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文献番号 2014WLJCC013
専修大学法科大学院教授
弁護士 矢澤昇治
1.事案の概要
本件は、被告法人が開設する診療所において被告Yによる羊水検査を受けた原告X1及びその夫である原告X2が、その検査結果報告に誤りがあったために、原告X1は中絶の機会を奪われてダウン症児Zを出産し、同児は出生後短期間のうちにダウン症に伴う様々な疾患を原因として死亡するに至ったと主張して、被告らに対し、不法行為ないし診療契約の債務不履行に基づき、それぞれに損害賠償金の一部である500万円及びこれに対する不法行為の日である平成23年5月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を認めた事案である。
2.判旨
裁判所は、以下の二つの争点について判断した。
争点1 被告らの注意義務違反とZに関する損害との間の相当因果関係の有無について
(1)羊水検査結果の誤報告とZの出生との間の相当因果関係の有無について
「羊水検査は、胎児の染色体異常の有無等を確定的に判断することを目的として行われるものであり、その検査結果が判明する時点で人工妊娠中絶が可能となる時期に実施され、また、羊水検査の結果、胎児に染色体異常があると判断された場合には、母体保護法所定の人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があることが認められる。
しかし、羊水検査の結果から胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合に人工妊娠中絶を行うか、あるいは人工妊娠中絶をせずに同児を出産するかの判断が、親となるべき者の社会的・経済的環境、家族の状況、家族計画等の諸般の事情を前提としつつも、倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断であることは、事柄の性質上明らかというべきである。すなわち、この問題は、極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって、傾向等による検討にはなじまないといえる。
そうすると、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても、このことから当然に、羊水検査結果の誤報告とZの出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。」
(2)羊水検査結果の誤報告によるZの出生とダウン症に起因した疾患によるZの死亡との間の相当因果関係について
「Zは、ダウン症を原因とした各種の合併症を発症し、最終的にはTAM※2から発症した合併症が原因で死亡しており、原告らが相続したとするZの損害は、この一連の経過に関わるものである。
しかし、ダウン症及びその合併症の発症原因そのものは、被告Yの羊水検査結果の誤報告によりもたらされたわけではない。そして、この過失とZの出生との間の相当因果関係を肯定することが法的に困難であるのは上記のとおりである。さらに、証拠によれば、ダウン症を有する者のうちTAMを発症するのは、全体の約10パーセントであり、また、早期に死亡するのはそのうちの約20ないし30パーセントであることが認められる。このほか、…ダウン症児は必ずしも合併症を伴うものではなく、そのような児は健康な子どもであることが、…ダウン症を有する者の平均寿命は50歳を超えることがそれぞれ認められる。これらの事実からすれば、ダウン症児として生まれた者のうち合併症を発症して早期に死亡する者はごく一部であるといえる。
これらの諸点に照らし被告らの注意義務違反行為とZの死亡との間に相当因果関係を認めることはできないというべきである。」
争点2 原告らの損害額について
(1)原告X2の入通院慰謝料0円
「この損害費目は、原告X2が人工妊娠中絶をした場合と比較してその差額を求めるものであるが、前記1(1)の判断のとおり、被告らの注意義務違反行為と原告X2による人工妊娠中絶の不実施との間には相当因果関係が認められないため、原告X2の入通院慰謝料については被告らの行為と相当因果関係のある損害とはいえない。」
(2)原告らの選択や準備の機会を奪われたことなどによる慰謝料それぞれ500万円
「原告らは、生まれてくる子どもに先天性異常があるかどうかを調べることを主目的として羊水検査を受けたのであり、子どもの両親である原告らにとって、生まれてくる子どもが健常児であるかどうかは、今後の家族設計をする上で最大の関心事である。また、被告らが、羊水検査の結果を正確に告知していれば、原告らは、中絶を選択するか、又は中絶しないことを選択した場合には、先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずである。原告らは、被告Yの羊水検査結果の誤報告により、このような機会を奪われたといえる。
