今週の判例コラム

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第344号 公権力が有する無罪確定者のDNA型等のデータ抹消をめぐる事件の控訴審判決  

~名古屋高裁令和6年8月30日判決※1

文献番号 2025WLJCC009
広島大学法科大学院 教授
新井 誠

Ⅰ 事実の概要
 一審原告Xは、一審被告建設会社従業員に暴行を加えたとして逮捕、勾留、起訴等されたものの、無罪判決(確定)を受けた。そこでXは、警察により違法な逮捕、取調べ及び捜索差押えを受けたとして一審被告県に対し、また検察により違法な勾留請求及び勾留期間延長請求をされたとして一審被告国に対し、それぞれ国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求をした。さらにXは、一審被告建設会社従業員が虚偽の被害を訴えたとして、当該従業員と一審被告建設会社に対してそれぞれ損害賠償請求をした。原審の名古屋地裁判決※2(以下「本件原審判決」という。)は、Xによるこれらの請求を棄却した。
 他方、当該暴行事件の捜査で取得されたXの指紋、DNA型、顔写真及びX所有の携帯電話の各データを国(警察庁)が無罪判決確定後も保有し続けることについて、Xのプライヴァシー権を不当に侵害するとして、Xは、人格権に基づいてこれらの各データの抹消を求めた。これらの点につき本件原審判決は、Xの指紋、DNA型、顔写真情報(以下「本件3データ」という。)の保管の必要性がなくなったとしてこれらのデータの抹消を命じる一方で、携帯電話の情報に関する請求を棄却した。
 以上を受けて、X及び一審被告国がそれぞれ控訴した。

Ⅱ 判決の要旨
 一審被告建設会社従業員及び一審被告建設会社に対し、Xに損害賠償請求の一部を支払うよう本件原審判決を変更し、その余の請求をいずれも棄却。
 Xのその余の本件控訴及び一審被告国の本件控訴をいずれも棄却(Xの指紋、DNA型、顔写真情報の3つのデータの抹消を命じた本件原審判決を維持)。

1.指紋、DNA型及び被疑者写真のデータベース化について
(1)憲法13条※3と個人の私生活上の自由

 何人もみだりにその容貌・姿態を撮影されない自由及びみだりに指紋の押捺を強制されない自由、みだりにDNA型を採取されない自由を有することに加えて、「憲法13条に基づく個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、少なくとも、個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有しているものと解される」。

