判例コラム

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第153号 進歩性要件の判断の基礎となる引例適格性について 

~ピリミジン誘導体事件知財高裁大合議判決(平成30年4月13日判決言渡)の検討(その2)~

文献番号 2018WLJCC029
北海道大学法学研究科 教授
田村 善之

1 はじめに

 本コラムが扱うのは、知財高裁大合議部判決平成30.4.13平成28(行ケ)10182等(WestlawJapan文献番号2018WLJPCA04139001)[ピリミジン誘導体]である。同判決は、主として、特許権が存続期間満了により消滅した後に提起された無効不成立審決取消訴訟の取消しの利益の有無と、刊行物において化合物が一般式の形式で記載されている場合に当該引例を進歩性※1 の要件の判断の基礎にしうるのか、という論点について判断している※2 。前者の論点に関しては、本コラム「(その1)」で既に検討したので※3、本稿では後者の論点を扱う。

2 事実

 本件は、発明の名称を「ピリミジン誘導体」とする特許(特許第2648897号)についての特許無効審判請求不成立審決の取消訴訟である。
 本件特許の請求項は以下のとおりである※4

 【請求項1】(本件発明1)
式(I):


(式中、 R1は低級アルキル;
R2はハロゲンにより置換されたフェニル;
R3は低級アルキル;
R4は水素またはヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオン;
Xはアルキルスルホニル基により置換されたイミノ基;
破線は2重結合の有無を、それぞれ表す。)
で示される化合物またはその閉環ラクトン体である化合物。
 これに対して、無効審判請求では、本件発明の進歩性に関し、甲1発明(主引用発明:特表平3-501613号公報)と甲2発明(副引用発明:特開平1-261377号公報)に基づいて容易に発明することができたといえるかということが争点とされた。
 主引用発明である甲1発明の実施例の化合物と、本件発明の化合物を対比すると下図のようになる。



 両者の相違点は以下のとおりである※5
「【相違点】
(1-ⅰ)Xが、本件発明1では、アルキルスルホニル基により置換されたイミノ基であるのに対し、甲1発明では、メチル基により置換されたイミノ基である点
(1-ⅱ)R4が、本件発明1では、水素又はヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオンであるのに対し、甲1発明では、ナトリウム塩を形成するナトリウムイオンである点」
 この相違点を図解すると、以下のようになる 。赤字が相違点に係る甲1発明の構成であり、これを青字に係る構成に変換すると本件特許の化合物となる。



 このうち、相違点(1-i)を架橋するために持ち出された副引用発明である甲2は、下記の一般式(Ⅰ)で表されるマーカッシュ形式のクレイムであった。

一般式(Ⅰ)※7



本件発明



 審決は、進歩性欠如を否定し、無効審判請求を不成立としたので、審判請求人と参加人が特許権者を相手取って提起したのが、本件審決取消訴訟である。

3 判旨

 裁判所は、以下のように判示して、甲2には相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されているとはいえず、したがって、相違点(1-ⅱ)について検討するまでもなく、当業者が、甲1発明に甲2発明を組み合わせることにより、本件発明1を容易に発明をすることができたとは認められない、と判示した※8

 1) 進歩性の判断の一般論について
 刊行物から具体的な技術的思想を抽出しえない場合には、進歩性判断の基礎となる引例に該当しない旨を説示。
 「進歩性に係る要件が認められるかどうかは、特許請求の範囲に基づいて特許出願に係る発明(以下「本願発明」という。)を認定した上で、同条1項各号所定の発明と対比し、一致する点及び相違する点を認定し、相違する点が存する場合には、当業者が、出願時(又は優先権主張日。以下「3 取消事由1について」において同じ。)の技術水準に基づいて、当該相違点に対応する本願発明を容易に想到することができたかどうかを判断することとなる。
 このような進歩性の判断に際し、本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下「主引用発明」といい、後記「副引用発明」と併せて「引用発明」という。)は、通常、本願発明と技術分野が関連し、当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ、同条1項3号の「刊行物に記載された発明」については、当業者が、出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから、当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。そして、当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、当業者は、特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該刊行物の記載から当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできない。
 したがって、引用発明として主張された発明が「刊行物に記載された発明」であって、当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。
 この理は、本願発明と主引用発明との間の相違点に対応する他の同条1項3号所定の「刊行物に記載された発明」(以下「副引用発明」という。)があり、主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合において、刊行物から副引用発明を認定するときも、同様である。したがって、副引用発明が「刊行物に記載された発明」であって、当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを副引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。」

 主引用発明に副引用発明を適用する手法による進歩性判断の枠組みとその場合の証明責任の所在を説示。
 「そして、上記のとおり、主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には、①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆、技術分野の関連性、課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して、主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに、②適用を阻害する要因の有無、予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。特許無効審判の審決に対する取消訴訟においては、上記①については、特許の無効を主張する者(特許拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟及び特許異議の申立てに係る取消決定に対する取消訴訟においては、特許庁長官)が、上記②については、特許権者(特許拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟においては、特許出願人)が、それぞれそれらがあることを基礎付ける事実を主張、立証する必要があるものということができる。」

 2) 本件への当てはめ
 甲1発明を主引用発明として選択しうることを肯定。
 「主引用発明の選択について
 前記2(2)のとおり、本件発明は、コレステロール生合成の律速酵素である3-ヒドロキシ-3-メチルグルタリルコエンザイムA(HMG-CoA)還元酵素を特異的に阻害し、コレステロールの合成を抑制することにより、高コレステロール血症、高リポタンパク血症、更にはアテローム性動脈硬化症の治療に有効な、HMG-CoA還元酵素阻害剤に関するものであり、前記(2)アのとおり、甲1発明も、コレステロール生合成における律速酵素である3-ヒドロキシ-3-メチルグルタリル補酵素A(HMG-CoA)の拮抗阻害剤であって、血中コレステロールレベルを降下させる過脂肪蛋白血症処置剤及び抗アテローム性動脈硬化剤に関するものであるから、本件発明と技術分野を共通にし、本件発明の属する技術分野の当業者が検討対象とする範囲内のものであるといえる。
 また、本件発明1と前記(2)イ認定の甲1発明とを対比すると、審決の認定のとおり、・・・【一致点】記載の点で一致し、この点において、当事者間に争いはなく、近似する構成を有するものであるから、甲1発明は、本件発明の構成と比較し得るものであるといえる。」
 「そうすると、甲1発明は、本件発明の進歩性を検討するに当たっての基礎となる、公知の技術的思想といえる。
 以上によると、甲1発明は、本件発明についての特許法29条2項の進歩性の判断における主引用発明とすることが不相当であるとは解されない。」

