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文献番号 2020WLJCC023
東京都立大学法科大学院 兼任教授
前田 雅英
Ⅰ 判例のポイント
被告人は、1型糖尿病を患う被害者(当時7歳)の両親に対し、自らを「龍神」と称し、「死に神退散」などと呪文を唱え、体をさする「治療」により、インスリンなしで糖尿病を治療ができると信じさせ(「龍神への登録料」や治療費と称し数百万円を受け取り)、両親にインスリンの投与を止めさせて放置、被害者を病院で衰弱死させたとして、報道された事案である。
被告人は、被害者が定期的にインスリンを投与しなければ死亡するおそれがあることを知りながらインスリン投与の中止等を指示し、衰弱死させたとして殺人罪が認められたもので、本件決定で懲役14年6月が確定した(求刑15年の懲役)。
被告人に殺意が認定できるかと、共犯関係が争点となった。後者は、第1審、原審、上告審ともに、被害者の母親を道具とする殺人の間接正犯及び父親との関係で保護責任者遺棄致死罪の共同正犯の成立がめられている。
Ⅱ 事実の概要
最高裁が、第1審判決及び原判決の認定・記録を基に、本件事案を以下のようにまとめた。
「(1) 被害者(平成19年生)は、平成26年11月中旬頃、1型糖尿病と診断され、病院に入院した。1型糖尿病の患者は、生命維持に必要なインスリンが体内でほとんど生成されないことから、体外からインスリンを定期的に摂取しなければ、多飲多尿、筋肉の痛み、身体の衰弱、意識もうろう等の症状を来し、糖尿病性ケトアシドーシスを併発し、やがて死に至る。現代の医学では完治することはないとされるが、インスリンを定期的に摂取することにより、通常の生活を送ることができる。
(2) 被害者の退院後、両親は被害者にインスリンを定期的に投与し、被害者は通常の生活を送ることができていたが、母親は、被害者が難治性疾患である1型糖尿病にり患したことに強い精神的衝撃を受け、何とか完治させたいと考え、わらにもすがる思いで、非科学的な力による難病治療を標ぼうしていた被告人に被害者の治療を依頼した。被告人は、1型糖尿病に関する医学的知識はなかったが、被害者を完治させられる旨断言し、同年12月末頃、両親との間で、被害者の治療契約を締結した。被告人は、その頃、母親から被害者はインスリンを投与しなければ生きられない旨説明を受けるなどして、その旨認識していた。被告人による治療と称する行為は、被害者の状態を透視し、遠隔操作をするなどというものであったが、母親は、被害者を完治させられる旨断言されたことなどから、被告人を信頼し、その指示に従うようになった。被告人は、被害者の治療に関する指示を、主に母親に対し、メールや電話等で伝えていた。
(3) 被告人は、平成27年2月上旬頃、母親に対し、インスリンは毒であるなどとして被害者にインスリンを投与しないよう指示し、両親は、被害者へのインスリン投与を中止した。その後、被害者は、症状が悪化し、同年3月中旬頃、糖尿病性ケトアシドーシスの症状を来していると診断されて再入院した。医師の指導を受けた両親は、被害者の退院後、インスリンの投与を再開し、被害者は、通常の生活に戻ることができた。しかし、被告人は、メールや電話等で、母親に対し、被害者を病院に連れて行き、インスリンの投与を再開したことを強く非難し、被害者の症状が悪化したのは被告人の指導を無視した結果であり、被告人の指導に従わず、病院の指導に従うのであれば被害者は助からない旨繰り返し述べるなどした。このような被告人の働きかけを受け、母親は、被害者の生命を救い、1型糖尿病を完治させるためには、被告人を信じてインスリンの不投与等の指導に従う以外にないと一途に考え、被告人の治療法に半信半疑の状態であった被害者の父親を説得し、同年4月6日、被告人に対し、改めて父親と共に指導に従う旨約束し、同日を最後に、両親は、被害者へのインスリンの投与を中止した。
(4) その後、被害者は、多飲多尿、体の痛みを訴える、身体がやせ細るなどの症状を来し、母親は、被害者の状態を随時被告人に報告していたが、被告人は、自身による治療の効果は出ているなどとして、インスリンの不投与の指示を継続した。同月26日、被害者は、自力で動くこともままならない状態に陥り、被告人は母親の依頼により母親の実家で被害者の状態を直接見たが、病院で治療させようとせず、むしろ、被告人の治療により被害者は完治したかのように母親に伝えるなどした。母親は、被害者の容態が深刻となった段階に至っても、被告人の指示を仰ぐことに必死で、被害者を病院に連れて行こうとはしなかった。
(5) 同月27日早朝、被害者は、母親の妹が呼んだ救急車で病院に搬送され、同日午前6時33分頃、糖尿病性ケトアシドーシスを併発した1型糖尿病に基づく衰弱により死亡した。」
第1審の宇都宮地判平成29年3月24日(WestlawJapan文献番号2017WLJPCA03249004)は、被告人が、インスリンの不投与には被害者が死亡する現実的危険性があると知りながら、インスリンを投与しないよう指示し、かつこれを継続したのであるから、インスリン不投与による被害者の死亡を認識し認容していた未必の故意があると認定し、また、母親との関係では間接正犯が、父親との関係では共謀共同正犯が成立するとした上で、本件犯行は、およそ理解しがたい身勝手さで、非難の程度は相応に高いとして、被告人に懲役14年6月を言い渡した。
原審の東京高判平成30年4月26日(WestlawJapan文献番号2018WLJPCA04269009)も、被告人に母親を道具とする殺人の間接正犯、父親との間に保護責任者遺棄致死の共同正犯の成立を認めた第1審の認定、判断に論理則、経験則等に反する不合理な誤りは認められない等として、控訴を棄却した。
Ⅲ 判旨
最高裁は、Ⅱで引用した事実の概要をさらにまとめ、「被告人は、生命維持のためにインスリンの投与が必要な1型糖尿病にり患している幼年の被害者の治療をその両親から依頼され、インスリンを投与しなければ被害者が死亡する現実的な危険性があることを認識しながら、医学的根拠もないのに、自身を信頼して指示に従っている母親に対し、インスリンは毒であり、被告人の指導に従わなければ被害者は助からないなどとして、被害者にインスリンを投与しないよう脅しめいた文言を交えた執ようかつ強度の働きかけを行い、父親に対しても、母親を介して被害者へのインスリンの不投与を指示し、両親をして、被害者へのインスリンの投与をさせず、その結果、被害者が死亡するに至ったものである」とし、「母親は、被害者が難治性疾患の1型糖尿病にり患したことに強い精神的衝撃を受けていたところ、被告人による上記のような働きかけを受け、被害者を何とか完治させたいとの必死な思いとあいまって、被害者の生命を救い、1型糖尿病を完治させるためには、インスリンの不投与等の被告人の指導に従う以外にないと一途に考えるなどして、本件当時、被害者へのインスリンの投与という期待された作為に出ることができない精神状態に陥っていたものであり、被告人もこれを認識していたと認められる。また、被告人は、被告人の治療法に半信半疑の状態ながらこれに従っていた父親との間で、母親を介し、被害者へのインスリンの不投与について相互に意思を通じていたものと認められる。
以上のような本件の事実関係に照らすと、被告人は、未必的な殺意をもって、母親を道具として利用するとともに、不保護の故意のある父親と共謀の上、被害者の生命維持に必要なインスリンを投与せず、被害者を死亡させたものと認められ、被告人には殺人罪が成立する。以上と同旨の第1審判決を是認した原判断は正当である。」と判示した。
Ⅳ コメント
(掲載日 2020年9月3日)