(2)指紋、DNA型に関する情報の性質
 「指紋は、これを有する本人自身においても、意識的にこれを観察するなどしない限り、通常これを認識し、記憶しているものではないし、DNA型に至っては、専門技術的な鑑定によって初めて検出されるもので、本人自身においてさえ、これを知っていることが稀有な情報であり、特定のもののみ登録、管理され、他者に対する開示が予定されていない情報という性格を有しており、このように自分も知らない自分自身のことを、第三者が知って、これを保有、管理し、利用するということ自体、一般人の感受性を基準として考えれば、誰にとっても耐え難いことであるということは、その性質上明らかであって、氏名等に比べれば、格段に高い秘匿性が認められるべきものであり、それゆえ、公権力からみだりに取得されない自由が保障され、みだりに保有され、利用されない自由が保障されるものと解される。さらに、秘匿性とは異なる観点からも、これらの公権力からみだりに取得されず、利用されない自由が検討されるべきものと考えられる。すなわち、国民個人の私生活に対する公権力による監視、介入等の行使に対する自由という観点からすると、例えば、犯罪捜査等にこれらが誤って利用されたり、恣意的に利用されたりした場合には、国民個人の人身の自由への侵害にまで及び得るものであり、DNA型や指紋がほぼ絶対的な証明力を有し(少なくともこのように考えられてしまうことが多々ある。)、これを覆すことが容易でないことは、公知の冤罪事件の事例を見ても明らかであることなどからすると、これらの情報は、個人の思想信条、病歴、犯罪歴等の情報に劣らない要保護性の高い情報であるということができる(なお、上記のような特質から、個人の思想信条、病歴、犯罪歴等の情報と同程度に秘匿性の高い情報であるということもできる。)。また、DNA型については、これを基に親族関係等を割り出すことができるものと考えられ、そうすると出自ないし出生の秘密等の個人や家族にとっての本質的かつ機微にわたる情報に結びつく可能性が高いものであり、国民個人の私生活ばかりでなく、根本にある人格的生存ないし尊厳にまで深く関わるものというべきである」。
 「特に、DNA型については、DNAの性質からして、本人の認識のないままに何時でも何処にでも容易に付着し、残留し得るものである。例えば、使用済みのマスクや、飲み終わった飲料水の缶、タバコの吸殻等にも付着し得るものであり、爪や毛髪からも抽出可能であって、第三者によって、このような廃棄物等が犯行現場やその周辺等に持ち込まれる可能性も否定できないし、このような作為等がなくても偶然遺留される可能性もある。したがって、公権力によるDNA型の採取、保管及び利用に厳格な規制がなければ、恣意的に悪用されたり、誤用されたりして、誤認逮捕されたりするなどの危険が常に生じ得るのであり、そのような状況下において、一般人が警察等の捜査機関によって犯罪行為等と容易に結びつけられ得るという意識の下に、DNAの付着ないし残留に日々注意しながら生活を送るというのは、一般人の感受性を基準として考えれば、その心理的負担は非常に重く、おのずと日常生活における行動が抑制的にならざるを得なくなるものといえる。このような事態は、単に個人の主観的、抽象的な不快感や不安の念といった気分的な問題にとどまるものではなく、権利ないし自由に対する具体的、現実的かつ重大な制約となり、私生活の平穏が害され、行動が萎縮させられたりするのであって、広く国民個人の私生活全般に重大な影響を及ぼすものであるといわざるを得ない」。
 「容貌・姿態に係る被疑者写真については、もともと容貌・姿態は外部に晒されているものであり、加齢等によっても変容するものであるから、指紋及びDNA型と些か性質が異なる(ただし、AIの進歩等により、指紋やDNA型に近い性質を持つようになってきている・・・・・・。)が、みだりに撮影されない自由が認められることは既に説示したとおりであり、データベース化して使用する問題は共通するものであるから、基本的に指紋及びDNA型の場合と同様に論じることが相当であるというべきである」。

2.本件3データの削除の可否
(1)根拠規則に関する評価
 「確かに、個人に関する情報がみだりに利用されない自由が憲法上の権利であり、個人のDNA型や指掌紋等においても、それらがデータベース化されることによって不当に利用されたり、誤って利用されたりする可能性があり、それに起因して当該個人の私生活の平穏が害され、実際に不利益が及び得る客観的な危険性が存する以上、本来は、そのようなことを防止するための国会による立法措置が必要であるというべきであって、警察法という組織法による下位規則等への委任では不十分であるといわざるを得ない。現に、ドイツや韓国をはじめとして、我が国と同様に、自由権等の国民の基本的人権を重視し、その保障を標榜している諸国においては、前述したとおり、既に立法による適正な規制措置が当然のごとく採られているのであり、我が国においても、取得や保有の要件を明確にし、捜査機関から独立した公平な第三者機関による実効性のある監督や、罰則等による運用の適正を確保し、開示請求権や不当な取得や保有に対する抹消請求権を定めるなど、幅広い知見を集めた上、国民的理解の下に、科学的な犯罪捜査等に資するため、憲法の趣旨に沿った立法による整備が行われることが強く望まれるところである」。
 指掌紋取扱規則等が法令に基づいて制定されていることについては、「不十分ではあるものの、全く何らの規制も存在しない状態よりはましであるといえ、直ちに法律の委任によらないものとまではいえない」。「ただし、国民の基本的人権に関する領域に深く関わるものであり、本来的には法律によって定められるべき事柄であることからすると、これらが存在することを根拠として、国民の自由や権利利益を制限することを正当化することは許されないものというべきである」。