 副引用発明である甲2発明につき、相違点に係る構成が記載されているとはいえないと判示。
 「甲2に記載された「殊に好ましい化合物」におけるR3の選択肢は、極めて多数であり、その数が、少なくとも2000万通り以上あることにつき、原告らは特に争っていないところ、R3として、「-NR4R5」であってR4及びR5を「メチル」及び「アルキルスルホニル」とすることは、2000万通り以上の選択肢のうちの一つになる。
 また、甲2には、「殊に好ましい化合物」だけではなく、「殊に極めて好ましい化合物」が記載されているところ、そのR3の選択肢として「-NR4R5」は記載されていない。
 さらに、甲2には、甲2の一般式(Ⅰ)のXとAが甲1発明と同じ構造を有する化合物の実施例として、実施例8(R3はメチル)、実施例15(R3はフェニル)及び実施例23(R3はフェニル)が記載されているところ、R3として「-NR4R5」を選択したものは記載されていない。
 そうすると、甲2にアルキルスルホニル基が記載されているとしても、甲2の記載からは、当業者が、甲2の一般式(Ⅰ)のR3として「-NR4R5」を積極的あるいは優先的に選択すべき事情を見いだすことはできず、「-NR4R5」を選択した上で、更にR4及びR5として「メチル」及び「アルキルスルホニル」を選択すべき事情を見いだすことは困難である。
 したがって、甲2から、ピリミジン環の2位の基を「-N(CH3)(SO2R’)」とするという技術的思想を抽出し得ると評価することはできないのであって、甲2には、相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されているとはいえず、甲1発明に甲2発明を組み合わせることにより、本件発明の相違点(1-ⅰ)に係る構成とすることはできない。」
 「原告らは、甲2には、一般式(Ⅰ)の化合物全体の製造方法及びHMG-CoA還元酵素阻害活性について記載されているから、「R3」として「NR4R5」を選択した一般式(Ⅰ)の化合物について技術的裏付けがあると理解できるのであって、「甲2では、「R3」として「NR4R5」を選択した化合物については、その製造方法もHMG-CoA還元酵素阻害活性の薬理試験も記載されていない」旨の審決の認定は誤りである旨主張する。
 前記aのとおり、甲2の一般式(Ⅰ)で示される化合物は、HMG-CoA還元酵素阻害剤を提供しようとするものであり、・・・甲2には、甲2の一般式(Ⅰ)で示される化合物に包含される甲2の実施例1~23の化合物が、メビノリンと比較して高いHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する旨が記載されている。また、甲16には甲2の一般式(Ⅰ)の範囲内の特定の化合物についてHMG-CoA還元酵素阻害活性を有することが記載されており、証拠(甲16、73~75)及び弁論の全趣旨によると、当業者は、甲2の実施例の一部分が変わっただけの特定の化合物についてHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する蓋然性が高いと理解することがあるものと認められる。
 しかし、甲2の実施例1~23や上記認定の特定の化合物には、スルホンアミド構造を有する化合物は含まれていない。証拠(乙65)及び弁論の全趣旨によると、化学物質がわずかな構造変化で作用の変化を来す可能性があることは、技術常識であるから、甲2の一般式(Ⅰ)で示される極めて多数の化合物全部について、実施例1~23や上記認定の特定の化合物と同程度又はそれを上回るHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すると期待できるわけではなく、HMG-CoA還元酵素阻害活性が失われることも考えられる。
 したがって、甲2から、甲2の一般式(Ⅰ)で示される極めて多数の化合物全部について、技術的裏付けがあると理解できるとはいえないのであって、原告らの上記主張は、前記aの判断を左右するものではない。」

 そのうえで、かりに相違点に係る構成が記載されているとしても、本件では相違点に係る構成を採用する動機付けがないと認定※9
 「仮に、甲2に相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されていると評価できたとしても、前記(2)のとおり、・・・甲1には、甲1の式Ⅰのピリミジン環の2位の置換基R2の選択肢として「-N(R8)2」が記載され、さらに、R8の選択肢として「メチル基」が記載されているものの、R8の選択肢としては「アルキルスルホニル基」は記載されていない。
 そうすると、甲1には、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位の「ジメチルアミノ基」を、甲1の式Ⅰの選択肢には含まれない「-N(CH3)(SO2R’)」に置き換える動機付けとなる記載があるとはいえない。」
 「したがって、仮に、甲2に相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されていると評価できたとしても、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位のジメチルアミノ基を「-N(CH3)(SO2R’)」に置き換えることの動機付けがあったとはいえないのであって、甲1発明において相違点(1-ⅰ)に係る構成を採用することの動機付けがあったとはいえない。」

 結論として、進歩性を否定することはできないと判示。
 「そうすると、相違点(1-ⅱ)について検討するまでもなく、当業者が、甲1発明に甲2発明を組み合わせることにより、本件発明1を容易に発明をすることができたとは認められない。」

4 評釈

 1) 問題の所在
 本判決は、事案との関係でいえば、副引例から相違点に係る具体的な技術的思想を当業者が抽出しえない場合、とりわけ、マーカッシュ形式で記載されているために膨大な選択肢が存在する※10 という事例において、副引例として主張された刊行物から本願発明の相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しえないことを理由として、進歩性を否定しなかった裁判例である。しかし、判旨は、そのような場合には、副引例は進歩性判断のための引用発明たりえないと論じているから、進歩性判断における副引例の問題に止まらず、より広い射程を有する可能性がある理屈である。そこで、以下では、本判決が扱った問題点で進歩性を判断する論法としてどのような候補があるのか、ということを検討し、本判決が採用した論理はそのうちどれに当たるのかということを特定したうえで、本判決の論理の適切性を検証してみたい。

  2) 副引例として主張された刊行物から具体的な技術的思想を抽出できない場合にその参酌を否定する論理の候補※11
 ① 新規性と進歩性を通じて引例から具体的な技術的思想を抽出しえない場合には引用発明たりえないとする考え方
 まず、最も広い射程を有する論法として、特許法29条全般を通じて、具体的な技術的思想を抽出しえない場合には、その参酌を否定するという論法がありえる。その理由としては、特許法29条1項1号から3号、そして2項が文言上、新規性喪失や進歩性欠如を基礎付ける資料として参酌されるためには、「発明」たりうることを要求していることなど※12がありえよう。
 ただし、この論法の下でも、主引例には発明該当性を要求するにしても、副引例には要求しないという考え方も成り立ちうるはずであるから、本判決の結論を支えるためには、この論法のなかで、さらに副引例についても発明該当性を要求するという選択肢を採用することになる。
 ② 新規性と進歩性を通じて刊行物記載の場合には具体的な技術的思想が記載されていることを要求する考え方
 次に、やや射程を限定して、特許法29条全般ではなく、少なくとも刊行物記載の場合には具体的な技術的思想が記載されていることを要求し、そのことは特許法29条1項でも2項でも変わらないと解したうえで、副引例についても同様の理を及ぼすという考え方がありえる。
 この論法は、こと本件のように刊行物記載が引例として持ち出される場合には①の見解と差異がないが、とりわけ公用について、具体的な技術的思想を抽出しえないとしても、公衆が発明の効果を享受している場合には新規性を否定する考え方である※13。これは、特許法29条1項2号に同項の1号や3号と異なった役割を期待する考え方といえる※14
 ③ 新規性については引例となるために具体的な技術的思想を抽出することができる必要はないが、進歩性に関してはそれを要求する考え方
 特許法29条1項の新規性喪失に関しては、具体的な技術的思想を抽出することができなくとも、すでに公に知られたり公に用いられていたり刊行物に記載されていたりするものと同一のものについて特許を認める必要はないことを理由に、新規性喪失を肯定しつつ、特許法29条2項の進歩性については、引例における具体的な技術的思想を認識しえない限り、当業者は特許発明との相違点を架橋する示唆や動機付けを得ることができないという理解を前提に、引用発明適格性として具体的な技術的思想を要求する見解がありえる※15。この見解の下では、進歩性に関しては、少なくとも主引例には具体的な技術的思想を要求することになろう。そして、同様の理を、本件で問題となった副引例にも押し及ぼす考え方もありうるのかもしれない※16
 ④ 進歩性特有の問題として、主引例と特許発明の相違点を架橋する構成を副引例から抽出する示唆や動機付けを欠く場合には、進歩性を否定できないとする一般論を適用する考え方
 最後に、一般に進歩性判断の際に用いられている手法を適用し、膨大な選択肢のなかから、あえて主引例と特許発明の相違点を架橋する構成を抽出する示唆や動機付けがない以上、当該構成に辿り着くことは当業者にとって容易とはいえないことを理由に進歩性欠如を否定する方策がありえる※17

