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文献番号 2021WLJCC001
東京都立大学 客員教授
前田 雅英
Ⅰ 判例のポイント
暗号資産(仮想通貨)「ビットコイン」大手取引所の運営会社「MTGOX」(M社)の元代表の被告人が、同社の取引システムに架空の入金を記録し、口座残高を計3350万ドル水増しした行為が、私電磁的記録不正作出・同供用罪に該当するとして起訴された事件である。第一審東京地裁判決※2は、公訴事実を認定し、懲役2年6月、執行猶予4年を言い渡した。私電磁的記録不正作出・同供用罪にとって、重要な判示を行っている。そして、控訴審である東京高裁が、その結論をそのまま維持したのが本判決である。なお、被告人は顧客からの預かり資金を着服した罪にも問われていたが、第一審東京地裁は平成31年3月、「資金は会社から被告人への貸し付けで、返済可能性があった」として無罪を言い渡し、確定している。
サーバーが何者かによってハッキングされ、大量のビットコインと預かり金が流出したいわゆる「マウントゴックス事件」は投資業界に衝撃を与えたものであった。そして、ビットコイン取引所の実質的責任者の刑事責任が認められたのであるが、事件の全貌が明らかになったとまではいえない。
Ⅱ 事実の概要
1 被告人は、ビットコイン取引所の運営会社M社※3の代表取締役であった。ビットコインを売買しようとする利用者が、本件取引システムでアカウントを作成し、同システム上において、購入又は売却を希望するビットコインの数量及び金額等を入力し、双方の希望が一致すると取引が成立する。この取引は売主と買主との間で行われることとされ、本件取引システム上のM社の関与は仲介とされていた。
利用者は、M社に対しいつでも、口座残高に相当する金額の返金及びビットコインの送付を請求することができた。ただし、利用者間で取引が行われても、本件取引システム上の口座残高に増減が生じるだけで、M社の銀行口座で管理されている金銭残高に実際の変動が生じることはなく、ビットコインも、本件取引システム上の口座残高に変動が生じるが、ブロックチェーン上に変動は生じないというシステムになっている。
そして、利用者の請求により、M社が利用者の銀行口座に送金し、あるいはビットコインをM社の管理するビットコインアドレスから利用者のビットコインアドレスに送付した段階で実際の変動が生じる。
T社は、システムの不具合により保有していた1万7000BTC(以下、ビットコインの数量は「BTC」で標記する。)を失っていたビットコイン取引所運営のB社を買収し、ブロックチェーン上に存在しない1万7000BTCの返還債務を引き受けることとなった。そこで、被告人は、金銭をM社が指定する銀行口座に送金することなく、残高約13米ドルであったA口座の米ドル口座に係る口座履歴情報に、残高を15万米ドル増加させる旨の情報を入力し、その15万米ドルで約1万8000BTCを購入した。M社は、利用者に対し、約15万米ドルの返還債務を負担する代わりに、1万7500BTCの返還債務を免れることとなった。
さらに被告人は、M社が利用していたフランスの銀行口座が一時的に凍結され、M社のキャッシュフローが回らなくなることを危惧し、ビットコインをM社管理のビットコインアドレスに送付することなく、A口座のビットコイン口座に係る口座履歴情報に、残高を30万BTC増加させる旨の情報を入力し(30万BTC増加行為)、利用者との間で合計約30万BTCを売却し、その対価としてA口座の米ドル口座に約130万米ドルを得た※4 。
その結果、本件取引システムにおいて、ブロックチェーン上には存在しないビットコイン30万BTCが利用者間で取引されることとなり、被告人は、これを回収する目的で、金銭をM社が指定する銀行口座に送金することなく、残高約320米ドルであったA口座の米ドル口座に係る口座履歴情報に、残高を合計3350万米ドル増加させる旨の情報(本件電磁的記録)を入力し(本件各行為)、利用者から、代金約2977万米ドルで、合計約30万BTCを購入した後、A口座のビットコイン口座の残高を約30万BTC削除した。
