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文献番号 2015WLJCC007
金沢大学 教授
大友 信秀
1.はじめに
経営再建が注目されているシャープのスマートフォン向け液晶のブランドである「IGZO」の商標を無効とする審決※1に対する取消訴訟で審決が維持され、シャープの請求を棄却するとの判決が本年2月25日に下された※2。シャープは上告を断念し、これにより、シャープが有していたIGZO商標の多くの部分が無効となった。
消費者に触れる最終製品を製造・販売するメーカーにとって商標は商品の性能やデザインと同じ、もしくはそれ以上の価値を有する場合もある。IGZO商標の無効という結果がシャープの液晶販売戦略にどのような影響を与えるのか与えないのか、本件については判決の内容以上に判決後の動向に興味がわく。
本稿では、審決取消訴訟で争われた法的争点に加え、なぜこのような結果になったのか、シャープ(もしくは顧問弁護士・弁理士)がこのような結果を予測できなかったのかという点について実務的観点からも検討する。
2.事案の概要
IGZOとは、もともと、インジウム(In)、ガリウム(Ga)、亜鉛(Zn)、酸素(O)で構成する酸化物半導体(以下、この酸化物を本件酸化物という。)の略称として使用されたものであり、本件被告である独立行政法人科学技術振興機構(以下、JSTという。)はこれに関する特許を有し、シャープに対して実施許諾を与えていた。
JSTは、シャープがIGZOの文字商標を取得したことにより、シャープのみが「独占排他的にこれを使用するということは、今まで平穏に『IGZO』を使用してきたエレクトロニクス業界の多くの企業関係者及び学会関係者に大きな困惑を生じさせている。※3」として、商標法3条1項3号※4、4条1項16号※5、4条1項7号※6に基づき無効とされるべきと主張した。これに対して、審判は、3条1項3号の該当性を認め、他の無効理由については言及しなかった。シャープが同無効審決を不服として訴訟を提起したというのが、本件判決までの経緯である。
3.判決の概要
(1) 認定事実
判決は、東京工業大学の細野秀雄教授がインジウム・ガリウム・亜鉛酸化物を成膜したTFT(薄膜トランジスタ)を室温で作成することに成功し、同結果が英国化学雑誌「Nature」で発表され、これが契機となり、国内外のディスプレーメーカーが応用研究を開始したこと、他のエレクトロニクス業界の他の分野でもその利用が見込まれていたことを認めた。また、「細野教授が、平成7年に国際会議において、本件酸化物を指す語として、本件酸化物の構成元素の頭文字(アルファベット)をあいうえお順に並べた略称である、『IGZO』の語を紹介し」、その後、本件商標の登録査定時には、特許公報、新聞、雑誌、企業広報等においても本件酸化物を指す語として「IGZO」の語が使用されるようになっていたことを認めた。
(2) 3条1項3号の該当要件
判決は、ワイキキ事件最高裁判決※7を引用し、3条1項3号に該当する商標とは、「①商品の産地、販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示として何人もその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに、②一般的に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべきである。」とした。
また、商標法3条1項3号の「商品の原材料を普通に用いる方法で表示する商標」とは、必ずしも当該指定商品が当該商標の表示する材料を現実に原材料としていることを要せず、需要者又は取引者によって、当該指定商品が当該商標の表示する材料を原材料としているであろうと一般に認識されうることをもって足りるとした ※8。
(3) 3条1項3号該当性の具体的判断
①自他商品識別力について
本件商標が指定商品に用いられた場合には、指定商品がディスプレイもしくは半導体素子を構成部品として含むため、需要者及び取引者が本件商標が表示する本件酸化物を原材料の一つとしているであろうと一般に認識するため、指定商品との関係で自他商品識別力を有するとは言えない。
②公益上独占使用にふさわしいかどうか
本件酸化物は、現代の電子デバイスに必要不可欠な構成部品である半導体素子の新規材料であり、その性能が幅広い範囲の電子デバイスの性能を向上させると期待・注目されており、実用化に向けた研究開発が行われていたことからすると、「本件商標は、ディスプレイパネルや半導体素子が原材料として認識され得る本件各商標の指定商品に係る商品の取引に際して、必要適切な表示として、何人もその使用を欲するものであるといえるから、特定人によるその独占使用を認めることが公益上適当であるともいえない。」とした。
4.法解釈について
本判決の商標法3条1項3号に関する判断は、ワイキキ事件最高裁判決及びその後の一連の判決※9が踏襲してきた判断に沿うものであり、特に目新しい点はない。
5.実務上の対応について
(1) JSTの懸念?