 3) 本判決が採用した手法
 本判決は、引用発明適格性とは別に、かりに副引例に本件発明の相違点に係る具体的な構成が記載されていると評価されるとしても、主引例である甲1発明における本件特許発明との相違点に係る構成を、副引例における甲2発明のそれに置き換える動機付けがないことを理由に、やはり進歩性欠如は否定される旨を説いているから、相違点に係る具体的な技術思想を抽出しえない場合に、前記④の方策をもって処理しうることは否定していない、というよりはむしろ肯定している。しかし、そうであるにも関わらず、この動機付けに関する説示は、「仮に、甲2に相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されていると評価できたとしても、」という前置きの下での駄目押し的※18 に持ち出されているに止まる。このような本判決の構成は、結果的に、相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しえない場合に④以外の方策を用いることができると本判決が理解していることを如実に示している。
 それでは、他の選択肢のうち、本判決が採用した論法はどれに該当するのであろうか。
 まず、本判決は、相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しえない場合には「引用発明」と認定することはできない旨を説くとともに、「この理は、・・・主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合において、刊行物から副引用発明を認定するときも、同様である」と明言しているから、本判決にとって事案の解決に必要であった副引例だけではなく、事案の解決には不要であった主引例に関しても相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうることを要求する立場であることは明らかである(ただし、後者は厳密にいえば傍論ではある)。
 次に、本判決は、特許法29条について「同条1項3号の「刊行物に記載された発明」については、・・・当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない」と説いているから、文言上は、特許法29条2項の進歩性欠如の場面に限らず、特許法29条1項の新規性喪失の場面を含めて、引例から相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうることが引用発明たりうるための要件であると考えていると理解するのが、素直な読み方といえよう。この読み方に基づけば、本判決は③の立場を否定していることになる※19
 もっとも、本判決は、「このような進歩性の判断に際し、本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下「主引用発明」といい、後記「副引用発明」と併せて「引用発明」という。)は」という書き出しで、引用発明適格性に関する説示を始めており、また、なぜ具体的な技術的思想を抽出しえなければならないかということに関しても、「当業者が、出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから」という進歩性固有の論理付けを行っているに止まる。そうだとすると、本判決は、③のように進歩性要件に限定した論理を否定はしていないと読むことが不可能であるとまではいえないように思われる。少なくとも、本件の事案は進歩性に関するものでしかなく、新規性に関する説示を本判決に読み込むとしても、それは傍論に過ぎない。
 また、本判決は、あくまでも「同条1項3号の「刊行物に記載された発明」については、・・・当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない」とか、「引用発明として主張された発明が「刊行物に記載された発明」であって、当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。」と論じており、文言上、刊行物記載に限った説示を展開している※20 。したがって、具体的な技術的思想を抽出しうるものであることが要求されるのが、刊行物記載に限られるのか(②の立場)、公用などにも及ぶのか(①の立場)に関しては、本判決はその立場を明確にしなかったと理解できる。
 なお、本判決においては、引例適格性として具体的な技術的思想を抽出しうることを要求する理由は、前述したように進歩性判断において「当業者が、出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものである」ことに求められており、そこに特許法2条1項の「発明」の定義規定は登場しない。ゆえに、本判決は、刊行物に記載されたものが引用発明たりうるためには、相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうるものであることを要求しているが、それ以上に、特許法2条1項の発明該当性までをも充足する必要はあるのかということに関しては※21 、何ら判断していない。

 4) 副引例に引用発明適格性を要求することに対する疑問
 まず、本判決の最もレイシオ・デシデンダイたるべきところ(=傍論ではないところ)、つまり本判決が、主引例(ばかり)でなく、副引例に記載されているものについても「引用発明」たりうるためには、相違点に係る具体的な技術的思想を当業者が抽出しうるものである必要があると説いた点に関して、検討してみよう。
 この点に関しては、そもそも副引例に引用発明適格性を要求する意義が検討されなければならない。主引例と特許発明に相違点がある場合に、それを架橋して進歩性を否定するために持ち出される刊行物としては、相違点を架橋しうる構成が記載されているものばかりでなく、その種の構成が記載されているわけではないが、何らかの示唆が記されていたり、相違点を架橋する方向への動機付けが記されていたりするものも含まれる。そして、かりに「副引用発明」が記載されて(も)いるとして主張された刊行物が、相違点に係る具体的な技術的思想を開示するものとしてはいまだ不十分としても、そこからなんらかの示唆を看取したり、動機付けを与えたりすることはありえるはずである※22
 もっとも、本判決が進歩性を否定する手法として、「主引用発明」に「副引用発明」を適用する以外の方策はないと考えている、というのであれば、話は変わり、「副引用発明」に該当することは、進歩性を否定するための必須の要件となる※23 。しかし、従前の裁判実務では、相違点を架橋するために周知技術を考慮することが行われており※24 、本判決自身、進歩性要件に関する判断の前置き部分では「進歩性に係る要件が認められるかどうかは、・・・相違する点が存する場合には、当業者が、出願時・・・の技術水準に基づいて、当該相違点に対応する本願発明を容易に想到することができたかどうかを判断する」と前置いて、「技術水準」に言及している。たしかに、進歩性判断の枠組みを示す際には、「主引用発明」に「副引用発明」を適用する手法に言及するに止まるが、その際の書き出しは「主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には」となっており、進歩性を否定する手法としては他のものもありうることを前提としているように読める※25
 そうだとすると、かりに本判決に従って、相違点に係る具体的な技術的思想が開示されていないために「副引用発明」には該当しないとされたとしても、それで進歩性判断のために参酌する資料たりえないことになるわけではないから、結局、「副引用発明」であることの要件は、進歩性判断の参酌資料たりえるための要件ではないといわざるをえず※26 、せいぜい、「副引用発明」としては参酌しえない、という意義を有するに止まる※27 。そして、「副引用発明」と、それには該当しないが進歩性判断の基礎となりうる示唆や動機付けとの境界が截然と分かれているものではないとすれば、そのような問題設定をすることの意義自体が問われて然るべきであろう。

