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文献番号 2015WLJCC004
高知短期大学・高知県立大学
教授 小林直三
1.はじめに
大阪市では、児童福祉施設の職員の入れ墨などに関する新聞報道やそれを受けた市民からの意見などを踏まえて、議会で入れ墨をしている職員に関する様々な意見が出された。そのため、大阪市は、職員の入れ墨に関する調査を実施することにし、その調査は、交通局の職員も対象とすることにした。
本件は、大阪市交通局職員としてバスの乗務員を勤めていた原告が、この調査に所定の書面で回答しなかったために、本件調査の回答を命じる職務命令違反だとされて戒告処分を受けたところ、その戒告処分の取消しと損害賠償を求めた事案である※2。
2.判例要旨
本件判決の要旨は、以下のとおりである。
まず、憲法13条との関係で、「何人も入れ墨をしているとの情報の開示を公権力により強制されない自由を有する」が、「公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法13条に定められているところである」とした。
そして、「近時はファッションの一つとして入れ墨を施す者もいることからすると、必ずしも個人の経歴を示す情報となるものではなく、これを秘匿したいと考えるか否かも個々人によって異な」り、「また、本件調査は……本件調査票に自ら記入させる方法によって、本件調査対象部位に関する本件入れ墨情報を収集するものであり、その情報のみから当該個人の経歴を直ちに推認することができるものではな」く、こうした「本件調査により収集する本件入れ墨情報の性質に鑑みると……憲法13条に反するか否かを判断するに当たっては、他のより制限的でない他の手段が存在しないことまで要するものではなく、本件調査の目的の正当性、調査の必要性及び手段の相当性等を総合考慮して判断するのが相当である」とした。
そのうえで、「市民等の目に触れるところに入れ墨をしている職員が市民等に接する機会の多い部署に配属されている場合には、入れ墨が市民等の目に触れることにより市民等が不安感や威圧感を持つことがあり得るから、そのような事態が生じないようにするために、入れ墨を入れている職員の有無を把握した上で人事配置上の配慮を行うとの本件調査の目的は……正当な目的であると認められる」とした。また、児童福祉施設の職員に関する問題と同様の問題を生じさせないために「職員の市民等の目に触れる可能性のある部位に関する本件入れ墨情報を把握した上で……人事配置上の配慮を行うことには合理性があり、実際に、議会の議員からは……人事異動で配慮すべきとの意見が出されていたのであるから、市民等の目の触れる部分に入れ墨をしているのか否かを各職員についてあらかじめ把握した上で、人事異動で配慮するとの方策を採る必要性があったというべきであ」り、局間での異動もあるため、「問題が発生した児童福祉施設の職員だけでなく、交通局を含む被告の他の部局の職員についても調査を行う必要性があったことが認められる」とした。そして、「本件調査では、調査の対象部位を本件調査対象部位に限定しており、かつ……アートメイクを本件調査の対象から外しているなど、職員のプライバシーを過度に制限することのないように調査対象範囲を限定して」おり、「各職員に対して書面による回答を求めるとの方法は効率的であり、かつ、その後の情報の管理という面からみても合理的な方法であ」り、「調査対象者のプライバシー保護の観点からも……面談を実施しての聞き取り調査や目視による確認調査を行うという方法よりも望ましい方法である」とした。また、「本件調査は……回答することを義務付けるものであるが」、「回答を任意にすると、回答しない職員が多数出てくることは容易に予想することができ……本件調査の目的を必ずしも達成することができないことになり得るのであるから、回答を義務付けることは合理的な方法であ」り、そのため、「本件調査の方法は合理的かつ相当な方法であると認めるのが相当である」とした。
したがって、本件調査は「憲法13条に反するものではなく……本件職務命令も憲法13条に反するものではない」とした。
次に、憲法21条との関係について、「人の内心における精神作用を外部に公表する精神活動として入れ墨を入れることが一般的であると認めるに足りる証拠はなく」、「入れ墨をしているか否か等について回答すること自体が、思想や信仰などの内心における精神作用を外部に公表する精神活動の一態様であるとも解されない」ため、「本件調査等が憲法21条に反する旨の原告の主張は採用することができない」とした。
しかし、個人情報の収集を制限している大阪市個人情報保護条例6条2項との関係で、「特定個人が入れ墨をしているとの情報は、同項にいう『その他社会的差別の原因となるおそれがあると認められる事項に関する個人情報』(差別情報)に当たる」とした。
そして、同条例6条2項1号では「法令等に定めがあるときは、例外的に差別情報等を収集することができることを定めている」としており、被告は地方公営企業法9条2号や同法15条2項などを根拠としてあげているが、しかし、被告があげるそれらの「包括的な指揮監督権規定又は事務分掌規定により情報の収集が可能であるとすると、職員に関する限り広範に差別情報等を収集することが可能となり、個人情報保護条例6条2項が原則として差別情報等の収集を禁止したことの趣旨が没却されるおそれがある」ことなどから、「一般人事行政に関する包括的な指揮監督権を定める規定又は事務分掌規定は、同項1号の『法令等』に含まれない」とし、本件事案は同項1号に該当しないとした。
