判例コラム

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第16号 東日本大震災による津波で幼稚園の送迎バスが被災し、園児5名が亡くなった事故について、幼稚園の債務不履行を認めて、園児4名への損害賠償金として約1億7000万円の支払を命じた判決 

~仙台地判平成25年9月17日※1

文献番号 2013WLJCC016
弁護士法人苗村法律事務所※2
弁護士、ニューヨーク州弁護士
苗村 博子

【初めに―痛ましい事故】

私には、一緒に暮らす、幼稚園に通う姪がいる。この判決の前日、私の住む京都は台風の被害を受けた。嵐山の被災が度々報道されたが、京都の中心を南北に流れる鴨川ももうあふれる寸前までいったそうである。姪の通う幼稚園はその鴨川のすぐそばにあり、もし登園中に冠水したらと思うとぞっとする。災害が少ない京都でも、このような災害に被災することをまざまざと思い知った次第である。
本訴訟の事故の犠牲となられた5名の幼稚園児の皆さんは、バスの中で皆寄り添うように亡くなっておられたとのこと、ご両親の悲しみには、果てがないものと思う。
この判決の報道を知った人の多くは、しかしながら、まずは、厳しすぎる判決ではないか、この津波を予見して、それを回避する術は無かったのではないかとの感想を持ったのではないかと思う。私の事務所の入る大阪の古いビルはこの地震の10分後ぐらいに大きく揺れたが、それが東日本大震災と同じ地震とは思われなかったくらいで、遠く離れた私には、その地震の恐ろしさは、勝手ながら実感できず、その後、大津波が来ることも、また、全く予想が出来ずにいたからである。
本コラムを書くに当たっては、十分事実関係を読み込まないと、なぜ、判決が、幼稚園に予見可能性ありとしたのか分からないと思った。そして、実際に判決を読んでみて、いくつかの不幸なことが重ならなければ、園児たちは命を落とすことがなかったのではとの思いを強くする一方、初動のミスがやはり、取り返しのつかないものであったことを理解したのである。

【事実の概要】

被告となった幼稚園は、石巻市の南にある海岸線から約600~700m北に位置し、被災した送迎バスは、そこから約100m~150m南(海岸から約500~600m)の小学校(市から避難場所として指定されていた)の近くで津波にのまれたものと思われる。判決では、その位置関係が明確にされていたわけではないが、地図等で検索するとそのようになる。この被災場所と幼稚園の間には、決定的な差違、すなわち20m近い段差があり、その下の地域は標高0~3mの低地帯であった。高台にあった幼稚園は津波の被害を免れ、低い側の小学校の校舎は被災した。しかし小学校の生徒達は、この段差の上にある日和山へと避難し、また、避難場所であったこの小学校の校庭に集まっていた住民も、教頭先生らの指示の下、校舎2階から日和山の崖へと教壇を渡し、これを登って高齢者も含めて避難ができた。
幼稚園にはもう一台送迎バスがあり、被災したバスと一緒に、園長の指示により出発したが、そちらのバスは、ラジオで大津波警報の放送を聞き、坂を下りずに幼稚園に引き返していた。
被災した送迎バスは、地震発生から約15分後の3時2分頃に、園長の指示に基づき南の海岸沿いに向けて、本来は後の便で北側の高台にある自宅に戻るはずの被災園児5名と本来乗るはずだった7名の園児を乗せて、幼稚園を出発した。南側の低地帯の地区では、皆避難をしていて、子供達を保護者らに引き渡すことが出来なかったため、被災した送迎バスは避難場所の小学校に向かった。そこで数人の子供達を保護者らに引き渡した。
これに気がついた園長は、2名の教諭を小学校に向かわせ、被災した送迎バスを幼稚園に戻すよう指示した。運転手がバスを運転して園に戻ることができると言ったため、これらの教諭は、子供達を連れずに、小学校脇の階段を登って園に戻った。
しかし、被災した送迎バスは、小学校の近くの坂で渋滞に巻き込まれて動けなくなり、そこで、1名の園児が母親に引き渡された後、津波に流されてきた家屋に押され、一気に水がそのバスの中に入ってきた。外に放り出された運転手だけが九死に一生を得、中に残された園児5名と添乗していた運転手の妻が取り残された。
その後、被災場所付近でも火災が発生し、バスも火災に遭い、5名の園児らと運転手の妻が亡くなった。