(2)情報の「採取」、「保管」、「利用」
 「当該被疑者について、一般国民とは異なり、これらの保管及び利用を正当化できるだけの根拠が具体的に主張立証されなければならないというべきである。そして、このように解さなければ、国民一般について、その承認さえ得れば、捜査機関等が、公益を理由にDNA型、指掌紋及び顔写真を採取し、これらを保管及び利用することが許容されることになってしまいかねないのである(捜査機関が、日本国内に居住する全ての者(捜査機関に属する者も含む。このような立場にある者も犯罪行為を行うことがあるのは公知の事実である。)のDNA型、指掌紋及び顔写真を採取し、保管して、これらを利用し、AIを活用するなどすれば、当然ながら犯罪捜査が容易になるのであり、このことのみに着目すれば公益に合致するともいい得るが、公益ないし公共の福祉を理由にこのように広範な人格権や自由への侵害を伴う国民の管理、統制を行うことが到底許容されるものでないことは明らかであろう。また、検察庁や警察庁等の捜査機関に属する者であっても、喜んでこれに協力し、自らDNA型、指掌紋及び顔写真を差し出して、被疑者らのデータベースに含めて保管及び利用することを承諾するとは考え難い。犯罪者らから、逆に悪用され、陥れられる可能性もある。)。そして、法の下の平等(憲法14条1項)という面から考えても、一度被疑者(無罪推定がされている。)とされただけで、一般国民とは異なり、一度採取についての承諾をしてしまうと、保管及び利用についてこのような不利益を受忍しなければならない地位に置かれる(差別される)という根拠は見出し難いのである。すなわち、抽象的には公益に資することであったとしても、国民の基本的人権に関わり、行政機関が国民一般に対してこれを行い、その権利ないし自由を制限して不利益を受忍させることが相当とは認められない行為については、これを特定の者ないし一部の者に対して行うためには、公益に資するということや公共の福祉を一般的、抽象的に主張するのでは足りず、一般国民とは異なり、その者に対してはこれを行うことが許され、その者は権利や自由を制限されることを受忍しなければならないという具体的な根拠が必要であり、行政機関はこれを主張立証する責任があるといわなければならない」。

3.一審被告国の補充主張について
 「一審被告国の補充主張はいずれも理由がなく、DNA型等について、国民は、これらをみだりに取得されない自由だけでなく、みだりに保有、利用されない自由を有するものと認められ、人格権に基づく妨害排除請求として、一審原告の本件3データの抹消請求が認められるべきことは明らかである」。

Ⅲ 検討
はじめに

 本判決は、国が有する無罪確定者のDNA型等のデータについての抹消を求めた事件の控訴審判決である。本件原審判決は、同事件のXが所有する携帯電話データの抹消請求は認めなかった一方で、指紋、DNA型、顔写真の本件3データは抹消請求を認めていた。これらの憲法上の論点は、本判決も基本的に本件原審判決に沿うもので、その判決理由につき必要なところのみ文章の補正や追加をするタイプの判決である。もっとも、本判決には、いくつかの特徴がある。
 1つは、本件原審判決と異なり、(Xが無罪となった元の事件において)Xに突き飛ばされたかのように装ってそうした虚偽の供述をしたとしてXが訴えていた私人である一審被告建設会社従業員については「虚偽の被害申告及び被害状況の再現や供述を行わなければ、一審原告は、現行犯として逮捕され、勾留され、起訴されることはなかったし、一審被告国に本件3データが取得されることもなかった」として、Xによる損害賠償請求を裁判所が認める判断をした点である(ただし、本コラムでは憲法の論点を中心に扱うため、その論点はこれ以上触れない)。
 もう1つは、憲法上の論点が中心となる「争点4(一審原告の一審被告国に対する本件各データの抹消請求の可否)」の部分について、補正・追加の部分において地裁以上に踏み込んだ特徴的な記述を展開している点である。
 本稿筆者は、本判例コラムにおいて本件原審判決に関する憲法上の論点について既に分析している※4。そこで本件の基盤となる憲法上の論点については同稿もあわせて参照いただきつつ、本稿では、本判決で新たに追加された理由部分に注目をしながら、本判決と本件原審判決との比較を通じた検討を行いたい※5