 5) 主引例から相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しえない場合に引用発明適格性を否定することに対する疑問
 したがって、相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうることを要求する本判決の説示は、本件事案では特に問題とならなかった主引用発明について適用される場合に大きな意義を有することになる。しかし、主引用発明の適格性として具体的な技術的思想を抽出しうることまでを要求することは穏当な取扱いといえるのだろうか。
 まず、進歩性に関していえば、たしかに主引例から相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しえないとすると、進歩性を否定することは一般的には困難となるといえよう。しかし、技術的思想が完全に具体化されていないとしても、当業者はそのようなやや抽象的な技術的思想に基づいて、副引例や周知技術と組み合わせたり、相違点を架橋する方向の動機付けが与えられたりすることにより、相違点を架橋する構成に到達しうることが容易となる場合がありえるように思われる※28。そうだとすると、あえて引用発明適格性とでも呼称すべき関門を設けて、具体的な技術的思想を抽出しえない場合に、定型的に進歩性判断の参酌資料から落す意義が問われよう。
 この点に関しては、主引例から相違点に係る具体的な技術的思想を感得しえないために、そこから何らかの技術的課題を得ることもできないような場合には、当業者は、主引例によって課題が与えられ、それを解決するために、他の引例や周知技術の示唆、あるいは動機付けに頼りながら、相違点に係る構成に到達しうるというルートを辿り得ないということを理由として、その意味での具体的な技術的思想の開示が必要であると論じて、本判決の一般論を支持する考え方がありうるかもしれない※29。しかし、相違点を架橋するためには、特に主引例によって課題が開示されていなくとも、出願発明や特許発明のほうに記されている課題であっても、それが当業者が意識している課題を示しているという理解の下で参酌することも許されるはずであり、また、主引例や出願発明や特許発明とは別に当業者が一般的に意識している課題がきっかけとなって相違点を架橋するに至る場合もありえよう※30。そもそも進歩性を否定するための論理付けとしては、課題に着目するアプローチが唯一の選択肢というわけではなく、他の引例に主引例と組み合わせる方向での示唆があったり、あるいは、相違点を架橋する方向での動機付けが存在したりすることにより、課題とは無関係に進歩性が否定されることもありえよう※31。したがって、主引例から課題を認識しうる必要はないから、その意味で主引例に具体的な技術的思想の記載が要求されるということもないと解される。
 以上の理を、本件の事案に即して具体的に論じてみよう。
 本判決は、ここまで検討してきた一般論、すなわち引用発明適格性として相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうることを要求する考え方を本件に当てはめ、副引例である甲2の記載では未だ膨大な選択肢が残されており、そのような具体的な構成を抽出しえないことを理由に、その引用発明適格性を否定している。しかし、本判決は、他方で、「当業者は、甲2の実施例の一部分が変わっただけの特定の化合物についてHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する蓋然性が高いと理解することがあるものと認められる」と説いている。このように甲2の記載に従って「蓋然性が高い」と理解する当業者がいるのであれば、たとえ甲2の記載自体から相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうることが判旨のいうように困難であるとしても、当業者は甲2から一定の技術的示唆を得ることができる場合があるのだから、引用発明適格性という関門を設けて(とりわけ甲2発明が主引例とされた場合※32に)一律に進歩性判断の基礎とすることを否定するように読める本判決の論法には疑問がある※33
 この点に関して、本判決は、たしかに、この説示の直後に、「しかし、・・・化学物質がわずかな構造変化で作用の変化を来す可能性があることは、技術常識であるから、甲2の一般式(Ⅰ)で示される極めて多数の化合物全部について、実施例1~23や上記認定の特定の化合物と同程度又はそれを上回るHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すると期待できるわけではなく、HMG-CoA還元酵素阻害活性が失われることも考えられる」と続けてはいる。だが、たとえば、かりに甲2ではなく、もう1つの引例である甲1のほうに、相違点に係る甲1内のメチル基を他の置換基に置換してもよいことを示唆する記載があったり、さらには、その際には類似する構造を持つピリミジン誘導体(相違点に係る本件発明の構成)が有望である旨の記載があったりすれば、当業者はその記載と甲2から得られる示唆を手がかりに、本件発明の構成に辿り着くことが容易であると評価できる場合もあるのではなかろうか※34。ところが、引例に引用発明適格性を要求する本判決の枠組みの下では、このような状況下でも、甲2発明を引例として進歩性判断を否定することが許されなくなる。このような取扱いは、当業者にとって容易に想到しうる発明に対して特許が取得されることを防ぐ進歩性の要件の趣旨に反するといわざるを得ない※35

 6) 新規性判断において引例から具体的な技術的思想を抽出しえない場合に引用発明適格性を否定することに対する疑問
 本判決の引例適格性に関する説示は、前述したように、論理的に新規性喪失の場合をもカバーすると解しうるものでもある。
 しかし、新規性要件は、刊行物に記載されているものと同一の(ものを含む)発明について特許性を否定する要件であるから、かりに本判決に従って具体的な技術的思想の記載がないことを理由に新規性喪失の基礎となる引例適格性を否定したとしても、それと出願発明や特許発明に記載されているものが同一であるならば、結局、出願発明や特許発明のほうも実施可能要件違反、サポート要件違反、あるいは論者によっては発明未完成ということで特許性が否定されるだろう。
 したがって、刊行物に記載されているものと出願発明や特許発明が同一であることが確認された場合に、さらになお刊行物に記載されているものが「引用発明」として適格であるか否かを問うことは、無駄な迂路に過ぎない。「引用発明」として不適格であることが確認されたとしても、実施可能要件違反その他の理由によりいずれにせよ特許性が否定され、またそのことが確認されなかったとしても、その場合にはこの考え方の下でも「引用発明」として適格性が肯定されるから、元に戻って新規性喪失が肯定されてやはり特許性が否定されることに変わりはないからである※36
 結論として、新規性の場面において、具体的な技術的思想の記載を要求するという意味での引用発明適格性を要件とする必要はないと考える。

 7) 選択発明に関する従来の実務との関係
 本判決の取扱いに対しては、とりわけ選択発明に関する従来の要件論との関係が取り沙汰されている※37
 選択発明は、刊行物等に記載されている発明が上位概念等で抽象的に特定されているに止まる場合に、その抽象的な範囲には属するが具体的には開示されていない構成を特定する発明であり、先行発明に対して顕著な効果(異質な効果または際立って優れた効果)がある場合には特許性が肯定されると理解されているものである※38 。選択発明として主張されている発明に、この顕著な効果が認められない場合には新規性が否定されるが、顕著な効果が認められれば新規性と進歩性がともに充足されると取り扱われている。このような選択発明に関する従前の取扱いに鑑みると、本判決の抽象論の下では、先行発明が膨大な選択肢をカバーするものであった場合に引用発明としての適格性が否定される結果、後行発明に顕著な効果がなくともその特許取得が認められることになりはしないか、かりにそうだとすると、本判決は従前の選択発明に関する実務の取扱いに対して変更を迫るものなのか、ということが問題とされている※39
 既述したように、本稿は、そもそも引例から具体的な技術的思想を抽出しえない場合に引用発明適格性を否定する本判決に反対であるから、本判決の論理が選択発明にも影響するとなると、その弊害はなおのこと際立つことになると考える。しかし、本判決の理論をもってしても、以下のように、選択発明にその射程は及ばないと解することは可能であるように思われる。
 選択発明について、刊行物に記載された先行発明の抽象的な範囲に含まれることに変わりはないにも関わらず、顕著な効果の有無によって新規性、進歩性の判断が分かれるとされているのは何故なのであろうか。この問いに対する解答は、産業の発達のために発明とその公開にインセンティヴを与える特許法の目的に鑑みることにより、自ずから明らかとなる。つまり、後行発明によって新たに特定された具体的な構成が顕著な効果を発揮しえない場合には、先行発明とは独立してインセンティヴを付与するに値するという意味での別個の技術的思想が創作され開示されたとはいいがたいから新規性が否定される。他方、後行発明の具体的な構成によって顕著な効果が生み出されるのであれば、独立したインセンティヴを付与するに値しうるという意味で(学術的な観点はともかく、少なくとも特許法の観点からは)別個の技術的思想※40 の創作と開示が行われているから、それがゆえに新規性が肯定される。そのうえで、その特定が当業者にとって容易でなかったという場合には進歩性も肯定されることになる。そしてこの進歩性の判断においても、顕著な効果があることが、それほどの効果があるにも関わらず、当業者がこれまで想起しえなかったのは、おそらく特定が容易ではなかったのだろうという推測を正当化するので、進歩性を肯定する方向に斟酌される※41
 このように、選択発明における顕著な効果は、先行発明とは独立してインセンティヴを与える必要がある技術的思想の有無を判別するメルクマールとして求められているのだと理解することができる。そうだとすると、後行発明に顕著な効果があることを要求する先行発明たりうるためには、単に刊行物に抽象的な記載があるだけでは足りず、当該記載により抽象的に把握されている範囲について、作用機序が解明されていたり、十分な実施例によって支えられていたりするために、一つの技術的思想が成立している、より簡単にいえば、発明が完成している必要がある、というべきだろう※42 。そして、その意味で発明が完成しているわけではない範囲に関しては、先行発明は存在しないから、後行発明は顕著な効果がなくとも新規性を喪失することはなく、その特定が容易でないのであれば、進歩性も肯定されることになろう。
 翻って、本件の甲2にあっては、先にも紹介したように、判決の認定によれば、「甲2の一般式(Ⅰ)で示される化合物は、HMG-CoA還元酵素阻害剤を提供しようとするものであり、・・・甲2には、甲2の一般式(Ⅰ)で示される化合物に包含される甲2の実施例1~23の化合物が、メビノリンと比較して高いHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する旨が記載されている。また、甲16には甲2の一般式(Ⅰ)の範囲内の特定の化合物についてHMG-CoA還元酵素阻害活性を有することが記載されて」いる。しかし、「甲2の実施例1~23や上記認定の特定の化合物には、スルホンアミド構造を有する化合物は含まれていない」。そのため、「甲2の一般式(Ⅰ)で示される極めて多数の化合物全部について、実施例1~23や上記認定の特定の化合物と同程度又はそれを上回るHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すると期待できるわけではなく、HMG-CoA還元酵素阻害活性が失われることも考えられる」のであって、「甲2から、甲2の一般式(Ⅰ)で示される極めて多数の化合物全部について、技術的裏付けがあると理解できるとはいえない」とされている※43。そうだとすると、本件の事案は、HMG-CoA還元酵素阻害剤を提供するという、本件発明に係る技術的思想との異同が問題となる技術的思想の観点からみれば、甲2の一般式の全てについて、とりわけ相違点に係る構成を含む範囲について先行発明が成立していたわけではないことになる。実際、本判決はこの認定を、原告の主張に応える形ではあるが、甲2から相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しえないという本判決の結論を左右しうる事項に関わる認定として位置付けているように見える。
 したがって、選択発明に本来要求されるべき顕著な効果を吟味することなく、甲2に記載された技術的思想に対する本件発明の進歩性を否定しなかった本判決の取扱いは、論難するに値するものではないといえよう※44。逆にいえば、本件と事案を異にして、後行発明との技術的思想の同一性が問われるような先行発明が成立している場合には、先行発明が膨大な選択肢を含んでいるとしても、そのなかに含まれる範囲について一定の効果が発生することは先行発明によって着想され開示されているのだから、顕著な効果が示されない限りは同一の技術的思想の範囲内として新規性が喪失すると判断すべきであるところ、そのように取り扱うことまでを本判決が否定したと理解する必要はない。
 以上を要するに、甲2記載の一般式に膨大な選択肢が含まれており、相違点に係る具体的な構成を抽出しえないと論じるだけで、それ以上に相違点に係る構成に顕著な効果があることを吟味することなく、進歩性欠如を否定した本判決の説示は、甲2記載の一般式全て、あるいは少なくとも相違点に係る構成について先行発明が成立している場合、換言すれば、HMG-CoA還元酵素阻害活性があることを、作用機序の解明や十分な実施例により技術的に裏付ける記載がある場合を念頭に置いたものではなく、その意味で選択発明に関する実務に変更を迫るものではない、と理解することができよう※45 。とはいうものの、かりに従来、先行発明と主張されているものについて裏付けがあるか否かの吟味を必ずしも入念な吟味が行われないままに、選択発明と位置付けられた後行発明について顕著な効果が要求されることがあったのだとすれば、引用発明適格性という関門を先行させる本判決はなにがしかの省察を迫るものであるとはいえよう※46。先に示した認定からは、おそらく選択発明についても、先行発明として主張されている範囲について十分な技術的裏付けがある場合に限り、相違点に係る具体的な技術的思想を抽出しうると認定して引用発明として適格であると判断する手法を用いることが、判旨の理論に整合的な取扱いとなるように思われる※47

