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第32回 終末期医療と医師の刑事責任

おおとり総合法律事務所弁護士
専修大学法科大学院教授
矢澤 昇治

人は死ぬ。必ず死ぬ。しかし、その死に様も死に場所も、無限に多様である。巷間では、自宅で布団の上で死にたいとか、家族に迷惑を掛けるかけたくないので、病院などの医療施設で終焉を迎えたいなどと都合の良いこともいわれている。いかにももっともな願望である。しかし、死は、本人の意思とは無関係に突然やって来るのである。

ここで紹介する川崎協同病院事件では、気管支喘息患者が仕事帰りの車中で重積発作を起こし、心肺停止に陥った。同病院で緊急救命措置が施され、心肺は蘇生したが、大脳機能と脳幹に重篤な後遺症が残った。
須田医師は、発作発生の2日後の4日からこの患者の主治医となる。そして、13日、意識の戻らない家族の了解を得て、DNR(急変時に心肺蘇生措置を行わない方針)を策定し、自然死を迎えるための延命行為の差し控えである点滴の減少を開始していた。後で事件化される事は、16日に起きた。須田医師は、患者の家族の要請を受けて、気管内に挿入されていたチューブを抜管した。しかし、予想だにしなかった苦悶様呼吸が患者に生じた。そこで、それを鎮静化するためにセルシンとドルミカムを、それが治まらないので、やむなく筋弛緩剤(須田医師の主張するところでは、1アンプルを点滴により)を投与した。まもなく、患者は死亡した。
約3年後、須田医師の一連の行為は事件化され、須田医師は殺人罪で起訴されたのである。横浜地裁は、懲役3年の有罪判決、東京高裁は懲役1年6月の減刑判決を下した。2007年3月、当職はこの上告審を担当した。意思・意識がない「不可逆的に死に行く患者から生命延長の治療措置を取り上げることの道徳的・法的正当性如何という現代社会の最も複雑なディレンマ」に須田医師の弁護人としての答えを出し、わが国の最高裁判所にその判断を求めるためである。

控訴審判決に対して主張した法律論は多々あるが、わけても意識がなく意思表示できない患者の自己決定権(憲法13条の定める人格権)、家族の同意の法的評価、治療義務の限界論などである。また、第1審と控訴審が依拠した患者の余命と筋弛緩剤ミオブロックの薬効にかかる鑑定を批判の対象とした。非科学的で非論理的な鑑定が、自由心証主義を藉口して偏向的に採用されていないかの検証である。上告趣意書では、延命治療の差し控えと医療行為の中止や終末期医療における「急迫な死期」の考慮の必要性なども取り上げた。それらの一つ一つが生命倫理と法の倫理に直結する困難な問題であることはいうまでもない。私は、その趣意書の要旨を『殺人罪に問われた医師』(2008年10月、現代人文社)に著した。以前にも増して、生と死にたずさわる医師が医療行為の差し控えと延命治療の中止に逡巡し、刑事訴追の恐怖にさらされているからである。

(掲載日 2008年10月20日)

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