本件老人ホーム事務室において、Aに対し、ブロチゾラムを含有する睡眠導入剤数錠をひそかに混入したコーヒーを飲ませた。Aは、同日午後3時頃になると、意識障害等を伴う急性薬物中毒の症状が生じ、普段とは違う口調で脈絡のない発言をするようになり、机に突っ伏して寝た。この様子を見ていた被告人は、Aに帰宅を促した。
Aは、普通乗用自動車(A車)の運転を開始したが、仮睡状態等に陥り、同日午後3時40分頃、約100m走行したところで、A車を脱輪させて物損事故を起こした。被告人は、その現場に駆けつけたところ、Aは、フェンスに背中をもたれて立ったまま寝ている様子であり、原告から両頬を両手で叩かれて声をかけられても黙ってぼう然と立ったままであった。Aは、ふらつきながら同事務室に戻り、机に突っ伏して眠り込んだ。被告人は、同日午後5時30分頃、A車が走行可能である旨を告げてAを起こし、運転して帰宅するよう本件老人ホームから送り出した。
Aは、A車の運転を開始後間もなく、急性薬物中毒に基づく仮睡状態等に陥り、約1.4㎞走行した地点において、A車を対向車線に進出させ、対向進行してきたB運転の普通貨物自動車にA車を衝突させ、Aは胸部下行大動脈完全離断等の傷害を負い、同日午後7時55分頃、搬送先の病院において死亡し、Bは全治約10日間を要する左胸部打撲の傷害を負った(第1事件)。
さらに被告人は、第1事故後、同僚のCの夫であるDがCを自動車で本件老人ホームに送迎していることを知っており、同年5月15日午後1時頃から同日午後1時30分頃までの間に、本件老人ホーム事務室において、C及びDに対し、ゾルピデムを含有する睡眠導入剤数錠をひそかに混入したお茶を飲ませた。C及びDは、意識障害等を伴う急性薬物中毒の症状が生じ、同日午後2時頃以降、Dが椅子に座ったまま眠り込み、その後C及びDとも体調が悪化して同事務室等で休んでいた。被告人は、同日午後5時30分頃、同事務室で寝ていたC及びDに対し、帰宅時間である旨を告げて起こし、Dに自動車を運転してCと共に帰宅するよう仕向けた。
Dは、助手席にCを乗せて普通乗用自動車(D車)の運転を開始したが、Cと共に急性薬物中毒に基づく仮睡状態等に陥り、同日午後6時頃、約4.7㎞走行した地点において、D車を対向車線に進出させ、対向進行してきたE運転の普通貨物自動車にD車を衝突させ、Cは全治約1か月間を要する両側肋骨骨折の傷害を、Dは全治約10日間を要する全身打撲傷等の傷害を、Eは加療約3週間を要する頸椎捻挫等の傷害をそれぞれ負った(第2事件)。
被告人は、傷害罪のほか、Aに対する殺人罪、B、C、D及びEに対する各殺人未遂罪で起訴された。
2 第1審判決は、自動車を運転して帰宅する予定の者に、一般的な服用量以上の睡眠導入剤をひそかに摂取させ、その者を起こし、運転するよう仕向けた行為は、運転者が認識していない睡眠導入剤の影響により、的確に運転操作をすることが困難となり、運転者、同乗者、巻き込まれた第三者を死亡させる事故を含め、あらゆる態様の事故を引き起こす危険性が高いとした。
そして被告人は、殺意の存在を争ったが、第1審判決は、各殺意を認定し、起訴事実の全てを認めて、被告人を懲役24年に処した。
第1事件において、被告人は、睡眠導入剤の影響で意識障害等が解消していない状態であることを十分認識し、そのようなAが自動車を運転すれば、死亡事故を含めあらゆる事故を引き起こす危険性が現実的にも高まったことを認識しながら、あえてAに運転して帰宅するよう仕向けたとして殺意を認定した。
第2事件においても、被告人は、第1事件により、睡眠導入剤の影響による意識障害等が生じている状況で自動車を運転すれば、事故を引き起こす危険性があることを現実のものとして認識しながら、C及びDに睡眠導入剤を摂取させ、その影響による意識障害等が生じている状態にあることを十分認識しつつ、Dに自動車を運転してCと共に帰宅するよう仕向けたとして殺意を認定した。
すなわち、被告人には、自動車を運転して帰宅するA及びDが交通事故を引き起こし、A、C及びD並びに事故に巻き込まれた第三者が死亡するかもしれないがそれでもやむを得ないという未必の殺意があったとした。
3 被告人は、第1審判決に対して控訴し、原判決は、事故の相手方であるB及びEに対する殺意を認めた点には事実誤認があるとして第1審判決を破棄し、本件を千葉地裁に差し戻した。その論拠は以下の3点であった。
