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文献番号 2014WLJCC017
高知短期大学・高知県立大学 教授
小林 直三
1.はじめに
本件は、裁判員の職務として凄惨な内容を含む証拠調べ等を行ったために急性ストレス障害を発症したとする原告が、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下「裁判員法」という。)は憲法18条後段、22条1項及び13条に反するから裁判員法を定めた国会議員の立法行為は違法なものであり、また、裁判員制度を合憲とした最高裁平成23判決※2も裁判員制度の推進を図る政治的目的で下された違法なものであるとして、国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求めたものである。
最高裁平成23年判決の事案は裁判員裁判の被告人が裁判員制度の違憲性を問題としたものであるが、本件は、裁判員裁判の裁判員であった原告が訴えた事案であるところに、大きな特徴がある。
2.判例要旨
本件判決では、まず、国会議員の立法行為に関して、最高裁平成17年判決※3を踏まえて、「国会議員の立法行為が……国家賠償法1条1項の適用上違法といえるか……を判断する前提として」、裁判員制度が憲法18条後段等に違反するかを検討している。
そして、憲法18条後段との関係について、原告の裁判員裁判への参加と急性ストレス障害の発症との間に相当因果関係を認めながらも、「憲法自体が国民の司法参加を容認していると解される以上、その実現のために、国民に一定の負担が課されることは、憲法の予定するところであって、その負担に必要性が認められ、かつその負担が合理的な範囲に留まる限り、憲法18条後段には違反しない」とした。そして、「裁判員法の立法目的は正当であり、裁判員法の立法の必要性も十分にこれを肯定することができ」、「辞任事由等一定の事由がない限り裁判員への選任を拒否できないとする制度とすることは、裁判員制度の目的を達成する上で合理性を有する」とした。また、政令で「自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生じると認めるに足りる相当の理由があることをも辞退事由として定め」ることで、「辞退を弾力的に認めることができ」ており、更に裁判員は選任後も辞退の申立てができること等から、裁判員の精神的、経済的負担の軽減が図られており、「原告が……急性ストレス障害を発症したという事実は……国民の負担が合理的な範囲を超えていることを必ずしも意味しない」として、裁判員としての職務等は憲法18条後段が禁ずる「苦役」に当たらないとした。
憲法22条1項との関係については、最高裁昭和50年判決※4を踏まえて、「裁判員等の職務は、それが一時的に従事する公務であるという点からも」、また、裁判員等への日当等は「裁判員等の職務遂行によって生じた損失を……補償するためのもの」で、裁判員は「職務の対価としての報酬を受けていないことからも……憲法22条1項にいう職業には該当しない」とした。
憲法13条との関係については、「裁判員法による制約は、公共の福祉による合理的な制約である」とした。
次に、最高裁平成23年判決に関して、原告は、「最高裁裁判官が、裁判員法が国民の基本的人権を侵害するものであり、そのことを十分に認識していたにもかかわらず、裁判員制度の推進を図る政治的目的を持って、上告趣意書として弁護士が主張していなかった憲法18条後段、22条1項、13条違反の点などを上告趣意書であるとねつ造した」とするが、「最高裁平成23年判決は、当該事案における弁護士が、裁判員法が違憲であるとの主張をしたことから、幅広く裁判員法の憲法適合性を検討したにすぎないといえ、原告が主張するような政治的目的があったことについてはこれを認めるに足りる証拠は全くない」とした。
以上のことから、本件判決は、原告の請求を棄却した。
3.検討
最高裁平成23年判決に関する原告の主張は、そもそも、裁判員の負担を負わない被告人が憲法18条後段等に関する争点を提起できるのか、あるいは、そうした争点を裁判所が取り上げ得るのか等の手続的な論点から裁判(あるいは裁判所)の役割や機能を考える手がかりとしては、非常に興味深いところではある。