1.憲法上の諸権利に関する記述
 本件原審判決は、憲法13条で保障される「私生活上の自由」に含まれるものとして、「みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由」、「みだりに指紋の押捺を強制されない自由」、そして「みだりにDNA型を採取されない自由」を有するとしていた。本判決は、これらに加えて「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有しているものと解される」とし、続いて、本件原審判決が示した「取得された後に利用されない自由をも含意している」という。このように本判決は、本件原審判決では言及のなかった「第三者に開示又は公表されない自由」を明示している。本件では、個人情報を第三者に開示・公表する事態が含まれているとはいえないことから、この追加の射程の積極的意義がどこにあるのかを的確に判断するのは難しい。もっとも、取得者自身の利用とともに他者への開示等をしないということは、情報の「取得」後にそれをいかに「扱う」べきか、という点で共通する。そうした意味において「扱う」ことをめぐっての憲法的統制を、より明確にすることに主眼があるように思われる。
 本判決でもう1つ注目すべき点としては、憲法14条1項※6に関する記述が付与されていることである。具体的には、刑事事件における被疑者については、DNA型や指紋(顔写真を含む?)の採取を一度承諾すると、一般国民と異なって、それだけでこれら情報の保管や利用についての不利益を受忍しなければならず、また、これによる差別を受けるといったことを問題視する。そこで、「一般国民とは異なり、一審原告の本件3データがその意に反して捜査機関に保管されていること」が憲法14条1項にも反するとする。このような平等原則論の採用をめぐっては、憲法13条の諸権利が認められた以上、当該主張が必要なのかどうかといった議論があるかもしれない。しかし本件問題が、一般国民との間で、(元)被疑者が「差別される」(本判決)可能性があるといった視点が固有に示されていることにも大きな意義があると考えられる。すなわち、一般国民以上に被疑者の場合の方が、こうした情報を必要以上に採取されることから生じる効果の差別性に注目しているというわけである。このように平等原則にも言及している点も、本判決の大きな特徴であろう。

2.「指紋、DNA型に関する情報の性質」を中心とした要保護性をめぐる独自の議論の展開
 本判決は、指紋やDNA型の情報自体が有する性質を説明した上で、これらの情報自体の秘匿性の視点からの重要性について述べている。この点、本件原審判決は、氏名、生年月日、性別及び住所に比べればDNA型情報等は各段に秘匿性があるとしながらも、他方で思想信条や病歴、犯罪歴に関する情報等と同程度に慎重に扱われなければならない情報ではないとしており、その点、本判決も、秘匿性の視点から考える限りで、その点を首肯していると考えられる。ただ、本判決の方が、DNA型情報等の固有の性質について詳しく取り上げているように思える。すなわち、「指紋は、これを有する本人自身においても、意識的にこれを観察するなどしない限り、通常これを認識し、記憶しているものではないし、DNA型に至っては、専門技術的な鑑定によって初めて検出されるもので、本人自身においてさえ、これを知っていることが稀有な情報」だとするように、これらの情報は、我々が普通に生活しているなかではあまり意識していないなかで、第三者がこれを知るということへの違和感を述べている点が、固有に重要なこととなる。
 他方で本判決は、本件原審判決とは異なり、秘匿性の観点からとは別に、公権力の監視という視点からのDNA情報の重要性について述べている点に注目したい。この点、本件原審判決は、これら2つの観点を区別せずに、個人の思想信条、病歴、犯罪歴の情報ほどまでにDNA情報の要保護性は高くないことを示していたと思われる。これに対して本判決は、その後者の視点からすれば、DNA情報も、個人の思想信条、病歴、犯罪歴の情報と同程度の保護が及ぶとする論理を導きながら、続いて「公権力の監視」としての側面があることを分析するのである。
 もう1点、本判決が、DNA型については、その性質上、本人がわからないままにどこにでも残る結果、恣意的な悪用等がされやすく、さらに、これにより人々の行動を委縮する可能性があることにまで踏み込む点が注目される。そして、このようなことへの心配が、「単に個人の主観的、抽象的な不快感や不安の念といった気分的な問題」ではなく、権利や自由に対する具体的、現実的な重大制約となり得ることを明示している。