 8) その他の論点について
 以上に検討した論点とはまた別に、学説では、特許法29条2項の進歩性の判断をなす際に、同条1項に掲げられた新規性喪失事由を構成する引例であれば、あらゆる引例が主引例となりうるのか、それともそこには当業者にとっての入手可能性のような何らかの制約があるのかということが議論されることがある※48。本判決では、被告からこの論点が主張されたが、裁判所は、甲1発明が「本件発明と技術分野を共通にし、本件発明の属する技術分野の当業者が検討対象とする範囲内のものであるといえる。・・・また、本件発明1と・・・甲1発明とを対比すると、・・・近似する構成を有するものであるから、甲1発明は、本件発明の構成と比較し得るものであるといえる」ということを理由に、「甲1発明は、本件発明の進歩性を検討するに当たっての基礎となる、公知の技術的思想といえる」と論じて、被告の主張を退けている。
 このように、本判決は、説示のうえでは、甲1発明が本件発明との技術分野の共通性、構成の近似性を理由に、主引例として選択したことは相当であると論じているが、一般論を展開することを避け、むしろ事実認定のレベルで被告の主張に応接していると理解することができよう※49。特許法29条1項の新規性喪失に関しては、文言上、各号に記載された公知例に該当する場合には、それへのアクセス容易性を問うことなく、新規性が喪失することを定めたものと理解することができる。そこでは、個別のアクセス可能性とは無関係に定型的に特許の対象にはなりえないパブリック・ドメインの領域を画することで、法的な安定性を確保することが企図されている。そして、特許法29条2項も「前項各号に掲げる発明に基いて」と規定することで、そのような1項における法的安定性を継承しようとしていると考えられる※50 。一見すると、事実として創作容易であるか否かの問題でしかないのように見える進歩性要件も規範的な要件であることに変わりはなく、法は少なくとも主引例については個別のアクセス可能性を問わないことで、一定の法的安定性を確保しようとしていると理解できよう※51
 この他、本判決は、「主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合」の進歩性の判断枠組みを一般論として提示しているが、近時の裁判例における取扱いの最大公約数的なものを抽出した説示となっており、顕著な効果に関する独立要件説と二次的考慮説の採否などの最近の論争に対して何らかの態度を示したと読まれるような説示は控えられている※52

 9) まとめ
 本判決に対する本稿の検討をまとめておく。
 本判決は副引例について引用発明としての適格性を要求しているが、副引例が引用発明としての適格性を有していなくとも、主引例に記載されている発明と出願発明または特許発明との相違点に係る構成を架橋する示唆や動機付けが与えられることはありうるのだから、副引例に記載されていることが引用発明として適格であることは、副引例に記載されていることを進歩性判断の基礎として参酌しえないことを意味しない(本判決をしてこの理を否定していると読む必然性もない)。
 本判決の抽象論は、主引例について(も)引用発明としての適格性を要求するものと読むことができるが、主引例に記載されているものが引用発明としての適格性を有しない場合でも、副引例や周知技術によって相違点を架橋する動機付けや示唆が与えられることはあるのだから、主引例に引用発明適格性を要求する本判決の理論は疑問である。
 ただし、本判決は、主引例について先行発明が成立している場合を扱うものではなく、選択発明において先行発明が成立している場合に後行発明について特許性を認めるためには顕著な効果があることを要求する従前の実務に関して何らかの立場を示したものと理解する必要はない。

 10) 結びに代えて~大合議の宿命と傍論の弊害~
 以上、縷々検討してきたように、本件の副引例である甲2の記載に関しては、あえて引用発明適格性という主引例一般にも及ぶような大上段の議論をせずとも、先に2)で示した④の方策をとり、甲2の記載から当業者は何らかの示唆や動機付けを得ることができなかったという理由で、進歩性欠如を否定すれば事案の解決としてはそれで十分であった。そして、本判決自身、引用発明適格性を論じたのち、駄目押し的に④の処理も行っているのである。
 しかし、本判決が甲2の記載につき④のみで処理する場合には、進歩性要件については本判決は一般論を提示しえないことになりかねない。特別の手続きである大合議をせっかく開催した以上は、幅広い射程を有する規範の定立が目指されるのは組織の原理として見やすい道理である ※53。現に、従前から大合議に関しては傍論を含めて積極的に一般的な規範の定立が試みられていると指摘されているところである ※54。しかし、そのような傍論における一般論の展開は、大合議にありがちな時期尚早的な判断※55 に拍車をかけることになりかねない。大合議が一般的な規範の定立を宿命付けられているのだとすれば、そこで定立される規範が、将来の下級審や知財高裁自身の判断に大きな影響を与えることが見込まれる以上、傍論ではない事案と向き合ったうえで一般論を提示することができるよう、より慎重な事件選択が求められよう。また、当初は重要な判断をなそうとして大合議に回付したが、審理を経るに連れて、判断を示そうとした論点が傍論となることが分かった場合には、大合議であっても一般論の提示を控えるという英断がなされて然るべきであるように思われる。

