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文献番号 2018WLJCC024
北海道大学法学研究科 教授
田村 善之
1 はじめに
本コラムが扱うのは、知財高裁大合議部判決平成30.4.13平成28(行ケ)10182等(WestlawJapan文献番号2018WLJPCA04139001)[ピリミジン誘導体]である。同判決は、主として、特許権が存続期間満了により消滅した後に提起された無効不成立審決取消訴訟の取消しの利益の有無と、刊行物に化合物が一般式の形式で記載された場合にこれを進歩性の判断の基礎とし得るのかという二つの論点が争われた。両者は別個独立の論点であり、それぞれ相応の検討を要するものであるので、本コラムではまずは前者の論点を扱うこととする。
2 事実
被告が有する本件特許に対しては、以下のように、平成27年3月31日に本件第2事件原告(個人)※1 により無効審判が請求された後、審判係属中に本件第1事件原告(日本ケミファ株式会社)が審判請求に参加したが、無効不成立審決が下された。それに対して、原告らが提起した審決取消訴訟が知財高裁に係属中の平成29年5月28日に、本件特許権は存続期間が満了したことにより消滅した。そして、いずれの原告も、本件特許権の存続期間中に本件特許権の侵害行為と評価されるような行為は行っておらず、被告から特許権侵害を理由とする損害賠償を請求されたり、告訴をされたりする可能性がないことについては当事者間で争いはない。そのため、審決取消訴訟では、原告らはもはや無効不成立審決の取消訴訟の利益を失っているのではないかということが争点となった。
平成3年7月1日 本件優先日
平成4年5月28日 本件出願日
平成9年5月16日 本件特許権設定登録
平成27年3月31日 本件無効審判請求
平成28年7月5日 本件無効不成立審決
平成29年5月28日 本件特許存続期間満了
3 判旨
裁判所は、被告特許権者から提出された訴えの利益の消失を理由とする本案前の抗弁について、以下のように判示して、本件では原告らの訴えの利益は失われていないと帰結した。
1) 本件に適用される平成26年改正前の特許法下の解釈について
「本件審判請求が行われたのは平成27年3月31日であるから、審判請求に関しては同日当時の特許法(平成26年法律第36号による改正前の特許法)が適用されるところ、当時の特許法123条2項は、「特許無効審判は、何人も請求することができる(以下略)」として、利害関係の存否にかかわらず、特許無効審判請求をすることができる旨を規定していた(なお、冒認や共同出願違反に関しては別個の定めが置かれているが、本件には関係しないので、触れないこととする。この点は、以下の判断においても同様である。)。
このような規定が置かれた趣旨は、特許権が独占権であり、何人に対しても特許権者の許諾なく特許権に係る技術を使用することを禁ずるものであるところから、誤って登録された特許を無効にすることは、全ての人の利益となる公益的な行為であるという性格を有することに鑑み、その請求権者を、当該特許を無効にすることについて私的な利害関係を有している者に限定せず、広く一般人に広げたところにあると解される。
そして、特許無効審判請求は、当該特許権の存続期間満了後も行うことができるのであるから(特許法123条3項)、特許権の存続期間が満了したからといって、特許無効審判請求を行う利益、したがって、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益が消滅するものではないことも明らかである。」
「特許権消滅後に特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益が認められる場合が、特許権の存続期間が経過したとしても、特許権者と審判請求人との間に、当該特許の有効か無効かが前提問題となる損害賠償請求等の紛争が生じていたり、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性がある事実関係があることが認められ、当該特許権の存在による審判請求人の法的不利益が具体的なものとして存在すると評価できる場合のみに限られるとすると、訴えの利益は、職権調査事項であることから、裁判所は、特許権消滅後、当該特許の有効・無効が前提問題となる紛争やそのような紛争に発展する可能性の事実関係の有無を調査・判断しなければならない。そして、そのためには、裁判所は、当事者に対して、例えば、自己の製造した製品が特定の特許の侵害品であるか否かにつき、現に紛争が生じていることや、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性がある事実関係が存在すること等を主張することを求めることとなるが、このような主張には、自己の製造した製品が当該特許発明の実施品であると評価され得る可能性がある構成を有していること等、自己に不利益になる可能性がある事実の主張が含まれ得る。