【判決の主旨】

判決は、幼稚園が、園児の保護者と結ぶ在園契約の付随義務として、園児らの生命、身体を保護する義務を負い、特に幼稚園児は3歳から6歳と幼く、自然災害発生時において危険を予見する能力及び危険を回避する能力が未発達の状態にあり、園長及び教諭らを信頼してその指導に従うほかには自らの生命身体を守る手立てがないのであるから、園長、教諭らは、園児らの信頼に応えて、できる限り園児の安全にかかる自然災害等の情報を収集し、自然災害発生の危険性を具体的に予見し、その予見に基づいて被害の発生を未然に防止し、危険を回避する最善の措置を執り、在園中または送迎中の園児を保護すべき注意義務を負うものというべきであると、幼稚園の情報収集義務とその根拠を述べる。
そして、西暦869年の貞観地震、明治の三陸沖地震など宮城県近くで起きた大地震及び北海道南西沖で起きた大地震等での大津波による悲惨な結果について、繰り返し報道されていたこと、行政でも防災意識の向上を図るための対策がとられ、地震直前の市報で石巻市は震度4以上または長時間のゆっくりした揺れを感じたときは、高台に避難し、ラジオ等の情報収集に努めることの大切さを伝えていたこと、幼稚園では子供たちを安心させ、保護者のお迎えを待って引き渡すようにすると定めていたこと等を挙げ、園長らは3分以上にわたる最大震度6弱の巨大地震を自身が体感していたのであるから、被災した送迎バスを海沿いの低地帯に向けて走行させれば、津波の被害にあう危険性があることを考慮し、ラジオ放送により震源地、津波警報の有無を積極的に収集し、サイレン音の後に繰り返される防災行政無線の放送内容を聞いて状況を正確に把握する義務があったとする。
防災無線では、被災した送迎バスが園を離れる前に、「宮城県沖に大津波警報が発表、沿岸・河口付近から離れてください、至急高台に避難してください、車での避難は控えてください、渋滞になります」等のアナウンスが繰り返され、NHKラジオ、石巻コミュニティでは、同じ頃、予想される津波の高さが6mとなること、宮城県への津波到達時刻が3時頃(被災した送迎バスが園を離れる2分前)になることが繰り返し報じられていた。
従って、園長らがこれらの情報収集義務を果たしていたら、被災した送迎バスを高台から低地に向けて発車させることはなく、マニュアルに従って園児らを待機させ、保護者らに引き渡し、被災園児5名の尊い命が失われることもなかったとして、幼稚園の情報収集義務違反と園児らの死亡には相当因果関係があると判断した。

【自然災害と情報収集義務】

幼稚園側は、地震学者も想定しない地震であったこと、被災場所の小学校付近は津波ハザードマップが浸水域としていなかったこと等から、7mの津波が襲うことを予見することは不可能であったこと、情報収集義務違反があったとしても、2日前の地震で津波被害がなかったこと、停電によりテレビによる情報収集ができなかったこと、地震後の混乱でラジオ等での情報収集が困難であったこと、具体的に石巻市に巨大津波が襲うという情報は報じられていなかったこと等を挙げて反論したが、判決はこれを採用しなかった。被災した送迎バスが出発する前に、出発させるべきでないと判断できる情報が放送されていた以上、その情報を収集せず、誤った指示をして、被災した送迎バスを低地に向け出発させた幼稚園は情報収集義務懈怠を正当化できないとしたのである。
幼稚園の反論にも一定の理はあると思う。地震学者も想像できない地震、津波ハザードマップで避難場所とされた小学校での被災、あの津波を予見せよと言われても難しいと考えるのは、一般人の感覚のように思われ、判決が過去の大地震を詳細に紹介していることには違和感を覚える。
しかし、判決が幼稚園に具体的な義務として課したのは、これらの過去の大地震後の津波からこの地震の津波を予見する義務ではなく、情報収集の義務であった。大地震の後に何が起こるのかわからなくても、子供たちを預かる者として、まずは、情報収集をして、安全を考えろとの義務である。確かに、誰かがしっかりと情報を集めていれば、ビルの2~3階に匹敵する6m以上の津波がすぐにも来そうなことは予想ができた、その津波の威力まで分からなくとも、幼稚園は高台にあるのだから、そこで様子を見ることは可能だったという判決の本件被災との因果関係の認定には、十分な意味があることが分かる。
人の命を預かる場合、大きな災害においては、まず、情報収集を徹底せよというのが本判決の警告である。そのためには、停電に備えた電池式の情報収集の器具も重要なツールになる。
情報入手ができれば、本件のような痛ましい被災が防げる場合は十分に増加する。冒頭の京都の台風被害は、特別警報という災害情報が初めて出された災害であった。その後の伊豆大島での土砂災害では、自治体の避難指示の出し方が問題とされている。今後は、情報収集の義務を負う者が頼りにできる災害情報自体の正確性もさらに向上させる必要があると思われる。