(1) 被告人の行為は、運転者、同乗者及び交通事故の相手方を死亡させる現実的危険性が相当程度あり、実行行為性は認められるとしても、人が死亡する危険性が高いとまではいえない。事故の相手方は、Aらと異なり、自らの命を守ろうとする行動をとることが一応可能であるから、死亡の可能性はAらと比較しても低かった。
(2) 人が死亡する危険性が高いとはいえない行為について殺意を認めるためには、行為者が、実行行為による人の死亡の危険性を単に認識しただけでは足りず、実行行為の結果としてその人が死亡することを期待するなど、意思的要素を含む諸事情に基づいて、その人が死亡してもやむを得ないと認容したことを要する。
第1審判決は、Aらと事故の相手方を区別することなく、本来人の死亡の結果が生ずる危険性が高い行為について用いられるべき、専ら行為者の認識を基準とする判断枠組みを用いるとともに、これと整合性を保つため、認識の対象について、「第三者を死亡させる事故を含めあらゆる態様の事故を引き起こす危険性が高い行為」として、上記の危険性の程度を引き下げている。しかし、このような殺意の認定手法を採ると、行為者自身が摂取したアルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させた事例を、対向車の運転者等不特定の者に対する殺意が認められるものとして取り込む結果となり、殺意の意義を希釈することになりかねず、妥当でない。
(3) 第1事件において、Aは、第1事故に先立ち、本件物損事故を起こしただけであって、対向車と衝突したわけではなかった。第2事件においても、第1事故でAは死亡したが、事故の相手方であるBは全治約10日間を要する左胸部打撲にとどまっていた上、被告人が同傷害について認識していたのか不明である。被告人が事故の相手方の死亡を期待する理由は全くない。事故の相手方が死亡することについては、もともとその可能性が低く、被告人がそれを想起し難いことに加えて、前記の意思的要素を備えていたとも認められない。
Ⅲ 判旨
最高裁は、Aに対する殺人罪並びにB、C、D及びEに対する各殺人未遂罪の成立を認め、懲役24年に処した判断を含め、第1審判決を維持するのが相当であるとして原判決を破棄し、本件控訴を棄却するとした。
「刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当であり、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である(最一小判平成24年2月13日・刑集66巻4号482頁)が、原判決は、以下のとおり、B及びEに対する殺意を認めた第1審判決の事実認定について、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。」
「原判決は、①被告人が運転を仕向けた後にも、AやDが再び寝込んでしまうほか、他の者が運転しないように止めるなどして、運転をしなかったり、運転開始後も気分が悪くなって運転を止めたりする可能性があった上、運転を継続して実際に交通事故を起こしたとしても、Aら又は事故の相手方は、傷害を負わなかったり、傷害を負ったとしても死亡するに至らなかったりする可能性が相当程度あったから、被告人の行為は、人が死亡する危険性が高いとまではいえない、②事故の相手方は、居眠り運転をしている車両が自車の車線上にはみ出してきても、これを避けて自らの命を守ろうとする行動をとることが一応可能であるから、死亡の可能性はAらと比較しても低かった、と指摘する。
しかし、上記①については、Aらは睡眠導入剤を摂取させられたことを認識しておらず、もうろう状態にあったことなどに照らすと、自らの判断で運転を避止又は中止できた可能性は低かったといえる。当時、被告人を除く本件老人ホーム職員の中でAらが睡眠導入剤を摂取させられていることを知っていた者はいなかったこと、被告人が他の職員の目が届きにくい状況でAらに帰宅を促していることなどに鑑みると、他の者が運転を制止する可能性も低かったといえる。顕著な急性薬物中毒の症状を呈していたAらが仮睡状態等に陥り、制御不能となったA車やD車がAらの自宅までの道路を走行すれば、死亡事故を引き起こすことは十分考えられるのであるから、原判決の上記①の指摘は、第1審判決の危険性の評価が不合理であるとするだけの説得的な論拠を示しているとはいい難い。