そして、前提事実に加え、証拠によれば、原告らは、Zが出生した当初、Zの状態が被告Yの検査結果と大きく異なるものであったため、現状を受け入れることができず、Zの養育についても考えることができない状態であったこと、このような状態にあったにもかかわらず、我が子として生を受けたZが重篤な症状に苦しみ、遂には死亡するという事実経過に向き合うことを余儀なくされたことが認められる。原告らは、被告Yの診断により一度は胎児に先天性異常がないものと信じていたところ、Zの出生直後に初めてZがダウン症児であることを知ったばかりか、重篤な症状に苦しみ短期間のうちに死亡する姿を目の当たりにしたのであり、原告らが受けた精神的衝撃は非常に大きなものであったと考えられる。」
3.解説
(1)被告の注意義務違反の重大性-羊水検査結果の誤報告
①産婦人科医師の診療契約上の義務
産婦人科医師は、専門家責任として診療契約上の義務を負う※3。この義務の具体的内容は、ダウン症候群(ダウン症)の危険性の有無、程度を的確に診断する義務※4、ダウン症の危険性等について十分な説明・教示を行い、情報を提供する義務※5、出産後ダウン症児に生ずる症状に適切に対処し、また必要な措置を講ずる義務などがある。この義務に加えて、不法行為責任を負うことがあり得る。
ダウン症候群(Down syndrome)は、体細胞の21番染色体が1本余分に存在し、計3本(トリソミー)を持つことにより発症する先天性、遺伝性の疾患であり、治療法や治療薬もないのみならず、知的障害、精神発達遅滞、先天性心疾患などの症状が発現する。遺伝子疾患や染色体異常の中では最も発生頻度が高く、その原因は出産の高齢化であるといわれる。
本件では、原告X1は41歳であり、被告Yからエコー検査の結果、胎児の首の後ろに膨らみのあることを指摘され、胎児の先天性異常に関する出生前診断の説明を受け、胎児の染色体異常を検出する検査法である羊水検査を受けることとした。したがって、医師は、X1とX2に羊水検査の正確な結果報告をなす義務がある。もし、その結果が陽性であれば、医師には先天性異常児の出産の危険性等に関する説明義務および注意義務がある。そして、両親は、ダウン症について適切な説明等を受け※6、妊娠を継続して出産すべきかどうかを検討する機会を与えられる利益を有し、先天性異常児を出産するか否かの選択権を有しているのである。
判旨は、後述するとおり、検討機会の利益を奪われた場合に生ずる打撃の大きさにより、利益の侵害自体を独立の損害として評価したにとどまるが、筆者は、その利益侵害にとどまるべきでないと考える。すなわち、本件では、羊水検査結果について誤った報告がなされた。その結果として、出産を回避する選択の機会が保護の対象とされるべきであり、その利益侵害が認められる場合に保障される損害の範囲も拡張されうるということである。
本件では、羊水検査の報告書の分析所見として、「染色体異常が認められました。また、9番染色体に逆位を検出しました。これは表現型とは無関係な正常変異と考えます。」と記載されていたが、添付された分析図には、本来は2本(1組)しかない21番染色体が3本存在し、胎児がダウン症であることが示されていた。この誤った報告書に係る過失は、初歩的かつ基本的な事項に関するものであるが、極めて重大であった。
この基礎的ではあるが重大な過失は、産婦人科医が診療契約上負うべきすべての義務の懈怠を意味する。具体的には、ダウン症に関連する内容の説明義務、ダウン症の胎児の出産に至るまでの経過的対応、また、出産時における対応ならびに出産後に生じうるダウン症の症状に対処方法を講ずる義務などの違反であり、両親にとっては、検討機会と出産を回避する選択の機会、また、出産するとしてもダウン症児に対応する心の準備の喪失、加えて、ダウン症児にTAMなどが発症することを予知して高度な医療機関を選択する機会なども喪失したといえるであろう。
②誤報告による原告らの自己決定権の侵害について
本件では、原告らの人工妊娠中絶をするかしないかの選択や異常児の出産に対する諸々の準備の機会を奪われたことによる慰謝料が肯定されている。すなわち、「被告らが、羊水検査の結果を正確に告知していれば、原告らは、中絶を選択するか、又は中絶しないことを選択した場合には、先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずである。原告らは、被告Yの羊水検査結果の誤報告により、このような機会を奪われたといえる。」と。
慰謝料を認めるこの判旨からは、中絶をすることが認められていることを前提として、中絶するまたは中絶しないことを選択するかの自己決定権が侵害され、その利益侵害が独自の損害として認定された判断されたように読むことができる。ところが、本件判旨では、「少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても、このことから当然に、羊水検査結果の誤報告とZの出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。」と結論した。
その理由付けとするのは、「羊水検査の結果、胎児に染色体異常があると判断された場合には、母体保護法所定の人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があることが認められる。しかし、羊水検査の結果から胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合に人工妊娠中絶を行うか、あるいは人工妊娠中絶をせずに同児を出産するかの判断が、親となるべき者の社会的・経済的環境、家族の状況、家族計画等の諸般の事情を前提としつつも、倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断であることは、事柄の性質上明らかというべきである。すなわち、この問題は、極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって、傾向等による検討にはなじまないといえる。」ということである(下線による強調は、筆者、以下同じ) 。