このような事実の主張を当事者に強いる結果となるのは、相当ではない。」
「もっとも、特許権の存続期間が満了し、かつ、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存する場合、例えば、特許権の存続期間が満了してから既に20年が経過した場合等には、もはや当該特許権の存在によって不利益を受けるおそれがある者が全くいなくなったことになるから、特許を無効にすることは意味がないものというべきである。
したがって、このような場合には、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益も失われるものと解される。」
「以上によると、平成26年法律第36号による改正前の特許法の下において、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は、特許権消滅後であっても、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはない。」
本件への当てはめ
「以上を踏まえて本件を検討してみると、本件において上記のような特段の事情が存するとは認められないから、本件訴訟の訴えの利益は失われていない。」
2) 傍論で、平成26年改正後の現行特許法下の解釈についても判示
「なお、平成26年法律第36号による改正によって、特許無効審判は、「利害関係人」のみが行うことができるものとされ、代わりに、「何人も」行うことができるところの特許異議申立制度が導入されたことにより、現在においては、特許無効審判請求をすることができるのは、特許を無効にすることについて私的な利害関係を有する者のみに限定されたものと解さざるを得ない。
しかし、特許権侵害を問題にされる可能性が少しでも残っている限り、そのような問題を提起されるおそれのある者は、当該特許を無効にすることについて私的な利害関係を有し、特許無効審判請求を行う利益(したがって、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益)を有することは明らかであるから、訴えの利益が消滅したというためには、客観的に見て、原告に対し特許権侵害を問題にされる可能性が全くなくなったと認められることが必要であり、特許権の存続期間が満了し、かつ、特許権の存続期間中にされた行為について、原告に対し、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存することが必要であると解すべきである。」
4 評釈
1) 無効審判の請求人適格に関する規定の変遷
本件は、特許無効審判請求不成立審決に対する取消訴訟における訴えの利益の有無が争われた事件である。審決取消訴訟は、審判の当事者、参加人、参加申請を拒否された者のみが提起できると規定されているところ(特許法178条2項)、特許無効審判の当事者たり得る請求人適格に関しては関連規定に変遷があった。平成15年改正前は明文を欠いていたが(第一期)、平成15年改正により原則として「何人」にも適格が認められることとなったが(第二期)、平成26年改正により、逆に、原則として「利害関係人」に限られることとなったのである(第三期)。
① 第一期:平成15年改正前
昭和34年制定の現行特許法は、当初、特許付与前の異議申立てにつき「何人」にも申立適格を認めながらも、無効審判請求人適格に関しては明文を欠いていた。平成6年改正により付与前異議申立てが廃止され、同じく「何人」にも申立適格を認めた付与後異議申立制度が導入された後も、無効審判の請求人適格に関して明文が設けられることはなかった。
