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文献番号 2018WLJCC015
明治大学 教授
野川 忍
1.はじめに
本件は、同日に出されたハマキョウレックス事件※2 と同様、労働契約法(労契法)20条の適用について問題となった事案であるが、同条に関する典型的な事例の一つと位置づけ得るハマキョウレックス事件とは対照的に、同条に関する「限界事例」として理解すべき内容であり、その意味では、最高裁の判断は「労契法20条の一般的解釈基準」としてはかなり短い射程距離しか有しないと言うべきである。むしろ本件は、「高年齢者雇用安定法に基づく定年後再雇用の措置は、実質的な労働条件の不利益変更をどこまで許容し得るか」という法的課題として再検討されるべき事案であって、労契法20条の典型事案ではない。しかし当然ながら、最高裁は本件についても同条の解釈に関する注目すべき一般論を提示しており、以下では、その具体的な意義を確認したうえで一定の評価を示したい。
2.本件の概要と原審までの判断
本件は、60歳の定年後に高年齢者雇用安定法に基づく継続雇用措置の一環として、長距離運送のドライバーである原告甲らと被告乙会社との間で期間1年の有期労働契約が締結され、「嘱託社員」として従前と同様の業務に従事していたところ、労契法20条に違反する労働条件の相違があるとして、無期雇用の正規労働者に適用される就業規則に基づく賃金との差額の支払いを求め、予備的に損害賠償及び遅延損害金を請求した事案である。
原告・上告人甲ら(3名)嘱託社員と正社員たる従業員とは、それぞれ「嘱託社員規則」と「従業員規則」という異なった就業規則が適用されている。また、右嘱託社員規則及び甲らが所属する訴外丙組合と被告・被上告人乙社との合意により、定年後再雇用が設けられたほか、逐次団体交渉が行われ、定年後再雇用者採用条件について、順次、①基本賃金を月額12万円とすること、②無事故手当を月額5000円とし、基本賃金を月額12万5000円とすること、③厚生年金保険法附則8条の規定による老齢厚生年金の支給開始年齢が引き上げられたことに伴い、老齢厚生年金の報酬比例部分の支給が開始されるまでの間、月額1万円の調整給を支給すること、④上記③の調整給を月額2万円に増額することを内容とする改定を行った。
丙組合は、上記団体交渉において、乙社に対し、定年退職者を定年退職前と同額の賃金で再雇用すること等を要求したが、乙社は、これに応じなかった。
甲らは、定年退職の際に退職金を受給し、乙社とそれぞれ有期労働契約を締結し、当初の雇用期間満了後はいずれも期間を1年とする契約を更新してきた。また甲らは、老齢厚生年金の報酬比例部分の支給が開始されるまでの間、いずれも上記調整額の支給を受けた。
こうした制度のもとで、甲らには、正社員には支払われる職務給、精勤手当、住宅手当、家族手当及び役付手当、賞与が支払われず、超勤手当は支払われるが正社員とは基準内賃金が異なっていた。
第一審(東京地判平28.5.13Westlaw Japan文献番号2016WLJPCA05136001)は、まず、労契法が適用される前提である期間の定めがあることによる労働条件の相違の認定につき、期間の定めがあることが厳密な意味で労働条件の相違の理由となっていることまでは求められないが、関連があることは必要であるとした。そのうえで、甲ら定年後再雇用による有期契約労働者が従事している職務の内容並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲が無期契約労働者らと同じであることを前提に、パート労働法8条(現9条)を引用して、当該相違を正当と解すべき特段の事情が立証されない限り相違は不合理であるとし、本件では、定年後継続雇用者の賃金を定年前に比べて低く抑えること自体には、賃金コストの無制限な増大を回避しつつ定年到達者の雇用を確保するという趣旨から、合理性が認められるとしつつ、「その他の事情」に関し、定年退職者の継続雇用の際に、職務の内容並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲が全く変わらないまま賃金だけを引き下げることは、そうした社会慣行があるとか、賃金圧縮の手段としているような事情がないと言える場合でなければ不合理であるとした。そして、違反部分について無効であるとしたうえで、就業規則規定を補充規範として用いて、無期雇用の正社員との差額請求を認めた※3。