 [付記]
 本稿で扱った論点に関しては、北海道大学知的財産法研究会における神戸大学の前田健教授のご報告、そして、北海道大学サマーセミナー「最新の知的財産訴訟における実務的課題―特許法をめぐって―」において本件の裁判長であった清水節弁護士のご講演から、様々な示唆をいただいた。記して感謝申しあげる。
 本研究は JSPS 科研費 JP 18H05216およびJP 17H00984の助成を受けたものである。


(掲載日 2018年11月19日)

  • 特許法29条2項は、一般に「進歩性」の要件を定めたものと呼ばれているが、条文の文言上、発明が容易であるか否かが問題なのであって、それが進歩的であるか否かを問うものでないことは明らかである(竹田和彦『特許の知識』(第8版・2006年・ダイヤモンド社)134~136頁)。したがって、元来は「容易推考性」とでも名付けるべき要件である(田村善之『知的財産法』(第5版・2010年・有斐閣)210~211頁)(ちなみに、従前の裁判例では特許法29条2項の当てはめに際し、「容易に想到」しうるという説示が用いられることも多いが、この語は、最判平成10.2.24民集52巻1号113頁(WestlawJapan文献番号1998WLJPCA02240001)[ボールスプライン軸受]が定立した均等論の第三要件においても用いられており、重複を避けた方が望ましいと考えた次第である)。しかし、本判決は明示的に「進歩性」と呼称しており、本稿では本判決と慣例に従った。
  • その他、本判決は、サポート要件も扱っている。
  • 田村善之[判批]WLJ判例コラム148号https://www.westlawjapan.com/column-law/2018/181001/
  • 本件では請求項1、2、5、9~12に係る発明について無効審判請求がなされているが、本判決は、請求項1に係る発明について当業者が容易に発明しえたとはいえないと判示したうえで、そうであるならば、請求項1の化合物をさらに限定した化合物に係る請求項2、5、9~11についても、当業者が容易に発明しえたとはいえず、また、請求項1の化合物を有効成分として含有するHMG-CoA還元酵素阻害剤をクレイムする請求項12も、やはり、当業者が容易に発明しえたとはいえないと判示している。したがって、以下、本稿では、本判決がそうしたように、請求項1に係る発明の進歩性のみを検討する。
  • 以下の相違点の記載は、裁判所の事実認定に基づく。技術的な説明として、参照、想特一三[判批]Sotoku通号10号3~4頁http://thinkpat.up.seesaa.net/doc/Sotoku10-20181031.pdf
  • 神戸大学法学研究科の前田健准教授の作成にかかる。
  • 下記の本件発明の図に対比しやすいように、元の図を右約60度傾けた。
  • なお、本件特許権に関しては、本件と一部当事者を異にし、請求項を異にする別件の無効審判請求事件に関する審決取消訴訟について本件と同日付けで下された、通常部による判決として、知財高判平成30.4.13平成28(行ケ)10260(WestlawJapan文献番号2018WLJPCA04139005)がある。この別件判決は、進歩性に関しては、本判決のような一般論を展開することは控えつつ、具体的な当てはめにつき、本判決とほぼ同様の処理をなしている。
  • 本判決において動機付けを否定する部分は複数あるが、ここでは代表的なものを掲げるに止める。
  • なお、AIが普及するに連れ、「膨大」という評価が変化しうることを指摘するものに、[判解]Law & Technology 80 号96~97頁(2018年)、加藤浩[判解]知財ぷりずむ190号35頁(2018年)。
  • 以下の分類は、もっぱら本判旨の射程、つまり本判旨の理論が副引例に止まらず主引例に及ぶのか、進歩性判断に止まらず新規性判断にも影響するのかということを分析する作業に資することを目的とした分類である。おそらく担当裁判官が直面していたと思われる選択肢については、判解/前掲注10・96頁を参照。そこでは、進歩性判断に特化して、①刊行物から引用発明が認定できないと解する手法、②刊行物から引用発明を認定できるが、これを発明の出発点とすることができた合理的な理由がなければならず、これがないと解する手法、③引用発明の適格性は認めるが、組み合わせの動機付けがないと解する手法があるとされている。もとより射程を画するための分類論ではないから、新規性判断との関係を明示するものではないが、少なくとも主引例か副引例かということについて特にこだわっていないことは窺える。
  • 「など」と表記したのは、「発明」の定義に依拠することなく、しかし、それでもなお、特許法29条1項、2項を通じて、具体的な技術的思想を抽出しえない場合には引例たりえないという考え方も、ここでは暫定的にこの分類に属させているからである。たとえば、後述するように、本判決は、「発明」の定義によることなく、具体的な技術的思想の抽出を要求している。
  • これは、たとえば、成分Aにアルコール代謝機能があることを発見したことに基づいて、「成分Aを有効成分とする二日酔い防止ヨーグルト」という発明が出願されたが、成分Aはアルコール代謝機能があることこそ知られていなかったものの、従前から市販されているヨーグルト内に含まれていたという場合に、公衆が発明の効果を享受しえていた以上、新規性を否定するという考え方である(吉田広志「パブリック・ドメイン保護の観点から考える用途発明の新規性と排他的範囲の関係―知財高判平成29・2・28[乳癌再発の予防ワクチン]を題材に-」特許研究64号29~30頁(2017年)、食品用途発明との関係については、同「食品用途発明に巻空く改訂審査基準の妥当性」パテント71巻3号4~14頁(2018年)も参照)。
     たしかに、従前から医薬品を中心に、構成が同一であっても用途(=効果)が違うために用途発明が成立する場合があることが認められているから、このような考え方は、現行特許法とは相容れないと思われるかもしれない。しかし、用途発明が認められる場合があるとしても、それは公用に係る用途と出願に係る用途を明確に区別しうるものであり、ゆえに後者に特許を認めても、従前公衆が享受していた用途を奪うものではない場合に限られる(ゆえに、用途発明は、公衆が利用している用途が截然と区別される医薬品等に限って、例外的に認められるに止まる)、という考え方は十分に成り立ちうる(前田健「公然実施に基づく新規性・進歩性判断」AIPPI61巻11号970頁(2016年)、吉田/前掲注13・27~29頁)。
  • この種の分担論が論理的に提唱されうることを指摘するものとして、前田/前掲注13・970~971頁。ただし、前田/前掲自身は、特許法29条1項2号に同項1号と異なる役割を認めることに対しては否定的な立場をとる(黒川恵「公然実施発明に基づく進歩性判断」パテント69巻5号(別冊15号)86~87頁(2016年)も、横並びの取扱いを支持する)。
  • 後半の進歩性に関して、参照、前田/前掲注13・974~975頁。ただし、この見解が、新規性において、前半のように、進歩性と異なる取扱いを認めようとしているわけではなく、本文で述べたことは、あくまでも当該文献とは異なる論理的な可能性に止まる。
  • ただし、この見解の下でも、副引例については、動機付けがあれば足りるのだから、特に技術的思想が具体的に記載されている必要はないと解することも可能であろう。
  • 本件の原審決が採用した手法である。
  • この駄目押し的説示があることにより、上告審が引用発明適格性について異なる法律論を採用した場合にも、結局、結論に影響しないということで、原判決である本判決が取り消されることを防ぐことができる。ひいては、そのような事情があることが勘案されて、上告が受理されたり、そもそも上告受理の申立がなされたりすること自体に対しても抑制的に働くことも期待できるかもしれない。
  • 判解/前掲注10・96頁の叙述は、そのような理解を前提としているように読める。大野聖二「特許係争の実務 第13回」知財ぷりずむ188号45頁(2018年)、山田威一郎[判批]知財ぷりずむ189号65~66頁(2018年)、加藤/前掲注10・33~34頁も参照。