また、同条例6条2項2号は「事務の目的を達成するために必要不可欠であると認められるとき」にも差別情報を例外的に収集できるとしているが、「交通局ではバスの運転手らに対して乗務前に毎回身だしなみの点検を行っており、職員が入れ墨をしていたことにより職務に支障が生じたことは認められないことからすると」、本件入れ墨情報を収集できないことにより、「人事上の配置に支障を来すことが必然であったとまでは認めることはできない」として、本件事案は同項2号に該当しないとした。
したがって、「本件入れ墨情報を収集することは、同条例6条2項に違反し違法であり、本件調査に回答することを命じる本件職務命令も……同項に反し違法である」とした。
そして、以上のことから、原告が本件職務「命令に違反して本件調査票を提出しなかったことを非違行為とする本件処分も違法である」とした。
ただし、「原告は入れ墨をしておらず、当該職員が入れ墨をしていないとの情報は、開示されることによって同人に対する差別の原因となるおそれが生じるものではなく、秘匿すべき情報でもないから、本件調査等によって、原告の人格的利益が侵害されたということはできない」とした。また、「本件処分が違法であるとはいえ戒告にとどまるものであり」、原告は「本件処分を受けたことにより、昇給が2号俸減ぜられ、勤勉手当が0.15月分減額されるとの不利益を受けたが、判決により本件処分が取り消されることで、上記不利益は回避され、原告の名誉も回復されることになるのであるから、本件処分を受けたことに対して、別個に慰謝料の支払を命ずるまでの必要はない」などとして、損害賠償請求に関しては認めなかった。
3.検討
本件判決は、入れ墨に関する本件情報が、大阪市個人情報保護条例6条2項の差別情報に該当するとして、その強制的調査を違法としたものであり、そのこと自体は、高く評価できるだろう。また、条例の趣旨を正しく理解し、一般人事行政に関する包括的指揮監督権規定や事務分掌規定の存在は同条2項1号の「法令等に定めがあるとき」に該当しないとしたこと、そして、本件事案は同項2号の「事務の目的を達成するために必要不可欠であると認められるとき」にも該当しないとしたことも、高く評価できるものと思われる。
しかしながら、本件で示された憲法判断に関しては、疑問の残るところである。
まず、本件判決が、入れ墨に関する情報を憲法13条の保護の対象に含めたことは評価できるものと考える。しかし、その情報の公権力による強制的な収集に関する違憲審査基準として、厳格な基準を用いなかったことは、果たして妥当な判断だろうか。
本件判決は、憲法判断においては、「近時はファッションの一つとして入れ墨を施す者もいることからすると、必ずしも個人の経歴を示す情報となるものではなく、これを秘匿したいと考えるか否かも個々人によって異なる」としている。しかし、本件判決も認めるように、本件入れ墨情報は、「社会的差別の原因となるおそれがあると認められる事項に関する個人情報」なのである。そうであるならば、やはり厳格な基準を用いるべきであったように思われる。
また、本件判決では、原告の憲法21条違反に関する主張を比較的簡単に退けている。しかし、表現の自由との関係についても、もう少し慎重な検討があっても良かったように思われる。たとえば、竹地潔は、「入れ墨調査拒否を理由とする懲戒処分の効力を争う事件に関して、原告訴訟代理人を通じて大阪地方裁判所に提出する意見書を作成するための調査・研究をまとめた」論文※3のなかで、入れ墨と表現の自由との関係について詳しく検討している。竹地は、近時の米国の裁判例の動向や日本の2012年の知財高裁の裁判例※4を踏まえて、「入れ墨は絵画その他の芸術形式と同じく、表現の自由の保護を享受する、といえよう」と述べる。そして、「入れ墨が表現の自由等基本的人権の保護を享受することを前提にすると……衣服等で覆われている入れ墨について質問したり調査することは、労働者による権利や自由の行使を抑圧する一種の検閲であるとともに、個人のプライバシーを侵害するものであり、到底認められない」とする※5。グローバル化の進む現代社会では、(直接的に判決文で言及するかどうかは別にしても)比較法学的な視座も重要な意味をもつものと思われる。そうであるならば、竹地が論文のなかで指摘する米国の裁判例の動向なども踏まえて、入れ墨の法的位置付けを慎重に検討する必要もあったのではないだろうか。
最後に、本件判決では、本件処分が戒告に過ぎず、また、昇給が減らされるなどしたとしても、本件判決によって、そうした不利益が回避され名誉も回復するから、慰謝料は不要だとしている。しかし、違法な懲戒処分を受けた労働者の立場からすれば、到底、納得のいく話ではないだろう。
金額の多寡はあるにしても、やはり慰謝料請求を認めるべきであったと思われる。
4.おわりに
以上のように、本件判決は、大阪市個人情報保護条例の解釈においては、妥当な判断を下したものといえるだろう。
しかし、憲法判断においては、少なからず疑問の残るものである。特に、本件のような差別情報の収集に関して、厳格な基準を用いずに違憲判断を下さなかったことは、行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律が、差別情報などの個人情報の収集禁止に関する明文規定をもたないことを踏まえれば、非常に重要な問題のように思われる※6。
(掲載日 2015年2月9日)