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判例コラム
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第61号 殺人未遂罪の公訴事実につき事実が認定できないとされた事案 

~横浜地判平成27年7月7日 殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件※1

文献番号2015WLJCC022
日本大学大学院法務研究科
教授 前田 雅英

Ⅰ 判例のポイント

パトカーの後部座席に乗っていた警察官に対してけん銃の銃口を向けて引き金を引いたが、弾丸が発射されずに殺害の目的を遂げなかったという殺人未遂の公訴事実について、被告人がけん銃の引き金を引いたという事実及びパトカーの後部座席の警察官に対する被告人の認識のいずれも認定することができないとして、当該公訴事実につき無罪とされた。

Ⅱ 事実の概要

本件殺人未遂の公訴事実は、被告人が、判示第2記載の日時場所において、同所に停車中のパトカーの後部座席に乗っていたA警部に対し、殺意をもって、その身体に判示第2記載の回転弾倉式けん銃の銃口を向け、弾丸を発射しようと引き金を引いたが、弾丸が発射されず、殺害の目的を遂げなかったというものである。本件における争点は、殺人未遂罪の成否、すなわち、①被告人が本件けん銃の銃口をパトカーの後部座席に向けて引き金を引いたか、②銃口を向けたとされるパトカーの後部座席にA警部がいたことを被告人が認識していたかが、争われた。
より具体的には、被告人が本件けん銃の銃口をパトカーの後部座席に向けて引き金を引いたかが争点となり、この点に関し、検察官は、(1)被告人にけん銃の銃口を向けられ、その際、人差し指が引き金にかかっていたとするA警部の証人としての公判供述、(2)被告人が、後部座席窓ガラスに正対し、同窓ガラスにけん銃を突き付けているときに、けん銃が上下に動くと同時にカチャカチャという音がしたが、その音はけん銃の引き金を引いたときに生じる音と同じであった旨のパトカーに乗務していたB巡査部長の公判供述、(3)パトカーに搭載された車載カメラの映像中の、映像表示時刻午後8時23分59秒から午後8時24分00秒の間に録音されている「カチカチ」というような音は、けん銃の引き金の音と考えられることなどを根拠として、被告人が本件けん銃の銃口をパトカーの後部座席に向けて引き金を引いたことが認められる旨主張した。

Ⅲ 判旨

横浜地裁は、A警部の証言について、「A警部が,銃口が自分に向けられているのを見たというのは,いずれも一瞬であり,その際の被告人の顔や視線の方向は確認していないことや,恐怖により混乱状態にあったと考えられるA警部の精神状態等を考慮すれば,・・・,銃口がA警部に向けられた瞬間があり,その際に人差し指が引き金にかかっていたという事実は認められるとしても,さらに,被告人が引き金を引いたという事実までは認めることはできない」とした。
そして、B巡査部長の証言の信用性を検討する。車載カメラ映像とマンションに設置された防犯カメラの映像につき、カチカチ音がした瞬間に相当する時間の防犯カメラ映像を見てみると、その際、被告人はパトカーの運転席脇付近を後方から前方へと移動中であったことが認められ、被告人が後部座席窓ガラスに正対し、同窓ガラスにけん銃を突き付けているときにカチカチ音が聞こえた旨のB巡査部長の証言と明らかに矛盾しており、B巡査部長は、パトカーのトランクを開けている際、バンという音がしたので音のした運転席側を見ると、被告人が後部座席窓ガラスにけん銃を突き付けていた旨も供述しているが、その音とカチカチ音との間には二、三秒の間隔があり、その間、被告人を何ら制止することなく様子を見ていたというのは非常に不自然であるとして、信用性を欠くとした(さらに、被告人を殺人未遂罪により現行犯逮捕した現場において、A警部に「被告人がけん銃の引き金を引いた」と告げていないことも不自然であるとした)。
そして、横浜地裁は、「カチカチ音」は、確かに本件けん銃の引き金を引いた音と類似しており、本件けん銃の引き金を引いたことによって生じた音である可能性は否定できないとしつつ、「これが同一の音であるとの科学的な解析結果に関する証拠はない」として、けん銃の引き金を引いたことによって生じた音であると認めるには疑問が残るとした。
被告人は発射後に弾倉を開いたことを否定する供述を前提に、差押え時における本件けん銃の実包等の装塡状況が、被告人が最後に引き金を引いた際に不発となったことと整合するためには、可能性の低い偶然の事情が存在しなければならないとして、カチカチ音が本件けん銃の引き金を引いた音と類似しているとしても、これが同一と認定するにはなお疑問が残るといわざるを得ず、被告人がけん銃の銃口をパトカーの後部座席に向けて引き金を引いたという事実を認定することはできないとした。
さらに、被告人がパトカー内にA警部がいたことを認識していたと認めることについても疑問が残るとし、A警部に向けてけん銃を発射しようとしたという殺人未遂罪の公訴事実については、無罪を言い渡した。
検察官は殺人未遂も含めた公訴事実に関し、懲役14年を求刑していたが、横浜地裁は、「法定の除外事由がないのに,所携の回転弾倉式けん銃で弾丸1発を発射し,もって不特定又は多数の者の用に供される場所において,けん銃を発射し,法定の除外事由がないのに,前記回転弾倉式けん銃1丁をこれに適合するけん銃実包6発と共に携帯して所持した」という事実のみを認めて、被告人を懲役5年に処した。