学説では、無効審判を、新規性喪失や進歩性欠如などの公共の利益に関する無効原因を理由とするものと、冒認などの権利の帰属に関する無効原因を理由とするものに分け、後者については真の権利者のみが請求し得るに過ぎないが、前者については請求人適格を何人にも認めるべきである旨を説く有力な見解が存在した ※2。しかし、裁判例は、無効審判を請求するには法律上正当な利益があることを要し、何ら利害関係がない者の請求人適格を否定するという立場をとっていた(個人について請求人適格を否定しつつ、東京高判昭和45.2.25無体集2巻1号44頁(WestlawJapan文献番号1970WLJPCA02250014)[塩化ビニル樹脂配合用安定剤]、会社の事業に関する利害関係をただちに代表者個人の利害関係として認めるわけにはいかないとして無効審決を取り消した判決として、東京高判昭和41.9.27行集17巻9号1119頁(WestlawJapan文献番号1966WLJPCA09270003)[密閉攪拌装置])。
とはいうものの、必要とされる利害関係は必ずしも厳密に吟味されていたわけではない。具体的には、実際に特許権者から侵害訴訟を提起された者が利害関係を有することに問題はない(東京高判昭和45.3.31判タ248号293頁(WestlawJapan文献番号1970WLJPCA03310027)[簾用緯条〔意匠〕]、東京高判昭和60.11.28無体集17巻3号571頁(WestlawJapan文献番号1985WLJPCA11281004)[アーチトラス〔意匠〕])。未だ侵害訴訟に至らずとも、特許発明をこれから実施しようとしている者も無効審判を請求する利益があると認められている(東京高判昭和45.3.19無体集2巻1号109頁(WestlawJapan文献番号1970WLJPCA03190006)[電話機〔意匠〕])。「中小企業団体の組織に関する法律」に基づく組合で、組合員の経済活動に本件考案のような熱可塑合成樹脂の細管を織成した敷物の製造、販売、購入の事業が含まれるという場合であって、組合の定款にも組合員の取り扱う織込み花筵の共同受注が掲げられている場合には、実用新案権者から権利主張をされるおそれがあるから、無効審判請求人適格を有するとされた(東京高判昭和58.9.29判時1105号135頁(WestlawJapan文献番号1983WLJPCA09290012)[敷物])。さらに、先願発明の特許権者が代表者を務めており、代表者から許諾を受けて先願発明を実施している会社は、同一発明に対して付与された後願発明を無効とすべき正当な利益があるとされた(東京高判昭和63.4.28昭和61(行ケ)95(WestlawJapan文献番号1988WLJPCA04280013)[折畳自在の間仕切体])。先願発明を実施することが特許権侵害とならない場合であっても※3、いずれにせよ、請求人は、無効審判により後願発明が無効となれば、侵害訴訟に関わりあわなければならない憂いから解放され得るのであるから、請求人適格を認めた判決の結論は穏当なものであったといえる(ただし、この判決自身がそのような問題設定をなしているわけではない)。
② 第二期:平成15年改正
知財立国のうねりのなかで特許権の強化が唄われるさなか、付与後異議の申立ての制度は無効審判と併存しておく意味が問われ、平成15年改正により廃止されることとなった。その代わり、無効審判には、従前の付与後異議申立制度の代替機能を果たすことを期待され、「何人」もこれを請求することができると明定されることとなった(平成15年改正特許法123条2項本文)※4。無効審判の請求に利害関係があることが不要となったのである(平成16年1月1日施行)。その結果、被疑侵害物件を実施しているか、その可能性のある業者が、無効審判を請求することでそのことを特許権者に知られることを慮って、自ら請求するのではなく、いわば「ダミー」として背後にどのような者がいるのかにわかには分からない個人を請求人に立てることが可能となった※5。
③ 第三期:平成26年改正
平成15年改正法下で異議申立てに代わる役割を期待された無効審判の請求件数はそれほど伸びることはなく、むしろ停滞を続けたために※6 、平成26年改正は付与後異議の申立制度を復活することとした(平成27年4月1日施行)。その結果、復活した付与後異議申立ては「何人」も申し立てることができるとされたが、無効審判は「利害関係人」のみが請求することができると規定されるに至った(特許法123条2項)※7。
平成26年改正法下の裁判例としては、自ら製造するのではなく、製造委託等の方法により実施することを計画しており、その事業化に向けて特許出願をしたり、試作品を製作したり、業者と接触したりしていた者について請求人適格を認めるべきであるとして、反対の結論をとった原審決を取り消した判決がある(知財高判平成29.10.23平成28(行ケ)10185(WestlawJapan文献番号2017WLJPCA10239002)[パンツ型使い捨ておむつ])。