  • 判解/前掲注10・96頁も、刊行物記載以外の引用発明の認定の仕方は、本判決の解説の対象としていない。
  • 特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」に該当するために、「特許法所定の特許適格性」を有することまでは要しないと判示し、新規性喪失、進歩性欠如を否定した審決を取消した判決として、知財高判平成24.9.27平成23(行ケ)10201(WestlawJapan文献番号2012WLJPCA09279004)[光学増幅装置]。
  • 想特/前掲注5・12頁。
  • ちなみに、本判決は、進歩性判断の枠組みを示す際に「示唆」「動機付け」に言及しているが、そこでは「主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆」「主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断する」と述べており、文言上は、あくまでも「副引用発明」があることが前提とされている。
  • 参照、時井真「進歩性判断の現況とその応用可能性(2)」知的財産法政策学研究42号195~222頁(2013年)。
  • 判解/前掲注10・95頁も、本判決は、「主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合に場面を限定したうえ」で、考慮要素と立証責任を示している旨を説いており、他の方式があることを前提とした解説となっている。
  • 参照、想特/前掲注5・9~12頁。
  • たとえば、本件で問題となった、一般式で示されているに止まる化合物の開示であっても、当業者にとっては課題解決の方向性を示すものとして有益な資料となる可能性があることは否めない。
  • たとえば、引用例記載の発明が実施不能である場合、特許法29条1項3号の刊行物記載を主張するためには不十分であるが、引例の教示に基づいて容易に実施可能な発明ができる場合には、特許法29条2項の進歩性を否定しうることを示す裁判例として、東京高判平成1.11.28昭和63(行ケ)275(WestlawJapan文献番号1989WLJPCA11280012)[搬送装置]、東京地判平成18.1.30判時1931号137頁(WestlawJapan文献番号2006WLJPCA01300007)[高周波ボルトヒータ]。進歩性判断の基礎となる「発明」は、未完成発明も含まれると論じるものとして、吉藤幸朔(熊谷健一補訂)『特許法概説』(第13版・1998年・有斐閣)135~136頁。他方、特許法29条1項各号と2項の全てを通じて、引用発明となりうるためには、開示要件(実施可能要件、サポート要件)を充足するものよりもさらに詳細で具体的な開示が必要とするものに、前田健『特許法における明細書による開示の役割』(2012年・有斐閣)360~361頁。
  • 参照、前田/前掲注13・974~975頁。
  • 参照、三村量一「進歩性」ジュリスト1447号85頁(2012年)。裁判例の分析とともに、参照、時井真「進歩性判断の現況とその応用可能性(1)」知的財産法政策学研究41号148・151~153・173~177頁(2013年)。
  • 裁判例の分析とともに、参照、時井/前掲注24・205~207頁。
  • 甲2は副引例であるから、4)で既述したように、引用発明適格性を否定する本判決の下でも、別途、周知技術や技術常識等の名の下に、結局は進歩性を否定する方向に斟酌される可能性は残されている。しかし、これまた3)で既述したように、本判決の論理は主引例にも及ぶものとなっている。そして、主引例の場合には副引例にみられたような逃げ道は残されていないから、引用発明適格性という問題設定を設ける本判決の理論の実質的意義(ないし弊害)も大きくなる。そこで、以下の5)、そして選択発明との関係を論じる7)では、甲2のような文献が主引例とされる場合も含めて議論を進める。
  • 井関涼子[判批]特許研究66号74頁(2018年)の評価も参照。
  • 想特/前掲注5・21頁。本文で掲げた仮想例も同21頁に負う。
  • あるいは、本判決は、そのような場合には甲2は引用発明として適格であるというのかもしれない。しかし、この例では甲2の記載には本件と何ら変化はなく、甲1のほうの記載を仮想しただけである。この甲1の仮想記載が周知技術や技術常識であるというのであればともかく、甲1にしか記されていない記載だとすれば、それに起因して甲2の記載が引用発明適格性を満たすと認定することは、引用発明適格性という論理的な枠組みの下では困難なのではあるまいか。もしそれができるというのであれば、そもそも引用発明適格性という問題設定をすること自体、無意味かつ誤解を生む源であると評価しなければならなくなるであろう。
  • さらに、学説ではより積極的にパブリック・ドメインを保護するために、引例から目的、構成、効果を把握し得ない場合にも特許法29条1項各号の「発明」たりうることは否定すべきでないと論じるものもある(吉田広志「パブリック・ドメイン保護の観点から考える用途発明の新規性と排他的範囲の関係―知財高判塀性29・2・28[乳癌再発の予防ワクチン]を題材に-」特許研究64号25~26頁(2017年))。とりわけ、特許法29条1項2号の公用に関して傾聴に値する着眼点といえよう(参照、前述注14)。もっとも、学説では、これとは逆に、特許法29条全体を通じて、引用発明適格性として開示要件を超える開示を要求する見解も存在することは前述した(前田・前掲注28・360~361頁)。ちなみに、裁判例では、新規性喪失を肯定した審決を維持するに際し、特許法29条1項3号の刊行物記載に求められる開示の程度は、特許法36条の開示要件のように容易に実施しうる程度に達している必要はないとする判決として、東京高判平成14.4.25平成11(行ケ)285(WestlawJapan文献番号2002WLJPCA04250020)[ヒト白血球インタフェロン]がある(関連裁判例につき、井関/前掲注33・74~75頁)。これに賛成するものとして、岡田吉美「未完成発明、引用発明の適格性、発明の容易性についての考察(上)」パテント60巻5号53~54頁(2007年)・同「(下)」パテント60巻8号96頁(2007年)、これに反対し、同様に取扱うべきとするものとして、加藤志麻子[判批]パテント61巻10号88~89頁(2008年)(室伏良信「引用発明としての適格性について-特に、ラセミ体が公知の場合の、エナンチオマーの新規性の判断において-」AIPPI54巻10号12頁(2009年)も参照)。
  • 井関/前掲注33・69~74頁。山田/前掲注19・65~66頁、加藤/前掲注10・34~35頁も、本判決の論理を選択発明の取扱いに適用している。
  • その旨を説く判決として、東京高判昭和62.9.8無体集19巻3号309頁(WestlawJapan文献番号1987WLJPCA09081056)[鉄族元素とほう素とを含む無定形合金]、知財高判平成23.2.28平成21(行ケ)10430(WestlawJapan文献番号2011WLJPCA02289002)[ソリッドゴルフボール]、知財高判平成27.2.25平成26(行ケ)10027(WestlawJapan文献番号2015WLJPCA02259003)[有機エレクトロルミネッセンス素子用発光材料]、知財高判平成29.6.14平成28(行ケ)10037(WestlawJapan文献番号2017WLJPCA06149002)[重合性化合物含有液晶組成物及びそれを使用した液晶表示素子](関連裁判例につき、参照、井関/前掲注33・70~71頁)。
  • 井関/前掲注33・73~74頁。