上記②については、A車やD車が制御不能の状態で走行した場合に対向車の運転者が採り得る回避手段が観念的には想定できるとしても、実際にそのような回避がされるとは限らず、事故の相手方が死亡することも十分あり得る。原判決の上記②の指摘も、第1審判決の危険性の評価が不合理であるとするだけの説得的な論拠を示しているとはいい難い。」〔強調部分は筆者。以下同じ。〕
「原判決は、被告人の行為により事故の相手方が死亡する危険性は低かったとの評価を前提に、被告人には事故の相手方が死亡することを想起し難いというが、前提を異にする指摘である上、被告人は、ひそかに摂取させた睡眠導入剤の影響によりAらが仮睡状態等に陥っているのを現に目撃し、また、第1事件の前には上記影響によりAが本件物損事故を引き起こしたこと及び第2事件の前には第1事件でAが死亡したことをそれぞれ認識していたのであり、各事件現場付近の道路交通の状況(証拠によれば、一定の交通量があったと認められる。)も知っていたのであるから、自己の行為の危険性を十分認識していたということができ、交通事故の態様次第では事故の相手方が死亡することも想定しており、B及びEはその想定の範囲内に含まれていたというべきである。したがって、B及びEに対する未必の殺意を認めた第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない」。
「以上のとおり、被告人が、A及びDに対し、ひそかに睡眠導入剤を摂取させて自動車を運転するよう仕向けたことにより、同人らが走行中に仮睡状態等に陥って自車を対向車線に進出させて対向車に衝突させ、対向車の運転者であるB及びEに傷害を負わせたという殺人未遂被告事件について、B及びEに対する殺意を認めた第1審判決に事実誤認があるとした原判決は、第1審判決について、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。」として、原判決を破棄した。
Ⅳ コメント
1 控訴審が「事実誤認」を言い渡すには、「第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である」(最一小判平成24年2月13日・刑集66巻4号482頁、WestlawJapan文献番号2012WLJPCA02139001)。本件では、B及びEに対する殺意を認めた第1審判決の事実認定が、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものといえるかが争点となった。
裁判員裁判制度が定着した中で、控訴審の「裁判員裁判による第1審を覆す判断」には、最高裁の厳しい判断もみられたが(池田修・前田雅英『刑事訴訟法講義〔第6版〕』東京大学出版会536頁参照)、本件は、裁判員の判断の尊重の当否という問題を超えた、殺意の認定、未必の故意についての、具体的で重要な争点に関する判断を行ったもので、判例としての重要性は高い。
2 控訴審判決は、第1審判決が、殺意の有無を検討するに当たり、「巻き込まれた第三者を死亡させる事故を含むあらゆる態様の事故を引き起こす危険性の認識」で足りるとした点を問題にした。このような説示は、「認識の対象となる危険性の程度を引き下げている」としたのである。
ただ、本件も指摘するように、第1審は、被告人の行為は、交通事故を引き起こす危険性が高い行為であり、事故の態様次第でAらのみならず事故の相手方を死亡させることも具体的に想定できる程度の危険性があると評価したものとも解される。第1審判決は、法定的符合説を前提に、被告人が行為の危険性を認識しながらAやDに運転を仕向けた以上、事故の相手方であるB及びEがその認識から想定される範囲内に含まれているとしたものといえよう。その意味で、認識の対象となる危険性の程度を引き下げているわけではない。
3 一方、最高裁は、原審が「被害者が死亡することを期待していたという事情」を殺意を認定するために必要なものとしたとして論難しているが、これも、原審の立場からみれば、厳しすぎる判示という面がある。原審は、故意の認定一般に「死を期待するなどの意思的要素」が必須だとしているわけではないからである。「このような人が死亡する危険が高いとはいえない行為について、殺意が認められるためには、行為者が、実行行為による人の死亡の危険性を単に認識しただけでは、人が死亡してもやむを得ないと認容したということはできず、実行行為の結果としてその人が死亡することを行為者が期待するなど、意思的要素を含む諸事情に基づいて、行為者が、その人が死亡してもやむを得ないと認容したことを要すると解すべきである」と判示したにすぎない。