3.指掌紋取扱規則※7等を支える警察法の評価
 指掌紋取扱規則は、警察法81条※8及び同法施行令13条1項※9に基づいて制定されたとされる。この点については、かねてより、警察法が、作用法ではなく組織法としての性質を有する法律であることから、この法を根拠として作用法的要素をもつ当該規則のようなものの根拠とはなり得ないのではないか、といった疑問が呈されてきた※10。この点につき本件原審判決は、指掌紋取扱規則等がこのような法令に基づいていることについては「適法な法律の委任によらないものとまで認めることはできない」としていた。
 これに対して本判決は、より厳しい論調で、現状の運用について実質的には法治国家の原則に沿っていないことを強調する。具体的には、本来「国会による立法措置が必要であるというべきであって、警察法という組織法による下位規則等への委任では不十分である」としながら「不十分ではあるものの、全く何らの規制も存在しない状態よりはましであるといえ、直ちに法律の委任によらないものとまではいえない」としているように、「不十分」や「まし」といった表現を使い、警察法に基づく規則制定について実質的には本件原審判決に比べてはるかに厳しい評価をしていると考えられる※11

4.犯罪捜査という「公益」を理由とした、容易な情報の採取、使用、保存に対する批判
 本判決は、情報のデータベース化を全て許さないものではなく、また、再犯の捜査のためにこのようなデータを用いることもできないとするわけではない。ただし、このような情報の採取が犯罪捜査という公益にとって重要なことであるからとして、承認さえ得られれば、何でも採取(そしてその後の使用、保存)できるようになるわけではないということを、人権論の視点から厳格に再確認をしている。そうであるからこそ、抽象的な公益に資するからといって、公権力が、被疑者等の特定者に対して情報を差し出すことを求め、その情報を必要以上に保管したり利用したりすることを広く認めることは許されず、「一般国民とは異なり、その者に対して」それを特に行うことができることの具体的根拠を強く求めるのである。抽象的な理由から、より具体的な根拠を求める手法は、国家権力による人権制約を抑制的に捉える場合の裁判論理として、しばしば用いられることであり、本件におけるこのような論理も首肯できる。
 そのような論調の下で本判決は、そもそも犯罪被疑者は、DNA型の採取を拒否しづらい状況が作り出されているなかでの採取を求められていることにも注目し、特に本件では、それがやみくもに採取された可能性があることを諫めている。さらに本判決は、そもそも本件のような事例で「採取」でさえも本当に必要であったのかという点の疑いの言葉が数か所にわたってちりばめられている。こうなると、仮に本件における情報採取の具体的根拠があったとする主張がされたとしても、それ自体が本当に必要なことであったのかどうかが問われる事態となったといえる。

5.刑事訴訟法218条3項※12による指掌紋「採取」や顔写真撮影の承諾と事後的「使用」
 本判決は、本件における指掌紋採取や顔写真撮影が刑事訴訟法218条3項に基づくものであるとはしつつ、それが「取得」の根拠とはなるものの、「当該刑事事件の捜査を離れたその後の利用を当然に許容しているものではない」ことを明言する。この点、本件原審判決は、「当該刑事事件の捜査を離れたその後」という点について重きを置かず、「取得」と「利用」との一体性を捉えていたように思える。具体的には、本件原審判決による「刑事訴訟法218条3項に基づき、身体の拘束を受けている被疑者の指紋の採取や写真撮影を行い、これらを犯罪捜査のために使用することは許されており、また、被疑者等の承諾を得た場合にも同様に許されるというべきである。通常は、指紋及びDNA型の取得は、後に使用することを企図して行われるのであるから、取得が許される場合には同時に使用も許されるものと解される。」という記述にそれが見て取れる。これに対して本判決は、この文章をそのまま残しつつも、最後の「同時に」の後、「使用も許される」の間に、執拗にも「当該犯罪の捜査等における」という文言を加えている。このことからも、本判決は、「取得」した情報の「利用」可能範囲を「当該犯罪の捜査」等のみにすることで、本件原審判決に比べた限定的解釈を施しているのである。
 他方、DNA型については、そもそも「未だに刑事訴訟法上の規定すら存しないことは非常に問題である」としながらも、本人の承諾があったことを、“かろうじて”認められるラインとしている。もっとも、ここで示されることの本音は、一定の何らかの規定があるか、そうした規定がなかったとしても本人の「取得」の承諾さえあれば、そうした規定を限りなく広く解釈し、取得から利用までの広い権限行使が可能となるような、現在の法制度の仕立てとその運用に対する強い批判が展開されたものだといえよう。