これに対して控訴審(東京高判平28.11.2Westlaw Japan文献番号2016WLJPCA11026001)は第一審を破棄し、甲らの請求を全て棄却した。控訴審はまず、労契法が適用される前提である期間の定めがあることによる労働条件の相違の認定については第一審を踏襲し、また本件において職務の内容並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲は同じであるとの判断も維持したうえで、本件では「その他の事情」によって不合理性が判断されるところ、具体的には、職務の内容並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲に「関連する諸事情を幅広く総合的に考慮して判断」すべきとした。そして、定年後の継続雇用に当たっては賃金が下がるのが公知の事実であり、それは定年前と同一業務に従事していても同様であることや、定年後の雇用継続は退職金を支給したうえで新たに雇用契約を締結するものであることなどを考慮すると、労働条件の切り下げそれ自体は不合理ではないとの判断を示した。加えて、有期契約労働者には無期契約労働者の能率給に対応する歩合給を設けて支給割合を高く設定していることなどを考慮すれば、個別の諸手当の支給の趣旨を考慮しても、なお不支給や支給額の低さは不合理とは認められないとし、個別の諸手当ごとの判断はせずに、甲らの請求をすべて棄却した。
3.最高裁判決の概要
(以下では、ハマキョウレックス事件と重なる判旨は省略する。)
(長澤運輸事件固有の一般論)
)
4.判旨の意義
上述のように、本件は労契法20条に関する判断枠組みとしては、同日に出されたハマキョウレックス事件の判決とは対照的に、かなり特殊な事例に関する内容を示しており、同条の解釈基準としての一般性は必ずしも高くない。他方で、高年齢者雇用安定法に基づく定年後再雇用に当たって、労働条件の低下がいかなる根拠においてどのような範囲で可能か、という課題に関する一つの処理基準を提示した判決としては重要な意義を有するものであり、以下ではこうした観点から、特に本件に固有の判断内容に絞って判旨の意義と課題を検討する。なお、両判決に共通の判断部分に対する評価については別掲ハマキョウレックス事件評釈※4を参照されたい。
まず第一に、本件の最大の論点は、労契法20条において不合理性判断の要素とされる「職務の内容」、「職務の内容及び配置の変更の範囲」、「その他の事情」のうち、前二者がほぼ同一である場合、同条のもう一つの判断要素である「その他の事情」はどのように機能するのか、という点であったが、判旨はこの点について①にみられるように正面から判示し、「その他の事情」は、他の判断要素と特に関連がなくても不合理性判断の要素となり得ること、及び、定年後再雇用であるという事実はまさに考慮されるべき「その他の事情」に該当することを明示した。これにより、今後の同種事案については、企業側の定年後再雇用への対応が一定程度尊重されることとなることは間違いない。
第二に、これも見解が分かれていた論点として、不合理性の判断は個々の労働条件ごとに行うべきか、労働条件を全体として対象とすべきかという課題があったが、最高裁は、この点については、個別労働条件ごとに判断すべき旨を明らかにした(②)。本件において精勤手当と時間外手当について不合理性を認め、その限りで原審を覆すに至った背景にこの判断基準があったことは明らかである。
第三に、今後も議論を呼ぶであろう判断として、「不合理と認められるものであってはならない」との労契法20条の規範の趣旨につき、最高裁は、合理的でなければならないという趣旨であるとの上告人の主張を退け、あくまでも「不合理と評価されるか否か」が問題であるとして、その具体的理由として、「使用者の経営判断」と「労使交渉」を挙げた。この判断は必ずしも説得力がないだけでなく、後の下級審の判断や実務の現場に混乱をもたらしかねない懸念を残すものであるが、詳細は別掲ハマキョウレックス事件評釈で指摘したが、非常に重要な論点でもあり、以下でも要約的に触れたい。
第四に、特に不合理性が認められた労働条件についての法的効果につき最高裁は、公序違反を成立させず、また差額請求権も原則として認められないとして、これまでの裁判例の傾向を踏襲している。ただ、これについていわゆる「割合的認定」の手法を示した日本郵便(東京)事件(東京地判平29.9.14Westlaw Japan文献番号2017WLJPCA09146001)の判断枠組みを最高裁がどのように評価しているかは不明であり、今後の下級審の展開が注目される。
5.判旨の位置づけと課題
判旨のうち、本件事案の特殊性を強く反映しているとみられるのが、労契法20条に示された不合理性の判断要素のうち、「その他の事情」の扱いである。判旨はこれを上記のように非常に重視して、本件のように職務内容及び変更範囲が、無期契約労働者と有期契約労働者とでほぼ同一であるような場合でも、「その他の事情」によってはなお不合理性が否定されることを示した。これは、本件事案が定年後再雇用のケースであって、実質的に比較の対象となるのが定年前の労働条件と定年後の労働条件であること、使用者の対応が高年齢者雇用安定法による65歳までの雇用維持という政策に即したものであったという、労契法20条の標準的適用事案としては必ずしも想定されていないケースであったことを踏まえて評価する必要があろう。まず、最高裁は「その他の事情」一般については、特に他の二つの判断要素と関連しなくても検討対象とすべきことのみを示したのであって、三つの判断要素の中でどれだけ重視されるべきか、そのバランスや重要度については何も言っていないことを確認すべきであるし、したがって、本件で「その他の事情」としての「高年齢者雇用安定法による定年後再雇用」という事情が重視されたのも、本件固有のさまざまな事実を加味した事例判断であることも看過すべきではあるまい。