― 刑法学の泰斗、前田雅英日本大学大学院法務研究科教授は、判例を重視した研究姿勢と800編に及ぶ論文・判例評釈の精力的な執筆で知られています。その精力的な論文執筆を支えているのは、〈Westlaw Japan〉の判例データベース。実質的な法規範として、判例の機能をどう読み解いたらいいのか。その着眼点をお聞きしました。
― 先生がご執筆された論文や判例評釈の数は群を抜いて多いですね。
前田 学者にとっての論文や判例評釈は「メッセージ」であり、死ぬ時までにどのような内容の論文をどれだけ書いたかで、評価されるのだと思います。私は、以前は正月だけは仕事を休んでいましたが、いつでもデータベースで判例にアクセスできるようになった今は、正月も仕事をしています。〈Westlaw Japan〉のヘビーユーザーであり、データベースが仕事を加速していると言えるわけですが、「毎日使っているので非常に得をしている」と思っています(笑)。最近、文献や評釈などがずいぶん充実してきたと感じています。
― ありがとうございます。先生はなぜ、判例評釈にこだわりを持たれているのでしょうか。
前田 それは判例がわが国の法規範として重要だからです。私は実務家向け雑誌『捜査研究』(東京法令出版)に判例評釈を毎月連載し、できる限り最新の判例を紹介するよう努めています。その理由は、わが国の法的な規範を作り上げているのは、実は条文以上に、判例だからです。日々動いていく事実に立脚し、判断には国民の規範意識が投影されています。このことをもっと伝えたいのです。
ここでひとつ、有罪と無罪の分水嶺が、条文の中に見えない例を挙げましょう。「銃でaを狙って撃ったら隣のbに当たって死んだ」という場合、bに対する殺人罪は成立するでしょうか?刑法学における「事実の錯誤」の問題ですが、ドイツでは具体的法定符合説をとり、狙ったaに対してしか殺人罪を認めず、bに当たったら過失致死を成立させます。しかしわが国の判例は法定的符合説に立ち、流れ弾が当たった場合、bへの殺人罪を成立させています。わが国では「bに対する殺人既遂にしていい」という、一般の価値観を裁判に反映させているということだと思います。これは中国やアメリカと同じ結論です。条文の解釈としては、論理的にはドイツ型のものも十分成り立つのですが、判例は日本の国民の価値判断を反映させているのです。
わが国の法律学は長く条文解釈優先、形式的理論優先が続いてきましたが、法曹養成制度改革により、司法試験ではまず判例を定義して考えを展開することが求められるようになりました。その影響で、法学部教育までもが判例中心にシフトするという変化が起きています。
法律学は「aだからb、bだからc」と言うように、論理の運びは単純です。しかし現実の裁判は、このような直線的な論理では動いていません。法的判断は油絵が何回も上塗りするのと同じように、具体的事実を丹念に拾い、重ね合わせることが重要で、重層的な構造をしているのです。証拠の中には有罪になる理由もあるし、無罪になる理由もある。それらをトータルして有罪か無罪を決めているのが現実です。「主観と客観を混ぜてはいけない」とよく言いますが、実際の裁判では主観と客観はない交ぜになっており、倫理的な問題すら考え合わせて判決が下されています。
― 先生は特に判例の規範性を重視されていますが、その「目の付けどころ」は?
