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文献番号 2018WLJCC022
名古屋市立大学大学院 教授
小林 直三
1.はじめに
国歌斉唱等に関しては、すでに平成24年1月16日の最高裁判決※2 において、戒告以上の懲戒処分には慎重な判断が求められており、また、平成27年5月28日の東京高裁判決 ※3では、停職処分の取消しだけではなく、その処分についての国家賠償請求も認められている(なお、当該事案は、平成28年5月31日の最高裁判決※4で確定している)。
それらに対して、本件は、現職の教職員の職務命令違反についての懲戒処分ではなく、同種の職務命令に違反したことを理由に定年後の再任用職員等の採用候補者選考で不合格にできるのかが問題となった事案である。すなわち、本件は、公立高校の教職員らが、卒業式等における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立して斉唱することを命じる職務命令に従わなかったことを理由に再任用職員等の採用候補者選考で不合格、または合格の取消しをされ、退職後に再任用職員等に採用されなかったところ、その不合格、または合格の取消しは違法であるとして、国家賠償を求めた事案である。
一審※5および控訴審※6 では、国家賠償請求が認められた。しかし、上告審である本件では、原判決を破棄し、国家賠償請求を認めることはなかった。
2.判例要旨
まず、本件再任用制度等は、「任命権者は採用を希望する者を原則として採用しなければならないとする法令等の定めはなく、また、任命権者は成績に応じた平等な取扱いをすることが求められると解されるものの(地方公務員法13条、15条参照)、採用候補者選考の合否を判断するに当たり、従前の勤務成績をどのように評価するかについて規定する法令等の定めもない。これらによれば、採用候補者選考の合否の判断に際しての従前の勤務成績の評価については、基本的に任命権者の裁量に委ねられているものということができる」とした。
そして、「少なくとも本件不合格等の当時、再任用職員等として採用されることを希望する者が原則として全員採用されるという運用が確立していたということはでき」ず、「再任用制度等は、定年退職者等の雇用の確保や生活の安定をその目的として含むものではあるが、定年退職者等の知識、経験等を活用することにより教育行政等の効率的な運営を図る目的をも有するものと解されることにも照らせば、再任用制度等において任命権者が有する上記の裁量権の範囲が、再任用制度等の目的や当時の運用状況等のゆえに大きく制約されるものであったと解することはできない」とした。
そのうえで、「本件職務命令に違反する行為は、学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものであって、それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難」く、また、「本件職務命令に違反してから本件不合格等までの期間が長期に及んでいないこと等の事情に基づき……再任用職員等として採用した場合に……同様の非違行為に及ぶおそれがあることを否定し難いものとみることも、必ずしも不合理であるということはできない」とした。
そして、「これらに鑑みると……再任用職員等の採用候補者選考に当たり、従前の勤務成績の内容として本件職務命令に違反したことを……不利益に考慮し、そのような評価に基づいて本件不合格等の判断をすることが、その当時の再任用制度等の下において、著しく合理性を欠くものであったということはできない」ことから、裁量権の範囲の逸脱・濫用は認められず、本件不合格、または合格の取消しに違法性はないとした。
以上のことから、本件最高裁判決は、原判決を破棄し、国家賠償請求を認めなかった。
3.検討
本件最高裁判決は、卒業式等における国歌斉唱の際に国旗に向かって行われる起立斉唱行為と憲法上の思想・良心の自由との関係について深く考察しないまま、再任用制度等の目的の解釈等を通じて、再任用職員等の採用候補者選考における再任命権者の裁量を広く認めることで違法性を認めない結論を導き出している。
まず、任用権者に一定の裁量が認められることは、一審判決や控訴審判決でも同様であり、妥当なことだといえる。ただし、再任用制度等の目的は2つあり、1つは、「定年退職者等の雇用の確保や生活の安定」であり、もう1つは、「定年退職者等の知識、経験等を活用することにより教育行政等の効率的な運営を図る」ことである。