なお、被告人がAのログイン名で本件取引システムを使用していたことは、利用者に公表されていなかった。また被告人は、平成25年2月か3月頃、T社の従業員にA口座の存在を知られると、本件各行為の終了直後に同口座に係るデータを変更した。さらに、同年9月27日以降も、金銭の送金ないしビットコインの送付をすることなく、同口座とは異なる極めて多数の口座の米ドル口座及びビットコイン口座の残高を増加させ、その後利用者と取引を行ったが、これらの行為の痕跡となるデータを削除していた。
2 原審において、①被告人の30万BTC増加行為及び、②入金がないのに口座残高を増加させたことには争いはなく、争点となったのは、後者の「入金がないのに口座残高を増加させた行為が、電磁的記録を『不正に』作った」といえるかにあった。
検察官は、被告人が本件取引システムの設置運営主体であるM社の意思に反し、権限の範囲内では作ることが許されない電磁的記録を作出したと主張したのに対し、弁護人は、被告人はM社の唯一の包括的業務執行権限を有する取締役であり、両者は人格的に同一と扱われるべきであるから、被告人の行為はM社の意思に合致し、また、被告人は内容虚偽の電磁的記録を作出していないなどと争った。
3 それに対し、原判決は以下のように判示した。
まず、M社は、何の制約もなくその処理に供する電磁的記録の内容を決定できるものではなく、法令や契約関係等により制約を受けていたというべきで、M社は、本件取引システムの利用状況や性質に反する電磁的記録を作出すべきではないとの意思を有していたと認めるのが相当で、本件取引システムの設置運営者としてのM社の意思は、唯一の意思決定権者である被告人の内心の意思と当然には合致するものではないと判示した。
そして、本件各行為の目的は、30万BTC増加行為の結果利用者間で取引されることとなった、ブロックチェーン上には存在しない30万BTCを回収する取引を、本件取引システムを利用して行うことにあったとし、本件口座残高を増加させた行為はBTC増加行為と不可分の性質を有し、これらを一体として考察すべきであるとした。
そして、ビットコインの存在根拠及びその経済的価値の根拠は、それがブロックチェーン上に存在することに懸かっていることから、本件取引システム上では、ブロックチェーン上に存在しないビットコインが取引されることは想定されておらず、M社の意思は、本件取引システム上の利用者の口座残高に相当するビットコインがM社管理のブロックチェーン上にも存在すべきであり、M社管理のビットコインアドレスにおけるビットコインの受送付等による裏付けがある場合に限って、本件取引システム上の利用者の口座残高を増加させるべきであるというものであり、被告人に与えられた権限もこの範囲に限定されていたと認められる。被告人が行った30万BTC増加行為により増加した残高について、利用者に約130万米ドルで売却した分に相当するビットコインを被告人やM社は保有していなかったから、この取引及びこれと不可分の30万BTC増加行為は、M社の意思に反する。したがって、被告人の30万BTC増加行為は、その権限の範囲内では作ることが許されない虚偽の電磁的記録を作出したものと認められると判示した。
本件の「入金がないのに口座残高を増加させた行為」、これに基づいた利用者との取引、その後被告人が約30万BTCを削除した一連の行為は、30万BTC増加行為及びこれに基づき被告人が行った利用者との取引の露見を防ぐことにつながり、被告人は30万BTC増加行為等を隠蔽するために、本件各行為をしたと認められ、本件各行為は、被告人に許された権限を濫用し、M社の意思に反するものというべきである。そして、M社は、本件取引システム上のビットコイン取引をその利用規約に沿って事務処理を行っていたところ、本件各行為は、架空のビットコインについての取引を行うためのものであるから、利用規約上予定されていない事務処理であって、M社の事務処理を誤らせる目的であったことも明らかであるとしたのである。