前田 まず、実務上「判例」と言えるのは最高裁判例のみであり、高裁以下の下級審の判決は「裁判例」と呼ばれ、分けられていることに注意が必要です。
判例は必ず全文を読み、次にキーワードと判旨をもう一度見直して、理解を正確なものにしています。過去の判例を見る場合、おおむね時代が平成になってからの判例、特に10年以降が重要だと考えています。影響の大きなもの
以外は、あまり古い判例はそれほど参照されません。有用なのは昭和50年以降のものというのが目安です。
判決文の「当裁判所の判断」の部分には多数意見が書かれています。ここが、判決の核となる規範として最も重要です。判例の読み方は、「どちらが勝ったか」をピンポイント的に見るのではなく、「多数意見がどう形づくられているのか」を読み解くことこそが大切なのです。「多数意見だけが判例である」と言っても過言ではありません。学者やマスコミはよく、自分の主張に近い補足意見や反対意見をクローズアップするのでわかりにくくなっているのですが、判例の本質は多数意見にあり、補足意見・反対意見には、法的拘束性という意味では実は意味がないと言えます。
もうひとつのチェックポイントは、「誰が裁判長として判決を書いているか」です。最高裁判事は法律実務家の中で一番権威がありますが、「どの判事が意見形成のメインを取っているのか」、すなわち、誰が裁判規範を作っているのか、下級審の裁判官たちもそこに注目しているのです。もちろん、補足意見や反対意見などいろいろな議論があって最高裁判決は成り立っているのですが、多数意見のバランス感覚、結論づけに至るセレクションこそが法規範の生成の流れであり、それを担っている最高裁判事が法規範の担い手と言えるのです。このように判例とは重層的な構造を持つものなのです。
実務で最高裁判例に準じるものとして扱われているのが『高等裁判所刑事判例集』(高刑集)です。最高裁判例に準じる重みを持つものとして扱われているのです。データベースサービスでも、高刑集の掲載がもっと早くなるといいですね。
― 先生はデータベースを相当に使い込まれておられますね。
前田 連載は最新判例を早く紹介することに力を入れており、私の仕事は〈Westlaw Japan〉の収録と追いかけっこになっているところもあるわけです(笑)。
〈Westlaw Japan〉における判例の収録スピードは、判決が出てから掲載までのインターバルが圧倒的に短く、その収録件数にも満足しております。また、出典・評釈情報も迅速かつ網羅的に収録されているのが魅力ですね。さらに、〈Westlaw Japan〉では裁判官情報も充実していますので、「人」をキーにトレースすることもできます。
ですので、毎日〈Westlaw Japan〉の新しい判例をチェックしております。私は、メインデータベースとして〈Westlaw Japan〉を使っています。
〈Westlaw Japan〉はどんどん改良されているのが感じられますが、画面の基本的な構造は堅持されていますね。〈Westlaw Japan〉の画面構造はとても分かりやすく、肌に合います。特に、画面の左側に検索結果リストが、右側に「要旨」と「全文」タブが表示されるレイアウトがとても使いやすく感じます。日本大学では他社のデータベースにも全て接続していますが、私は〈Westlaw Japan〉しか使っていません。他社のものは、たまに裏付けを取るのに使う程度
です。
雑誌『判例タイムズ』に掲載される最高裁判例のコメントは、判例の趣旨を知る上で重要で注目されています。それが〈Westlaw Japan〉でチェックできるのは大変便利ですね。私たちが叩き込まれた論文の「引用の作法」としては、『最高裁判所刑事判例集』(刑集)→『判例時報』→『判例タイムズ』の順というルールでしたが、今は判例タイムズの順位が先になっていることも多く、データベース普及がもたらした様変わりと言えます。
データベースの発達は、われわれの学問の方法を大きく変えました。かつては紙の判例雑誌から手で抜き書きしてコピーしたり、カードにまとめて整理していたのです。コンピュータ時代が到来し、私はこの目でデジタル環境の発達を見てきましたが、いまや〈Westlaw Japan〉をはじめとするデータベースは、研究の網羅性とスピード化に大きく貢献しているのです。
〈Westlaw Japan〉は、分かりやすいインターフェースで、網羅的なコンテンツを正確かつ迅速に収録することを実現しているデータベースです。一方で、ユーザーはプロフェッショナルなので、一つ間違いを犯したり手を抜いたりすると、すぐにそれが分かるし、他にも有るのではないかと疑われてしまいますので、これからも緊張感を持って制作に取り組んで欲しいですね。
(※敬称省略)
日本大学大学院法務研究科
教授 前田 雅英 氏
東京大学法学部卒業。東京大学助手。東京都立大学教授。
首都大学東京法科大学院教授等を経て日本大学法科大学院教授。