2) 無効審判の請求人適格に関する規律が審決取消訴訟の利益に与える影響
以上のような無効審判の請求人適格に関する規律の変遷は、無効審判にかかる審決に対する取消訴訟の利益に関する解釈にも必然的に影響するといわなければならない。
例えば、特許法が、第二期のように、無効審判の請求人適格を「何人」にも認められるとするのであれば、それは法が「何人」についても無効審判の制度を利用する利益を法的な保護に値する利益として認めたことを意味するのだから、無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟においても同様の利益を法的な保護に値するものとして取り扱うことが首尾一貫した解釈論であると考えられる。逆に、例えば、特許法が、第三期のように、無効審判の請求人適格を「利害関係人」に絞るのであれば、その無効不成立審決の取消訴訟の訴えの利益の取扱いにおいても、そのような限定の趣旨を考慮した判断が要請されるというべきであろう(以上につき、参照、行政事件訴訟法9条2項※8)。
3) 従前の裁判例
従来、この問題に関する裁判例としては、第一期に関するものとして、東京高判平成2.12.26無体集22巻3号864頁(WestlawJapan文献番号1990WLJPCA12260007)[識別カード]がある。事案は、特許コンサルタント業者が特許権につき無効審判を請求したところ、無効不成立審決が下されたので、その取消訴訟を提起したが、審決後、取消訴訟提起前に当該特許権は存続期間満了により消滅したというものであった。裁判所は、以下のような一般論の下で、本件取消訴訟を訴えの利益なしとして却下した。
「原告の請求に係る本件特許無効審判請求は成り立たないとした本件審決は、形式的には原告に不利益な行政処分ではあるが、審決取消訴訟の訴訟要件としての訴えの利益は右のような形式的な不利益の存在では足りず、本件審決が確定することによりその法律上の効果として、原告が実質的な法的不利益を受け、又はそれを受けるおそれがあり、そのため本件審決の取消しによって回復される実質的な法的利益があることを要するものである。
したがって、特許権の存続期間中であれば、無効とされるべき特許発明が、特許され保護を受けることによって不利益を被るおそれがあるとして当該特許を無効とすることにつき、審判請求は成立しないとした審決の取消しを求める訴えの利益が認められる者であっても、当該特許の有効か無効かが前提問題となる紛争が生じたこともなく、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性のある事実関係もなく、特許権の存在による法的不利益が現実にも、潜在的にも具体化しないままに、当該特許権の存続期間が終了した場合等には、当該特許の無効審判請求は成立しないとした審決の取消しを求める訴えの利益はないとされるというべきである。」
前述したように、第一期においては、有力な反対説はあったものの、裁判例では、無効審判を請求するためには利害関係があることを要すると解されていた。この判決は、そのような時代において、無効不成立審決の取消しを求めるためには、同様に、無効不成立審決の取消しを求めることに法的な利益があることを要するとした裁判例であると理解することができる。そして、事案としても、特許権が存続期間満了により消滅しているところ、原告はこれまで実施したことがないために特許権者から特許権侵害を理由とする法的な責任を追及されるおそれがないというものであったのだから、訴えの利益なしとした判断は穏当なものというべきである※9。
4) 本判決の意義
これに対して、本件は、平成27年3月31日、つまり平成26年改正法が施行される平成27年4月1日の前日にいわば個人※10が駆け込み的になした無効審判請求にかかる事件を扱うものであり、時期としては本稿の分類では第二期に属する。
そのようななかで、本判決は、本件について適用される平成26年改正前特許法123条2項が、利害関係の存否にかかわらず、特許無効審判請求をすることができる旨を規定していることを指摘したうえで、結論として、「特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は、特許権消滅後であっても、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはない」と述べた。