Ⅲ 判旨
控訴審である東京高裁は、「原判決の認定には、論理則、経験則等に照らし不自然、不合理な点はなく、これに基づく判断にも誤りはない」として、その判断を維持した。
「ブロックチェーン上に存在しない架空のビットコイン残高を作出した30万BTC増加行為は、M社の意思に反するもので、被告人の権限の範囲内では作ることが許されない虚偽の電磁的記録を作出したものと認められる、これを隠蔽するための行為という意味で一体的に考察すべきである本件各行為も、被告人に許された権限を濫用し、M社の意思に反するものであった、とした原判決の判断は是認できる」としたのである。
被告人側の、「被告人はM社が設置した本件取引システム上の電磁的記録の作出に関与する権限があったから、30万BTC増加行為及び本件各行為が不正作出に当たるといえるためには、作成された電磁的記録が虚偽でなければならない。そして本件では、A口座には、被告人が作出した電磁的記録どおりにビットコイン取引権限の数量及び総量が与えられたのであるし、同口座の米ドル増加の口座情報は、銀行送金の結果としての口座残高ではなく、ある時点の本件取引システム上の口座残高を示す電磁的記録にすぎないから、被告人は存在しない銀行送金の事実や存在しないビットコイン取引を記録した電磁的記録を作出したのではない」という主張を退けた。
被告人の「M社の利用していたフランスの銀行口座が一時的に凍結等され、これによりキャッシュフローが枯渇することを回避する目的であったとか」、「利用者からのビットコインや現金の引出要求に応えられなくなって、M社が破綻することを回避しようとしたものであった」という主観面の主張は、そもそも本件各行為は30万BTC増加行為を隠蔽する目的でなされたものと認められ、M社の意思に反しないという所論は到底採用できないとしたのである。
Ⅳ コメント
1 電磁的記録不正作出・供用罪(刑法161条の2)は、文書性に争いのあった「電磁的記録」について、その証明機能の重要性に鑑み、文書と同様の保護を与える為に昭和62年に新設されたものである。コンピュータを用いて文字等を表示させるハードディスク、フロッピー・ディスク、DVD等に蔵置された電磁的記録が対象となる。電磁的記録を文書から明確に分離したものの、偽造行為についての処罰の基本的構造は、文書偽造・行使罪と同様である。人の事務処理を誤らせる目的で、その事務処理の用に供する権利、義務又は事実証明に関する電磁的記録を不正に作った行為を罰する(Ⅰ項は電磁的記録の不正な作出を処罰し、Ⅱ項では公務所又は公務員により作られる公電磁的記録について刑を加重している)。
権利、義務又は事実証明に関するものという限定は、文書偽造罪と同一である。パソコン通信のホストコンピュータ内の顧客データベース・ファイル(京都地判平成9・5・9判時1613・157、WestlawJapan文献番号1997WLJPCA05090002)等が代表例であるが、衛星放送を受信して視聴するためのB-CASカードに記録された電磁的記録も、これに当たる(大阪高判平成26・5・22裁判所Web、WestlawJapan文献番号2014WLJPCA05229005)。
2 人の事務処理を誤らせる目的とは、財産上、身分上その他の人の生活関係に影響を及ぼし得ると認められる事項の処理を誤らせる目的である。文書偽造罪の「行使の目的」に対応する。人とは行為者以外の者のことで法人を含む。事務とは財産上、身分上その他、人の生活に影響を及ぼし得るすべての仕事である。私文書偽造の場合と同様、権利、義務又は事実証明に関する電磁的記録に限定される。誤らせる目的という限定があるので、情報を入手するために他人の電磁的記録のコピーを権限なく作成する場合などは除外される。
3 実行行為は電磁的記録を不正に作ることである。本件では、「入金がないのに口座履歴情報に、残高を増加させる旨の情報を入力し、口座残高を増加させた行為」が、電磁的記録を『不正に』作ったに該当するかが、争点であった。