6.国の補充主張に対する全面的否定
 本件では、様々な視点からの国側の補充主張が示されている。その内容は、憲法13条で保障される権利の射程を狭く捉えようとするものや、情報管理の適切性や、DNA型情報の利用に関して被疑者による承諾を経るものにする場合の犯罪捜査への支障といったもの等を理由とした、国側の運用の妥当性を担保しようとする多岐にわたる説明であった。しかし本判決は、これらをことごとく否定し、反論を加える。その内容は、既に上に登場したようなこと等が中心であることから繰り返さない。もっとも、重要だと考えられる説示の1つとして次の部分のみを挙げておこう。それは、「韓国法のような立法が仮に我が国においてもされていたのであれば、一審原告に対する無罪判決の確定によって、本件3データは各データベースから当然に抹消されていてしかるべきところであった。しかるに、そのような規定を含む法律の整備すら未だにされておらず、一審被告国が正当な理由もなく、一審原告の求める本件3データの抹消を拒んでいるがために、既に無罪が確定した一審原告において、自らの権利を守るために本件のような訴訟を提起せざるを得なくなっているのであり、このような事態は、極めて問題であるといわざるを得ない」とする部分である。このように本判決は、特に無罪判決を受けた人々の犯罪捜査情報についてのデータベースからの抹消につき、現状、具体的な法制度が整備されていないこと自体に強く警鐘を鳴らすものである点が注目されることとなる。

まとめにかえて
 冒頭に述べたように本判決は、本件原審判決を追補する形での判決であり、基本的には本件原審判決の主旨を踏襲したものであり、そして最終的には、犯罪捜査に係る情報取得やその後の保存、利用、さらにその廃棄をめぐる現状の制度や法運用について違法であることを述べてはいないという性格を持つものであった。もっとも、その内容を精査する限り、本判決は本件原審判決に比較すれば、相当程度、現状の制度や運用について実質的には「違法」な状態にあることを示しているものであったという印象を持つ。本判決は、結果的に国が上告を断念し、最高裁による判断が見られないこととなったが、そのこととは関係なく、今後、このような制度・運用自体の問題点を明確にし、きちんとした法整備が求められるべきであろう。
 なお付言して、もう1点、以下のことを示す。本件では、本件原審の時から、研究者による意見書の存在が重視され、そのなかに登場する外国法についての知見が、判決の結論を示すにあたって相当程度参照されている(本判決では、特に小山剛教授による意見書内の〔本件原審判決では省略されていた〕韓国法に関する情報が、判決理由内で追加的に引用されており、このことが上述のように「韓国法のような立法が仮に我が国においてもされていたのであれば」という裁判所の言葉を引き出すに至っている)。外国法参照に関するコメントについては本稿筆者の本件原審判決のコラム※13をご覧いただくとして、ここでは裁判官による研究者の意見書の参照についてコメントしたい。
 近年、憲法関係の訴訟においては、これまで以上に憲法研究者の見解を求める意見書が提出されつつある印象がある。もっとも意見書には重要な問題に対する疑問の提起や情報の提供がなされ、それに対する一定の論理的回答を求めているものもあるにもかかわらず、裁判官によっては、そうした部分について、それを十分に参照したのか(そもそも読んでいるのか)どうかさえもわからないような判決理由を示すものも多くある。そうしたなかで本件原審判決及び本判決は、研究者の意見書との積極的対話を通じた一定の結論を示していると考えられる点について敬意を表したい。今後もこうした知見が判決において実質的に参照されるような判決の出現を期待したい。


(掲載日 2025年3月25日)



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