ただ最高裁も、「原判決は、行為者自身が摂取した薬物等の影響下で自動車を走行させた事例を挙げて、実行行為の結果として被害者が死亡することを期待するなどの意思的要素を含む諸事情を要求しなければ、殺意の意義を希釈することになりかねないと批判するが、そのような事例と、本件事案とでは、事故により行為者自身の生命が危険にさらされるおそれの有無など種々の相違があ」るとしたことには注意を要する。結局、原審東京高裁と最高裁の判断の差は、行為の危険性の程度と、その認識の有無に帰着するのである。
4 故意の成否は、 死亡事故を引き起こすことの認識の有無(程度)に係っている。
この点原判決は、①被告人が運転を仕向けた後にも、AやDが運転をしなかったり、運転開始後も運転を止めたりする可能性、さらに交通事故を起こしたとしても死亡するに至らない可能性が相当程度あったから、被告人の行為は、人が死亡する危険性が高いとまではいえないとする。
これに対し最高裁は、Aらは睡眠導入剤を摂取させられたことを認識しておらず、もうろう状態にあった以上、自らの判断で運転を避止又は中止できた可能性は低く、他の者が運転を制止する可能性も低かったとした上で、顕著な急性薬物中毒の症状を呈し仮睡状態等に陥って制御不能となったA車やD車がAらの自宅までの道路を走行すれば、死亡事故を引き起こすことは十分考えられるとしたのである。
また、原審東京高裁は、②事故の相手方は、居眠り運転をしている車両が自車の車線上にはみ出してきても、これを避けて自らの命を守ろうとする行動をとることが一応可能であるから、死亡の可能性はAらと比較して低かったと指摘する。
これに対し、最高裁は、制御不能の状態で走行した車の対向車の運転者が、実際にそのような回避をするとは限らず、事故の相手方が死亡することも十分あり得るとしたのである。
5 原審東京高裁は、被告人には事故の相手方が死亡することを想起し難いとして故意を否定するが、より重要なのは、本件行為は、「客観的に死亡する危険性は低かった」とした評価にある。このような、規範的評価は、理論から演繹されるものでないことはいうまでもない。どちらが、現在の日本国民の常識に近いかである。イギリスの刑法教科書で、100丁の内51丁に弾丸が込められたライフルを人に向けて発射する場合には、殺人の未必の故意が認定できるが、49丁にしか弾丸が込められていない場合には故意責任は否定されるという記述に、違和感を覚えた。日本では、6連発のリボルバーの弾倉に1個の弾丸を込めて行うロシアンルーレットでも、未必の殺意は認定されるように思われる。
そして、その「常識」を把握しやすくする手段として採用されている裁判員裁判において示された判断を覆すには、危険性の評価が不合理であるとするだけの説得的な論拠を示す挙証責任が、控訴審に存在する。「論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すこと」とは、実質的には、そのことを意味する。
6 故意の有無の判断は、個別の事件ごとの個別的判断である。「被告人は、ひそかに摂取させた睡眠導入剤の影響によりAらが仮睡状態等に陥っているのを現に目撃し、また、第1事件の前には上記影響によりAが本件物損事故を引き起こしたこと及び第2事件の前には第1事件でAが死亡したことをそれぞれ認識していたのであり、各事件現場付近の道路交通の状況・・・・・・も知っていたのであるから、自己の行為の危険性を十分認識していたということができ、交通事故の態様次第では事故の相手方が死亡することも想定しており、B及びEはその想定の範囲内に含まれていたというべきである。したがって、B及びEに対する未必の殺意を認めた第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない」とし、「原判決は、第1審判決について、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。」とする判示の説得性は高い。
(掲載日 2021年2月10日)