判例コラム

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第170号 警察官の不誠実な態度と交通反則告知書の受領拒否-公訴権の濫用- 

~最高裁第一小法廷令和元年6月3日判決 道路交通法違反被告事件※1

文献番号 2019WLJCC015
日本大学大学院法務研究科 教授
前田 雅英

Ⅰ 判例のポイント

 車を運転中、赤信号を無視したとしてパトカーに停止を求められたXが、「黄色信号だった」と主張し、パトカーの車載カメラ映像の確認を要求したところ、それが受け入れられなかったため、交通反則告知書の受け取りを拒否したXが現行犯逮捕された事案である。
 道路交通法上は、違反者が交通反則告知書の受領を拒否した場合に起訴できる。第1審がそのまま有罪としたのに対し、控訴審判決が、Xが交通反則告知書を受け取らなかったのは警察官の不誠実な対応が一因であり、信義に反した無効な起訴であるとして第1審判決を破棄し、裁判を打ち切る公訴棄却を言い渡していた。
 道路交通法の運用現場で、「カメラ映像などの証拠を見せなければ、刑事手続を進められない」ということになると、法運用の転換をはからなければならず、最高裁の判断が注目されていた。

Ⅱ 事実の概要

  1. 1 最高裁がまとめた本件の事実経過は、次のとおりである。
  2. (1) 被告人Xは、平成27年7月12日午後8時11分頃、大阪府内の道路において、赤色の灯火信号を看過してこれに従わないで、停止線を越えて普通乗用自動車(以下「X車両」という。)を運転して進行した。同所付近で交通取締りに従事していた警察官らは、上記事実を現認したことから、直ちにパトカーを発進させて追跡を開始し、X車両を停止させた。警察官らは、Xに対し、赤色信号無視を現認したなどと告げて降車するように求めたが、Xが、黄色信号だったと主張して違反の事実を認めず、降車を拒否し、運転免許証も提示しなかったことから、Xを道路交通法違反(信号無視)の現行犯人として逮捕した。
  3. (2) Xは、交通取締りの現場や逮捕後に引致された警察署で、警察官らに対し、対面信号機が赤色であったことを示すパトカーの車載カメラの映像の提示を求めたが、警察官らは、その映像が存在するにもかかわらず、そのようなものはないと言って拒否した。警察官らは、Xを釈放した後、交通反則切符を作成し、Xに対し、交通反則告知書の記載内容及び交通反則通告制度について説明したが、Xが「信号は黄色や」などと上記主張を繰り返し、交通反則告知書の受領を拒否したことから、本件を受領拒否事件として処理することとした。
  4. (3) Xは、検察官から取調べを受けた際も、対面信号機は黄色であったと主張したが、その後、本件車載カメラ映像を見せられると、赤色の灯火信号を看過した事実を認め、交通反則通告制度の適用を求めた。検察官は、平成28年4月5日、Xを起訴し、第1審裁判所は、公判期日を開いて審理した上、同年6月14日、公訴事実どおりの事実を認め、Xを罰金9000円に処する判決を言い渡したというものである。
  5. 2 これに対し、控訴審大阪高判平成28年12月6日(判時2354-105・WestlawJapan文献番号2016WLJPCA12066004)は「Xが交通反則告知書の受領を拒んだのは、本件車載カメラ映像が存在するにもかかわらず、そのようなものはないと言って提示を拒否した警察官らの不誠実な対応が一因を成しているというべきであるから、そのことを棚に上げ、一旦交通反則告知書の受領を拒んだ以上その効果は覆せないなどとして、道路交通法130条2号に当たると解するのは、信義に反するものであり、Xが本件車載カメラ映像を見せられた後、速やかに交通反則告知書受領の意思を示した本件のような場合は、Xが一旦交通反則告知書の受領を拒むという事態があったとしても、同号に当たらないと解するのが相当であるとする」とし、刑訴法397条1項、378条2号により原判決を破棄した上、「本件公訴提起の手続はその規定に違反したため無効であるから、刑訴法338条4号により本件公訴を棄却する」と判示した。

Ⅲ 判旨

 これに対して上告審の最高裁第一小法廷は、「道路交通法130条2号に当たると解するのは信義に反するなどとして、同号該当性を否定した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる」とした。
 その理由として、「上記の事実経過のとおり、Xは、警察官らが交通反則告知書の記載内容及び交通反則通告制度について説明をした際、赤色の灯火信号を看過した事実を否認して交通反則告知書の受領を拒否したのであるから、道路交通法130条2号に該当する事由があることは明らかである。なお、Xが赤色の灯火信号を看過したことを示す証拠である本件車載カメラ映像の提示を求めたことに対し、それが存在するにもかかわらず、警察官らがそのようなものはないと述べたことがあったとしても、交通反則通告制度においては、同号該当性を否定する事情とはならないというべきである。したがって、第1審裁判所が不法に公訴を受理したものということはできない」という点を挙げた。