第一に、本判旨は、第二期に関しては、「原告」の利益ではなく、「何人」にとっての利益の有無を問題としている。したがって、かりに原告自身は、特許権消滅前に何ら特許発明やそれに類する技術を実施したことがなく、ゆえに特許権侵害を理由とする法的な責任を特許権者等から追及されるおそれが全くないのだとしても、なお他の誰かがそのような法的な責任を追及されるおそれがあるのであれば、訴えの利益があることを認めている。つまり、第二期の無効審判にかかる審決取消訴訟を客観訴訟として理解していることになる。
第二に、本判旨は、他方で、第二期であっても、何人に対しても、「損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情」がある場合には、別論が成り立ち、無効不成立審決を取り消す利益が失われると判示する。
たしかに、原告だけでなく、他の誰にとっても特許権者等から法的責任を追及されるおそれがないというのであれば、あえて裁判制度という限られた資源を費やしてまで特許が無効であるか否かに関わる判断をなす意味はない。特許法123条3項は特許権消滅後も無効審判を請求し得ることを認めているが、これは存続期間満了や第4年以降の特許料が納付されなかったために特許権が消滅した場合には、特許権の保護期間中になされた行為に対して、特許権侵害を理由とする法的責任を追及されるおそれが残っていることを理由とするものである※11。したがって、同項は、そのような可能性がおよそなくなった場合にまで無意義な無効審判請求を許容するものではない。ゆえに、同法123条3項が存在することを理由に、そのような状況下において無効不成立審決取消訴訟の訴えの利益を認めるべきことが要請されるものでもない、と解される。判旨は、穏当な判断を示したものといえよう※12。
具体的にどのような場合に、「特段の事情」が認められて取消しの利益が失われるとされるのかという点に関して、判旨は、「例えば、特許権の存続期間が満了してから既に20年が経過した場合等には、もはや当該特許権の存在によって不利益を受けるおそれがある者が全くいなくなったことになる」という例を掲げている。もちろん、このような場合であっても、20年経過前に侵害訴訟が提起されていたり、被疑者に関して長期にわたる公訴時効停止事由があったりするために、存続期間満了後20年経過した後といえどもなお法的な責任を追及される可能性のある者が残っていることが示された場合には、第二期にあっては、「特段の事情」が認められず、原則に帰って取消しの利益が失われることはないと解される。
5) 傍論部分の意義
本判決は、事案とは関係がないものの、本稿でいうところの第三期、つまり平成26年改正法下でいかに取り扱われるべきかということについても言及している※13。この部分は傍論であるものの※14、知財高裁大合議判決の事実上の影響力に鑑みれば、そして、レイシオ・デシデンダイと目される前述した判旨の部分は、時の経過とともに適用される事例がますます少なくなってくることに鑑みると、実務的にはこちらのほうがより重要な説示といえる。
この点に関し、本判決は、第三期においては、第二期と異なり、特許法123条2項が無効審判請求をなすには私的な利害関係を要求していると解さざるを得ないことを指摘しながらも、「特許権侵害を問題にされる可能性が少しでも残っている限り」無効審判を請求する利益は失われないとしている。そして、そのように無効審判請求の利益が認められる場合には、無効不成立審決を取り消す訴えの利益も認められることは明らかであると論じたうえで、以下のように説く。
「訴えの利益が消滅したというためには、客観的に見て、原告に対し特許権侵害を問題にされる可能性が全くなくなったと認められることが必要であり、特許権の存続期間が満了し、かつ、特許権の存続期間中にされた行為について、原告に対し、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存することが必要であると解すべきである。」
第二期との違いは、「何人」もでなく「原告」に対し特許権侵害を問題にされる可能性が全くなくなったと認められることが必要であるとしている点である。客観訴訟とは解しがたくなった分、あくまでも、原告が利益を有している必要があり、ゆえに原告以外の誰かが利益を有していたとしても、原告が利益を有していない限りは訴えの利益は認められないことを明言したものと理解できる※15。