しかし、本件事案に限定していえば、裁判員法が人権を侵害するものだと認識していたにもかかわらず、最高裁裁判官が政治的目的で憲法18条後段等に関する論点を取り上げたのかどうかが問題とされているため、結局のところ、検討すべき論点は、裁判員法が憲法18条後段等で定める人権を侵害するかどうかに収斂される。また、最高裁50年判決は、学説上、概ね支持されており、その最高裁50年判決を前提とする限り、裁判員を憲法22条1項の職業と考えることは難しいものと思われる。
そのため、本件判決で検討すべき主要な論点は、裁判員の負担が憲法18条後段の「苦役」に該当するかどうか、あるいは憲法13条で保障する人権を侵害するかどうかになるだろう。そこで、ここでは憲法18条及び13条に関する論点を取り上げたいと思う。
最高裁平成23年判決では、「裁判員の職務等は、司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を付与するものであり、これを『苦役』ということは必ずしも適切ではない」とした上で辞退や補償に関する制度に言及し、裁判員の職務等は憲法18条の「苦役」に該当しないと結論付けている。しかし、そもそも選挙権を行使しなかったとしても過料が課されるわけではなく、裁判員の職務等を「参政権と同様の権限」と考えてよいのか、甚だ疑問である。その意味で、最高裁平成23年判決は、十分に説得力のあるものとは言い難いように思われる。
それに対して、本件判決では、憲法が国民の司法参加を容認していることを前提として、「その負担に必要性が認められ、かつその負担が合理的な範囲に留まる限り、憲法18条後段には違反しない」とし、「裁判員法の立法目的は正当であり」、「辞任事由等一定の事由がない限り裁判員への選任を拒否できないとする制度とすることは、裁判員制度の目的を達成する上で合理性を有する」としている。そして、更に辞退に関する制度等を検討し、憲法18条の「苦役」に該当しないと判断している。
一般論としては、本件判決のように、いわゆる基準論を展開して具体的な検討を行うことは妥当なものだろうし、最高裁平成23年判決よりも説得的だと思われる。しかし、本件判決では合理性の基準を採用しているように思われるが、急性ストレス性障害を発症させるような負担に関しては、やはり、もっと厳しい審査基準を採用すべきだろう。そして、もっと厳しい審査基準を採用するなら、(私の想像力の及ぶ限りでは)現行の裁判員法は、少なくとも手段審査をクリアできないものと思われる※5。
さて、本件判決では、辞退を弾力的に認めていること等から負担を軽減できるとしている。ただし、辞退の制度によって負担を軽減できる者は、実際のところ、凄惨な証拠を見れば急性ストレス性障害を発症する(おそれがある)と、前もって分かっている者だけだろう。しかしながら、そうしたことを前もって分かっている者は、現実にどれだけいるのだろうか。むしろ、多くの場合、自分はそうではないと思っていたがために凄惨な証拠を見てしまい、大きなストレスを受けてしまうのではないだろうか。そこで、そうした事態を避けるために、急性ストレス性障害を発症するおそれを広く捉えて、(本件判決のいうように「辞退を弾力的に認める」ことで)少しでも可能性があれば辞退できるように考えられる。しかし、そうなると、ほとんどの国民が辞退の対象となり、原則として裁判員となることを義務付ける制度の根幹を揺るがすことになるだろう※6。更に付言すれば、そもそも、辞退に関する制度等があるから負担を軽減できるという考え方は、辞退等の制度を利用せずに障害を負ったなら、それは自己責任だといわんばかりの主張ではないだろうか。このように考えてみると、辞退を弾力的に認めていること等から負担を軽減できるという説明も、あまり納得のいくものとはいえないように思われる。
ところで、本件判決では、原告の裁判員裁判への参加と急性ストレス障害の発症との間に相当因果関係を認めている。そして、裁判員裁判に参加することで急性ストレス障害を発症すること(少なくとも大きなストレスを負うこと)は、必ずしも特異なケースではないだろう。したがって、仮に「苦役」ではないにしても、公共の福祉による制限に収まる負担ではないはずである。そうだとすれば、仮に憲法18条後段の「苦役」ではなかったとしても、原告が主張するように、やはり、憲法13条違反だといえるのではないだろうか※7。
4.おわりに
以上のように、現行の裁判員法は、憲法18条および13条との関係で問題があるものと考えられる。
しかし、仮に、それらの憲法上の問題をクリアできるにしても、そもそも、私たちは、急性ストレス障害を負う人を生んでまで、本当に現在のような裁判員制度を続けることを望むべきなのだろうか。本件判決を通じて、あらためて、そのことを考えなければならないように思われる。
(掲載日 2014年11月7日)