一審判決では、前者を重視したうえで、「基本的には職員の希望を尊重し、特段の支障のない限り再雇用職員等として積極的に採用する形で運用されていたと解するのが相当であ」るとし、「新規の希望者のうちおおむね90%から95%程度以上が採用されている」実態を指摘したうえで、「再雇用職員等として採用されることを期待するのは合理性があるというべきであり、当該期待は一定の法的保護に値すると認めるのが相当である」とした。そのうえで、思想・良心の自由と起立斉唱拒否との関係等を詳細に検討し、「本件職務命令に違反したとの事実が、再雇用職員等の採用候補者選考の場面において、同事実の存在のみを理由に直ちに不合格等と判断すべき程度に重大な非違行為に当たると評価することはできない」として、裁量権の範囲の逸脱・濫用を認めている。控訴審判決においても、「希望者を採用することの義務や……採用を請求する権利までが認められるわけではないとしても、……再雇用制度等により設けられた雇用の機会が得られることについて、法的な利益(期待権)が認められる」とし、また、一審判決と同様に、「同事実の存在のみを理由に直ちに不合格等と判断すべき程度に重大な非違行為に当たると評価することはできない」としている。つまり、一審判決と控訴審判決は、再雇用制度等の実態に即して、(形式的には退職後の新規の採用であるにしても)実質的に雇用の原則的な継続性を認め、さらに本件のような職務命令に違反した場合の懲戒処分のあり方等から裁量権の範囲を限定したわけである。
それに対して、本件最高裁判決は、「定年退職者等の知識、経験等を活用することにより教育行政等の効率的な運営を図る目的」の方を重視したうえで、「任命権者が有する上記の裁量権の範囲が、再任用制度等の目的や当時の運用状況等のゆえに大きく制約されるものであったと解することはできない」として、裁量権の範囲の限定を認めなかったのである。
以上のように、一審判決や控訴審判決が制度の実態等を踏まえた実質的判断を行ったのに対して、本件最高裁判決は、法令上の文言解釈に終始して、ほとんど制度の実態を踏まえない形で一般論的・抽象論的に検討を進めている。もし、当事者の主張を踏まえて個別具体的な紛争の解決を行うことこそが裁判所の役割だとすれば、こうした最高裁の立場は、みずら司法の役割を放棄しているとの批判があったとしても、やむを得ないのではないだろうか。
また、本件最高裁判決は、「本件職務命令に違反する行為は、学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものであって、それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」としている。しかしながら、もし、実際に「生徒への影響も伴うことは否定し難い」のであれば、当該教職員を停職処分等にすべきところ、これまでの最高裁判決では、同種の職務命令違反を犯したとしても実質的に停職処分等を制限している。つまり、本件最高裁判決は、同種の職務命令違反について停職処分等を制限する流れ(さらには停職処分についての国家賠償請求をも認める流れ)との整合性からしても、疑問を持たざるを得ないのではないだろうか。その点においても、懲戒処分の実態を踏まえた判断を行った一審判決等の方が、司法の役割を果たしたものと評価し得るものと思われる。
4.おわりに
表現の自由や信教の自由の規定とは別に思想・良心の自由の規定をもつ憲法は、外国にはそう多くない。外国の憲法において思想・良心の自由は、しばしば信教の自由等に含まれる形で理解されるからである。その信教の自由に関して、憲法学者の孝忠延夫は、「靖国神社などへの国および地方公共団体のかかわりが、広く国民意識に根ざしたものとして積極的に進められるとき、これらの動きは、宗教的少数者に対して政治的・宗教的コミュニティのアウトサイダーであるというメッセージを日常不断に発信するものとなる」とし、「宗教的少数者が、これらの動きに『寛容』の精神をもって同調することが求められる」ことへの懸念を述べている。そして、「個人が誰からも(国家からはもちろん)『変わり者』と見なされることなく、自由に信仰を選択できることが個人の尊厳にとって最も重要なことではないだろうか」としている※7。
もちろん、日本国憲法上の信教の自由と思想・良心の自由とを単純に同じように考えるべきではない。しかし、この孝忠の指摘するところに関しては、思想・良心の自由の問題に根底において通じているものと思われる。
確かに、卒業式等の式典で「日の丸」に向かって起立して「君が代」を斉唱することは、多くの国民にとって大きな違和感はないだろう。その意味で、そのことは国民意識に根ざしたものかもしれない。しかし、それらの式典には(教職員に限定しても)日本国籍をもつ人たちだけが参列しているわけではなく、また、日本国籍をもつ人たちのなかにも、「日の丸」に向かって起立して「君が代」を斉唱することに様々な理由で色々な思いをもつ人たちもいる。そして、そうした思いを抱くことがもっともな場合もある。それらのことを踏まえたとき、国や地方公共団体が、「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱するように命じることは、そもそも妥当なことだろうか。そのことによって、それを拒否した人たちを「変わり者」として追いやってしまわないだろうか。まして、それを拒否したことだけを理由に再任用職員等に採用しないことが許されるべきだろうか。
以上のことを踏まえて、憲法上の人権保障の視座から司法の役割を考えた場合においても、やはり、本件最高裁判決は、その期待に十分に応えたものとはいえないように思われる。
(掲載日 2018年9月10日)