JSTは、IGZO商標の無効審判請求に際し、企業関係者や学会関係者の困惑をその理由としているが、果たしてそのようなことが理由となるであろうか。JST自身は研究機関であるため、最終製品を製造・販売することは考えにくい。学会関係者が本件化合物を略称でIGZOと呼んだり表示したりすることについては、「商標的使用」には該当せず、権利侵害を引き起こすこともない。もちろん、商標法について知識のない者が漠然とした不安を感じるということはあり得ることであるが、そのような漠然とした不安は商標を無効とする要件にはほど遠い。
(2) 競合他社の思惑
これに対して、競合他社の場合は事情が異なる。自らも化合物IGZOを利用した製品を製造・販売する者(もしくはしようとする者)は、シャープによるIGZOを利用した製品が市場で注目を浴びている場合、それに便乗するか、それを排除することを考える。どちらの選択をする場合でもシャープが有するIGZO商標の存在が邪魔になり(便乗する場合にはライセンスを受けるという選択肢もあるが)、商標の存在を消し去るという解決を欲することになる。
JSTは、このような競合他社にもIGZO特許を実施許諾する立場にある。そのような立場からは、シャープの商標の存在が競合他社のIGZO特許の実施に何らかの負の影響を与えることは好ましくない。JSTによる無効審判の請求は、このような競合他社の立場を加味すれば理解できる。
(3) シャープはなぜあえてIGZO商標を出願したのか?
しかし、このような競合他社による(競合他社の意向に沿う)無効審判請求の可能については、シャープにも十分に予見できたのではないだろうか。それにもかかわらず、なぜ、シャープはIGZO商標を出願したのであろうか。
一つには、実際に市場でも効果を発揮したように、いち早くIGZO技術を製品化したことをアピールするのにIGZOそのものを商品名として使用することが効率的と考えられたためかもしれない。
また、より実際的な理由としては、他者が同商標を取得することにより自身の製品に同商標が使用できなくなることを防止するという点も考えられる。最終的に無効とされるとしても、自身が出願しなければ、他者に出願及び登録の機会が生じるため、そのようなリスクを回避することは合理的な行為である。
そもそも、企業が新製品を販売する際には、そのはるか以前に適当な商品名の確定と同商品名に対する商標取得(もしくは出願)を終えておく必要がある。あるコンセプトに基づく商品を企画し、せっかく製品化にこぎつけたのにもかかわらず、商標が取得できなかったために最適な商品名がつけられないのでは、事業が成り立たない。
端的に言えば、シャープがIGZOという新しい素材を活かした商品を市場に投入するに当たって、今回のような行動以外の選択肢が限られていたというのが実態ではないだろうか。
4.おわりに
シャープは、亀山モデルにより液晶の世界ブランドとしての地位を築いたが、その後、世界の液晶市場は液晶の精細度というような性能面以上に価格に敏感に反応するように変わった。このような機能の高度性が必ずしも競争において優位な立場を作らない現在の市場状況からすれば、高性能液晶を示すことを目指したIGZO商標の無効という結果は、シャープ自身が言うとおり※10、シャープの液晶販売戦略に大きな影響を与えるものではないと言えるだろう※11。
(掲載日 2015年4月27日)