判例コラム

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第10号 システム開発・運用と重過失 

~みずほ証券vs 東京証券取引所事件(東京高判平成25年7月24日)※1

文献番号 2013WLJCC010
筑波大学ビジネス科学研究科教授
弥永 真生

1.事実の概要と判旨

みずほ証券の担当者が、ジェイコム株につき「61万円で1株」とすべき売り注文を、誤って「1円で61万株」と入力し、直後の取消注文が東証のシステム不備で受け付けられず400億円を超える損失が出たという事件をめぐり、平成25年7月24日に、控訴審である東京高裁は、基本的には東京地裁平成21年12月4日判決(原審判決)を支持し、みずほ証券の控訴を棄却した。
まず、東証の負う適切に取消注文処理ができるコンピュータ・システムを提供する債務(狭義のシステム提供義務)の履行は不完全であったことは認められるが、軽過失免責を定める免責規定が適用されるとして、債務不履行責任は認めなかった。すなわち、「著しい注意義務違反(重過失)というためには、結果の予見が可能であり、かつ、容易であること、結果の回避が可能であり、かつ、容易であることが要件となる」という判断枠組みを示した上で、「バグの作込みを回避することが容易であったとは認めることができず、また、本件バグの発見・修正が容易であったとも認めることができない」として、重過失があったものと評価することはできないとした。
他方、東証は、その業務規程により売買管理上「公益及び投資者保護」の観点から売買を継続して行わせることが相当ではない場合には、売買停止措置を講じる義務(売買停止義務)を負い、また、業務規程により売買システムの稼働に支障が生じる等の事由により売買を継続して行わせることが困難な場合にも、同様に売買停止措置を講じる義務を負うとした。これを前提として、東証がこれらの売買停止義務に違反してみずほ証券に損害を与えた場合には、不法行為を構成するものというべきであるとした。そして、契約上の免責規定は、当該契約当事者間における不法行為責任にも適用されるとする一方で、「公益及び投資者保護」を図るために売買停止の権限が付与された趣旨に照らすと、東証の負う売買停止義務に求められる注意義務の程度は高いものである、午前9時35分の時点においては、売買停止措置を講じなかった場合には、公益を害することになるばかりか、投資家の一部に損害が生じることの予見が可能であり、かつ、容易であった、売買停止措置を講じることは、要件を具備すれば可能であり、かつ、内部手続を履践すれば容易であることは明らかである、そうすると、東証の午前9時35分の時点における売買停止義務違反は、著しい注意義務違反と評価するのが相当であるとして、免責は認められないとした。
これを前提として、東証は、遅くとも午前9時35分には売買停止義務を負ったのに、行使しなかったのであるから、同時刻以降に発生した損失約150億円が東証の義務違反と因果関係が認められるみずほ証券の損害であるが、損害は東証側のシステム不備に、みずほ証券側の発注管理体制の不備という不注意が競合した結果生じたとして、過失相殺を行った。

2.若干の雑感

先例のない事件について、東京高等裁判所が、真剣に取り組んで、穏当な結論を導き出そうとした丁寧な判決であるように思われる。とりわけ、狭義のシステム提供義務の存否及び重過失の有無の判断のプロセスは、法律家としての立場からは手堅いものといえそうである。重過失の有無を客観的注意義務の違反として評価する判断枠組みは先例的なものとなる可能性もある※2。後知恵を排除しようという姿勢はきわめて適切であり、専門家の間で意見が分かれていることに着目して重過失を認定しなかったことも民事裁判の枠組みとしては一般論としては穏当である。
しかし、システムの提供義務を認める以上、―「このバグを回避するのは困難」と言ってくれる専門家を被告が用意すれば、「重過失とは判断できない」ということでよいのかという問題もありうるし―なによりも、みずほ証券による本件誤発注が類型的に珍しいものでないのだとすると、きちんとテストしなかったことが重過失にあたらないという結論には納得できない面も残りそうである。
もっとも、売買停止義務の存否及び重過失の存否についての判断枠組みの設定とあてはめも丁寧になされているといえよう。ただ、9時35分以降の東証の義務違反につき、みずほ証券の発注管理体制の不備を根拠として、過失相殺を行うことの論理は十分ではないように見えるのは画龍点睛を欠くの感がある。たとえば、自分のミスで怪我をして、病院で治療を受けたところ、医療過誤により後遺症が残ったような場合に、医師または病院の損害賠償責任につき、怪我をしたのは患者のミスだからといって過失相殺が認められるとは思われないからである。

3.上告か上告受理申立てか

平成25年8月7日に、みずほ証券は東京高等裁判所の判決を不服とし、最高裁判所に上告したと発表したと報道されている。しかし、わが国の民事訴訟においては、判決に憲法違反があること(民事訴訟法312条1項)を別とすれば、高等裁判所の判決の「内容」に不服があっても、「判決に理由を付せず、又は理由に食違いがあること」(民事訴訟法312条2項6号)ぐらいしか、上告理由としては認められない。したがって、上告受理の申立てを行ったのかもしれない。そうであれば、最高裁判所が、「法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認め」てくれるかは見ものである。

  • 判決の詳細は、Westlaw Japan 東京高判平成25年7月24日文献番号2013WLJPCA07246001を参照。
  • 従来の議論を分析したものとして、たとえば、道垣内弘人「『重過失』概念についての覚書」『民法学における法と政策(平井宜雄先生古稀記念)』537-569頁(有斐閣、2007年)参照。大判大正2年12月20日民録19輯1036頁や最判昭和32年7月9日民集11巻7号1203頁などは、「重過失」とは、通常人に要求される程度の相当の注意をしないでもわずかの注意さえすれば違法有害な結果を予見することができた場合であるのに漫然これを見過ごしたようなほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態をいうとしていた。また、最判昭和51年3月19日民集 30巻2号128頁は、国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約25条1項にいう「訴が係属する裁判所の属する国の法律によれば故意に相当すると認められる過失」とは、我が国の法律上、「重大な過失」を意味するものと解すべきであるとしたうえで、「Yの従業員において、わずかな注意をしさえすれば、たやすく手違いであることが分かつたはずであり、そのような手違いがあれば、本件木箱が滅失するであろうという違法有害な結果の発生を予見することができた場合であるのに、著しく注意を欠如した結果、これを見過ごしたものであるということができ、したが つて、本件木箱の滅失は、Yの使用人が職務を行うに当つての重大な過失により生じたものであるといわなければなら」ないと判示した。さらに、失火責任法上の重過失に関する最判昭和32年7月9日民集11巻7号1203頁は、「重大な過失とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すもの」としていた。
    他方、下級審裁判例は、故意と対比して重過失を判断するのではなく、業務上の注意義務違反がある場合には、それをもって重過失があると判断するものが多いと指摘されている(潮見佳雄『不法行為法』170頁(信山社、1999年)。
    学説においても、重過失とは、著しく注意義務を欠いたものをいうとする見解が伝統的な通説であるといわれてきており(加藤一郎『不法行為法(増補版)』75頁(有斐閣、1974年))、最判昭和32年7月9日と同様、重過失を、ほとんど故意に近い著しい注意の欠如であると解するものもある(四宮和夫『不法行為法』339頁(青林書院、1987年))。しかし、近時では、過失を一定の義務違反ととらえて、一般人に要求される注意義務を著しく欠く場合をいうという見解(前田達明『民法VI 2(不法行為法)』253頁(青林書院新社、1980年))や注意義務違反の程度が特に著しい場合をいうとするもの(幾代通=徳本伸一『不法行為法』45頁(有斐閣、1993年))がある。

(掲載日 2013年8月21日)


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