Ⅳ コメント

発砲事件発生直後の現場に急行した警察官に対する事件である。既に発砲していた容疑者の検挙の際の殺人未遂行為が問題となった。具体的には、身柄を確保しようとしていた容疑者が、至近距離から警察官に向けて発砲しようとしたが、不発に終わったという公訴事実である。銃口を向けられたのを見たし、引き金を引く音を聞いたとの(被害)警察官の供述と、パトカーに同乗していた警察官が、被告人が後部座席窓ガラスにけん銃を突き付けているときに、けん銃が上下に動くと同時にけん銃の引き金を引いたときに生じる音と同じものを聞いたという証言があり、車載カメラにその音と思われるものが録音されていた。
しかし、横浜地裁は、Ⅲにまとめた理由で、被告人が引き金を引いた行為は認定できないとして、その部分を無罪とした。その結果言渡された、懲役5年と、求刑の14年と比較しても、殺人未遂の存否は非常に重要な意味を持つことはいうまでもない。
本件で重要なのは、けん銃の引き金を引いた音と類似している『カチカチ音』の存在は認定しているが、「同一の音であるとの科学的な解析結果に関する証拠はない」ことを理由に、けん銃の引き金を引いたとは言えないとした点である(その他の、警察官の供述の信用性を減殺する事情は、必ずしも決定的なものとは思われない)。現在の捜査では、防犯カメラや車載カメラなどに録画・録音された映像、音声が証拠として重要な役割を果たしている。そこで、画像・音声の「同一性の認定」は、今後一層決定的な意味を持つ。その科学技術的進歩は急務であろう。捜査機関の側では、無用の議論を排除しうる「科学的根拠」を出来る限り準備すべきである。
もちろん、「同一性」と言っても、どの程度類似しているのかという問題が残り、最後は裁判官の評価は入らざるを得ない。本件の場合、現に発砲事件が起こった現場であり、被告人が実包の装塡されたけん銃を手にしており、これらの事情を総合すると、カチカチ音が「引き金を引いた音であった」と、かなりの程度で推認されるともいえよう。もちろん、「引き金を引いた音と類似している」といっても、他の原因でも発生する可能性もあろう。そして、もとより類似性の程度・確実性(とその科学的尺度)も重要である。本件においても、その判断基準がもう一歩確立していれば、裁判官の判断もより容易になった可能性があろう。
いずれにせよ、刑事司法における客観的証拠の重要性は高まることはあっても、減じることはない。この領域での、官民を挙げての研究の推進が望まれるところである。

(掲載日 2015年12月14日)

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