「不正に」とは、事務処理を行おうとする者の意思に反して、権限を与えられることなしに、あるいはその権限を濫用して電磁的記録を作出することで、内容が虚偽か否かを問わず、システムの設置、運営者の意思に反する記録を作出する行為はすべて不正作出に当たる(前田雅英『刑法各論講義7版』(東京大学出版会)413頁)。受信権限のない衛星放送を受信して視聴するために、B-CASカードに記録された電磁的記録を改変する行為も、不正作出に当たる(前掲大阪高判平成26・5・22)。ただ、記録を作出することが必要で、記録の破壊や消去は文書毀棄罪(刑法258条)の問題となる。
4 「M社の意思は唯一の会社機関たる被告人の考え、思いと完全に一致し、被告人の行為がM社の意思に反することは論理的にあり得ない」との被告人の主張に対しても、「会社と会社機関たる自然人とが別個の法人格である以上、それぞれの意思を個別に観念できることは当然である」と退け、「本件の実態は結局のところ、M社の利用規約に反する行為が被告人によって秘密裏になされたにすぎないと評価するほかない」とした。
5 東京高裁が、「電磁的記録の作出に当たり一定の権限を有する者の行為がその不正作出に当たるのは、システムの設置運営主体との関係において真実のデータを入力すべき義務のある者が、その権限を濫用して虚偽のデータを入力し、本来その者の与えられた権限の範囲内では作ることが許されない記録を作出する場合であると解される」としている点は妥当であり、今後の本条解釈の基本となろう。
本件についてみると、「M社の意思に基づき、同社との関係で、ブロックチェーン上のビットコインの受送付等の裏付けがある場合に限ってこれと一致する利用者の口座残高を増加させるデータを入力すべき義務…を負っていた被告人が、これと一致しない虚偽のデータを入力してビットコイン口座残高を増加させたことにほかならない」としたのである。
6 そして本件では、被告人はM社の唯一の会社機関であるとしても、その恣意により制度が運用し得るようでは、暗号資産(仮想通貨)の取引システムを存続し得るだけの信用を保持し得ないことは明らかである。一般ユーザーの参加は、システムの信頼性に懸かっている。とりわけ、「口座残高に相当する金額の返金及びビットコインの送付請求が補償されている」ということが要なのである。
「口座情報は、銀行送金の結果としての口座残高ではなく、ある時点の本件取引システム上の口座残高を示す電磁的記録にすぎないから、被告人は存在しない銀行送金の事実や存在しないビットコイン取引を記録した電磁的記録を作出したのではない」という被告人の主張は、「口座残高」を不透明化し、取引制度自体を掘り崩すものといえよう。ブロックチェーン上に存在しない架空のビットコイン残高を作出する行為は、客観的な取引システムを毀損するものであり、これを隠蔽するための本件各行為も、不正なものと解すべきなのである。
7 この点で特に注目すべきなのは、本件判旨が「電磁的記録の証明機能は、それが作出されるべきシステムの設置運営主体の意思に基づき、正当に作出されることが当然の前提とされているもので、このように正当に作られたものであることの信頼を確保する必要があるという観点から解釈すべきと解される。そこで刑法は、設置運営主体との関係において、記録作出の関与権限がないのに、あるいはその権限があってもこれを濫用し、設置運営主体の意思に反して、本来その権限の範囲内では作ることが許されない記録を作出する行為を処罰対象としていると解される。そうであれば、システムの設置運営主体の意思との関係で虚偽の記録を作出したといえるかを判断すべきであ」るとした点である。複雑なデジタル技術を介することにより、あたかも「システム自体」が客観性、延いては妥当性を有するように誤解しがちであるが、データの作出根拠が、虚偽性の判断において重要なのである。そして、そこには法的・規範的判断も必要なのである。
(掲載日 2021年1月8日)