  • この場合、別個の技術的思想ではあるけれども、一般的には先行発明のクレイムに含まれている以上は、後行発明は先行発明に対する利用発明の関係となり、先行発明に特許が成立している場合には、後行発明の実施には先行発明の特許権者の排他権が及んでくる。こうした取扱いは、後行発明は先行発明とは独立にインセンティヴを付与するに値するものではあるが、一般的にはそれでもなお先行発明の技術的思想のうえに立脚した創作であることが大半であるという前提により正当化することができる。しかし、このように正当化するということは、逆に、先行発明のクレイムには含まれるのだけれども、技術的思想が全く異質であり原理を異にするという場合には、技術的思想のフリー・ライドが認められないため、先行発明の特許権の保護範囲の外に置くべきことを意味してもいる。これを実現するための法理は、均等論がクレイムの外にはあるけれども、技術的思想に対するフリー・ライドが認められない構成に対して特許の保護を及ぼす制度であるのに対して、クレイムの内には位置しているが、技術的思想に対するフリー・ライドが認められない場合に保護を否定する法理であるので、均等論とちょうど対極に位置しているから、逆均等論と呼ぶにふさわしい(参照、Dan L. Burk=Mark A. Lemley (山崎昇訳)「特許法における政策レバー(2)」知的財産法政策学研究15号88頁(2007年))。筆者の理解では、いわゆる作用効果不奏功の抗弁(傍論として、大阪地判平成13.10.30判タ1102号270頁(WestlawJapan文献番号2001WLJPCA10300001)[エアロゾル])は、この法理の現れと位置付けることができる(田村善之=時井真『ロジスティクス 知的財産法Ⅰ特許法』(2012年・信山社)32~33頁)。
  • この最後の文章の叙述は筆者が支持する顕著な効果に関する二次的考慮説に基づいた説明である。進歩性判断における顕著な効果の位置付けに関する二次的考慮説と独立要件説の対立につき、参照、田村善之「『進歩性』(非容易推考性)要件の意義:顕著な効果の取扱い」パテント69巻5号(別冊15号)1~12頁(2016年)。ただし、直前の本文でも述べたとおり、選択発明の場合には、別異の取扱いとなる。公知技術にあって、上位概念として抽象的には構成が示されてはいるが、その範囲が広汎なために、顕著な効果を示す下位概念に係る構成を公衆が利用しうるか否かということが多分に偶然に依存している場合、係る下位概念を特定することが予測困難であるのであれば、その特定作業のインセンティヴを付与するために特許の保護が要請される。この場合、本文で説明したように、効果は、特許の保護を根拠付ける技術的思想の一部をなしていると考えられるから、少なくとも明細書への記載が必要となり、さらに、効果(特性)によって請求範囲を限定する必要がある場合には、請求項への記載も必要となろう(参照、神谷惠理子[判批]パテント59巻3号29~34頁(2006年))。なお、従前の刊行物に具体的な構成が特定されていたり、実際に実施されていたりする構成に関しては、顕著な効果が認識されていなかったとしても、公衆は当該構成を利用しえたか、利用していたのであるから、選択発明は新規性喪失により特許を取得しえないと解される(前田/前掲注13・970~971頁)。
  • すでに、加藤/前掲注36・90頁は、選択発明の特許要件を吟味する際の引用発明の認定につき、第一に、引例記載の上位概念を引用発明として認定し、その引用発明全体の作用、効果の裏付けについての判断を留保したまま、出願発明または特許発明に係るより具体的な構成に関して当該裏付けがないことを引用発明との相違点として把握したうえで、容易想到性を判断する手法と、第二に、引例から出願発明ないし特許発明に係るより具体的な構成を引用発明として抽出しうるかということを先に検討する手法の二つがあることを指摘し、後者のほうが簡潔であると推奨している。つまり、引例の上位概念全体についての作用、効果の裏付けがない限りは、出願発明または特許発明を選択発明と位置付けて顕著な効果を要求するわけにはいかないという考え方を前提とした叙述と理解できる。
  • この事実認定の当否を吟味することは、本稿の目的を超える。
  • その種の事案で、選択発明としての進歩性判断の前提となる「刊行物に記載された発明」に当たらない旨を判示し、原審決を取り消した判決としては、すでに、知財高判平成26.9.25平成25(行ケ)10324(WestlawJapan文献番号2014WLJPCA09259007)[誘電体磁器及びこれを用いた誘電体共振器]がある。
  • 実際、判解/前掲注10・94~97頁には選択発明に対する言及が見られない。
  • 関連して、本判決の理解として、選択発明として出願された化合物に係る具体的な技術的思想を抽出しえない場合には、少なくとも新規性は肯定されることになり、当業者が予測困難な効果が発揮される場合には進歩性も肯定されることになる旨を説く文献があるが、前半の新規性に関してはそのとおりとしても、後半の進歩性に関しては、本判決の論理の下ではそもそも引用発明としての適格性が否定される結果、(顕著な効果の判断に立ち入るまでもなく)進歩性判断の基礎となる引例が存在しないことになることに注意しなければならない。
  • ちなみに、筆者の立場はこれまでの論述から明らかなように、先行発明が成立している場合には後行発明が新規性を喪失しないためには少なくとも顕著な効果が必要であり、さらに進歩性を否定されないためには後行発明に係る具体的な構成を当業者が容易に想到しえないものであることも必要である(顕著な効果は、この進歩性判断の際の二次的考慮要素としても参酌されうる)。逆に先行発明が成立していない場合にも、それだけで必然的に後行発明が特許性を取得するというわけではなく(本判決は、少なくとも膨大な選択肢があるために具体的な技術的思想を抽出しえないという意味で先行発明が成立していない場合には、引用発明適格性がないとするが、それは穏当ではなく)、未完成の先行発明を主引例としつつ副引例や周知技術等と組み合わされることにより、進歩性が否定されることはありうると考えている(そしてこの進歩性判断においても、やはり顕著な効果が二次的考慮要素として参酌されうる)。
  • アクセスの容易性が要件となると解するものに、塚原朋一「特許の進歩性判断の構造について」『知的財産法の新しい流れ』(片山英二還暦・2010年・青林書院)421~422頁。
  • 参照、判解/前掲注10・96頁。
  • 主引例にアクセス可能性が必要かという論点ではなく、公衆に利用可能でなかった技術的思想に関しては、進歩性においても特許法29条1項各号該当性と同一の基準で引例とならないと解すべきとする文脈であるが、その理由を法的安定性に求めるものとして、参照、前田/前掲注13・968頁。
  • その意味では、本件が進歩性判断の一般的手法として掲げた判断過程も、偶然の発明もしばしばなされる現実のイノヴェイションの過程をそのまま反映するものではなく、裁判所にとって運用可能であり、裁判外においても一定の紛争解決の指針となりうるものであって、しかも一般に納得感をもたらそうとする進歩性の法的規範の定立の努力の一つの現れといえる。
  • 判解/前掲注10・97頁。
  • 田村善之「知財高裁大合議の運用と最高裁との関係に関する制度論的考察-漸進的な試行錯誤を可能とする規範定立のあり方-」法曹時報69巻5号1247~1248頁(2018年)。
  • 篠原勝美[発言]「鼎談 知財高裁の10年とこれから」ジュリスト1475号76~77頁(2015年)
  • 現時点で4つの裁判部内で争いがある論点に関しては政治的に大合議を開催しにくい反面、せっかく大合議という制度を設けた以上、なるべく重要な論点に対して大合議を開催したいという組織の原理が働く結果、ときとして重要な論点につき、知財高裁の通常部の判断が下される前に時期尚早的な大合議の判断が下される傾向が(とりわけ草創期の知財高裁に)顕著に見られたことにつき、田村善之「考察:知財高裁-中央集権的かつ多元的な専門裁判所に対する制度論的研究-」『現代知的財産法 実務と課題』(飯村敏明退官・2015年・発明協会)39~43頁、同/前掲注53・1236~1246頁。同旨の分析として、中山一郎「知的財産高等裁判所の大合議制度の評価と課題」『平成29年度知的財産に関する日中共同研究報告書』(2018年・知的財産研究教育財団)26~31頁https://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/chousa/h29_houkoku.htm。

(掲載日 2018年11月19日)

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