Ⅳ コメント

  1. 1 公訴権濫用論とは、検察官の訴追に「濫用」があった場合に、裁判所は形式裁判で訴訟を打ち切るべきであるとする理論である。法文の直接的根拠はないが刑事訴訟法338条4号の類推適用ということになろう。訴訟条件は具備していてもなお訴追が違法・無効といえる場合があるとするものである(池田修・前田雅英『刑事訴訟法講義[第6版]』242頁)。一般に、①嫌疑なき起訴、②訴追裁量権の逸脱、③違法捜査に基づく起訴が問題とされている。明らかに嫌疑を欠くときは違法だが、当該訴訟内においては、実体的判断が行われれば足りるので、①が吟味されることはない。③は、②の1つの態様ともいえるが、捜査手続の違法が直ちに公訴提起手続を違法とするものではない。
  2. 2 違法捜査がなされた場合に、弁護側が公訴棄却を主張することは多いが、捜査手続の違法が直ちに公訴提起手続の違法をもたらすものではない。最判昭和41年7月21日(刑集20-6-696・WestlawJapan文献番号1966WLJPCA07210004)は、弁護人が逮捕の際、犯人に対して警察官による暴行陵虐の行為があったと主張したのに対し、「逮捕手続にそのような違法があったとしても公訴提起の手続が憲法31条に違反し無効となるものではない」とし、最判昭和44年12月5日(刑集23-12-1583・WestlawJapan文献番号1969WLJPCA12050011)も、「仮りに捜査手続に違法があるとしても、それが必ずしも公訴提起の効力を当然に失わせるものでないことは、検察官の極めて広範な裁量にかかる公訴提起の性質にかんがみ明らかであ」るとしている。
  3. 3 ②訴追裁量権の逸脱につき、かつては、起訴裁量は自由裁量であり、さらには行政機関としての判断であるから、三権分立の理念により司法審査には馴染まないと考えられてきた。しかし、起訴猶予にすべき事件を起訴すれば訴訟条件を欠くという主張が現れ、訴追がXの権利を制約することも考えると、法治国である以上は検察官も適切な裁量をすべきであり、裁量権を逸脱していないか司法的コントロールに服すべきものとする見解が一定の支持を得るようになった。しかし判例は、検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴を無効にすることはあり得るとしても、「起訴自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる」という形で、要件を厳しく絞っている(最決昭和55年12月17日刑集34-7-672・WestlawJapan文献番号1980WLJPCA12170013)。公訴権濫用論は、刑法における期待可能性論などと同様、「非常救済手段」として機能すべきものといえよう。
  4. 4 道路交通法第9章は反則行為に関する処理手続の特例を定め、同法130条は「反則者は、当該反則行為についてその者が第127条第1項又は第2項後段の規定により当該反則行為が属する種別に係る反則金の納付の通告を受け、かつ、第128条第1項に規定する期間が経過した後でなければ、当該反則行為に係る事件について、公訴を提起されず、又は家庭裁判所の審判に付されない。ただし、次の各号に掲げる場合においては、この限りでない」とした上で、同法130条2号で、「その者が書面の受領を拒んだため、又はその者の居所が明らかでないため、第126条第1項若しくは第4項の規定による告知又は第127条第1項若しくは第2項後段の規定による通告をすることができなかつたとき」と定めている。
  5. 5 本件控訴審は、①映像が存在するのにないと言って提示を拒否した警察官らの不誠実な対応があるので、②交通反則告知書の受領を拒んだとしても道路交通法130条2号に当たると解するのは、信義に反するとして、同条項に当たらないとし、③同条項に当たらないのに、同法130条に定めた手続を経ずになされた起訴は、無効であるから、公訴棄却すべきであったとした。道路交通法130条2号の解釈という形で、実質的に公訴権濫用論を認めたものといえよう。
  6. 6 ただ、本件判旨にあるように、警察官から交通反則告知書の記載内容及び交通反則通告制度について説明を受けた際、赤色の灯火信号を看過した事実を否認して交通反則告知書の受領を拒否したのであるから、道路交通法130条2号に該当する事由があることは明らかであるといわざるを得ない。
     道路交通法130条2号の解釈論を超えても、「証拠であるカメラ映像の提示要求に対して、存在するにもかかわらず、ないと述べたこと」があったとしても、それが、交通反則通告制度全体の趣旨に鑑み、起訴を思いとどまらなかったことが「公訴権の濫用」とまではいえないことも明らかであろう。
  7. 7 交通捜査の現場では、本件のようなトラブルは、「日常茶飯」であるといっても誇張ではないかも知れない。赤信号を無視したとしてパトカーに停止を求められた、「黄色信号だった」と確信している場合に、唯々諾々と警察官から交通反則告知書の受領をすることには納得がいかず、「対面信号機が赤信号であったことを示す車載カメラの映像があれば見せろ」と主張する心情は理解し得るとする国民は多いであろう。
     しかし、切符を切る現場で、証拠の画像を必ず示さなければならないというのは、行政の停滞を招く。警察には「安全な交通秩序の維持」が期待されている。たしかに、「あるのにない」と積極的に虚言を弄することは許されるべきではない。「この場であなたにお見せすることはできない」等と説明すべきであったとはいえよう。国民の信頼が得られなければ、交通規制もうまく機能しないことも、警察としては、肝に銘ずるべきである。ただ、そのことと、交通反則告知書受領拒否行為を刑事司法の埒外とすることとは、別個に考えるべきである。

(掲載日 2019年6月12日)

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