すなわち、最高裁は、高年齢者雇用安定法に基づく定年後再雇用の手段として有期労働契約が選択された場合には、職務内容及び変更範囲が同一であっても労働条件は使用者側の事情に即して切り下げてよい、との判断を示したわけではない。特に本件では、判旨③にあるように、上告人労働者らには退職金が支払われ、老齢年金受給までは調整額が支給され、その後は老齢年金を定期的に受給できる状態にあり、労使交渉の結果が反映されており、賃金(年収)は定年退職前の79%程度となることが想定される範囲にとどまっていたことなど、定年前の賃金水準に対して著しく均衡を欠く、あるいは公正でない、との評価を免れ得る内容であったことが結論を導いているのであって、本件から、定年後再雇用の場合は労働条件の格差も許されるという一般的基準を引き出すことはできない。とはいえ、判旨の一般論は、「その他の事情」が独り歩きする可能性を払しょくし得ない点で不用意であったとの批判は免れない。労契法10条における合理性判断の諸要素にも「その他」の事情は含まれているが、当然ながら、具体的に明示された他の判断要素に比して特に重要度が高いわけではない。同様に、労契法20条における不合理性判断の要素としての「その他の事情」も、他の二つの判断要素を凌駕するような位置づけが与えられることはない点は指摘しておきたい。
6.不合理性の趣旨について
この点の詳細はハマキョウレックス事件評釈に譲るが、要約すれば、労契法20条の「不合理と認められるものであってはならない」とは、実質的には「一定の合理性を備えたものでなければならない」という意味に読むべきである。その理由は第一に、「不合理」とは「合理」を打ち消す概念であって、まさに「合理性がない」という意味であり、国語の一般的解釈として、「不合理であってはならない」とは「合理性がないとされるものであってはならない」という意味にとるのが自然である。第二に、労契法20条は行為規範でもあるところ、有期契約労働者の労働条件について対処しようとする使用者にとって「合理的である必要はなく、不合理でさえなければよい」などという規範は行為規範としての意味を有し得ない(このように言われた使用者はどうすればよいか途方に暮れるであろう)。第三に、最高裁が「不合理ではない」ことの例としてあげる二点は、いずれも「合理性がある」と評価すべき内容であって、「合理的ではないが不合理ではない」ことの例にはならない。すなわち、「使用者の経営判断」が尊重されるべきであるとは、まさに「尊重されるべき、理由のある経営判断」を対象とする趣旨であって、いかなる経営判断も一律に「尊重すべき」と言っているわけではない。言い換えれば、「労働条件の格差の存在にも一定の合理性がある」ことを推察させるような経営判断が尊重されるのである。最高裁は、まさに本件においては、60歳以降の再雇用を実現するために労働条件を変更せざるを得なかった経営判断が尊重されるべきことを主張したいのであろうが、それはまさに、労働条件の相違に一定の合理性があることを示す事情であると言える。また、「労使交渉」は、たとえば労契法10条においても「合理性」の判断の一要素として明記されているのであって、十全な労使交渉が反映していれば当該労働条件の相違には一定の合理性を認め得るであろう。
最高裁は、下級審から定着している別掲ハマキョウレックス事件評釈で示した⑦の主張立証責任分配の観点に拘泥している感が強く、これも、同評釈に詳述したように、解雇権濫用法理成立過程における主張立証責任分配の転換の先例を踏まえれば、不合理性の判断において結局は合理性の有無を点検している下級審の状況からして、大きな意味を有しない方向に展開することが予想されるのである。
7.労契法20条違反の効果
労契法20条違反が認められた場合でも、パート労働法9条の場合のようにただちに正規労働者と同様の労働条件が保障されることにならないこと、ひいては賃金の差額請求権がただちに生じないことは、最高裁によってほぼ定着した理解となろう。問題は、上述の「割合的認定」が活用されるかであるが、別稿で述べたように※5 、同一労働同一賃金の理念を生かす一つの手法として、今後の裁判例における積極的な対応に期待したい。
8.展望
今回の二件をもって、労契法20条をめぐる論点につき最高裁の考え方があまねく明示されたわけではない。比較対象となる正規労働者のグループをどう確定するか、同条違反の効果として就業規則などによる補充的規範の認定方法をどうするかなどまだ検討されるべき課題は少なくない。また、上述のように不合理性の意味や、「その他の事情」の位置づけ、重要度などは、最高裁の見解がそのまま定着するかは不透明と言わざるを得ない。
最後に、本件が、本来は「定年後再雇用における労働条件の不利益変更はどこまで認められるべきか」という問題として検討されるべきであったことを踏まえると、そもそも労契法20条の枠組みでの処理自体に限界があったと言わざるを得ないことも指摘しておきたい。
(掲載日 2018年6月14日)