判旨は、慰謝料を認めるためにあたかも自己決定の利益を認めていたかのようである※7。しかし、原告らは、被告による羊水検査結果の誤報告により、そもそも人工妊娠中絶の必要性を検討することは、誤報告後なされておらず、本来享受することのできる人工妊娠中絶をするかしないかの自己決定権を行使する機会を奪われていたといわざるを得ない。原告らは、正常児が出生すると期待していたにもかかわらず、ダウン症児を出産したのである。したがって、人工妊娠中絶が行われている社会的実態の有無にかかわらず、本件では、羊水検査結果の誤報告とZの出生との間には、相当因果関係が存在するといわなければならない。
③本判決の評価の誤り-原告らに出産検討機会が与えられていないこと
本件では、羊水検査結果の誤報告という注意義務違反行為とZの出生との間に、相当因果関係が認められない理由として、「原告らにおいても羊水検査の結果に異常があった場合に直ちに人工妊娠中絶を選択するとまでは考えていなかった」とか、「羊水検査により胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合において人工妊娠中絶を行うか出産するかの判断は極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであること、原告らにとってもその決断は容易なものではなかったと理解されることを踏まえると、法的判断としては、被告らの注意義務違反行為がなければ原告らが人工妊娠中絶を選択しZが出生しなかったと評価することはできないというほかない。」とある。
しかしながら、本件におけるこの判示は、誤りであるといわざるを得ない。すなわち、原告らは、妊婦が41歳の高齢であることから羊水検査を受けた。この検査の結果に異常が認められたときには、人工妊娠中絶を選択するか否かを判断せざるをえない状況は存在したであろう。しかし、羊水検査結果の誤報告により、この事態は完全に解消されたのであり、原告らは、帝王切開により出産がなされるまで、Zに羊水検査に異常があることを知らされていないのであり、人工妊娠中絶を選択する余地などあり得ない。判示では、「羊水検査により胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合」を想定して、人工妊娠中絶の判断について論じているが、本件では妥当しない想定に他ならない。原告らは、羊水検査結果の注意義務違反行為により出産検討機会を奪われ、出産に至ったのである。したがって、法的判断としては、「被告らの注意義務違反行為がなければ原告らが人工妊娠中絶を選択しZが出生しなかったと評価することはできないというほかない。」というのは誤りであり、むしろ、羊水検査結果の誤報告という注意義務違反行為とZの出生との間に、相当因果関係が認められてしかるべきである。
(2)「医の倫理」と「法の論理」
①胎児に障害があることを理由とする産み分け、また、人工妊娠中絶の可否
今日、人間が生命の始まりと終わりに意識的に参与し操作することが、医療の現場で行われるようになり、「ヒッポクラテスの誓い」以来の普遍的な課題として医の倫理が問われている。医療の現場には、患者の数だけの事情があり、それに対応しなければならない医の倫理がある。そして、それには、生命科学倫理と鋭く対立するものがある。生命の誕生に両親の意思が積極的に参与する例としては、不妊治療、人工授精、羊水検査による男女の産み分けがある。これに対して、消極的に参与する例としては、妊娠中絶、産児制限、不妊手術、断種、遺伝子操作などがある。このように意思が参与するときには、純粋に医の倫理だけでは判断できず、生命科学倫理や社会倫理が介在することとなり、とどのつまり、すべての患者の救済という医の倫理は空虚になる※8。
本件では、医師の過失により、羊水検査の結果報告に誤りがあった結果、生命の誕生に親の意思が参与する機会は存在しなかった。しかし、羊水検査が陽性であると報告されたときには、まさしく、両親の意思の積極的また消極的参与が現出する可能性がある。そして、胎児に障害があることを理由とする産み分け、また、人工妊娠中絶の可否が問われなければならない。
②胎児の障害を理由とした人工妊娠中絶とそれに関連する判決
1996年6月に「優生保護法」から「母体保護法」と改称された法律は、法律の目的から、ハンセン病に対する偏見から設けられていた「不良な子孫の出生の防止」の文言を削除し、遺伝性疾患や精神病を理由とした不妊、人工妊娠中絶を認めないという内容を有している。しかし、胎児適応条項が無く、女性の自己決定権(Pro Choice)を否定するこの法のあり方は、障害者に対する我が国の社会福祉の劣悪な現状を鑑みると、産みたくないと考えている女性に出産を強制することであり、大いに問題があるといわなければならない※9。
