判例コラム
(旧)コラム

 

第61回 1880年6月17日付ニューヨーク・タイムズの記事

成城大学法学部教授
成田 博

West Publishing Companyは、1879年、Northwestern Reporter(New Series)を刊行、翌1880年の3月2日にはFederal Reporterの刊行に踏み切った。それから暫くして、同じ年の6月17日、ニューヨーク・タイムズは、この企てに対する論評を載せた※1

ウエストは連邦下級裁判所の判例全てを速報すると言っているが、連邦にはCircuit Courtが9つ、District Courtが63もあって、それら全てについて、毎週、これを速報するというのは不可能ではないかと、その記事はウエストの企てに懐疑的な見方を示した。それと同時に、そのような重要な仕事が民間企業に委ねられたままであるのは実に奇妙であるとも書いた。そうしたことは、本来、国家のなすべき仕事ではないのか、というわけである。

その当時はいまだadvance sheet〔=暫定版〕はなかったが、週単位で刊行される速報を数冊束ねてある程度の厚さになったところで合本にしたから理屈は今と同じで、その合本になった第1巻の序文で、ウエスト社はニューヨーク・タイムズの記事に言及した※2。もっとも、ウエスト社は、その記事に反論するというよりは、むしろこれを逆手にとって、ニューヨーク・タイムズが当時の判例集の状況を批判した部分を引用し、ウエストに対する援護射撃として利用した。

それから100年以上のときが流れたが、今に至るも、連邦裁判所は下級審裁判所の判例を紙媒体では供給していない。1817年にReporter (of Decisions) に関する法律ができて、連邦最高裁判所判例集(U.S. Reports)の刊行は、その限りで公的なものとなったが、最終的にその刊行をGovernment Printing Office(GPO)が引き受けたのは1922年のことである。これによって何か変わったのかというと、依然として刊行は遅延したままである。それでも辛うじて、その存在が否定されないのは、判例を特定するについては公式判例集で引くという長年の慣行があるからである。もしも、判例集刊行遅延の状況に改善が見込めないままに連邦高裁、連邦地裁の判例集の刊行までもがGPOに委ねられることになるなら、事態は一層悪化するだけのことだろう。

ニューヨーク・タイムズは、上記の記事から僅か4ヶ月ほど後の同年10月2日、改めてFederal Reporterについてのコメントを掲載したが、そこでは、判例集の刊行は国家が主導すべしとの主張はなく、同判例集そのものについての好意的な論評がなされている※3。明言はされていないものの、そこには前回の記事の撤回あるいはそれに対する謝罪の意味も籠められていたのかも知れない。ただ、同紙のために多少の弁明を試みるなら、その当時、ウエスト社の発展を正確に見通せた者などおそらく一人もいなかった。それは、創業者ジョン・B・ウエストにしても同じであったに違いない。ウエストが、こののち、1883年にPacific Reporter、1885年にNortheastern ReporterとAtlantic Reporter、1886年にSouthwestern Reporterをそれぞれ創刊し、最終的にSoutheastern ReporterとSouthern Reporterの刊行によって全米をカヴァーするに至るのは1887年、ニューヨーク・タイムズの最初の記事が出たときから数えても7年の歳月を要している。ミネソタの地平線を若き日のウエストはどんな気持ちで眺めていたのだろう。

(掲載日 2009年6月1日)

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