他方で、そうはいっても、本判決は、無効審判を請求したり無効不成立審決取消訴訟を提起したりするためには、侵害にかかる法的責任が発生することまでを証明することまでは要求されないことを明らかにしている、といえる。「特許権侵害を問題にされる可能性が少しでも残っている限り」無効審判請求の利益は失われず、また特許権消滅後も、法的な責任を追及される「可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存する」場合に限って、無効不成立審決に対する訴えの利益が消滅すると論じているからである。
本判決はそれ以上にこの説示を具体化することを試みていないが、じつは本件の紛争に関しては、同一特許権に関して無効審判の対象となる請求項と当事者を一部異にする別件訴訟があり、それに対する判決が、通常部で、本判決と同日付けで下されている。東京高判平成30.4.13平成28(行ケ)10260(WestlawJapan文献番号2018WLJPCA04139005)[ピリミジン誘導体]がそれであり、当該別件訴訟における無効審判請求は、平成26年改正法施行後の平成28年3月9日に、本件訴訟における第一事件原告(本件審判請求の参加人である日本ケミファ株式会社)がなしていた。したがって、この別件訴訟は第三期にかかるものであるところ、同判決は、本大合議判決と同様の抽象的な基準を説いたうえで、あてはめの部分では単に「本件において、上記の特段の事情は認められないから、訴えの利益が消滅したとはいえない。」と説くだけで、訴えの利益の消失を否定している。原告は、自身が「競業する製薬会社」であることは主張していたものの、特許権の存続期間中に何らかの嫌疑がかかる製品を製造販売していたことは主張していない。それにも関わらず、訴えの利益が否定されなかったことにこの判決の特徴がある。
ただし、この別件訴訟では、本件の第二原告、つまり審判請求人である個人は当事者として現れていない。ゆえに、この別件訴訟に関する判決をもってしても、特許発明の実施品が属する分野の事業者ではない単なる個人が無効審判を請求したり、審決取消訴訟を提起したりしていた場合にまで、訴えの利益があると認めたものではない。そのような者は、特段の事情※16 が示されない限り、特許権侵害を理由とする法的責任を特許権者から追及されるおそれはないと考えられるから、本判決の傍論、あるいはこの別件訴訟の判決理由によっても、訴えの利益が否定されることになるのではないかと思われる。
6) 傍論部分の検討
たしかに、法は、侵害者となる可能性のある者には、侵害訴訟において特許権侵害の成否を争う手段と、無効審判を請求する手段の二つの対抗策を認めている。それにも関わらず、かりに後者を請求するためには、前者において(後者の判断と連動する無効の抗弁が認められない限り)敗訴することを自認しなければならないと解してしまうと、二つの対抗策を認めた意義が失われる。しかし、だからといって、およそ何らかの利益があることの証明までをも不要としてしまうと、逆に、利害関係を要求している平成26年改正法123条2項の趣旨に悖る。したがって、無効審判を請求する利益や無効不成立審決を取り消す利益は、侵害の責任を追及される可能性があるという程度で認められるとする解釈が中庸を得た考え方であるということになろう。とりわけ、特許権の存続期間中は、将来、どのような実施をなすことになるのか分からないのであるから、例えば特許発明の実施品が属する分野で事業を行っているという程度でも、審判請求の利益や取消しの利益を認めるべきであろう。その意味で、この種の事例では、「特許権侵害を問題にされる可能性が少しでも残っている限り」訴えの利益は失われないとする本判決の説示に首肯できる。
もっとも、特許権が存続期間満了等により消滅した後では、将来の行為により特許権侵害を理由とする法的な責任を追及される可能性は(明らかないいがかりは別として)現実的には消滅しており、過去にそのような可能性のある行為がなされていたかということだけが問題となる。したがって、単純に特許発明の実施分野で事業をなしている者というだけでは足りず、特許権侵害の嫌疑がかけられる可能性がある行為をなしていたという程度の事実は必要ではなかろうか。その意味で、本判決の傍論が、同日付けの別件訴訟における取扱いを意味するのであれば、疑問なしとしない※17。
[付記]
本稿で扱った事件に関しては、北海道大学知的財産法研究会において神戸大学の前田健教授にご報告をいただき、様々な示唆をいただいた。記して感謝申しあげる。
本研究は JSPS 科研費 JP 18H05216およびJP 17H00984の助成を受けたものである。
(掲載日 2018年10月1日)