では、胎児の障害を理由とした人工妊娠中絶に関連する判決はどのようであるか。ダウン症に関する事件では、高齢出産の理由で染色体異常児出産のおそれがある場合の積極的な説明義務の有無について、これを否定した京都地平9.1.24判決と本件判決がある※10。また、先天性風疹症候群に関する事件で、胎児の障害を理由に人工妊娠中絶を行うことが、「優生保護法上の根拠として、『妊娠中に風疹に罹患したことが判明したため、妊婦が異常児の出産を憂慮する余り健康を損う危険がある場合には同法14条1項4号(妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの)に該当する』と唱える者があったことが認められる。そして、右の見解がいうような場合には、人工妊娠中絶を行うことが適法と認められる余地もあり得るものと解される」と述べ、「妊娠を継続して出産すべきかどうかを検討する機会を与えられる利益を有していたと言うべきである」とした※11。
これに対して、東京地平4.7.8判決は、「妊婦が風疹に罹患した場合には、人工妊娠中絶の方法による以外には、先天性風疹症候群児の出生を予防する途はないが、優生保護法上も、先天性風疹症候群児の出生の可能性があることが当然に人工妊娠中絶を行うことができる事由とはされていないし、人工妊娠中絶と我が子の障害ある生とのいずれの途を選ぶかの判断は、あげて両親の高度な道徳観、倫理観にかかる事柄であって、その判断過程における一要素たるに過ぎない産婦人科医の診断の適否とは余りにも次元を異にすることであり、その間に法律上の意味における相当因果関係があるものということはできない」とした※12。また、前橋地平4.12.15判決は、医師が風疹を否定して、風疹抗体値の再検査の指示を出さなかったことに過失があるとしたが、妊婦の風疹の罹患による人工妊娠中絶については、優性保護法により認められていないこと、また、胎児の障害は回避できないとして、因果関係を否定した※13。
以上みたように、胎児の障害を理由とした人工妊娠中絶を選択できるかについての判例は分かれている。しかし、その可能性を否定した判例でも、自己決定の利益保護を認め、慰謝料の支払いを命じているのは、論理的には奇妙であると指摘せざるを得ない。これが法の論理と言えるのであろうか。
③望まない出産を回避する選択
法の論理によれば、母体保護法14条1項1号に定める「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当しなければ、人工妊娠中絶は否定される。そして、この法律には胎児条項が存在しない。その結果として、優生保護法時代から、胎児の障害を理由とした選択的中絶の可能性に対する評価も裁判所により分かれたのである。本件のように、出生前診断において、医師が過失により誤った診断をなし、人工妊娠中絶ができず、障害児が生まれたような訴訟は、「望まない出生または出産訴訟(wrongful birth)と呼ばれる※14、妊娠後の中絶選択事案であるが、選択的中絶の法的根拠が曖昧であることは否めない。
医の倫理からすれば、障害児の出生の回避選択も可能であり、また、胎児の生命を犠牲にする中絶自体に否定的でもありうる。医療の現場では、患者の数だけの倫理があるからである。他方、法の倫理や社会倫理からすれば、国家や社会全体が障害者に対して必要な財政的支援の体制を完備していたならば、望まない妊娠・回避する選択はこれを認めず、障害者の出生を制限する余地も無いかもしれない※15。他方、個人単位の障害児の出産回避選択は、障害者差別を助長し、中絶による優生学(Eugenics by abortion)※16、優生社会を導き、ひいては、ナチの安楽死にも通じうる※17。
しかし、現実は決してそのようでないし、そうであってはならない。ところが、障害者には社会的な差別があり、親や家族に重い経済的な負担を強い、苦しい精神的な重圧も与えている現状を鑑みると、国家や社会がその根本的な政策を明確にせず、日本産科婦人学会倫理委員会にそのガイドラインの制定を委ねるが、その学会でも、自主規制にとどまるのである※18。したがって、現状では、一つの決断を迫られる。司法は、医の倫理と国家の無策の狭間で、漂う小舟のように、場合に応じて、その責任を医師や親に擦り付けるだけに終始しているのである。当職がコメントとした判例では、日本人の外国での代理母の問題でも、我が国は母子関係のルールを判断しただけである※19。我が国における代理母の可否や条件などは議論の俎上にすら上らないのである。
無為無策の立法や行政を目の前にして、羊水検査や2013年4月から始まった無侵襲的出生前遺伝学的検査(Noninvasive prenatal genetic testing)などの結果、「重篤な遺伝子または染色体異常」が確定診断されるときには、医師には、先天性異常児の出産の危険性等に関する説明義務と注意義務が課せられ、両親には、先天性異常児を出産するか否を検討する機会とその選択権が認められるといわなければならない。
【追記1】このコラムを執筆中に「代理母となったタイ人の女性(21)が昨年12月に男女の双子を出産したが、代理出産を依頼したオーストラリア人夫婦が健康な女の子だけ引き取り、ダウン症候群の男の子は引き取らなかった※20。」というニュースが飛び込んできた。オーストラリアにおける代理出産のあり方に一石を投ずることは間違いないであろう。
【追記2】2014年8月7日に朝日新聞は、「代理出産ダウン症児引き取らず」の見出しで、この事件を報じた。我が国でも、法の整備はなされておらず、「命の選別」「分娩ルール」の問題を踏まえて早急な検討が必要である。
(掲載日 2014年8月25日)